第二十二話 躍進
ルイーザさんが気を取り直したのはゆうに一分も過ぎたあとで、その間に通り過ぎたルイーザさんの後輩が「先輩、大丈夫ですか!?」と揺さぶったところで、ようやく彼女は起きてくれた。
彼女は「心配をかけたわね」と耳まで真っ赤になってできる先輩を演じたあと、俺を今までと違う、一番奥の個室に案内してくれた。内装がまるで違い、革張りの椅子に、こんな木がどこで取れるのかという黒檀のような素材のテーブルが置かれている。
湯気の立つハーブティの入ったティーセットを運んできたあと、ルイーザさんは俺の向かい側ではなく、隣の席に座り、こほんと咳払いをしてから話し始めた。
「前回オークの『名前つき』が曙の野原二階層に出現し、討伐されたのは四ヶ月前です。その時に出現した個体は『イエローファング』といい、ファングオークの身体が鮮やかな黄色となっていて、とてもご機嫌うるわしく、宴会などで人気だったようです」
「魔物が宴会に!? ってルイーザさん、動揺して変なこと言ってませんか」
「はっ……す、すみません、今月のギルド飲み会の幹事を任されていて、それを大変面倒だなと思っていて、色と強さは違いますが、通常のファングオークと大きさにさほど変わりはないという話だったんです」
動揺しすぎて思考がごちゃごちゃになっているらしい。ジャガーノートの件で記憶が混乱してしまったとは、俺はなんてことをしてしまったのだろう。
「ルイーザさん、ひとまず落ち着いてください。四ヶ月前に出た個体は、ジャガーノートとは違ったんですか?」
「は、はい。私、何か変なことを言ってしまっていましたでしょうか。大変失礼いたしました。思っていたより、筋肉質でいらっしゃるのですね」
依然として混乱しているが、これも状態異常の一種だろうか。話していれば落ち着くだろう――しかし抱きとめた時の感想が漏れているとしたら、かなり照れてしまう。
「……あっ、そ、そうですね、おっしゃるとおりです。イエローファングは、その名の通り黄色いオークです。曙の野原の二階にいるオークたちを、二百体ほど倒すと、彼らの恨みを晴らすために現れると言われています。レベル3の名前付きで、レッドフェイスと比べると大変強力な魔物です。前回は7人の被害者を出した後、16人編成の討伐隊によってようやく討伐されました」
「そんな大人数で……その『名前つき』も凶悪な奴だったというのは分かりました。俺たちが倒した『ジャガーノート』は、そいつとは別の個体なんですね」
「おっしゃる通りです。『名前つき』は、出現しやすいものと、滅多に出現しないものの二種がいます。『ジャガーノート』は、『ファングオーク』の名前つきの中では希少な種類になります。前回出現したのは三年前、その後討伐されたオークの名前つきは11体ですが、いずれもイエローファングでした」
統計が取れるほど討伐されていないので何ともいえないが、13体出現したうち、2度はジャガーノートだったということなので、出現率は十分の一程度か。3年に1度とは――。
「しかし、俺の個人的な感想なんですが、ベルゲン……ジャガーノートを出現させたパーティの連中が、オークを二百体も倒してるとは思えません。レベルが低かったですし」
「出現させたのは別のパーティです。イエローファングよりも巨大だったため、4つのパーティで合計24人の探索者を集めて挑みましたが、残念ながら討伐隊は壊滅しました。その時の生き残りがベルゲンという探索者の率いるパーティだったと記録にあります。同行したパーティを見捨てて逃走を図った可能性があり、ギルドで調査していましたが、彼らは運良く生き延びただけだと証言し、証拠が得られずに終わっています」
――想像した以上に、根の深い話だった。
ジャガーノートは24人の探索者でも倒せず、ベルゲンたち三人は逃走していた。彼らはそれから『曙の野原』の二階層に戻らず、ベルゲンたちを標的にしたジャガーノートは討伐されないままでいた。
エリーティアが八番区に来ていると知り、ベルゲンたちは自分たちがジャガーノートに狙われていることを今なら利用できると考え、行動を起こした。その場面に俺たちが遭遇したわけだ。
「……『名前つき』は、出現しても長い間倒されなかったり、普通は犠牲を覚悟で、大人数を集めて倒したりするものなんですね」
「はい。ジャガーノートに倒されてしまった21名のうち、3名は亜人に変化してオークマンとなり、傭兵斡旋所に在籍しています。残り18名は……」
探索者が魔物に敗れたらどうなるか。理解しているつもりではいたが、あまりにも過酷な現実だ。亜人にすらならず、未帰還ということも起こりうる……。
