第二十六話 装備の境界
まだ皆風呂から帰ってくるには時間があるが、ミサキが起きてこないと部屋を空けられない。宿舎の中は安全だと思うが、一人で置いていくのは少し心配だ。
「テレジア、ライセンスって持ってるか? 探索者はみんな持ってるはずなんだけど」
テレジアは首を振る。傭兵はライセンスを持っていない――一度命を落とした時に、失ってしまっているということか。
「…………」
「ん? ……背中を見ろってことか?」
テレジアはソファに座ったまま、俺に背を向けてこくりと頷く。蜥蜴マスクは首から上をすっぽり覆っているが、そこから黒い髪が伸びている――テレジアはこうして見ると髪が長い。
彼女は後ろに手を回し、髪を前に送る。すると、見えなかった背中の部分が露わになった。
彼女が着ている、蜥蜴の革のような素材のレザーアーマー。その首の後ろに穴が開いていて、そこには焼印のような印が刻まれている。
「これが『隷属印』か……テ、テレジア?」
テレジアは後ろに手を回し、俺の手をつかむ。そして、首の印に触れさせた。
すると印が赤く発光し、次に青色に変わって、文字の形が変わる。
「……っ……」
テレジアが声にならない声を出す。そして文字の形が安定すると、ようやく俺の手を放してくれた。
(そういえば、隷属印の所有権を俺に変えるって言ってたな……これでできたのか?)
それにしても、蜥蜴の鎧はぴったりとテレジアの身体の形に沿っている。マスクがあるので年齢不詳ではあるが、思った以上に彼女は若いのではないかという気もする。
「…………」
テレジアは無言で振り返る。引き結んだ唇が、隷属印に触れられたからか、今はかすかに開いていた。
口元だけでも陶器のように肌がなめらかだ。一度命を落としたとき、彼女は身体に損傷を負わなかったということだろうか。今のところ、それらしい傷は見当たらない。
彼女はしばらく俺の様子を見ていたが、ライセンスを見て、そろそろと指差してくる。
「ライセンス? 操作したいのか?」
テレジアが肯定したので、ライセンスを差し出す。すると彼女は人差し指を滑らせて、画面をパーティメンバーの一覧に切り替えた。
そして彼女は自分の名前をつつく。すると、彼女の技能を表示したページに切り替わった。
◆隷属者の技能開示 『テレジア』◆
・リザードスキン1:亜人の固有技能。防御力と属性耐性を向上する。
・アクセルダッシュ:一瞬だけ素早く移動できる。
・索敵拡張1:索敵範囲を少し広げる。
・警戒1:後方からの奇襲に気づくことがある。
・無音歩行:歩いても音がしなくなる。任意で音を出すことができる。
◆取得可能な技能◆
・ピックポケット1:相手に気づかれずに指定の所持品を盗めることがある。
・縄抜け:拘束状態になっても脱出できる。
・指先術1:難度の低い鍵、罠を外すことができる。
残りスキルポイント:1
レベル3で取得できるポイントはおそらく俺と同じ6だと思うが、1残して全て振られている。
ローグはある分野に特化した職ではないというが、盗賊系の専門職だと、罠外しなどの専門技能を持っているんだろうか。それでも指先術は使えそうだし、戦闘技能もそこそこ充実している。
『縄抜け』というが、拘束系の攻撃全般に対応できるなら、役に立つことはありそうだ。触手を持つ魔物というのも、あまり遭遇したいものではないが。
ピックポケットは魔物に使うならいいが、もし人に対して使う必要がある場面が訪れても、カルマが上がりそうなので使わせられない。今のところは、『指先術』が良さそうか――いや、急ぐことはないか。
「できるなら、テレジアだけの得意なことを伸ばしたいしな。またレベルが上がったら、良いスキルを選んで習得していこう。もしどうしても必要になったら、この三つのどれかを取るかもしれないけど」
「あ、お兄ちゃんおかえりなさーい。みんなってどこに行ったかわかりますー?」
ライセンスをしまったところでミサキが起きてきた。髪をまとめていたシュシュを無造作に外しつつこちらにやってくる。
「みんな風呂に行ったよ。ミサキはどうする? 今から行って間に合うかな」
「それなら大丈夫です、スズちゃんお風呂好きなので、ちょー長いですから。お兄さん、着替えのお金借りていいですか?」
「別に返さなくていいぞ。ミサキは色々大変だったしな」
