第二百二十五話 命名/大浴場 上
女性陣が一つの部屋に揃っているので、何というか修学旅行の夜のような光景だ――女子の宿泊部屋に入ったことは無いのであくまで想像だが。
「後部くん、話したいことっていうのは?」
「実は、パーティの名前を正式に決めようと思いまして」
「うちのパーティのリーダーはお兄ちゃんなので、お兄ちゃんが命名してくれたらそれでOKだけど、一応アイデアとか出します? 私は迷宮少女団とかがいいと思います!」
「わ、私は少女というのは少し、該当範囲から外れているかと……」
セラフィナさんだけでなく、五十嵐さんも何か言いたげだ――『少女』の境目がどこかというのは、なかなかデリケートな問題だ。二十歳以上は大人である、ということで良さそうではあるが。
「というか、普通にそれを名乗るのは恥ずかしいわね。アリヒトがリーダーなのに、その要素が入っていないし」
「個人の要素というよりは、シンボルを名前に取り入れるのがいいと思ってる。ええと、これからずっと前に進んでいくという意味と、アリアドネの加護をもらってるって意味を含めて……『銀の車輪』っていうのはどうかな」
名付けの説明というのはなかなか照れるものだが――幸いにも、みんな好意的な反応だ。
「アルフェッカさん……『車輪』の化身である彼女は、アリアドネ様を乗せる車なんです。それに私達も乗せてもらっていますから、ぴったりですね」
アリアドネを憑依させたことのあるスズナは、俺たちよりアリアドネのことを理解している――ネーミングの由来となったアルフェッカ、そしてアリアドネはどう思うのかも、スズナを介して知ることができそうではある。
『……私は蚊帳の外だが、その名をマスターが選ぶのならば、それが唯一無二なのだろう』
『右に同意です。アルフェッカ殿も意見は同じでしょう』
居間に置いてあるムラクモとフォギアが語りかけてきている――ムラクモは少し拗ねているようなので、後でご機嫌を伺った方がよさそうだ。
「『銀の車輪』って言うとちょっぴり走り屋さんっぽくないです?」
「後部くんを中心に迷宮国を走っているから、いいんじゃないかしら」
「私もいいと思います……っ、では、商人組合のほうにも、『銀の車輪』所属のマドカというように変更を申請しますね」
「……良いものですね、パーティの名前というのは。居場所が確かになると言いましょうか」
セラフィナさんが喜んでくれている――俺もこのパーティの名前に恥じないように、今後も頑張っていきたい。
『皆様方、お邪魔してもよろしいですか?』
「はーい。ルイーザさん、お風呂に行くの待っててくれたのね……って……」
一緒に来ているのはファルマさん、セレスさん、そしてフェリシアさん。後ろにシュタイナーさんもいるが、これはつまり、みんな連れ立って風呂に行くということか。
「……お母さん、お父さんは?」
「ミャミャ、ミャミャーオ」
「……ミャーオ?」
「ミャウミャウ」
「ね、猫語……これが本物の猫語ですか? めっちゃ可愛いんですけど」
メリッサとフェリシアさんは猫語(?)でしばらくやりとりをする――亜人になったフェリシアさんとここまで意志疎通ができるというのに、今さらながら驚かされる。
「…………」
テレジアも思うところがあるようで、メリッサたちを見てから俺を見る――リザードマン語があれば死ぬ気で勉強するのだが、そもそもテレジアは声を出せない。
「……お父さんが酔って寝ちゃってるから、しばらく添い寝してて、でも私と一緒にお風呂に入りたいから来たって」
「ふふっ……フェリシアさんも久しぶりに旦那さんに会って照れてるのかしら」
「……ミャッ」
フェリシアさんの顔は猫顔のマスクで覆われているが、口元だけが見えている――それでも顔が紅潮しているのが見て取れた。
「ミャミャミャ、ミャッ」
「え……メリッサ、フェリシアさんはなんて?」
「……お母さんの言うことは気にしなくていい、気まぐれだから」
俺の前までやってきて、フェリシアさんがじっと見てくる――ちょっと迫力があるが、怒られているわけでも無さそうなので、どうしたものだろうか。
「アリヒト、お主も我関せずという顔をしておるが、風呂の時間じゃぞ?」
「あ……は、はい、じゃあ俺も入ってきます」
『ご主人様は一緒に入るのを当然みたいに思ってますけど……違いますよね? 我輩のほうが普通だよね?』
「え……そ、そういうことなの? あ、あのっ、私としてはその、後部くんが一緒っていうのは……それなりに大きなイベントというか……水着も手に入ってないし」
