第二十七話 夜の『後衛』
なんとかのぼせて動けなくなる前に、俺はテレジアを浴槽から運び出した。
お姫様抱っこというやつは、施設に挨拶に行ったときに歳の離れた子供になつかれ、遊んであげた時以来だった――テレジアのような大人を運んだのは初めてだが、まったく重いと感じなかった。
彼女が軽いというのもあるが、経験を積んでレベルが上がると、身体能力が向上するらしい。体力が上がるのは分かっていたが、腕力などにも影響するようだ。
(転生後の肉体だからこそだよな。技能が使えるっていうのもそうだが……)
使用してみたら使えた、ということで順応してしまっているが、支援も魔法のような力だ。魔力を消耗するなら実感があったのだろうが。
しかし熱はテレジアにとって弱点だったらしく、若干体力バーが減ってしまっている。今後はぬるま湯で沐浴するか、水風呂の方がいいかもしれない――いじめているとかではなくて、命に関わる問題なのだから。
◆◇◆
炎耐性のある『レッドバックラー』をテレジアに持たせたのは、ある意味で正解だったと思いつつ、俺はどのようにこの状況を説明すべきか考えつつ、三階に上がった。
ライセンスで設定できる隊列は、迷宮に入った時のみ適用される。必要に迫られてのことならわかるが、町で隊列を組んで歩いていたらシュールというか、人目を引いてしまいそうだ。今のところ、そういうパーティを他に見たことはないし。
(……しかしテレジアのこの格好は……)
宿舎の従業員の救助を呼び、テレジアの着替えを用意してもらったはいいが、彼女は就寝用のワンピースタイプの寝間着をそのまま着てしまい、下着をつけていない。
亜人は自分の種族に準じたものしか、装備を身に着けたがらないらしい。武器や盾はそうでもないらしいが、肌に身につけるものは蜥蜴のレザー以外は好まないのだ。寝間着を着てくれたときにもかなり渋っていた。
つまり下着をつけてないので、宿舎に居る他の男性探索者にはとても見せられない。もちろん俺もだが。
亜人が普段どのように生活しているか、何が好きで何か嫌いかなど、レイラさんから詳しく聞いておくべきだった。
「…………」
浴室を出てから前を歩いてもらって間もなく、『支援回復』が発動してテレジアの体力が回復した。一回で全回復なので大したダメージではないが、心配だったので胸を撫で降ろす。
「テレジア、気づかなくて悪かった。熱いのは苦手だったんだな」
彼女は頷かない。ということは、風呂じゃなくてずっと水風呂などに入っていたので、熱さに弱いことに気が付かなかったのだろうか。
「次からは、水浴びするだけでも大丈夫か?」
「…………」
「じゃ、じゃあ……湯船に浸からないという選択もあるけど」
テレジアは首を振る。のぼせると分かっていても俺と浸かりたい、その鋼鉄の意志はどこから来るのか――健気というか、頑固というか。
風呂に入るために熱耐性のつくものを手に入れるとか、リザードスキンが2になったら熱に弱くなくなるとか。人間に戻っても使えそうなので、熱耐性のつくアクセサリーなどが手に入るというのが、最も理想的だ。
(風呂の入り方で対策を考えるとか、この世界ならではだな……)
俺が何を思案してるかを知る由もなく、テレジアは俺より先に階段を――見上げると俺は腹を切って詫びるしかない。ここは恥を偲んで、ルイーザさんあたりに彼女に下着をつけさせる方法を相談してみよう。
◆◇◆
部屋に帰ってきたあと、しばらくして他の皆も帰ってきた。テレジアが男風呂に来ていた件については、何とか誠意を込めてみんなに説明する。
「まあ……それは大変でしたね。亜人の方をパーティに入れられる方はなかなかいらっしゃいませんから、そういった事案があることは寡聞にして存じあげませんでした」
「じ、事案っていう言い方はちょっと良心が痛みますね」
「男湯に女の人を連れ込んでるなんてわかったら、他の住民の人達から苦情が出るわよ。じゅうぶんに事案じゃない」
ルイーザさん、五十嵐さんは少し酔いが覚めている。二人とも形が似ている寝間着姿なので、一部分の実力が伯仲していることがよくわかる。
「…………」
「え……テレジアさん、後部くんを怒らないでっていうこと?」
こくりと頷くテレジア。それだけで俺の罪はだいぶ軽減され、二人で混浴した件については、事情があっての話という流れになった。