「えー、それって餞別みたいじゃないですか。私はもう、心はお兄さんのパーティの一員ですよ?」
「別々でやっていくみたいなことを言ってなかったか?」
「うっ……だ、だって。スイートのベッドの寝心地を知ったら抜け出せないですよ~。私もやっていく目処が立つまで、お兄さんのところに置いてくださーい!」
そういうことになるのか……まあ、一度探索に連れて行くとも言ってしまったしな。
「ミサキはなんで『ギャンブラー』なんて書いたんだ?」
「そういう職業があったら楽しそうだな、と思ったんです。私、おみくじとか大吉ばっかり出ますし、トランプとかもちょー強いですよ。お兄さんって賭け事とかします?」
「そりゃ、宝くじくらいは買ったことあるけどな。ミサキは当てたことあるのか?」
「えへへ、家族で買ったやつが十万円当たってました。まあそれくらいなんですけどね」
それでギャンブラーになれるということは、彼女には資質があったってことなんだろうか。俺もうかつに勝負を挑んだら身ぐるみ剥がされるかもしれない。
俺が魅力的だと思うのは、その運だ。名前つきを倒すときなどに彼女が仲間にいると、ドロップが良くなると考えられる――ジャガーノートを倒した時はパーティに入っていなかったので、黒い箱が出たことには関係ないはずだが。
「私、『ドロップ率上昇』と『幸運の小人』って技能を取ってるんです。お兄さ~ん、きっとこんな私でも、いつかお役に立ちますよー」
「わかったわかった。同時に転生したよしみだ、これからもよろしくな」
「わー! スズちゃんたちに、仲間にしてもらったって言ってきまーす!」
小悪魔っぽくて計算高い子なのかと思っていたが、思ったより無邪気でもあるようだ。
「…………」
「テレジアも今のうちに、一緒に入ってくるといい」
テレジアは頷かないが、俺が風呂に行こうとすると後ろからついてくる。まあ、全てに頷いて返事をするわけでもないだろうし、皆のところに行けば一緒に風呂に入ってくれるだろう――鎧が脱げないので蒸れたりしないか心配だが。
◆◇◆
鍵を持っているのが俺なので、早めに風呂から戻らなくてはいけない。俺は急ぎ足で一階まで降り、浴室に向かった。
脱衣所で手早く服を脱ぐ。他の住人に会うこともない――この宿舎は風呂の時間に制限がないので、遅く入る人も多いということか。最初は沸かしたてでも時間が経つほどぬるくなり、最後は水になるそうだが、そればかりは自己責任だ。
ロイヤルスイートの施設はどのような具合なのだろう。八番区の風呂は追い焚き無しが限界だろうか――魔法技術で何とかならないものか。管理人さんが風呂を沸かしてくれるだけで、十分楽ができているといえばそうだが。
浴室に入り、湯船から桶で湯をすくって被る。日本式と大きく違って入りにくいということはないが、蛇口がないのは多少不便だ。湯の量も決まっていて何人か入った後に入れ替えられるそうだが、使いすぎてはいけない。
(それでも毎日入れるだけいいな。特に五十嵐さんたちは、毎日入りたいだろうしな……馬小屋暮らしでスタートしていたら、かなり厳しかったな)
スズナも汗をかいていることを気にしていたし、やはり生活の基礎がしっかりしてないと士気に関わる。そういう意味で、探索者たち向けの宿舎が多く作られているのだろう。
頭から洗う主義なので、まず湯をかぶる。そして髪を泡立て始める――五十嵐さんが感激していたシャンプー的なものだ。匂いはフルーツ系で泡も立ちやすいが、やはり日頃使っていた洗髪料とは違い、若干キシキシとする。
――そのとき、俺は肩に触れられた気がして、ビクッと身体を震わせた。
「えっ……ど、どなたですか?」
誰も入ってきた気がしなかったが、確かに後ろに人がいる。もう一度トントン、とされたので、目に泡が入りそうだったが、後ろを向いて恐る恐る目を開けた。
まず見えたのは――爬虫類の鱗。何のことはない、これは蜥蜴のレザーアーマーだ。テレジアが身につけているので見慣れている。
――その、レザーが覆っている足が、見えている。少し見上げると、きゅっと腰がくびれていて、へそのところはレザーに覆われていなくて開いている。さらに見上げ――られずに、俺はようやく事態を理解した。
(テ、テレジア……なんで普通にいるんだ……!?)
