第二百十一話 侵蝕/再会
エリーティアとストラダは、俺たちが待機を始めてから一時間も経たずに戻ってきた。
迷宮の中の時間経過が早い――辺りはすでに日が落ち、暗くなりかかっている。迷宮の外はどうなっているだろう。
「エリーティア、お疲れ様」
「ええ……やっぱり、時間の流れが安定しないわね。早くどれくらい経っているか確認しないと」
魔物と戦いながら進めば、レベルは上げられる――だが、制限がある以上時間はかけられない。
「ストラダ、案内してくれてありがとう……また会える?」
エリーティアの問いかけにストラダは答えない。だが、その耳の動きは『肯定』らしい動きだった。
背を向けて去っていくストラダを見送る。『流浪』とはどういう意味なのか、ここに至るまでにストラダに何が起きたのか――気になることは多いが、今はただ再会を祈って、迷宮を後にした。
◆◇◆
迷宮の外に出ると、辺りは暗くなり、点々とある街灯だけが辺りを照らしている。
「はー、こんなに時間が……プチ浦島太郎って感じですねえ」
「ああ、一旦宿舎に戻ろう……テレジア?」
――分かってはいたはずだった、テレジアに変化が起きていることに。
足を止めたテレジアの隣に並び、声をかけようとしたとき。
「……っ!」
俺は電気じみたものが全身を走るように感じて、後ろに身体をそらしていた。
◆現在の状況◆
・『イビルドミネイト』による状態異常 『テレジア』が敵対状態
・『テレジア』の攻撃 →『アリヒト』に命中
・『テレジア』のカルマが上昇
「くっ……!」
スーツが浅く裂け、赤い飛沫が散る。
走る痛みより何よりも、俺は悔やんでいた――呪詛の進行状況を、迷宮を出るまでに確認していなかったことを。
「テレジアさんっ……!」
「ちょっ、えっ……だ、駄目っ、それはっ……!」
「――ミサキ、伏せて!」
◆現在の状況◆
・『テレジア』の攻撃 →『メリッサ』が防御
「っ……!」
「……テレジア……落ち着いて……っ、正気に戻って……!」
仲間がこちらを攻撃してきたとき、どうすれば防げるのか。
――『混乱』『魅了』という状態異常ではない。『敵対』というライセンスの表示が、無機質に事態の深刻さを伝えている。
何が起きても、今までのように乗り切れるだろう。これは、そんな俺の甘えが招いた事態だ。
「――テレジアッ!」
「っ……!!」
「テレジアさん、ごめんなさいっ……!」
◆現在の状況◆
・『キョウカ』の攻撃 →『テレジア』が『受け流し』を発動
・『テレジア』が『リバースエンド』を発動 →対象:『キョウカ』
脳裏を閃くように巡るのは、テレジアがライセンスを指差し、技能を取得した時の記憶。
五十嵐さんが槍の石突で繰り出した攻撃は本気じゃない。テレジアを止めるためのものだ。それを受け流したテレジアが、瞬時に反撃に転じる。
五十嵐さんが攻撃を受ければ、それは致命的になる。しかしテレジアの反応があまりに速く、五十嵐さんは『ブリンクステップ』を発動できない。
――その時俺は、暗い夜の底を抉るような、銀色の光を見た。
「――はぁぁぁっ!」
◆現在の状況◆
・『クーゼルカ』が『ガルムドライブ』『流撃の狼煙』『ウェポンハント』を発動
・『テレジア』のカウンターを無効化 『テレジア』が武器を喪失
「っ……」
クーゼルカさんは細身の剣でテレジアの一撃をいなす。テレジアの持つ『レイザーソード』が宙を舞い、それをホスロウさんが手甲をつけた手ではたき落とす。
◆現在の状況◆
・『クーゼルカ』が『拘束の金環』を使用 →『テレジア』を『拘束』
クーゼルカさんはテレジアの手を腕輪のようなもので拘束する。動けなくなったテレジアに鋭い眼光を向けながら、彼女は言った。
「状態異常によるものとはいえ、街で仲間を攻撃した場合、亜人は行動の自由を奪われます。これから、テレジアさんをギルドに連行します」
「待ってください、テレジアは……っ!」
「アトベ君、こればかりは駄目だ。俺たちがここに居合わせたのは、逆に運が良かった……うまくこの子の動きを止められなかったとき、怪我じゃ済まなかった可能性がある」
「ですが……っ、テレジアは、拘束されるようなことは……!」
「ああ、分かってる。悪いようにはしねえと言ってる……!」
「……ホスロウさん……っ」
