第二百十三話 決戦前のミーティング
宿舎の居間に移動し、ルイーザさんにライセンスを見せる。片眼鏡を使って表示を確認したあと、彼女は顔を上げて微笑んだ。
◆今回の探索による成果◆
・『震える山麓』3Fまで侵入した 30ポイント
・『震える山麓』の秘境を発見した 2000ポイント
・『キョウカ』のレベルが8になった 80ポイント
・『スズナ』のレベルが7になった 70ポイント
・『ミサキ』のレベルが7になった 70ポイント
・『シオン』のレベルが8になった 80ポイント
・『★流浪のストラダ』と友好関係を結んだ 420ポイント
・『ディープイーター』を1体討伐した 120ポイント
・パーティメンバーの信頼度が上がった 240ポイント
探索者貢献度 ・・・ 3110
五番区暫定貢献度ランキング 288位
「おめでとうございます、アトベ様。五つ星迷宮の探索許可条件は達成されました」
「ありがとうございます。秘境を見つけると、こんなに貢献度が上がるものなんですね……」
「探索者の中には、秘境発見を専門にする人もいるくらいですので。ギルド本部が『秘境』の存在を把握することに力を入れているのは、もしそこで非常事態に陥った探索者がいた場合、救助に向かうためです。それも、秘境を発見して無事に戻っていただかなければならないですし、ライセンスによってその場所が秘境と認定される必要はありますが」
「このストラダという魔物と出会わなければ、秘境を見つけられませんでした。迷宮で起こりうることを、今後も多角的に見ていくことが必要だと思っています」
「そ、そうですね……すみません、何気なく受け取ってしまっていましたが、こんな表示は見たことがありません。魔物を捕獲したり、調教したという表示は見たことがあるのですが。ライセンス表記の記述について、職員が知らないというのはお恥ずかしい限りです」
「対話ができる魔物というのもいるみたいです……と言っても、俺たちも何も分かっていないに等しいんですが。レベルが足りていれば仲間にできるのかもしれません」
ストラダに再会できるのかは分からない。全て『猿侯』を倒すことができたらの話だからだ。
ユカリは七番区からが本当の始まりだと言っていたが、今の俺たちにとっては、長く続いた因縁の相手を乗り越えることで新たな局面が始まるように思う。
「……皆さんは、明日行かれるんですね」
「はい。必ず『猿侯』を倒して戻ってきます」
ルイーザさんが俺を見る。不安を隠すことができないその表情は、彼女の優しさをこれ以上なく伝えてくれる。
しかしルイーザさんは微笑み、俺に向かって手を差し出して、そして言う。
「帰ってきたあと、こうして握手をさせてください。アトベ様に伝えたいこと、話したいことが沢山あるんです」
「俺もです、ルイーザさん……ど、どうしました?」
ルイーザさんは困ったように、笑っている。その頬が少し赤らんで見えるのは気のせいだろうか。
「……必ず、また探索のご報告を受けさせてください。お待ちしています」
他のことを言おうとしていたようにも見えるが、今はそれを聞くことはしなかった。
必ず帰ってきて、ルイーザさんの話を聞きたい。迷宮国に来て、俺は他の人のことを前よりも知りたいと思うようになった。
「また、一緒にお酒でも飲みましょう。そういう時でないとできない話もありますし」
「はい。アトベ様がそうおっしゃるなら、遠慮なくお酌をさせていただきますね」
これは手強い――と、こんなふうに話せているだけで有り難い。席を立って出ていくルイーザさんを見送りながら、そんなことを考えていた。
◆◇◆
レベルが上がったメンバー一人ずつに来てもらって、技能の確認をする。初めに来てくれた五十嵐さんは、テーブルを挟んで向かい側のソファに座り、ライセンスを見せてくれた。
「レベルが6と7の人は、経験値が多かったってことなのかしら」
「皆が確実に活躍しているっていうことだと思います。俺ももう少しでレベルが上がるみたいなんですが……」
「レベルって、迷宮の中でも上がってはいるんでしょう?」
「そうですね、レベルが上がったことを確認しているのが基本的に迷宮を出た後というだけで、探索中に上がってはいます。一度の探索では1しか上がりませんが」