「…………」
「テ、テレジア……一応言っておくと、ここは男性用の風呂なんだ。テレジアは入ってきちゃだめなんだぞ?」
なるべく落ち着いて諭すが、テレジアは何を思ったのか、胸に手を当てる。
「い、いや、鎧は脱げないだろうから、着たままなのは別にいいんだ。そうじゃなくて、女風呂に行けばみんながいるから、そっちの方が……」
必死に説得を試みると、テレジアは俺を見つめる。俺の言いたいことが伝わってくれていることをひたすら祈るが、なかなか彼女は動かない――そして。
テレジアの手がすっと動いて、首元にある金具に触れる。それを操作した瞬間に、バチン、と弾けるような音がした。
そして、彼女がリザードマンと呼ばれているゆえん――身体にぴったりと張り付いて、脱着不可能だと思っていたはずのレザーアーマーが、勢い良く、まるで皮を剥くようにして『外れた』。
理解を超えた光景が目の前にある。蜥蜴のマスクと同じく、絶対に外せないと思っていたボディアーマーは、金具をいじるだけであっさり外れてしまった。
しかし手首や肩、足首などの蜥蜴装備は外れないようで、ところどころレザーの部分が残っている――いや、これはおそらく技能欄に表示されていた『蜥蜴の肌』によるものだろう。だが鎧の隙間から覗いていた白い肌は、今はそのほとんどが俺の目の前にさらされていた。
「……テ、テレジア……外せるのか、それ……い、いや、そうじゃなくて……!」
「…………」
テレジアはきょとんとしているように見える。なぜ慌てているのか、というように。
俺はとりあえず脱衣所に走り出て、誰か入ってきては困るので『貸し切り』の札を出す――本来は十五分しか出せないのだが、今回は見逃してもらいたい。
俺はタオルを取って浴室に戻ると、テレジアに巻くように促す。すでに目に焼き付いたものはどうしようもないが――想像以上にしなやかで、躍動感のある肢体だった。身体を締め付けていたレザーアーマーが外れた瞬間の光景は、今でも頭の中で繰り返し再生されてしまっている。
(ずっと着けてたから、装備のあとが残ってるのがまた……いや、考えるな……テレジアに安心するように言ったのに、意識してる場合か……!)
「…………」
悔いる俺の肩を、テレジアはぽんぽんと叩く。なぜ励まされているのか良く分からないが、やはり彼女は裸を見せることが恥ずかしくないらしい。すごい度胸というか、割り切りだ。
恥じらいを見せることがあるかと思えば、いきなり大胆になる。亜人の感情がないと言われているのは、こういう予測不能なところを評されている面もあるんだろうか。
信頼度が上昇しているから、ということもあるのか――とにかく彼女に気に入られているから、風呂まで来てしまったに違いない。これは彼女なりの善意なのだ。
「……背中を流しに来てくれたとか、そういうことか?」
こくり、とあっさりテレジアは頷く。思わず脱力するが、鎧を外すきっかけを作ったのは俺なので、何とも言えない。『鎧は脱げないだろうから』と言わなければ、彼女がレザーアーマーを外してみせることはなかったのだから。
「……じゃ、じゃあ……簡単にでいいから、流してもらってもいいか?」
「…………」
テレジアは頷くと、俺の後ろに周り、髪を洗い始める。そういえば泡だらけのままだった――しかし彼女にやってもらうと、自分で洗うより指が引っかからない。
次に背中を軽く流してもらったあと、テレジアに自分で身体を洗うように指示する。俺は先に浴槽に浸かり、彼女を見ないように背中を向けていた。
(……自分だけ洗ってもらうのもご主人様気取りって感じが……い、いやでも、テレジアの背中を流すのはさすがに行き過ぎだよな)
ふと蜥蜴マスクはどうするのだろうと振り返ると、やはり外れないらしい。そればかりは、その気になれば外れるというものではないのだ。
やがてテレジアも身体を洗い終えて、ゆっくり振り返る。身体に巻いたタオルは外れていたが、身体はちゃんと隠していた。
「ちょっと熱いけど、浸かれるか?」
「…………」
頷きを返すと、また俺は目を閉じないといけなくなる。風呂に入る瞬間にタオルを外すのは仕方ないことだからだ。
ちゃぷん、とテレジアが湯に浸かる。ようやく少し落ち着いたが、視線を迂闊に彼女に向けられない――やはり、しっかり言っておかなくては。
「テレジア、背中を流してくれたのは嬉しいけど、次からは女風呂に入るんだぞ」
「…………」
「い、いや、それは頷いてもらわないと困る。俺だって男なんだから、テレジアも少しは警戒しないとだめだ」
それでもテレジアは頷かない。『隷属印』で何でも命令を聞くわけじゃないというのは良いことだが、次も入ってくるという強い意志を感じる。
「テレジアは、俺のために良かれと思ってしてくれてるんだよな。でも、男風呂を何度も貸し切りにはできないし……」
風呂から上がった後にも、どうやっても皆に疑惑の目を向けられてしまう。だがテレジアの意志は硬く、如何ともしがたい。
「……テレジア?」
「…………」
蜥蜴マスクは赤くなる、それは分かっていたのだが。湯に浸かって間もないというのに、あれよという間に真っ赤になっていく。
「ちょっ……ま、まさか……蜥蜴だから、変温動物ってことか……?」
「…………」
「うわっ……し、しっかりしろ! すぐ適度に冷やしてやるからな!」
蜥蜴装備の人間に見えて、一部の装備は外れる。しかし、性質はあくまでもリザードマン――つまりはそういうことだ。
この速度でのぼせるとなると、ぬるい風呂の方が彼女にとっては良さそうだ。それを今後の反省に活かすよりも、全身真っ赤になって意識が危うくなっている彼女をどうやって穏便に救助するか、一刻も早い対処を迫られていた。




