第二百三十六話 夕闇歩きの湖畔 三層
まず『爛酔』という状態異常を何とかしなければならない――飲み水の入った水筒を使って、スズナに『水垢離』を使ってもらう。
◆現在の状況◆
・『スズナ』が『手水』『水垢離』を発動 →パーティ全員の『爛酔』が解除
・『アリヒト』が『アシストチャージ』を発動 →『スズナ』の魔力が回復
「ふぅぅっ……い、今のってなんですか? さっきの雨がお酒だったとか……?」
「ちょっと危ないところだったわね……目が回りそうになってたから」
「…………」
五十嵐さんは普通に飲める方だが、さっきのように雨を浴びるという形では酔い方が違うらしく、テレジアに支えてもらっていた。
◆現在の状況◆
・『セラフィナ』の『ストイック』が発動 →全般的な能力向上 状態異常付与率低下
「良かった……またしばらく待たなければ発動しないのかと思いましたが」
セラフィナさんの技能『ストイック』も無事に再度効果を発動した。状態異常が効きにくくなるといっても、防げるものとそうでないものがあるのだろう。
「やはり凄まじいのう……普通ならば状態異常の回復薬をどれくらい携行するかなどが、パーティの悩みとしてあるのじゃがな」
酔いが抜けたセレスさんは感心しきりだ。シオンも酔いが抜けて上機嫌になり、尻尾をパタパタと振っている。
「アリヒトさん、それでは『霊媒』を始めます」
◆通知◆
・『アリアドネ』が『スズナ』に『霊媒』の使用を要求
スズナが手を合わせて祈ると、彼女を包むように青い光の柱が立ち昇る――そして。
「……ギリギリで割り込みをかけることができたが、状況の通達が遅れてしまった。まずそれについて謝罪したい」
「無事に連絡がついて良かった。アリアドネ、一体どうしてたんだ?」
スズナの身体を借りたアリアドネは、パーティメンバーの姿を確認したあと、二層に戻る入口に目を向けた。
「秘神に遭遇すれば神戦は避けられない。遭遇と同時に、私と相対する秘神は念話による開戦前の対話が可能となる……そう思われる」
「思われる……というのは、初めて他の秘神に遭遇したから、そういうことが起こると分かったっていうことだな」
アリアドネは頷く――表情からは感情がほとんど読み取れないが、それでも彼女が逡巡しているように見える。
「私は廃棄されているため、外部からの干渉を受けていない。それでも神戦に参加すれば存在を認知されるはずだが、『白夜旅団』の秘神との念話は完全に成立しなかった。私が機能不全を起こしているのかもしれない」
「それは……足りないパーツがあるからってこと?」
「電波が悪い的なことだったりしません?」
エリーティアとミサキの指摘が正しいという可能性もあるのか、アリアドネは何も答えない。
「……アリアドネ個人としての意見はどうだ? 考えられる理由を洗い出しておこう」
「私の……意見。それは、私が不完全であるということしか……」
「相手の状況が万全とは限らない、とも考えられますが。『白夜旅団』の秘神についての情報は全くないわけですから」
「うむ、そうじゃな。わしらからすれば、アリアドネの能力に何か不足があるとは考えられぬし……二層と三層がなんらかの方法で遮断されている状況で、こうして対話ができておるというのは、アリアドネの念話は容易に妨害できないということではないか?」
セレスさんの言う通り、あの『聖櫃』があるアリアドネの部屋と、この迷宮の間で念話が通じているというのは凄いことだ。探索者個人が覚える技能でもできることとそうでないことがあるとして、後者に区分されると思う。
「念話が完全に成立していないって言っていたけど、一部は成立しているの?」
