第二十四話 月明かり
ルイーザさん、五十嵐さん、そしてテレジア。テレジアの年齢について確認してないが、そもそも迷宮国では酒に年齢制限がないので、ミサキとスズナも飲もうと思えば飲むことができる。
エリーティアは着替えに時間がかかっていたらしく、後からやってきた。金色の髪を下ろし、鎧姿と同じく、青の差し色の入ったワンピースを着ている。彼女が来た時点でもう一度乾杯する――なかなかの酒量になってきた。
「ミサキ、あなた顔が赤いけど、もしかして飲んでるの?」
「ううん、スズちゃんに止められたから。エリちゃんは飲む?」
「エ、エリちゃん……そんなふうに呼ばれたのは初めてよ。エリーならあるけど……」
「じゃあ、これからエリーさんと呼ばせていただいてもいいですか?」
「……うん。スズナはそのままでいい? 響きがいいから」
「はー、やっぱりちょー仲良し。性格が合うんだよねー、二人とも物静かだから」
「そ、そんなことは……私だって、話す時はたくさん話すわよ」
年下の三人がかしましく話している。テレジアはその横でゆっくりしたペースで飲んでいた。
「んっ……美味しい。今日は皆さんと一緒なので、いつもより美味しく感じます」
「お姉さん、いい飲みっぷりですねー。さささ、もう一杯」
「ミサキちゃん、ルイーザさんはもう四杯目だから、あんまり勧めたら……」
「もうさっきと雰囲気が違ってきてる……お酒ってやっぱり危険ね」
ルイーザさんにミサキが酒を注ぐ。スズナはミサキの悪ノリが心配らしく、そばに付き添っていた。エリーティアはルイーザさんの大人の色気に圧倒され、酒瓶を持ち上げて睨めっこをしている。
「スズナちゃんの思いやりはとても身にしみるわ。でも、大人には飲みたいときがあるの。お父さんの晩酌に付き合うだけじゃなくて、たまには友達と居酒屋とかバーで飲みたいの。後部くん、聞いてる?」
「は、はい、聞いてますけど。五十嵐さん、もうそろそろお酒は……」
「あ、まだしらふね。後部くんが酔ってるところって見たことない。昨日だってお水しか飲まなかったし……私と一緒じゃ飲みたくないの?」
「いえいえ、そういうわけじゃ。今日は飲んでますよ、でもそろそろ時間がですね……」
「まあまあ、いいじゃないですか。テレジアさんのことなら、まだ傭兵斡旋所に行くには時間がありますし……」
あれよと言う間にルイーザさんに注がれる。そしてあろうことか、ほんのりと頬を赤くした彼女は、大胆にも俺の背中に手を回すようにして、至近距離で乾杯をしてきた。
「ル、ルイーザさん、どうしたんですかいきなり」
「すいません、少し酔ってしまったみたいです。私、友達をよく困らせるんですが、抱きつく癖があって……」
「わー……それはちょっと、お兄さんには刺激強くないですか?」
「っ……」
俺のことを見込んでくれてるというのは分かるが、だからといって距離感が近すぎる。ミサキですら照れるくらいだから、スズナはもう何を言って良いのかという顔だ。
(まさか、酔うと色っぽくなるタイプなのか? 接近すると胸元が危うい……ま、まずい、後ろには五十嵐さんが……!)