「水着って『幻想の小島』でのバカンスの時のやつじゃだめなんですか?」
「ミ、ミサキ殿。それに皆さんも……アリヒト殿も入浴中はリラックスしたいでしょうし、無理にというのは良くないのでは……」
「いいじゃない、裸のお付き合いっていうことで。もちろん私は夫の居る身だから、そこはもちろん弁えているけれどね」
「ミャーオ」
お母さん組が一緒に入ってもいいという態度なのは、猛烈に物申したくて仕方がないが――日本にも混浴という文化はごく一部であるが存在するし、ローマの時代には共同浴場を男女が利用していたという話もあり――それは関係ないか。
「……あ、あの……私は……その、水着なら……」
「スズちゃんが水着なら私も水着で行こうかなー。お兄ちゃんはどう思いますか?」
「俺に聞かれてもだな……」
「私も水着なら一緒に入れそうです。よかった……」
「……私もそうしておく。お母さんの前だと恥ずかしいから」
フェリシアさんはそんな娘の頭を撫でている――爪を立てないように肉球で撫でるその様子は、見ているだけで微笑ましかった。
◆◇◆
これほどの人数でも、宿舎の近くにある貸し切り浴場はしっかり対応していた――最大で二十五人、料金は銀貨三十枚取られるが、資金的には現状問題がない。
ルカさんは一人でふらりと飲みに出てしまっていて、男性陣は俺一人だ。四面楚歌というのも違うが、なかなか踏み切りにくいものがある。
というのも、改めて聞いてみるとここの貸し切り浴場は水着の着用が禁止になっていた。湯浴み着の貸し出しがあるので、それも料金に入っているらしい――そして、男性向けの湯浴み着は存在しない。
(まあ仕方がないか……タオル一枚では心もとないが……)
腰にタオルを巻き、浴室に出ていく――すると、立ち込めた湯気の向こうから、楽しそうな声が聞こえてくる。
「あー、水着じゃなくても案外行けちゃうもんですね。乙女として殻を破った感というか」
「ミサキ……それはいいけど、濡れると透けるから気をつけてね」
「ひぇぇ、ほんとだ……ニプレスとか売ってたらいいんですけどねー」
「も、もう……ミサキちゃんったら。アリヒトさんが聞いてたら……」
「私は湯浴み着の下にもう一枚布を巻いてるわよ、これでだいぶ透けないでしょう」
「それは妙案ですね。しかし私の場合、見られてもアリヒト殿は何も感じないでしょうし……」
「何言ってるんですか、私しか隊長の魅力を分かってないなんて、そんなこと絶対ないですからね」
アデリーヌさんはついにここまでついてきてしまった――さっきまで寝室のベッドで寝ていたのだが、今はやけにテンションが高い。
「ルイーザさん、髪を下ろすと別人みたいね……アトベ様が見たら驚くわよ、きっと」
「そ、そうでしょうか……先日ご一緒したときは、何も言われなかったのですが」
「アリヒトも照れておるのじゃろう、あやつは今どき珍しいくらいの純朴さじゃからな。わしの匂い立つ色香を前にしても、ビクとも反応せぬのだ」
「ミャミャミャ、ミャーオ」
「……『セレスさんは可愛らしい』って、お母さんが言ってる」
メリッサなら『セレス』と呼びそうなところなので、フェリシアさんはセレスさんに対して敬語ということになる――と、細かいところを気にしすぎか。
「お主もわしからすれば娘のようなものなのじゃぞ、フェリシアよ。それにしても扇情的じゃのう、お主ら亜人の浴場での格好は……マスクを外せぬとはいえ、それ以外はほぼ裸というのは……」
「ミャウミャウ」
「お母さんは『もうそんなことを気にする歳でもない』って言ってる」
「えっ……私、見た途端に『デッッッ』って言いそうになっちゃったんですけど。脱いだら凄い人が知り合いに多すぎるよね」
「ミサキちゃん、あまりそういうことを大きい声で言うのは……」
「なんじゃ『デッ』とは……『でっかい』ということかのう。お主らはあれだけ動いても胸から痩せぬ、これも迷宮国の神秘じゃな」
もう聞いているだけで頭がクラクラとしてくる――俺はこの場の空気と化して、誰にも悟られずにいられたりしないだろうか。
「……? 皆さん、テレジアさんを知りませんか?」
「さっきまでそこにいたわよね……安静にしてないといけないと思うんだけど……」
スズナと五十嵐さんの声が聞こえる――テレジアはどこに行ったのだろう。
◆現在の状況◆
・アリヒトの『鷹の眼』が発動 → 状況把握能力が向上
(っ……いや、そこまで本気で探さなくてもいいんだが……!)