五十嵐さんが質問する――確かに言われてみればそうだ。アリアドネは推論を口にすることを控えているようだが、答えてくれる。
「こちらからの要求に反応しようという試みは見られるが、失敗している。『白夜旅団』の秘神は私とは違い廃棄されていない。他の理由によって念話ができない状態にあるか……もしくは……」
「……言いにくいことなら、今は言わなくても大丈夫だ」
「こちらの利益となるような推測を希望的観測というならば、それに該当するような内容であると認める。『白夜旅団』と契約した秘神は、念話ができないほどに機能を欠損している」
『神戦』とは、秘神と契約したパーティ同士の戦い――その秘神の片方が、機能を欠損している。
「元からあったパーティの名前を『白夜旅団』に変えたときには、兄はすでに秘神と契約していた。でも私たちは、秘神の声を聞いたことは一度もなくて、兄から伝え聞くだけだったわ」
「そういうことだったのか……もしかすると、旅団がこの五番区に留まっていた理由はそこにあるのかもしれないな」
ホスロウさんは、旅団が俺たち――秘神と契約したパーティを待っていたのではないかと言っていた。ようやく旅団の意図を知るためのピースが揃ってきている。
「旅団の人たちは、ずっと五番区の迷宮を巡っているって話だったわよね……」
旅団はこの五番区で何かを探している。しかし『猿侯』と戦うことはしなかった――仲間を助けることよりも、他の目的を優先した。その目的が何であったとしても、俺たちと相容れることのない部分だ。
「とりあえず、向こうの秘神に何かが起きてるってことは分かったが、まずは俺たちの状況だ。さっき『割り込む』と言ってたけど……」
「その迷宮において、何者かが外部との隔離を行っている。脱出するにはその何者かを倒すなどの方法を取る必要がある」
「リーネは『漂流』の対策として帰還の巻物を使えと言っていたが、それが出来なくなったというわけか」
「それはおそらく旅団も同じだということです。なるべくなら、無事脱出することを考えてもらいたいですが」
相手の状況によって敵対してくることも考えられる――そういった状況を導くような敵がいなければいいのだが。
「っ……あの水蛇、向こうで何か……」
エリーティアの言う通り、再び前方に水蛇の姿が見える――まだ距離があるので小さくしか見えないが、何かと戦っているような咆哮が聞こえてきた。水蛇の周囲にだけ雨が降っているのも見える。
「旅団と戦ってるってこと?」
「分からないけど……アリヒト、どうする?」
「水蛇がこっちに向かって来ないのなら、もう少し近づいてみよう。この地形だと、いずれ戦闘になるのは避けられないだろうし」
「あわわ……やっぱりそういう感じですか? お兄ちゃん、『ハットシャッフル』で魔力が減り気味なので、ちょーっと回復をお願いしたいです」
「よし、移動しながら回復する」
ミサキに『アシストチャージ』をかけつつ進んでいく――しかし、ある程度距離を詰めたところで。
◆現在の状況◆
・『何者か』が『★雨を呼ぶもの』に対して技能を発動
・気象『妖雨』が解除
「っ……!!」
それは予想だにしない光景だった。咆哮と共に何者かに攻撃を仕掛けていた水蛇が、消えた――いや。
『鷹の眼』を発動させた俺には、何が起きたのかが見えていた。巨大な水蛇が小さくなり、その後に掻き消えるようにしていなくなってしまった。
「逃げてく……お、お兄ちゃんっ、あの曲がり角の先に、何か……っ」
俺もその姿を見た――水蛇に比べれば小さく、普通の人間と変わらない大きさの『それ』は、悪寒が走るような異質さをまとっていた。
◆遭遇した魔物◆
・☆隻眼の愚視 レベル14 ドロップ:???