「ちょ、ちょっといいですか。俺、急に席を外す用事が……」
「こら、逃げるな。ちゃんと座ってなさい。いい? 後部くんはね、凄いことをしたんだから、もっとどっしり構えてね、私たちをあごで使うくらいでいいのよ。ほら、注いであげる。いっぱい飲んで、いっぱい食べなさい。はい、あーん」
五十嵐さんはお説教癖というか、何か母親じみた感じになっている。残っていたハムをフォークで刺して食べさせてくれる――そして酒を飲まされる。
(昨日二人で飲んだりしたら、大変なことになってたな……良かったのか、悪かったのか)
俺は酒の上級者ではないが、五十嵐さんの酔い方については一つはっきり言える。彼女は酒を飲むと、とても隙が多くなる。
(だからそういうことを考えるなってのに……煩悩はパーティには必要ない。俺と五十嵐さんは仲間……酔って増えたスキに付け込んじゃいけない)
「んっ、んっ……はぁ、美味しい。後部くんはね、私はやればできる人だと思ってたから。他の人と比べても書類の出来がすごく良くて、体裁も何も言うことなくて、ついお願いしちゃって。悪いとは思ってたの。でも私が信頼できる部下が、あなたしかいなかったの」
「わ、分かりましたって。えーと、すみません! 水と、締めのフルーツを持ってきてもらっていいですか!」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
店員の女性が奥に入っていく。待っている間も、ずっと五十嵐さんは俺のことをどれだけ見込んでいたか、酷使して申し訳ないと思っていたかを語っていた。
(それを残業してる時に言ってほしかったんだけどな、本当は)
「だから、バレンタインのときも、日頃の感謝をこめて、他の人に配ったのとは少し違うやつにしたの。でも包装を同じのにしたら、後部くんは気が付かなかったの。ねえ、聞いてる? あの時のチョコレート、ちゃんと食べた?」
「食べましたし、美味しかったですよ。だから落ち着いてください」
「あ、その言い方は食べてない。どうせ嫌いな上司のチョコなんていらないって捨てたんでしょ。私はホワイトデーのお返しを大事に持って帰ったの。でも部下からの義理だって言ったら、お母さんが弟と一緒に勝手に食べちゃったの。普通そんなことする? 義理でも私が貰って帰ってきたのに。冷蔵庫見たらからっぽになってて」
ちゃんと自分の部屋に置いておけばよかったのでは、とか言う次元ではなく――俺はもしかして、五十嵐さんからそれなりに部下として可愛がられていたのだろうか。疲れていて気が付かなかっただけで。いや、気づかなかったらダメだろうとは思うが。
「アリヒトお兄ちゃんって、ほんとにキョウカお姉さんと何もなかったんですかー? だとしたらすっごいプラトニックですね」
「何かあったらこうなってないだろ。見ててわからないか?」
「後部くん、そんなふうに怒ってないでねえ、お肉食べなさい。お肉食べればだいたい上手くいくから。いらいらするのはね、お肉を食べてないからよ」
酒乱というのかわからないが、とにかく絡まれ続ける。逆側からはルイーザさんがもたれかかってくるので、いかんともしようがなかった。
そして、ずっと俺たちのやりとりの様子をうかがっていたエリーティアは、最後に気になっていたらしきことを尋ねてきた。
「……バレンタインって、友達同士でプレゼント交換をするんじゃないの?」
そこで分かったことだが――彼女は北欧出身で、日本とはバレンタインの風習が違うそうだった。義理だ本命だと騒いでいる国ばかりが全てではない、そういうことだ。
◆◇◆
酒場を出たあと、ルイーザさんと五十嵐さんは意気投合してしまい、一緒に俺の部屋に行って話をしたいと言い出した。つまり、ほぼ泊まり確定だ。
シラフのエリーティアも酒場の熱気にあてられたのか、ぱたぱたと手で顔を仰いでいる。
「じゃあ、私がルイーザとキョウカを送ってくるわね。スズナとミサキも来る?」
「もっちろん♪ お兄さん、スイートルームってどんな感じですか?」
「……男性の家に行くのは初めてですが、皆さんと一緒なら……」
(まあ、後で自分の家に帰るよな。それでも、テレジアを含めたら四人か)