「テレジアさんは、アリヒトさんに感謝を伝えたかったんですね」
「それにしても、少し大胆すぎると思うけど……私たちも全然気が付かなかったから、それは良くなかったわね」
スズナは俺寄りにフォローしてくれて、エリーティアも最初は俺を疑っている様子だったが、なんとか疑惑は晴れたようだ。
「お兄ちゃんだったら、何もなくきれいなお風呂タイムだったんじゃないかなと思いますけどねー。案外、二人きりになると積極的だったりします?」
「前半だけで終わってくれたら、少しは感謝したんだけどな。一言多い」
「あはは、実はお風呂で話してたんですけど、お兄さん今頃どうしてるかなって言ってたんですよ。キョウカお姉さんが」
「っ……余計なことは言わなくていいの。まったく、最近の若い子は……」
五十嵐さんが風呂で俺を気にするというだけで、夜が寝苦しくなる情報なのだが――しかし結局ベッドが二つしかないのに、男一人に女六人でどうしろというのか。
「えーと、これから寝るわけですが、対策会議を開いてもいいですか」
「私を見ながら言われても困るけど……私はソファで寝てもいいわよ。昨日に引き続いて、後部くんを寝室から追い出すのは悪いなと思っていたから」
「そんなことが……五十嵐さん、潔癖なことが悪いとは言いませんが、アトベ様はパーティの功労者で、リーダーなんですから。ちゃんとベッドで休んでいただかないと」
「あ、ああいや、俺はソファでいいですよ。ベッドで三人ずつ寝るってのは可能ですか? 俺の感覚ではギリギリかなと思うんですが」
女性なら三人でも寝られそうではあるが、ベッドに慣れてないと落ちるかもしれない。
「私はもうお兄さんのベッドを使っちゃったので、床でも大丈夫ですよー」
「私とスズナもお邪魔している身だから、ソファを借りて休むわ」
「いや、俺は椅子で寝るのは慣れてるが、みんなはそうでもないからキツいだろう」
「……じゃ、じゃあ……私はルイーザさんと話でもして過ごすから、後部くんは寝室で休んで。元からそういう話にもなっていたし」
「はい、私もそのつもりでいました。アトベ様、どうかごゆっくりお休みください」
会議は難航している――みんな俺を優先してくれるのはありがたいが、俺はそこまでベッドに寝ることにはこだわりがない。会社で椅子を並べて寝るのと比べれば、ソファの寝心地が遥かに良いということもあるが。
「じゃあ、公平にくじで決めませんかー? はい、そこにあった羽ペンを借りて、あみだを作りました!」
「仕事が早いな……そして、自分が勝つ可能性が高いとわかってるな?」
「えへへ、まあいいじゃないですか。これなら恨みっこなしですし、私が当たってもスズちゃんに譲りますから」
「ミサキちゃん、私のことなら気にしないで。アリヒトさんが一番優先にしたいから」
スズナは律儀すぎるほど律儀だ。気を遣っているというより、本気でそう思っているという感じがするので、ミサキも照れ笑いするしかないという様子だった。
「やっぱりくじとかで決めなくても、俺がソファで寝るよ。俺と一緒の部屋で寝ると、結構大変なことになるしな……」
「あっ……そ、それはもう気にしないで。私も初日で、緊張していただけだと思うし……」
「えー、せっかく作ったんですから使ってくださいよ。はい、じゃあこれで決定で!」
ミサキは作成したあみだくじに皆の名前を書かせる。最後の一箇所しか残ってないが、どのみちギャンブラーのミサキには勝てる気がしないので同じだと思い、自分の名前を書きこんだ。
◆◇◆
――そして、どうなったのかというと。俺は見事にハズレを引き、昨日と同じようにソファで寝ることになったのだが。
「……テレジア、そこで寝られるか?」
「…………」
みんな寝室でしばらく話していたようだったが、やはり疲れもあるのか、それほど経たずに静かになった。テレジアは足音を消してそろりと寝室を出てきて、もう一つのソファに座っている。
俺が横になると、彼女もそれに倣って横になった。蜥蜴マスクの目蓋が次第に重くなり、
閉じたかと思うと、ぱちっと開く。
「寝ずの番とかはしなくていいからな。できるだけ休んでくれ」
「…………」
テレジアは首を振るが、やはり睡魔には勝てないらしく、そのうち完全に目が閉じ、寝息を立て始めた。
俺も寝る前に、先ほど取得できる技能を見てから考え続けていたが、結論を出して一部の技能を取得しておくことにする。ジャガーノートの時は勝てたので良かったが、取得を忘れて後悔するようなことがあってはいけない。