『――マスターに進言する。あの魔物は自然発生的に迷宮に生ずるものではない』
フォギアの声が聞こえてくる。ライセンスに表示された名前からは、その能力などを予測することができない――『それ』は地面からふわりと浮いて、水蛇を追うように少し移動したあと、
ぐるり、と。
俺たちに、その目を向ける。その顔はアルカイック・スマイルを象った彫刻のようだった。
仮面のような顔部分の、左眼の部分だけが割れている。そして人形のように垂れ下がっていた手が、こちらに向けて招き寄せるように動いた。
◆現在の状況◆
・『☆隻眼の愚視』が『コールエネミー』を発動
・『アリヒト』のパーティが転移
何が起きたのか――視界に映る光景が変化する。
それは仮面をつけ、薄い布のヴェールをまとった人形のようなもの。しかし割れた仮面の向こうにある瞳は人形ではなく、生きているかのような気配を感じさせる。
◆現在の状況◆
・『☆隻眼の愚視』が『双対のパラドクス』を使用 →『?天秤』の非破壊時に特殊効果発動
『隻眼の愚視』が両手を差し出すと、その先に大きな天秤のようなものが現れる。
「アリヒト……ッ!」
警告するエリーティアの声と同時に、ライセンスを見て戦慄する。天秤を壊さなければ何かが起こる――それが何であれ、何もしなければ致命的になる。
「あの天秤を、全力で破壊する……っ!」
『はいっ!』
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援攻撃1』『支援魔法1』『支援連携1』を発動
・『エリーティア』が『アルティメイタム』を発動 →攻撃力、速度が上昇 『残紅』付与
・『エリーティア』が『ルミナスフラウ』を発動 →『?天秤』に六十六段命中 『残
紅』を66回付与 連携技一段目
・『エリーティア』の追加攻撃が発動 四十四段命中 『残紅』を44回付与
・『テレジア』が『アクセルダッシュ』『蝶の舞い』『アズールスラッシュ』を発動 →『?天秤』に三段命中 魔力燃焼無効 連携技二段目
・『キョウカ』が『ダブルアタック』を発動 →『?天秤』に二段命中 ダメージの一部が貫通 連携技三段目
「……こんな……っ、何でできてるっていうの……!」
エリーティアがそう叫ぶのも無理はない――彼女の技でも一切天秤は削れず、透明な膜が全ての攻撃を妨げているかのようだった。天秤の片方の皿は大きく傾いたままでビクともしない。
「まだだ……まだ連携が繋がっている……っ!」
「次は私が……っ!」
「わ、私も行きまーすっ!」
「――ワォーンッ!」
◆現在の状況◆
・『スズナ』が『フォビドゥンアロー』を発動 →『?天秤』に命中 連携技四段目
・『ミサキ』が『ジョーカーオブヴォイド』を発動 →『?天秤』に命中 連携技五段目 弱点付与無効
・『シオン』が『ウルフズラッシュ』を発動 →『?天秤』に四段命中 連携技六段目
・『セレス』が『カオティックワード』を発動×2 → 『?天秤』に二段命中 クリティカル無効 スタン無効 焦燥無効 連携技七段目
・『アリヒト』が『フォースシュート・フリーズ』を発動 →『?天秤』に命中 クリティカル無効 凍結無効 連携技八段目
・連携技『蒼花蝕無・連狼混沌撃』 →支援ダメージ1612 連携加算ダメージ104
地上からでは攻撃ができないセラフィナさんは敵の反撃に備え、残り八人での総攻撃――空間が歪んで見えるほどに技を重ねても、天秤には傷をつけられず、釣り合わずに一方に傾いたままだ。
(いや……攻撃するたびに天秤は動いている。だがそれは何を意味するんだ……!?)
「効いてない……いえ……っ」
「後部くんが支援した分は、届いてる! みんな、続けるわよ!」
攻撃が無意味だということはなかった。秤に向けられた攻撃――そのうちの支援ダメージだけが、秤を呼び出した『隻眼の愚視』に届いていた。
「っ……待ってください! 敵が何か……っ!」
◆現在の状況◆
・『?天秤』の破壊に失敗 →『双対のパラドクス』効果発動
『隻眼の愚視』が両腕を広げ、その掌は天を仰ぐ。右手には白の光、左手には黒の光――白の光は黒の光よりも明らかに強い。
「私が攻撃を受け止めます!」
セラフィナさんが防御技能を発動し、俺も可能な限り彼女を支援する――そしてアリアドネの声が聞こえ、何もない空間から出現した二つのガードアームが『隻眼の愚視』に向けられる。
◆現在の状況◆
・『☆隻眼の愚視』が『時紬ぎの糸車』を発動 → 順転 逆転 順転 逆転 順転 順転 逆転 逆転
(なんだ……この音は、どこから……天秤じゃない、また別の技か……っ!)