ホスロウさんが俺の腕を掴み、押し留めたままで言う。それでも引き下がれない、このままテレジアを連れて行かせられない。
この時間に居合わせている人の姿は少ないが、それでも見られている。テレジアが俺たちに攻撃してしまったところを。
「……テレジアさんを、連行します。後のことについて伝えますので、パーティの代表者はギルドセイバー本部に来てください」
クーゼルカさんとホスロウさんが、テレジアを連れて行く。仲間たちが俺を見ている――不安にさせたままではいけない。
「行ってくる。必ず、テレジアを連れて戻るから」
「……アリヒト殿、私たちは宿舎で待っています」
「テレジアさんのこと、お願いね……ごめんなさい、私、何も……」
「そんなことはありません。五十嵐さんはテレジアに怪我をさせないようにした……だから、クーゼルカさんが割って入れたんです」
「……でも、アリヒトが……」
「大丈夫だ、これくらい。テレジアも、本気じゃなかった」
――分かっていた、そうではないことは。
テレジアは『猿侯』に操られ、俺を攻撃した。彼女の意志ではないからこそ、そこに加減などは一切なかった。
「……っ!!」
皆と別れて歩き、ライセンスの表示を確認する。叫び出したいほどの憤りを覚えながら、天を睨みつけるしかなかった。
◆テレジアの状態◆
▼イビルドミネイト 進行度:46
・『呪詛』状態で『ディープイーター』を討伐したことにより、進行度上昇
◆◇◆
ギルドセイバー本部の面談室で、クーゼルカさんとホスロウさんが待っていた。
「……急な対応で、申し訳ありません。私たちは区内の巡回任務を請け負い、あの場に居合わせました。しかし、アトベ殿たちのパーティが探索に入っているという情報があったというのも理由の一つではあります」
「俺たちを、マークしていた……ってことですか?」
「『炎天の紅楼』の猿侯とやりあおうって話は、俺たちの中では今でも生きてるつもりだ。だが、動向がなかなか伝わらないんでな。こっちから様子を見に行かせてもらった……何もなければ、期日まで待つつもりだったが」
「すみません、連絡の間が空いてしまって。今日、『震える山麓』で必要だった素材を手に入れました。準備が整い次第、俺たちは作戦を決行します」
「5つ星迷宮の潜入資格を、この区に来て三日目で取得するとは……やはりあなたたちのパーティは、レベルという概念の外にある」
クーゼルカさんは表情こそ変わらないが、本心から感嘆してくれているのが分かった。ホスロウさんは何も言わず、彼女の側に控えて立っている。
「レベルの高いエリーティアとセラフィナさんが、パーティの支柱として支えてくれているということもあります。ですが……一戦ごとに、綱渡りをしているという思いはあります」
「本来は低くても9、最低で10以上の探索者がパーティを組んで挑む迷宮です。そのような迷宮においてもアトベ殿たちは、簡単に瓦解するようなことがない。五番区の迷宮に挑んでいることも、無謀ではない……ディラン三等竜佐も、副官のナユタ殿も、そのように評価しておられます」
「ありがとうございます。ですが俺たちにとっては、テレジアを助けること、猿侯に捕まった探索者を救うことが全てです。それができなければ、どんな評価を受けても意味はありません」
「……テレジアさんは『イビルドミネイト』の影響下にあるようですね。現在は監房に入ってもらっていますが、このままアトベ殿たちのところに戻ってもらうわけにはいきません」
「アトベ君たちは『炎天の紅楼』で『猿侯』に遭遇した。その時に、あの子は『呪印』をつけられちまったんだな……」
二人に事情は伝わっている。だが、それでテレジアを直ぐに解放してもらえるわけもない――むしろ、テレジアが呪印を受けていることが拘束を継続する理由になってしまう。
「『猿侯』が放置されてきたのは、かの魔物を討伐するために、操られた探索者を殺傷することになるからです。『猿侯』とその眷属がスタンピードを起こさない生態を持つことも理由の一つですが」
「……だが、本来ギルドセイバーの規律じゃ、魔物に従属させられた探索者もまた魔物であるという条項がある。それをいいことに、操られた探索者から装備を奪おうなんて連中もいる……そいつはルール違反じゃない。個人の主張としては、操られても人間は人間で、救う道はあるんじゃねえかと考えるがな。それもまたエゴだ」