「それなら『猿侯』と戦う前に、他の戦闘でレベルが上がる可能性もありそうね」
「もしそうなったら、土壇場で技能を取ることもできますが……賭けの要素は強いので、可能性として覚えておく程度で考えます」
「ええ、分かったわ」
◆キョウカの新規技能◆
スキルレベル3
・ディヴィニティ:対象に『セイントブレス』を付与し、攻撃してきた人型の敵を『教化』状態にする。必要技能:エインヘルヤル
スキルレベル2
・サンダーストライク:敵一体に雷を落として攻撃する。攻撃回数は1~8回。対象を選ぶことはできない。必要技能:サンダーボルト
・戦士の行進:パーティに不利な地形効果の影響を軽減する。
残りスキルポイント:4
やはりレベルが上がってきたからか、スキルレベル1の技能は新規では増えていない。
「後部くん、『教化』って何かしら……いえ、私の名前とは関係ないと思うけど」
少し恥ずかしそうにしつつ付け加える五十嵐さん――確かに下の名前はキョウカさんなので、同じ音というのは気になるところか。
「詳細な説明が見られますね。その戦闘中に、敵の攻撃頻度が下がるみたいです……でも、前提条件がありますね」
「攻撃頻度を下げる……有効だと思うけど、一度攻撃を受けないといけないのね。『ブリンクステップ』と組み合わせればリスクは少ないけど、ポイントが足りないわ」
「そうすると、未取得の技能から選んだ方がいいでしょうか」
「そうね……やっぱり『戦乙女の演舞1』と『ポールダンス』を取ってみた方がいいのかしら。『魅了』が通じるなら、操られている探索者に攻撃させないようにできるかもしれないし」
この二つの技能を駆使する五十嵐さん――いいんだろうか、という思いが先に立つが、確かにこの組み合わせが機能すれば、操られている探索者のうち男性に対しては有効だろう。
「猿侯に従属させられていても通用するかどうかが問題ですが……『サンダーストライク』も強力ですし、『アースパペット』『フリーズソーン』も使い所がありそうですね」
「そうね……でも、『アースパペット』は私の強さに依存するそうだから、囮として作ってもあまり時間は稼げないかもしれない。『フリーズソーン』の足止めも、相手を完全に止められるわけじゃない……それなら、無力化の可能性がある組み合わせを取っておくのがいいんじゃないかしら」
「そうですね……では『戦乙女の演舞1』と『ポールダンス』を取得しましょう」
「スキルポイントがもう少しあれば、『エインヘルヤル』も試せたけど……私よりレベルが高い敵には、成功率が低くなるでしょうし」
『エインヘルヤル』は行動不能にした相手を味方に加える技能だが、成功率は相手とのレベル差に依存する――そうなると、敏捷性と回避率を上げ、魅了効果も狙える『ポールダンス』の方が確実に効果を得られるだろう。
「残り1ポイントは……『猿侯』の弱点を突けるなら『フリーズウェポン』も良かったけど、炎の耐性があるって分かっているだけなのよね」
「そうですね。これからスキルレベル2以上の技能だけが出てくるとなると、肝心の時に取れるように残すべきかもしれません」
「私たちにとって、これは絶対に通らないといけない過程だけど、ゴールじゃない。そういうことね」
五十嵐さんの言う通りだ。しかしスキルレベル1の技能でも、土壇場で効果を発揮することはある――必要な技能を咄嗟に選択すれば、無駄にはならない。
「明日は『アンビバレンツ』を使った方がいいのかしら……」
「なるべくなら、切り札として使うべきです。体力が低いほど強くなる武器……でも、攻撃することでこちらも被害を受ける。非常に危険です」
「……そうね、どうしても必要な時にだけ使わせてもらうわ。次の人を呼んでくるわね」
「スズナとミサキの二人を呼んでもらってもいいですか?」
「ええ、少し待ってて」
五十嵐さんが席を立つ。彼女は、俺の後ろの方を見る――いつもテレジアが立っている場所に、彼女がいない。
今はクーゼルカさんが宿舎の一室に泊まっていて、テレジアは彼女のもとにいる。俺のほうで仲間のミーティングが終わったら、様子を見てこっちに連れてきてくれるという話になっていた。