俺がソファで寝るとしても、ベッドが一人一つずつというわけにはいかない。
「ルイーザさん、後部くんのこと、これからもよろしくお願いね」
「いえいえ、キョウカさんのご活躍にも期待して、パーティの皆さん全員を応援させていただきます」
ルイーザさんと五十嵐さんが意気投合しているので、二人で寝てもらえばいいか。
エリーティアに部屋の鍵を任せて五人と別れ、俺はテレジアを連れて傭兵斡旋所に戻った。外にいた他の所員に頼んで、レイラさんを呼んできてもらう。
「おお、来たか。時間を過ぎると、次の雇用に制約がかかるのでな。間に合ってよかった」
「レイラさん、今日の探索で目的の枚数を用意できました。テレジアを、正式に俺のパーティに加入させてもいいですか」
俺が銅のチケットを渡すと、レイラさんは驚いたように目を見開く。彼女は紙束を受け取るとぱらぱらとめくり、二回枚数を確かめた。
「……百枚。確かに受け取ったぞ。巨大なオークが外壁近くの解体所に運ばれたと聞いていたが、それはアリヒト、おまえの仕事か?」
「ええ、大きな声じゃ言えませんが。これからも静かにやっていきたいので、内密にしておいてください」
レイラさんは小さく息をつく。呆れたというより、感心してくれた反応だ。
「大したものだ。おまえほどの新人でも、最短で一月はかかると思っていた。まさか、宣言した翌日に必要なチケットを用意するとは思わなかったぞ」
「恐れ入ります。今までは色々とうまく噛み合ってくれましたし、運もありました。今後も油断せずやっていきます。テレジアを人間に戻すためにも」
「そうか……その志に敬意を表する。私は亜人に居場所を与えることが役割だと思っているが、彼らに心を取り戻してやりたいという気持ちは常にある。しかし、力が及ばない……おまえのように優秀で実直な探索者は、私にとっての希望だ」
「テレジアは俺にとって初めての仲間だから。話せなくても何となく気持ちが分かる、そういう瞬間があるんです。それが俺の思い込みかどうか、話さないと確かめられない」
テレジアは今も何も言わない。しかし、俺が銅のチケットを渡すとき、じっとこちらを見つめていた。
彼女に感情はある。今は、その表し方が限られているだけだ。
「アリヒト、テレジアがおまえを気に入っていると言ったのは、決して情を移すようにと仕向けたわけではない。私は亜人に感情があると簡単に言うことはできないが、個人としては、心があると信じている。その感覚を信じれば、昨日より今日の方が、テレジアはおまえに心を許している……そう思う」
「ありがとうございます。俺も、そうだといいなと思ってます」
信頼度が上がったという表示よりも、共に過ごす時間の中身が大事だ。俺は彼女をないがしろにしないし、これからも頼りにしていく。
俺はレイラさんに求められ、握手をしてから宿への帰途についた。
テレジアはしずしずと後ろを歩いてついてくる。足音がしないのはローグのスキルか、蜥蜴装備の効果だろうか。
「テレジア、後ろじゃなくてもいいぞ。好きなところを歩いていいんだ」
「…………」
テレジアは少し考えてから、俺の横に――並ぶかと思いきや、少し前まで進み出た。
「……普段から、俺の前を歩いてくれるってことか? 『前衛』として」
意図が伝わるかどうかは分からないが、俺は尋ねた。テレジアはやはり、答えない。
――いや、そうではなかった。
彼女はこくりと頷き、その後で首を振った。何を意味するのか――彼女は戻ってきて、俺の横に並んだ。
「そうだ。どこを歩いても良い。戦いの時は、俺より少しでも前に出るんだ。そうしたら、今までみたいに助けられる」
テレジアはこくりと頷く。そして俺をじっと見たあと、袖を軽く引っ張ってきた。
「早く帰ろう、ってことか?」
「…………」
彼女は答えなかった。急がなくてもいい、ということだろうか。一緒に歩きたいというなら、酔い覚ましの散歩も悪くはない。
皆が待っている宿まで、俺たちは急ぎすぎることなく、町を歩いた。空にはいつの間にか浮かんだ月が見えて、まばらな街灯の明かりと共に俺たちの進む先を照らしていた。