思わず無意識に技能を発動してしまった――そして俺は、テレジアがこの空間のどこにいるのかを把握してしまう。
「後ろ……って……」
ザバァッ、と風呂の水面を破って誰かが立ち上がる。
そこにいたのは――もちろんというか、テレジアだった。
「…………」
「テ、テレジア……大丈夫か、怪我した後で水に潜ったりして」
テレジアは元気だと示すように胸に手を当てる――そこで俺は何も大丈夫ではないことに気がつき、心臓が跳ねる。
「ああっ……テ、テレジアさん、その湯浴み着は……っ」
「……濡れるどころの話じゃないし……ああっ、あの子って本当に……」
「凄く勇気があって……いえ、だ、駄目なんですけど……あんな格好で出ていったら……」
湯浴み着は薄い布でしかなく、濡れてしまうと視覚を遮る機能をなさない。まして『鷹の眼』を発動した今、見えてはいけないものが見えすぎている。
「…………」
「ちょっ……」
ざぱっ、と浴槽から上がってきたテレジアは、俺の手を引いて洗い場の椅子に座らせる。
肩に手を置かれる――お湯で温まっているが、のぼせやすいテレジアが大丈夫とも思えない。
「ふむ、テレジアは策士じゃのう……湯船に潜んで狙いに行くとは」
「テレジアさん、でもかなり赤くなっちゃってるし……少し心配ね」
「それでもアトベ様のところに行きたいという気持ち、今は尊重してさしあげたいです」
「それはそうだけど……い、いいのかしらね。後部くん、できるだけ後ろは見ちゃだめよ」
「……もう、こうなったら見ちゃってもいいんじゃないですか? 人間は元々裸だったっていう話ですし、知恵の実を食べちゃったから恥ずかしくなったんですよね」
「ミサキちゃん、そういうお話じゃなくて……」
スズナがいつものようにミサキを抑えてくれる――かと思ったのだが。その後に続いて聞こえてきた声に、思わず耳を疑った。
「……でも、私も……今日は、そんなに気にしなくてもいいのかも……って……」
(――いや、気にしなくていいってことは全くないはず……うわっ……!)
思わず声が出そうになる――湯けむりで霞んでいるが、スズナが湯浴み着の前を外し、脱いでしまう。
「……スズちゃんがそう言うなら、いいんだよね?」
「あ、あなたたち……あなたたちだけそうすると、統率が取れてないじゃない……」
「統率……は関係あるのか分かりませんが……確かに、お風呂場で何か着ているのは、少しわずらわしいですね……」
おかしい――どこかで何かを間違えたのか、それとも俺は居間で寝落ちしたか何かで、夢を見てでもいるのか。
みんなが湯浴み着を脱いでいく。もちろん見ているわけにいかず前を向くが、テレジアがタオルを泡立て始めて、この場から逃げづらくなってしまう。
「…………」
テレジアが背中を流してくれる――力加減が絶妙だ。そうこうしているうちに、他の皆も身体を洗い始めた――風呂で裸になる、それは当たり前のことだが、落ち着かないことこの上ない。
「キョウカさん、ヴァルキリーとして戦っているのに肌が赤ちゃんみたいに綺麗なのよね……凄くもちもちしてる」
「あっ……そ、そんなことないです、と言いたいですけど。私、『戦乙女』のスキルの『雪国の肌』を取っているので……」
「凄い……そんなスキルがあるのね。私もそのスキルがあったら、夫ももう少し興味を持ってくれるかしら……」
「ファルマはその歳にしては色香があるほうじゃからのう、それ以上艶美になってどうするのじゃ」
「え、えんび……そういうのってもっと大人にならないと駄目なんでしょうか? お兄ちゃんには絶対妹とかそういう扱いをされてると思うんですよね」
「焦ることはないじゃろう、あの堅物なら大人になるまで待っていてくれるのではないか? と言ってしまうと、乙女の修羅場を招いてしまいそうじゃな」
「ご主人様、他人事みたいに言ってるけどいいのかな? アトベ様のこと、かなり気に入ってるって前に……」
「キサラ、風呂場では鎧を脱いでおるのじゃから、いいのか? 油断すれば姿を見られるぞ」
「ああっ……ア、アトベ様、こっちは見ちゃだめだよ、我輩は素顔を見られたら、鳥になって飛んでいっちゃうからね」
それは鶴の恩返しか何かだろうか――迷宮国にも似たような寓話があったりするのか。
「…………」
「テ、テレジア……前の方は大丈夫、背中だけでいいからな」
そう言うとテレジアは、今度は腕を洗い始める――すると。
むにゅっ――と。
腕に妙に柔らかい感触を感じて、ようやく俺は自分の失策に気づく。他の皆が湯浴み着を脱いだのを見て、テレジアがどう考えるのか――それを考慮しておくべきだった。




