第二百二話 歓談/三つのデザート
※更新が遅くなり申し訳ありません!本日より再開させていただきます。
『フォレストダイナー』の個室に入り、席に着く。二つのテーブルに分かれて皆が席に着くと、ウェイターとウェイトレスが一人ずつ入ってきて、それぞれの卓から飲み物のオーダーを受ける。
「後部くん、お酒はどうする?」
五十嵐さんがそう聞いてくるのは、明日も探索があるからということだろう。
「ライカートンさんとメリッサがフェリスさんに会えたお祝いもありますし、最初はお酒もありで乾杯しませんか」
「アリヒトさん……ありがとうございます。妻はこの姿になってからマタタビ酒がお気に入りなんですが、この店にもあるみたいだね」
フェリスさんはライカートンさんを見て耳を動かす――どうやらそれが肯定の意志のようだ。俺には全くわからないが、フェリスさんの嗅覚ではマタタビ酒があると分かるらしい。
「……私も飲んでみたい。ちょっと早い?」
「……ミャー」
「はは……お母さんは好きにするといいと言ってくれているみたいだけど。私の意見としては、メリッサにはまだ早いかな」
「そう……分かった。ジュースにしておく」
メリッサは素直にライカートンさんの言うことを聞く。隣に座っているフェリスさんが、何も言わずにメリッサの頭を撫でる――メリッサは照れながらも、とても嬉しそうにしていた。
「俺は、そうですね……この『五番区特産・水色葡萄酒』をお願いします」
「かしこまりました。こちらは1パーティにつき小樽でお出ししますので、十人分ほど提供させていただいております」
「私も同じものにしようかしら。お酒だけど、翌日まで酔いが残らないって書いてあるし」
「そういうお酒なら、私たちも飲んで大丈夫そうじゃないですか? なーんて、私はこのすっきりミントジュースにしておきます」
「私もミサキちゃんと同じものをお願いします」
皆がオーダーしていく中で、隣に座ったテレジアにもメニューを見せて選んでもらう。彼女はしばらくメニュー表を見てから、果実のブレンドジュースを選んだ。
「…………」
テレジアの様子には、普段と変わったところはなにもない。それでも彼女の横顔をうかがってしまう俺に、逆側の隣に座った五十嵐さんが小さな声で話しかけてくる。
「きっと間に合うはずよ。後部くんも、思い詰めすぎないでね。私達もいるから」
「はい。ありがとうございます、俺は大丈夫です」
できるなら俺が代わってやりたい。いつも重要な時に、テレジアは窮地を切り開いてくれた。けれど俺は心のどこかで、テレジアを頼みの綱として縋っていたのかもしれない。
オーダーした飲み物が、ワゴンに載せられて運ばれてくる。全員に行き渡ったあと、俺はライカートンさんに音頭を取ってもらい、乾杯することにした。
「八番区でアリヒトさんと出会わなければ、僕ら家族がここで再会できることはなかった。そのことに対して、改めて感謝を……そして、皆さんが無事に探索を続けておられること、同じ晩餐の席をともにできますことに、心よりの喜びを込めて。乾杯!」
『乾杯!』
瑠璃のような色をしたジョッキにテレジアが注いでくれた葡萄酒は、今まで口にしたワインのいずれとも違う、甘さとすっきりした酸味、そしてサラリとした喉越しが特徴の逸品だった。
「んっ……凄く飲みやすい。迷宮国って、どうしてお酒がどこでも美味しいのかしらね」
「このお酒は残りにくいですが、全く酔わないわけではありませんので、どうかお過ごしになりませんように」
お酒を提供してくれた従業員さんが忠告してくれる。五十嵐さんとルイーザさんはそれを聞いて顔を見合わせた。
「そ、そうなの? 結構ぐっと飲んじゃったんだけど……」
「すみません、私もです……」
「いや、我慢するのも身体に毒ですから。遠慮せずにどうぞ、二人とも」
そう言いつつ、俺もジョッキを半分ほど空ける。葡萄酒をこうやって飲むのは珍しいと思うが、これだけ喉越しがすっきりしていると水のように飲めてしまう。
次にオードブルの魚料理が出てきて、皆が思い思いに口に運ぶ。フェリスさんはライカートンさんに食べさせてもらっているが、一緒に暮らしていたことはそうしていたということのようだ――あまりの睦まじさにこちらの方が照れるものがある。
「やっぱりお魚が好きなんですねー……それにしてもマタタビ酒って、大丈夫かな?」
「メリッサさん、ちょっと顔が赤いような……」
ミサキとスズナの言う通り、メリッサはマタタビ酒を飲んでいないはずだが、遠目に見ても顔が赤くなっている。雪のように白い肌をしているので、ほんの少しの紅潮でも目に見えて変化が分かる。