「『名前つき』は探索者に被害を出すことが多く、賞金がかかります。しかし賞金を公示すると、今度は『名前つき』の標的となったパーティを利用してでも、狩って利益を得ようとする人が現れてきます。そのため、いたずらに射幸心を煽らないよう、賞金額の掲示はしていません。しかし安全のことを考えると、ジャガーノートが討伐されていないことは、皆さんに伝えておくべきだったのですが……」
「ギルドも、色々な兼ね合いで振る舞いが難しいってことですね。それはすぐ変えられるわけじゃないし、俺たちも無事だったので良しとします。これから向かう階層の『名前つき』がどんな状況かは貴重な情報で、簡単には分からないですしね」
「そう言っていただけると救われます。でも……本当に良かった……」
俺たちが生き残ったことに安堵してくれたのか、ルイーザさんが目元を拭く。さっき失神してしまったのは彼女が繊細だからというよりは、ジャガーノートの恐ろしさを知っていたからだったのだろう。
赤らんだ目を恥ずかしそうにしつつ、ルイーザさんはいつもの片眼鏡を取り出した。俺のライセンスの行動記録を見る準備のようだ。
「では、迷宮での行動記録を確認させていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
◆今回の探索による成果◆
・『曙の野原』2Fに侵入した 10ポイント
・『アリヒト』のレベルが3になった 20ポイント
・『キョウカ』のレベルが2になった 10ポイント
・『スズナ』のレベルが2になった 10ポイント
・『ワタダマ』を15体討伐した 75ポイント
・『ドクヤリバチ』を8体討伐した 64ポイント
・『ファングオーク』を23体討伐した 230ポイント
・賞金首『★ジャガーノート』を討伐した 800ポイント
・『テレジア』の信頼度が上がった 50ポイント
・『キョウカ』の信頼度が上がった 50ポイント
・『スズナ』の信頼度が上がった 10ポイント
・『エリーティア』の信頼度が上がった 50ポイント
・他のパーティを救援した 30ポイント
・『ミサキ』を救助した 100ポイント
・犯罪者を3名撃退した 90ポイント
・『黒い宝箱』を1つ持ち帰った 50ポイント
探索者貢献度 ・・・ 1649
八番区歴代貢献度ランキング 2
(おっ、三人レベルが上がってる。レベルの離れたエリーティアがパーティにいても大きく経験値が入るほど、ジャガーノートの経験値は莫大だったってことか)
しかしレベルの上がりにくさと、今後の効率を考えると、どこかでレベルを統一しておいた方がいいのかもしれないが――パーティを組んで俺の技能を使ってこそ狩りの効率が良くなるので、悩ましいところだ。
「ああ……3桁の貢献度でもすごいのに、たった二日で4桁までいってしまうなんて……」
顔を赤らめたまま、ルイーザさんは片眼鏡を胸に抱くようにしてうっとりしている。
信頼度が貢献度として計上されるのはどうやら、一度の探索で50が限界らしい。そして、『支援攻撃』を一度発動させると貢献度10ということがわかった。スズナは体力が減っていなかったからか、『支援回復』の分は計上されていないように見える。
「1649……本当に素晴らしい数字です。一度の探索における貢献度ランキングでも、歴代2位に入っています。1位のパーティは、迷宮での魔物の大量発生が起き、ワタダマを大量に狩ることができたため、1660を計上したことがありました。しかしこの討伐数で1000を超えたのは、やはりジャガーノートを討伐したアトベ様たちだけです」
「これで、星2つの探索者に認定してもらえる……っていうことですよね」
「おめでとうございます。銅の傭兵チケットの必要分は、今日購入されますか? ジャガーノートの賞金が金貨百枚ですので、この場でお渡しも可能ですが」
もっと時間がかかると思っていたのに、ジャガーノートを倒せたことで、目標を想像以上に早く達成することができてしまった。
「残りのチケットが8枚あるので、92枚。銀貨276枚で買わせてください」
「かしこまりました。これで、テレジアさんを正式に仲間に加えることができますね。彼女は亜人ですから、可能であればずっとパーティに入れてあげてください。もし途中で解雇をすると、斡旋所に戻ることになります」
「大丈夫です。彼女には、不動の役割があるし……会ったばかりでこんなこと言うのも変かもしれませんが、人間に戻してやりたいんです」