カラカラと何かが回るような音が頭に響く。仲間たちもそれは同じようだった――そして。
「くっ…ぅぅ……何を、されてるの……っ」
「後部くん、駄目……このままじゃ……」
『猿王』を倒してもなお、これほど理不尽な相手が現れるとは思っていなかった――いや、そういった相手が現れても、何か勝つ方法を見い出せると思っていた。
しかしこの状況で、今しなければならないことを見つけられない。何かを見落としているのか、それとも攻撃せず逃げるべきだったのか。
「これは……なぜ、私だけが……っ」
セラフィナさんは変わらず盾を構えたまま、しかしその後ろにいる仲間たちに何かが起きている。それは俺自身も例外ではなかった。
「まだだっ……!」
俺は攻撃しようとスリングを構えた自分の手が、今まで見ていた自分のものとは明らかに変化していることに気づき――天秤の向こうで、『隻眼の愚視』が眩い光を放つ姿を見た。
◆現在の状況
・『☆隻眼の愚視』が『リロケーション』を発動 → パーティメンバーが不定の転移
◆◇◆
『――アリヒト。アリヒト』
誰かが名前を呼んでいる――これは、アリアドネの声だ。
『……アリヒト。念話が回復したので、このまま維持する。思念石を介することで、辛うじて繋ぐことができている』
薄く目を開ける。ゆっくりと身体の感覚が戻ってくる――激しい痛みがあるわけでもない、どうやら無事のようだ。
懐に入れておいた『思念石』が、淡く輝いている。念話が通じにくい状況でも、これがアリアドネとの繋がりを増幅してくれたと、そういうことなのだろうか。
「……良かった、目が覚めたのね」
「……?」
聞いたことのない――いや、覚えはあるのだが、記憶の中の声とは違う、そんな感覚。
俺は横たわった状態で目を開け、視線を上に向ける。すると、傍らに座ってこちらを見ている人物――亜麻色の髪の少女が、微笑んでいる。
「え、ええと……あなたは、一体……」
「あ……」
尋ねてみると、彼女は驚いたような顔をする。そして自分の手を見たあと、再び俺の姿を見る。どうやらひどく困惑しているようだ。
「やはり、そうね……アトベ……さん、あなたにも私と同じような変化が起きているようね」
「俺にも……って……」
その場で身体を起こしてみる。少し服がだぶついているような感覚――そして。
「(っ……!?)」
自分の手が少し小さくなっている――気がする。いや、これはずっと前に見たことのある状態に戻っている。
「……アニエスさん、俺は今、どうなってますか?」
「さきほど会った時に比べて……率直に表現するけど、若返っているように見えるわ。あなたたちもあの魔物と戦ったのね?」
「『隻眼の愚視』という魔物に遭って、何かの技で……そうだ、俺の仲間は……!」
「転移させられる前に『不定の転移』と出ていたわ……おそらく、この階層で散り散りになってしまっている。私の仲間も無事だと思うけれど、まだ会えてはいないわ」
「それならこうしてはいられないですね……ああ、そんなに背格好が変わってなくて良かった」
多少だぶついているシャツの袖を折り、緩んでしまっている装備をつけ直す。『般若の脛当て』の紐はしっかり結び直しておかないといけない。
「装備品は失われていないし、所持品も大丈夫……みんなもそうだといいんだけど」
アニエスさんの装備はそのままで、斧槍ともう一つ、布にくるまれた長物を持っている――これも武器なのだろうか。
装備は無事だったが、俺がこの姿だった頃――つまり迷宮国に来るずっと前の状態にされたとしたら、確認しておかなければならないことがある。
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