第二百六話 震える山麓 一層
『震える山麓』の入り口は、五番区北部分の小高い場所にあるという。宿舎を出て向かう途中、他の迷宮に向かうらしいパーティとすれ違った。
「っ……ナターリャさん、あの人たちは……」
「やっぱりまた会えたわね」
そのパーティの中には『夕闇歩きの湖畔』二層で会ったレナード君とナターリャさんがいた。
レナード君は足技を中心とした格闘技を使っていたが、今回は砂地でないからか、脚甲のような装備品をつけている。ナターリャさんは毛皮のモコモコした帽子のようなものを被っていて、雪深い国の狩人のような装いだ。
確かパーティ名は『アイゼンリート』だ。今日はもう二人女性のメンバーがいて、バンダナを巻いて海賊のようなワイルドな出で立ちをしている人、眼鏡をかけてキャップを被り、サバイバルベストのようなものを着ている人がいる。
「あ……そ、それ、あたいが落とした銛……?」
「『夕闇歩きの湖畔』の一層で見つけて、回収しておいたのよ。ごめんなさい、返すのを忘れていて」
五十嵐さんが持っていた三叉の銛『ネルゼクス・ハープーン』は、バンダナの女性の装備だったようだ。精悍な印象の女性だが、五十嵐さんから銛を受け取ると、人懐っこく相好を崩す。
「ほんと不甲斐ないんだけどさ、幽霊みたいなのに不意を打たれて傭兵とはぐれちゃって。狙いの『水蛇』のところまでは辿り着けないし、見えない範囲から矢は飛んでくるし……ナターリャたちには悪いことしたよ、あたいが前衛なのに守れなくて」
「あの幽霊が出る地帯を無事に抜ける対策が必要だったわね。それと、傭兵はお金以上のことはしないから、やっぱり難しい探索には付き合わせられないってこと……坊やたちはいいわね、メンバーがそんなに揃っていて」
「ナターリャさん、その、坊やというのは……」
「ふふっ……あたしから見たら、お兄さんというよりは坊やなのよね」
年齢より若く見えるとか、そういうことを言われたことはないのだが。ナターリャさんのお国柄かもしれないし、気にしないでおくことにした。
「あ、あの……このたびは、仲間を助けてくれてありがとうございました。私はこのパーティで治療を担当しているユウホ=ナナモリと言います」
「俺はアリヒト=アトベと言います」
「あっ、やっぱり日本から来られたんですね。一応漢字を教えると、七つの森に歩が有る、と書きます」
サバイバルベストの女性が、眼鏡の位置を整えながら言う。その説明の仕方からすると、将棋にゆかりがある名前なのだろう。
「……す、すみません、聞かれてないのに余計なことまで……」
「あ、ああいや。俺は後ろの部分に人が有る、と書いて後部有人です」
「ああっ、私と同じ漢字が入ってるじゃないですか。意外な共通点ですね」
「ユウホ、アトベ君たちはあたいたちを助けてくれたし、お喋りもいいけどなんかお礼をしないと」
お礼をしてもらいたいという考えはなかったが、せっかくなので何か情報を得られないだろうか――仲間たちも話は俺に任せるという様子だ。
「あたいはヴァネッサって言うの。このパーティでは一番年上だけど、アトベ君よりは三つ下だね。職業は見ての通り『漁師』ね」
ヴァネッサさんが右手を差し出し、握手をする。フォーシーズンズの四人を思い出すが、ヴァネッサさんはリョーコさんと何となく気が合いそうだ。
「皆さんは、この五番区ではどれくらいの迷宮を探索されましたか?」
「8つくらいは回ってるよ。一層を攻略するだけでやっとだけどね。このハープーンが有効そうな『水蛇』を狙ってみたけど、簡単にはいかなかったね」
「大変だったと思いますが、無事で何よりでした。俺たちは今から『震える山麓』に行く予定なんですが……」
「鉱物系の素材を探すのなら、辺りに潜んでいる魔物に気をつけてください。見た目が岩のようで、向こうが動くまで全くわからないような敵もいます」
「ありがとう、レナード君。肝に銘じておくよ」
お礼を言うと、レナード君は何か驚いたような顔をしていたが、すぐに微笑んで右手を出してきた。ヴァネッサさんと同じく握手をする。
「坊や、他に知りたいことはある?」
「アトベ殿、よろしいでしょうか」
「はい、お願いします。セラフィナさん」
「『ホーリーストーン』というものは、どんな場所で見つけられるかご存知ですか?」
「珍しい金属は、見つけるには運が必要みたいだね。あたいらも『ホーリーストーン』は探してるけど、残念だけど見当たらなかったよ」
「『ホーリーストーン』を使って武器を加工できていれば、幽霊にも効いたはずです。でも、そう都合よくは手に入りませんでしたね」
レナード君が足に装備した脚甲を見ながら言う。確かに神聖属性の武器があったほうが『アイスレムナント』との戦いは有利になるだろう。
「それより今、アリヒトさんがレナのこと……」
「『ホーリーストーン』は一層でも見つかるそうです。暗いところで光るそうなので、注意してみてください。では、僕たちはこれで……」