「死なせずに、無力化することを優先する。もしくは、ボスを狙う……猿侯を討伐することで、操られている人たちを解放する。それは不可能ではないと思います」
「これまで、誰も『猿侯』を倒そうと考える人はいませんでした。五番区に滞在する中で、歴代においても強力なギルドである白夜旅団も『猿侯』を討伐対象と見てはいません」
白夜旅団はルウリィが『猿侯』に捕らえられたときに『炎天の紅楼』での目的を達していたのか。それとも、リスクの大きさから『炎天の紅楼』の攻略を諦めたのか――それは現時点ではわからない。
「白夜旅団が厄介とみなして手を出さない相手と、アトベ君たちはやりあおうとしてる。それも、相手の戦力である操られた探索者をできるだけ殺さないという条件つきだ。おまけに、アトベ君たちの性格からして、自分たちが傷つくことは厭わない」
「……虫が良すぎる考えだとは分かってます。それでも……」
「アトベ殿たちに伝えておきたいことがあります。もし操られた探索者が生命を落としても、それはあなたたちが悔いるべきことではないということ……そして、あなたたちがそのような条件を遵守して戦うというなら、私たちはそれを尊ぶべきだと考えていること」
「そこそこ腕の立つ連中を相手にして完璧にやれる気はしねえが、この際だ。この仕事を首になろうが構いやしねえ……アトベ君、もう一度言う。俺たちも一枚噛ませてくれねえか」
「……ホスロウさん」
「私にはテレジアさんの拘束を解除する権限があります。アトベ殿は、彼女をここに置いて迷宮に入ることは心残りでしょう……ですから、私が一時的にアトベ殿のパーティに参加します」
「……えっ?」
話の繋がりが見えず、思わず声が出る。ホスロウさんが笑っているが、クーゼルカさんに見られると口を手で隠した。
「三等竜尉は、要観察対象の探索者を管理することができます。私がいるパーティでは、そのパーティの同意があれば、問題を起こしてしまった人を同行させられるということです。たとえ亜人であっても」
テレジアには安全な場所にいてもらった方がいいのかもしれない。だが監房から少しでも早く出してやりたい――そんな背反した思考が俺の中にあった。
「ここにテレジア君を残していくと、八番区に送還される可能性が出てくる。そして探索者としてパーティに参加する許可も取り上げで、矯正施設送りだ……だが、お嬢が同行できる間はテレジア君に対する干渉は防げる。パーティとしてはリスクを背負うから、それだけは何とか乗り切ってもらうしかねえな」
「ホスロウ……いえ、今はいいでしょう。アトベ殿、それでよろしいですか?」
クーゼルカさんたちが、俺たちにそこまでしてくれる理由は無いはずなのに――彼女たちが、それが当然のことであるかのように言うから。
胸に熱いものが込み上げ、手を当てる。そんな俺を見て、クーゼルカさんがかすかに目を見開く。
「アトベ殿、傷の具合が……」
「いえ。こんなのは何てことはない……苦しいのは、俺じゃない」
「……アトベ君は、自分のことを小さく評価してるかもしれねえが。そう言うあんただからこそ、みんなついてくるんだと思うぜ。見ろよ、俺とお嬢まで巻き込んじまった」
「巻き込んだというのは違います。私たちがそうしたいと思ったから、協力するのですから」
「ありがとうございます、お二人とも。本当に……」
「礼なら後にしてくれ、気合い入れるのはここからだ。無事に終わったら、酒でも飲みながら話してえもんだな」
ホスロウさんがこちらにやってきて右手を差し出してくる。握り返すと、クーゼルカさんも席を立ってこちらにやってきた。
「俺たちは明日『炎天の紅楼』に入ります」
「はい。今日は……テレジアさんを連れ帰って、ゆっくり休んでください」
「俺たちも、同じ宿舎の部屋を借りることにする。むろんお嬢とは別部屋だがな」
「そのようなことは、アトベ殿は気にされないと思いますが……ホスロウ、あまり口が軽いと置いていきますよ」
「おっと、申し訳ない……三等竜尉どの、ですな」
ホスロウさんに鋭い目を向けつつも、クーゼルカさんはそれ以上咎めることはせず、先に部屋を出ていく。
「じゃあ……テレジア君のいるところに案内しよう。ついてきてくれ」
◆◇◆