「……ひっく。お母さん、これも食べて」
「ミャーゥ」
「ライカートンよ、久しぶりの再会といっても、こちらもあてられるものがあるのう」
「ははは、いやはや……こんな日が来るのはずっと先だと思っていましたが、やはり嬉しいものですね」
「フェリスさん、昔お目にかかったときよりすらっとされてますね……それに、毛並みも少し変わっているような」
ファルマさんはフェリスさんと面識があるようだ。母親同士ということで通じるものがあるようで、同じテーブルで和やかな空気が流れている。
「妻が持つ『ワーキャット』の技能の中には、毛色が変わるものなどもあるようです」
「それなら、私も変わるかもしれない。お母さんと同じ力を継いでるから……ひっく」
『メリッサさん、大丈夫? 一度ゆっくりお水を飲むといいよ』
シュタイナーさんが忠告してくれるが、メリッサのしゃっくりはなかなか止まらない。俺も経験があるので、少し心配になってくる。というか、マタタビに酔っているのではと思いもするが。
「あ、私しゃっくりの止め方知ってます! こうやってコップの向こう側から水を飲むとかですねー」
「ミサキちゃん、そんな勢いよく席を立っちゃ……」
「私もおばあちゃんに教えてもらったことがあるので、しゃっくりの止め方ならいくつかわかります」
ミサキとスズナ、マドカが思い思いに席を立つ。移動は自由の会食ということで、席の離れているセラフィナさんがこちらにやってきた。
「アリヒト殿、お疲れ様です」
「ああ、ありがとうございます」
セラフィナさんがお酌をしてくれるようなので、残っていた葡萄酒を飲み干す。再びなみなみと注ぎ足されてしまったが、これくらいなら大丈夫だろう。
「フォギアのことですが、姿を消してからも私に話しかけてきています」
「そうなんですか……どんなことを言ってます?」
「前衛の防御担当ということで、私の戦闘経験を知りたいとのことです。情報の共有はできたようですが、かなり驚いているようでした。私たちのパーティはレベルに対して、強敵と戦っている傾向にあると」
「それを言われると、確かにって頷くしかないわね……エリーさんは適正に近いレベルだけど、私たちが平均を下げているから」
「私だけ突出していても、本来はパーティに上手く貢献できないけど……アリヒトがいると、私をパーティに溶け込ませてくれる。だから二度と、あんなことはしないわ」
エリーティアが反省の言葉を繰り返すのは、自分に戒めるためでもあるのだろう。俺はもう、彼女が一人で飛び出してしまうことは無いだろうと思っているのだが。
「エリーさん、そんなことよりうちのスズちゃんがですね……」
「っ……な、何?」
「まだ食べていらっしゃらないようなので……はい、あーん」
「んっ……んむっ……あ、ありがとう……」
スズナにオードブルを食べさせてもらったエリーティアは、恥ずかしそうにお礼を言う。スズナは満足そうに微笑むと、今度はミサキがにゅっと俺の後ろから顔を出してきた。
「お兄ちゃん、テレジアさんが仲間にしてほしそうな顔で見ていますよ? 仲間にしますか? しました!」
「い、いや、そう言われてもすでに俺たちはだな……」
「…………」
テレジアは俺のオードブルの魚料理を切り分けると、フォークで刺して差し出してくる。ほどよい酸味のビネガーソースを絡めた白身魚は、口の中に入れるとほろりと崩れ、心地よい食感に思わず頬が緩む。
「お兄ちゃん、食べさせてもらった後は、お返しが礼儀ですよ? これをクロスカウンターと言います」
「物騒な単語だけど、間違ってはいないわね」
「い、五十嵐さんまで……こほん。テレジア、いいか?」
テレジアはこくりと頷き、俺の方を向く。すでに自分でも食べていたテレジアは、小さくぺろっと唇を舐めた。
「テレジアの舌ぺろって可愛いな……と、アリヒトは思ったのであった」
勿論ミサキがナレーションをしているだけだが、あながち否定できない。テレジアが口を開けて待ってくれている――皆の視線が集中する中で、俺はテレジアに「あーん」のお返しをした。
「……んっ……」
「ああー、これは駄目です、エッチ過ぎます。お兄ちゃんってたまに無自覚にそういうことしますよね。そういうの困るんですよ、また寝られなくなったらもがっ」
「ミサキちゃんはもう少しお淑やかにしないと、私としても動かざるを得ないというか……後部くんも駄目よ、ミサキちゃんに餌を与えたら」