気がかりだが、これがテレジアを明日同行させてもらうために守らなければならない、クーゼルカさん――ギルドセイバー側から出された条件だ。
「お兄ちゃん、お疲れ様です」
「アリヒトさん、私も一緒でいいんですか?」
「ああ、二人には一緒に行動してもらうことになると思うから」
まず、ミサキのライセンスを見せてもらう――表示された技能は『ギャンブラー』らしい、特徴的なものばかりだ。
◆ミサキの新規技能◆
スキルレベル3
☆ラックバランス:行動の失敗が蓄積すると、成功率が上昇していく。発動期間は一日ごとにリセットされる。対象はパーティの一人に限定される。
スキルレベル2
☆マシンガンシャッフル:カード系武器を連続で投射して攻撃する。枚数が多いほど被害が大きくなる。必要技能:ダブルドロー
☆ロシアンルーレット2:ランダムで選択された対象の運気を『天中殺』状態にする。:必要技能:ロシアンルーレット1
スキルレベル1
☆リスキーレイズ:敵の能力値を上昇させる代わりに、得られる経験が上昇する。
残りスキルポイント:5
「私もレベル3の技能が出てきたんですけど、すぐに役に立てるって感じじゃないですね……長い探索をするときは、後半になるほど凄いと思うんですけど」
「行動の失敗が蓄積……ってことは、魔力が少ない技能を失敗しておいてから探索を始めるとか……いや、試すにはリスクがあるな」
「そうですね、裏技っぽいのはできそうですけど。『ロシアンルーレット2』の天中殺もなんか凄そうな響きですが、味方がなっちゃったら大変なことになりそうなので……『マシンガンシャッフル』するにはカードの枚数が足りないですね」
「……ミサキ、やっぱり『ポットリミット』を取るつもりなのか?」
「あはは……分かっちゃいます? はい、やっぱり取っちゃいます。めったに使う技能じゃないと思いますけど、これがあるとないとでは、全然違ってくるはずですし」
『ポットリミット』――パーティメンバーが致命的な打撃を受けたとき、戦闘不能にならない範囲に軽減する。しかし、軽減したダメージの半分を代わりにミサキが受ける。
仲間の窮地を救える技能。使用するミサキのリスクが大きすぎることを除けば――この技能のダメージを俺が代わりに受けられたら、どれだけいいだろう。
「2ポイントで『ポットリミット』を取って、残りは取れる時に取ります! っていう感じで。取れる技能のことを覚えておくの、結構大変ですけど」
「……ミサキちゃん」
「あ、そんなに深刻にならなくてもいいよ。『ポットリミット』は使ったら危ないって分かってるから、使わずに勝っちゃったらそれでベストだって思ってるし」
ミサキはそう言ってスズナの肩を叩く。スズナはそれ以上心配を口には出さなかったが、よほど言おうとして思いとどまっているのは、見ている俺にも分かった。
「じゃあ、次はスズちゃんね。私は口にチャックして見学してまーす」
◆スズナの新規技能◆
スキルレベル3
☆神楽:霊体を自らの身体に降ろし、その能力を一時的に得る。楽器を必要とする。必要技能:霊媒、清音
スキルレベル2
☆水分:パーティメンバーに清めの水をかけ、その人数分だけ敵の属性攻撃による被害を分散し、軽減する。効果は一回のみ。必要技能:手水、お清め
残りスキルポイント:3
「『神楽』と『水分』……」
「……この霊体というのは、アリアドネ様も含まれると思いますか?」
スズナの問いかけに俺が答える前に、アリアドネの声が頭の中に響いてくる。
『私も対象に含まれると考えられる。契約していない探索者が同じ技能を使っても、私を降ろすことはできないと思う。違う技能で他者に召喚される可能性は否定できないが、現状では確認されていない』
「ありがとう、アリアドネ。スズナに宿って自分の力を使えるとしたら、どうなる?」
『巫女に危険が及んだときに守ることはできる。しかし「パーツ」が揃った状態で、私自身が動いた時とは身体の強度が異なり、行使できる技能は制限される』
「えっ……スズちゃんとアリアドネさんが合体しちゃうってことですか? それってめっちゃ強いんじゃ……?」
『私自身の技能が、高い攻撃力などを持っているわけではない。すべては「パーツ」に依存する』
それでもアリアドネの力を今までと違った形で借りられるなら、それはきっと大きな助けになる。