「……簡単なことではありません。でも、きっとアトベ様なら……まず、四番区までの行き来が可能になること、大神殿への出入りが必要になると言われていますが、実績を積みあげていけば、数ヶ月内には現実的な話になってくると思います」
(四番区の大神殿か……これは重要な情報だな)
区によっては、迷宮国の主要な施設があったりもするのだろう。国というからには統治機構も当然存在するだろうし――これだけは今尋ねておくか。
「ルイーザさん、今更な質問ですみません。迷宮国って、国王はいるんですか?」
「いえ、建国した一族は一番区からは追放されてしまっています。今迷宮国を統治する実権を持っているのは、大神殿の神殿長、そして私どもギルドの指導者なのです」
「っ……ってことは、俺たちは国の意向で探索をしてるようなものなんですか。探索者になるしかないって、そういう意味だったんですね」
「はい。もうお気づきかと思いますが、この迷宮国にある迷宮は、すべてこの世界のどこか別の場所にあるものです。転移するための入り口だけが、迷宮国の壁の中に集められていて……なぜそのようなことになったのか、私もまだ知る立場にはないのですが」
つまり平原だけでなく、色々な迷宮があるということだ。必要な技能や道具も変わってくるだろうし、迷宮の環境に柔軟に対応していかなければ、行き詰まることもあるかもしれない。
そうならないように、仲間は多く集めておく必要がある。パーティとしては五名か六名が、行動の小回りが効くという意味では一番いいとは思うが、支援のかかる人数に制限がないのなら、場合によっては十人以上で強敵に挑むこともあるだろう。
「色々と教えてくれてありがとうございます。ルイーザさん、話は変わるんですが、俺たちの序列はどうなってます?」
「パーティの役割に応じて、それぞれ貢献度は別に算出されます。アトベ様は八番区においては……すごい、序列7位……一桁です。他の方々はイガラシさんが438位、スズナさんが435位、エリーティアさんは五番区の1万2千名の中で115位となっています。おめでとうございます、宿舎を『ロイヤルスイート』に変更できますよ。準備がございますので、利用は明日からとなりますが」
ロイヤルスイート――つまりスイートより広い。それなら五十嵐さんとテレジアと俺の三人でも、問題なく住める……ということはないか。
五十嵐さんも、今回の貢献度で序列がジャンプアップしている。つまり馬小屋暮らしは抜け出したので、俺の家に泊まる必要はなくなったわけだ。
(弁当を作ってくれるって言ってたが……別々で暮らしてても料理はできるよな。昨日一晩が例外で、ずっと同じだと期待しちゃいけないな)
「……アトベ様、今のお部屋のままの方がよろしいですか? 浮かない顔をされていますが」
「あ、ああいや。そういうわけではないです。明日、部屋を見に行くので、良さそうならぜひ移らせてください」
「かしこまりました、管理者に内覧の予約を入れておきます。それと、『黒い宝箱』の解錠ですが、罠を外す必要がございますので、腕のいい『箱屋』を紹介させていただきますね」
「箱屋? 箱の罠を外す、専門の店ってことですか」
「はい。『罠師』という職の方がやっていらっしゃいますので、まず解錠を失敗することはありません。万に一つ、ということもあるのが、箱の扱いの難しいところなのですが。間違いなく、複数の財宝が中に入っていますので、手数料を支払ってでも安全に開ける価値はございますよ」
チケットも購入できたし、序列のことも確認できたし、『箱屋』も紹介してもらった。
本当に色々とお世話になっているし、今後も担当をお願いする彼女に、何かの形で感謝の気持ちを伝えたい。急には難しいかもしれないが、打ち上げに誘ってみよう。
「何から何まで、本当にありがとうございます。ルイーザさん、今日の上がりは何時ですか?」
「ギルドは深夜まで営業していますが、私は当直でないので、もうすぐ終業になります」
「その……良かったら、俺たちと夕食をご一緒しませんか。急に誘ったりしてすみません、でも、本当に感謝してるので」
「まあ……いいんですか? アトベ様がよろしければ、ぜひご相伴にあずからせていただきたいですわ」
――このときは本当に、ただ純粋に、大仕事を終えた達成感を、ルイーザさんとも共有したかっただけなのだが。
酒場に行くということは、スズナとミサキ、エリーティアはまだ子供なので除いて、大人はある程度酒を飲むということで。
酔っ払うと五十嵐さんにどんな変化が起こるのか、そしてルイーザさんはどんな酔い方をするのか。まさかあんなことになるとはまだ、俺は想像もしていなかった。