『後ろの正面』は便利だとは思うが、『バックドラフト』があれば必要ないようにも思う。攻撃に自動的に反応できるならば、後方からの奇襲で俺が倒れ、総崩れになることは防げるだろう。
(でも、テレジアの『警戒1』を成長させられるなら必要ないか……うーん。バックドラフトの威力次第になってくるな。そればかりは試さないと分からないか)
やはりスキルポイントは貴重なので、俺だけの役割をまず優先すべきだろう。そうなると、優先して取得すべきものは自ずと決まってくる。
◆習得した技能◆
支援防御1:前にいる仲間が受ける打撃を10ポイント減らす。
支援攻撃1:前にいる仲間の攻撃に加えて10ポイントの打撃を与える。
支援回復1:前にいる仲間の体力を、30秒ごとに5ポイント回復する。
☆支援高揚1:前にいる仲間の士気を10ポイント上げる。
☆鷹の眼:後列にいるときに状況把握能力が向上する。
残りスキルポイント:1
『☆』がついている技能は習得したばかり、という意味らしい。状況把握能力というのは後列から指揮をするときには重要だろう――具体的に技能を取ったことで、どうなるのか分からないが。
(……何か、今までより遠くのものがはっきり見えるような……それに、把握できる空間が広がった感じがする。これは後衛としては……悪く、ない……)
明かりを少なくした部屋で目を閉じると、急速に意識が沈んでいく。ロイヤルスイートに移ればベッド不足も解消するので、ソファで寝るのもこれが最後になるかもしれない。
そういえば五十嵐さんに、部屋を移ることについて意見を聞くのを忘れていた。まあ全ては明日だ、それでも遅くはない。
――何か、小さく話す声が聞こえてくる。
「……みなさんも一緒なんですね。私も、目が覚めてしまって……」
「どうすればいいんでしょう……このままじゃ一睡もできそうにありません」
「違う部屋でも……やっぱり、寝てるだけで意識しちゃって……」
「みんな同じなの? これって一体どうしたら……」
「……あの、ちょっとだけ責任取ってもらっちゃいませんか? お兄さん、よく寝てますし」
「そ、それは……でも……」
「……よくおやすみでいらっしゃいますね……可愛らしい寝顔で……」
みんなが起きてきているようだが、とても眠い。寝室が別なら大丈夫のはず――それなら、飲み会で気分が高まった後で寝付きが悪いとか、そういうことになるだろう。
(……もう少し寝かせてくれ……できれば朝まで……)
部屋が静かになる。これが夢か現実か、定かではないが――今はまだ眠りたい。
鳥の声が聞こえてくる。俺はソファで身体を起こすと、大きく伸びをした。
テレジアは自分の腕を枕にして、丸まってすうすうと寝ている。毛布が落ちていたのでそっとかけ直し、俺は部屋を見回す。
何か、寝ているうちにあったような気がする。みんなが起きてきて、俺が寝ているそばで何かを話しているような……。
「……俺、欲求不満なのかな」
「っ……あ、後部くん……」
「あ、五十嵐さん、おはようございます。すみません、変なこと呟いちゃって」
寝室から出てきた五十嵐さんに、独り言を聞かれてしまったようだ。変な夢を見たからといって、適当に理由をつけてはいけない。
「……ゆ、ゆうべは……ぐっすり寝てたわよね?」
「あ、はい。ここのソファ、寝心地いいんで泥のように寝てました」
「そ、そう……あっ、みんな起きてきたら寝室で着替えるから、入らないようにね」
「分かりました。テレジアも起きたら、そっちで着替えるように言います」
「……本当に起きてなかった? 一度も起きないで、寝てたのよね?」
「起きたのかもしれないんですが、よく覚えてなくて……うろ覚えです」
「そ、それはたぶんお酒が入ってたから……記憶があいまいになってるんじゃない?」
彼女は何か慌ててるように見えるが、どうしたんだろう。まあ確かに、少し頭がぼーっとして、身体がフワフワした感じがするので、酒が残ってるのかもしれない。
「じゃあ俺、顔を洗って目を覚ましてきます」
「え、ええ……行ってらっしゃい、気をつけてね」
洗面所は各階ごとに共通なので、廊下に出る。何だか五十嵐さんがすごく愛想が良かったのが気になるが――彼女も異世界に慣れて性格が丸くなってきたというのは、良い傾向だと思った。