テレジアのいる監房は、ギルド本部の地下三階にあった――心配していたようなことはなく、テレジアは鉄格子の向こうで、体操座りのような格好をしていた。
「お疲れさまです、ホスロウ竜曹殿」
看守をしているギルドセイバーの男性が、ホスロウさんに向かって敬礼をする。部下は胸に手を当てて一礼し、上官は右手を上げるという形のようだ。
「クーゼルカ三等竜尉の許可が出た。その探索者を連れていく」
「この亜人は簡易裁判の後、元の所属の八番区傭兵斡旋所に送られることになってますが……」
「予定が変わった。クーゼルカ三等竜尉の委任状もある」
「っ……りょ、了解しました。ホスロウ竜曹も物好きですね、こんな……」
「……こんな、何だ?」
「い、いや、何でもありません……っ」
ホスロウさんが凄みを利かせると、看守が慌てて鉄格子を開ける。
それでもテレジアは出てこようとしない。俺はホスロウさんに許可を得て、鉄格子の中に入り、彼女に手を差し出した。
「……行こう、テレジア」
「…………」
俺は何ともない、ただテレジアを迎えに来ただけだ。それが伝わるように、笑う。
――テレジアがそろそろと手を伸ばしてくる。俺がその手を取ると、彼女は立ち上がった。
テレジアの手が震えている。それは何故なのか――分かっている、その理由は。
彼女が、俺の知っているテレジアだからだ。
監房を出て地上に向かう途中で、ホスロウさんは俺にだけ聞こえるように言った。
「済まない、アトベ君。ギルドセイバーでも、亜人に対する意識が偏っている連中はいる。奴らの目が届くところにテレジア君を置いていくのは、俺としても全く推奨はできない……迷宮国のために戦っているという題目があっても、一部はこんな組織だ」
「……だから、俺をすぐに呼んでくれたんですね。日を改めることはせずに」
「亜人といっても、年頃の女の子だ。こんなところで過ごすのは寂しいだろう……なんて、善人ぶってるみたいだな、どうも」
「いえ……ホスロウさんは、俺に落ち着けと言ってくれた。迷宮国に来てから、何人も信頼できる人に会えて、そのお陰でここに立っていられるんです」
「俺もその一人に数えてくれるか。俺の方が、よっぽど……いや。こんなのは褒め殺しだな」
ホスロウさんはそれ以上は話さず、俺たちはギルド本部の地上部分出口で、待っていたクーゼルカさんと合流した。
――いや、クーゼルカさんだけじゃない。もう一人、懐かしい顔を見つける。
「ルカさん……!」
「待たせたわね……なんて、格好つけてる場合でもないみたいね。アタシがいなくて大変だった? アリヒト」
そうやっておどけてみせる、短髪長身の青年――ブティック・コルレオーネのルカさん。何もかも、七番区で会った彼のままだ。
「さすがアトベ君、友人もなかなかこう……人間的な魅力に溢れているな」
「あら、こっちのギルドセイバーさんも只者じゃないって佇まいね。アリヒト、大変だと思うけど、宿舎までで軽く事情を話してくれる? クーゼルカさんにも聞いたけど、まだ全部は飲み込めてないのよ」
「はい、勿論。その前にルカさん、五番区に来たのは……」
皆まで言う必要はない、とばかりにルカさんは持ってきた大きなスーツケースに視線を送る。
「ええ、できたわよ……夢中になって作ってたけど、どうやら間に合ったみたいね。ちょうど新しいスーツがご入用だったようだし」
新調を頼んでいた『サンダーシープ』と『ダークネスブリッツ』の素材によるスーツ。それが完成したということだ――これで久しぶりに、スーツ自体の防御力を向上させられる。
「ルカさんは服職人か。俺はジョシュ・ホスロウ、ギルドセイバーの端くれだ」
「あなたもオーダーしたいっていう顔ね。今はアリヒトの専属だから、手が空いてる時なら構わないわよ」
ルカさんがこっちに到着して、クーゼルカさんに俺のことを聞いたということか。さすがというか、クーゼルカさんに対して物怖じしないのは感心してしまう。
「色々なお知り合いがいるようですね」
「は、はい。七番区で知り合って、お世話になっている人で……」
「彼も戦力になると思います。可能なら、協力を要請してはどうでしょうか」
確かにルカさんの実力は一度目にしている――前線に出てもらうわけにはいかないが、支援で参加してもらうことはできるかもしれない。それもクーゼルカさんに言う通り、ルカさんの意向次第だ。