「では……『神楽』を取ってみてもいいですか?」
「ああ、それで行こう」
スズナはライセンスを操作して『神楽』の技能を取得する。スキルレベル3になるとやはり、前提になる技能があることが多く、効果も強力になっている。
あとはシオンのレベルが上っているが、護衛犬はこちらのライセンス操作で技能を選べないので、すでに取得は終わっている。どんな技能を身につけたかは、実戦の際に確認する必要がある。
「はー、やっぱり技能って選ぶ瞬間はドキドキしますね」
「ああ。いつも、これでいいのか、もっと良い選択はないかって考えてる。けど、踏ん切りをつけるから前に進めるんだ」
「どの場面で使うか良く考えて、頑張ります。アリヒトさんも、今日はよく休んでください……おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
スズナとミサキが連れ立って居間を後にする。休んでくれと言われたが、居間の気分で眠れる気はしない。
こうしているうちにも、呪詛はテレジアを蝕んでいく。俺たちの平均レベルは適正値より低く、十全の準備ができているとは言い難い。
(……ようやくここまで来たんだ。なのに俺は、明日が来ることを心のどこかで恐れている)
「……難しい顔をしておるの、アリヒト」
不意に声をかけられる。さっきまで室内にはいなかったはずのセレスさんが、寝間着姿で立っていた。帽子を脱いだ姿は何度も見ているが、就寝前の姿は初めてではないだろうか。
「っ……せ、セレスさん。いついらっしゃったのか、気付きませんでした」
「それは、気づかれぬようにそろりと入ってきたからのう。話し合いは終わったようじゃな」
「はい。どの技能が有効かは分からないですが、十分検討して選びました」
「スキルポイントとは何か。それは、探索者の可能性を示すものじゃと言われておる。ライセンスの力を借りて、探索者は自分の可能性を選択していると言える」
「可能性……そうですね。俺も、セレスさんの言う通りだと思います」
「わしも何も分かってはおらぬよ。『翡翠の民』が迷宮国の先住者であっても、アリヒトの話を聞いていつも驚かされる。この迷宮国で、何もかもを知り尽くすことなど、身に余る望みなのじゃろうな」
セレスさんは水の入ったグラスを俺の前に置く。そして、俺の斜向いに置いてあるソファに座った。
「リーネのことじゃが……少し、話してもいいかの」
「俺で良ければ、聞かせてください。まだ眠れそうになくて」
「では、その言葉に甘えよう。わしの話を聞いていたら、少しは睡魔の助けになるやもしれぬしな」
セレスさんの語り口は穏やかで、聞いていると落ち着く。いつもシュタイナーさんの前で見せる姿と、今の彼女は少し違っていた。
「リーネは昔、わしと同じところに住んでおってな。まずリーネが先に、わしは後から探索者となった。リーネは五番区まで進み、わしは六番区で壁にぶつかり、探索者をやめた。わしが八番区にいた理由は、想像がつくじゃろう。探索を離れ、世を捨てて過ごすうちに、貢献度は下がり続けた。絵に描いたような挫折じゃな」
「それでもシュタイナーさんと出会って、工房を始めたのは……」
「うむ。わしはシュタイナー……まあ動く鎧と偽る必要ももうなかろう。あの人見知りのキアラがまだ幼かった頃に知り合い、娘のようにして育てた。キアラは鍛冶の技能だけではなく、自分が作った鎧を動かす技能を持っておる。それで、自分の身体より大きな鎧を操っているのじゃよ」
「そうだったんですか……」
なぜ、キアラさんがシュタイナーと名乗り、鎧の中に入っているのか。その理由はずっと秘密のままだろうと思っていたが、今まさに、セレスさんはその一端を話してくれた。
「リーネが連れておる『スケアクロウ』……あれは、リーネのパーティがある迷宮で魔物に敗れたあと、失った仲間を術で再現した存在じゃ」
「……っ」
言葉を無くす。俺たちを案内してくれたシュバルツが、元は探索者だった――しかし、すでに一度生命を落としている。
「リーネは『夕闇歩きの湖畔』ではなく、他の迷宮で『アルターガスト』に遭遇したのじゃ。パーティを同士討ちさせる状態異常が、運悪くリーネの仲間たちに付与された……そのあとのことを、リーネはまだ話すことができぬ」