ユウホさんが何か言おうとしたが、レナード君はそれをやんわり遮るように情報をくれると、先に歩いていってしまった。
「そうだ、採掘をするなら持って行くといいものがありますよ。『小人のマトック』です」
「マトック……ツルハシのことですね」
「はい、鉱物の採取に使います。魔道具なので、小さな見た目に反して物凄く軽く掘れるんですよ。スペアがあるので、一つは持っていってください」
サバイバルベストの数多いポケットをああでもないこうでもないと探したあと、ユウホさんはマトックを見つけて渡してくれた。そして小さく手を振ると、少し先で待っている仲間を追って走っていった。
「やはり、出会いは力になる……そう思わずにいられませんね」
「ええ。あとは『ホーリーストーン』を見つけるだけです」
『小人のマトック』をザックに入れる。『山麓』というくらいだから山岳向けの装備をしておくべきかもしれないが、レナード君たちが何も言っていなかったので、おそらく必要はないだろう。
「運が必要っていうことは、ミサキちゃんの出番かしらね」
「ラッキーだけで生きてますからね、私。ところでお兄ちゃん、私も『バットレザーマント』なので、お揃いになっちゃいましたね。ペアルック的な?」
「それはちょっと違うような……ミサキちゃん、でも嬉しそう」
「些細なことに幸せを見出すっていうのもいいよね」
ペアルックと言われると、装備の性能が一番大事とはいえ少し落ち着かないが――と、それは置いておく。
「ミサキのあの技能が役に立ちそうだな。『ピックロトリー』」
「そうそう、それですそれです。それを使ったらね、ホーリーストーンなんて一発ツモですから」
「……ツモ?」
ミサキには麻雀の経験があるようだ。メリッサにはわからないようでミサキが教えているが、自摸は自分で麻雀牌を引くことを指す――少し懐かしい気分になってしまった。
◆◇◆
さらに北に進むと緩やかな螺旋状の坂があり、それを登り切ると、岩を積み上げた大きな輪のようなものがあった。
輪の中は『外』の景色ではなく、迷宮内のものらしい別の風景が映っている。まずセラフィナさんが入っていき、隊列通りにその後に続いた。
転移する感覚と共に、周囲の空気が変わる。街よりも標高が高く感じる――しかし空気が薄かったりするわけでもなく、気温も涼しいくらいだ。
真っ青な空の下、俺たちは山の上の岩場にいる。峰に向かって長い獣道が形成されている。見上げるほどの大きさの岩塊がごろごろと転がって障害物を形成しているが、それを避けて探索者たちが進んだあとが、自然に道になったようだ。
「中学で行った登山を思い出しますねー、こういうの。みんなジャージでリュックを背負ってたら再現度高いんですけど」
「こんなに大きな山なのね……下っていくのは無理みたい」
「足元に気をつけて進みましょう。シオンも気をつけて行くんだぞ」
「バウッ」
そう言ってみたものの、登山道のような地形はシオンにとって得意らしく、軽快に進んでいく。凄いのはセラフィナさんで、大盾を背負っていても全く支障にならないらしい。
「魔物の姿が見えないけど、向こうに鳥がいるわね」
俺も図鑑やテレビでしか見たことがないが、雷鳥のような鳥がいる。見るからに魔物というほど大きくはないし、ライセンスでも認識されていない。
「そのあたりにある岩も、壊したら金属が入ってたりしません?」
「どうだろうな。金属材料が欲しいなら、マトックを使ってみてもいいかもしれないが……おそらく、ここから『ホーリーストーン』が出てきたりはしないだろう」
「この岩を砕けば見つかるなら、もう壊されてるでしょうしね」
登山には体力が必要ということで、そこからは雑談も控えめにして進むことに集中した。
◆◇◆
一時間ほど歩くと、さらに登る道と、尾根伝いに歩くもう一つの道に分かれるところに着いた。
近くの岩陰には野営の跡が残されている。しかし野営中に魔物に襲われたのか、打ち捨てられた簡易テントには穴が空き、岩には血痕が残されていた。
「あまり時間をかけてしまうと、野営をしないといけなくなるわね……それも、かなり危険なところで」
「これ、岩にも穴が空いてる……こんなことができる魔物がいるのね」
エリーティアと五十嵐さんが野営跡を調べている。俺は周囲を『鷹の眼』で観察してみる――すると、何か動くものが目に止まった。
尾根に転がっている大岩の向こうから出てきたそれは、ウサギのような生物だった。淡いピンク色をしていて、見るからに愛らしい。
しかし脳裏に過ぎるのは、迷宮国で最初に遭遇した魔物――あの白い綿毛の塊のようなワタダマが、急に猛然と加速して襲ってきた、あの記憶だ。
「みんな、向こうを見てくれ。魔物みたいだが、どうする?」
「ワタダマ……のように見えますが。五番区の魔物ですから、油断はできません」
「……グル……」
シオンは警戒しているようだが、やはり見た目だけでは強力な敵には見えない。
◆遭遇した魔物◆
・?桃色の獣 レベル不明 耐性不明 ドロップ:???