なぜリーネさんが迷宮内の庵で暮らしていたのか、それがようやく分かった。彼女はアルターガストが出現するという情報を聞いて、敵討ちをしようとしていたのだろう。
迷宮が違えば、それはおそらく同じ魔物ではない。それでもリーネさんは、アルターガストを捕らえることにこだわった。
「リーネはアリヒトに感謝しておったよ。あの偏屈者が、あんなに骨のある後衛は見たことがない、と言うくらいじゃ」
「俺の方が、リーネさんに助けられています。迷宮にもう一度訪問するつもりでしたから」
「これ以上時間が過ぎれば、テレジアが落ち着いていられる時間は短くなっていくじゃろう。一刻も早く、猿侯のかけた呪いを解かねばならぬ」
「はい。必ず明日、猿侯を倒します」
「……うむ。大人が、楽観するようなことを言うのは甘えなのかもしれぬが。それでもわしは、信じておるよ」
セレスさんはリーネさんの話を俺に伝えるだけではなく、激励のために来てくれたのだろう。
「さっきも言ったが、『クィーンズテイル』は一度試し撃ちをして、威力を確かめておいた方が良い。想定しているのと違う使い方を思いつくやもしれぬしな」
「はい、そのつもりです。一度使ってから再発射まではどれくらいですか?」
「最大で三十分じゃから、重要な場面で使わねばな。放っておいても組み込んだ機関によって動力となる魔力は充填されるのじゃが、外部から供給してやればもっと早くなる」
そういうことなら、俺の技能が役に立つ。『アシストチャージ』が兵器にも使えるなら、やり方次第で再発射までの時間を短縮できるだろう。
「では、わしは工房に戻るとしよう。最後の仕上げがあるからの」
「すみません、遅くまで……できれば、朝までに少し休んでおいてください」
セレスさんは微笑んで頷くと、部屋を出ていく。そして、廊下で誰かと会ったようで、短い話し声が聞こえる。
――次に入ってきたのは、クーゼルカさんと、彼女に連れられたテレジアだった。
「テレジアさんがここにいたいと希望されているので、連れてきました」
「ありがとうございます、クーゼルカさん」
「……私はここにいて、あなた方を見張っています。そのように認識しておいてください……それでは」
クーゼルカさんは一礼して退出していく。
テレジアを俺のところに戻すために、クーゼルカさんは自分が監視しているという体を作ってくれたということだ――実際は、同室で見ているということではないと、そういうことだ。
厳粛に規律に従っているクーゼルカさんが、自分の裁量で便宜を図ってくれた。これは、簡単に返せるような恩じゃない。
「…………」
テレジアは何も言わず、俺を見ている。そして照明の魔道具に近づいて、俺の方を振り返った。
「ああ、消して大丈夫。そろそろ休もう」
テレジアは頷き、明かりを消す。そして暗くなっても、ソファで眠ることもなく、ずっと立ったままでいる。
「……何か、最初の頃みたいだな。テレジアはいつも寝ないで、俺を見ていて……」
「…………」
思い出話なんて、今することじゃない。それでも今のテレジアの姿を、過去に重ねずにはいられなかった。
彼女はソファで眠ることもなく、ただ俺を見ている。レイラさんは亜人に感情があると簡単に言えないと、そう言っていた。
今までが特別だったのかもしれない。そんなふうに思うのは馬鹿げている。
それでも、テレジアが距離を取ることを、眠ろうとしない理由を考えるほど、ただ普通に息をしていることさえ難しくなる。
「…………」
「……テレジア」
テレジアが歩いてくる。彼女は俺の肩のあたりに触れ、そして手を離した。
「……そうだよな。俺が、落ち着いてないと駄目だ」
「…………」
テレジアは小さく首を振る。そうしてから、頷く。
テレジアの声が聞きたい。何を思っているのか、その仕草の意味は――。
全てを飲み込んで、俺はソファに横たわる。今はただ、目を閉じたかった。
暗闇にならないように、淡く弱い明かりだけがある部屋。そこにぼんやり浮かぶようにしてこちらを見ているテレジアの姿が、幻のように儚く見える。
――決して幻なんかじゃない。全て取り返す――テレジアも、エリーティアの親友であるルウリィも。