「この表示では、全く情報が得られませんね……」
「登りの道に行って追いつかれてもいけないし、開けた場所で戦った方がいいと思うわ」
「そうだな……よし。まず、俺の射撃で様子を見よう」
耐性が不明なので、凍結弾で弱点を突くことに賭けるか、状態異常を狙うか――いずれも確証はないが、決まれば大きい状態異常を狙うことにする。
「アリヒトさん、私も狙ってみます」
「ああ、少しタイミングをずらして、俺の一瞬後で頼む……!」
「はいっ……!」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『バインシュート』を発動
・『スズナ』が『フォビドゥンアロー』を発動
スリングから放たれた金属弾、そしてスズナの放った矢が、標的に命中する。
(――やはりそう来るか……!)
「――シャギィィィィ!!」
桃色の毛の塊のように見えた小動物から、巨大な二本の腕が生える。そして、腕で身体を覆うようにしていかにも堅牢な防御姿勢を取った。
◆現在の状況◆
・『?桃色の獣』が『拳闘腕』を発動 腕部展開
・『?桃色の獣』が『ピーカブースタイル』を発動 防御力が上昇 『バインシュート』を無効化
俺の射撃を弾いても、防御姿勢は崩れない――だが、スズナの遅れて着弾する矢に支援を加えて少しでもチャンスを探す。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援攻撃2』を発動 支援内容:『フォースシュート・フリーズ』
・『フォビドゥンアロー』が『?桃色の獣』に命中 凍結付与
「ギィィッ……ギシャァァッ!!」
「ぜ、全然小動物っぽくないですよ、あの声っ……!!」
一瞬だけ凍結状態になったが、すぐに解除される――これならスタンと変わらない。しかし『フォビドゥンアロー』の打撃は通ったようで、一瞬だけ敵が怯んだように見えた。
「――ここっ……!」
すでにエリーティアが動いている。『コメットレイド』を発動して、最短距離ではなく弧を描くような経路で接近する――あの腕の近接攻撃が脅威になると分かっているからだ。
五十嵐さん、テレジアもエリーティアと逆側から仕掛けようとしている。メリッサはシオンに騎乗してエリーティアの後詰めを狙う。
『――警告する。次回の攻撃は、契約者に壊滅的な被害を――』
アリアドネの声が聞こえる。それは凶兆を伝えるには十分だった。
敵の大技が来る。その狙いは――後衛のスズナ、ミサキ、そして俺。
久しぶりに『死』を感じる。こんなところで死ぬわけにはいかないのに、こんなにあっさりと、突然に、何故今なのか――。
「――シャギャァァァァッ!!」
◆現在の状況◆
・『?桃色の獣』の名称が『★彷徨する嵐の鬼兎』と判明
・『?桃色の獣』が『キャノンフォーム』を発動 腕部形態変化
・『?桃色の獣』が『ラビットトルネード』を発動
桃色の獣の腕が融合し、大砲のような形状に変わる。溜めは一瞬、エリーティアたちの攻撃が届くまでに悠然と割り込み、馬鹿げているほどの広範囲に桃色の嵐が射出される。
スズナもミサキも動けなかった――俺も。
そして、セラフィナさんは逃げなかった。俺たちの前に立ち、盾を構える。それを受ければ死ぬ、そう理解せざるを得ないのに。
支援防御、それでは足りない。1でも2でも――だが。
可能性を残す手段ならば、ある。だからこそ彼女は俺達の前にいる。
(――フォギア、頼む……セラフィナさんを守ってくれ……!)
セラフィナさんの姿が輝く。まるで破壊をもたらす嵐にせめぎ合うような輝き――そして。
『私の名はフォギア。秘神を鎧い、契約者を守る者』
「――はぁぁぁぁぁっ……!!」
セラフィナさんの声が響き、持てる全ての防御技能を発動する。他の全ての音が聞こえなくなり、俺とスズナ、そしてミサキはただ、前に立つ彼女の背中を見ていた。