「い、いや、そんなつもりは無くてですね……」
「……ここで私が我がままを言うと、収拾がつかなくなってしまうので。キョウカさんと一緒に自重させていただきますね」
「なっ……わ、私はしなくてもいいけど、ルイーザさんはしてもいいんじゃない?」
「……いいんですか?」
いつの間にか、こちらのテーブルに座った全員に緊張感が生まれている。俺はどうすればいいのか――リーダーとして皆を諌めるべきか。
「こちら、肉料理でございます。こちら本日はシェフの趣向で、串焼きでご用意しております」
シェフ――つまりマリアさんの趣向ということであれば、受け入れるほかはないのだろうか。串焼きはとても手に取りやすく、人に食べさせやすい。
「お兄ちゃんがお腹いっぱいになる前が勝負ですね……って……」
ミサキが言ったときには、すでにテレジアがステーキの刺さった串を手に取り、俺に差し出していた。
肉と香辛料は、原始の衝動を呼び覚ます食べ物である――などと誰にともなく言い訳しながら、俺は肉串にかぶりつく。美味しいかを確かめるようにテレジアがじっと見てくるので、無言のままいい笑顔になり、親指を立てるしかなかった。
◆◇◆
シオンには護衛犬用の食事が用意されていて、ファルマさんが久しぶりにとシオンに食べさせてくれた。
「この子もずいぶん逞しくなりましたね。うちにいた頃から身体の大きさは少し大きくなったくらいですが、雰囲気が大人びてきているみたい」
「シオンは本当によくやってくれています。俺たちだけでなく、街の人を救助するときにも活躍してくれて……」
ファルマさんはシオンと額を触れ合わせたあと、俺を見て微笑んだ。
「飼い主ですから、こうするとこの子の気持ちが分かるんですよ」
「そうなんですか……」
「ふふっ……いえ、分かると言っても、この子がアトベ様にとても懐いているということくらいですよ」
「ワンッ」
「っ……く、くすぐったい……どうした? 急に」
水を飲んでいたシオンは、ファルマさんの言葉の意味が分かっているかのように、俺の頬を舐めてくる。
「これから何があっても、この子を仲間として連れていってあげてください。アトベ様がこの子を休ませたいと思ったときには、いつでもうちで預かりますが」
「ありがとうございます。でも、シオンもやはり帰る場所はファルマさんたちの家だと思っているんじゃないかな……」
「……これも、飼い主だから分かるんです。シオンが今、何を一番したいと思っているのか。何が一番大切なのかも」
シオンがしたいこと。それが俺たちのパーティの一員であることなら、なおさらシオンが傷つくことのないよう、危険な魔物との戦いに出さないことも考えなくてはいけない。
「アトベ様、護衛犬はとても誇り高くて、自分の力を信じて欲しいものなんです。この子の母親のアシュタルテもそうですから」
シオンはお座りをしてこちらを見ている。俺の迷いなどお見通しで、何も心配はいらないと言うように。
「シオン、これからも一緒に頑張ってくれるか?」
「バウッ」
「もう、後部くんだけシオンちゃんと仲良くして……」
「すみません、キョウカさん。シオン、キョウカさんに撫でてもらいなさい」
「っ……い、いいの? よーしよしよし……」
シオンは五十嵐さんにも良く懐いている――しかしお酒が入っているからか、五十嵐さんのコミュニケーションも大胆だ。シオンは五十嵐さんの胸に顔を埋めて、わしゃわしゃと撫でられている。
「……アトベ様も同じようになさいますか?」
「あらあら……ルイーザさんも良い気持ちみたいですね。どうでしょう、私と一緒にもう一杯」
「はい、是非……アトベ様もいらしてください」
こう言っては何だが、酔ったルイーザさんの色気は恐ろしいものがある――微妙に服が着崩れてしまっていて、いつも結っている髪を下ろしていることもあり、大人の魅力というものが尋常ではない。
「失礼いたします……アトベ様、少々よろしいですか?」
「は、はい。マリアさん、どうしました?」
ちょうど助け舟が入ったというわけではないが、マリアさんが頼んでおいたデザートを持ってきてくれた。
「こちらが『豪力の胡桃』と採れたての迷宮梨を使ったスフレです。『機知の林檎』はアップルパイに、『敏捷の葡萄』はフルーツソースの材料として、パンケーキと共に召し上がっていただきます」
マリアさんがデザートをテーブルに出す。いずれも一流レストランで出てきそうなくらいの一品だ。
スフレが三つ、アップルパイが四つ、パンケーキは三人分。支援者の皆が座っているテーブルには、違うデザートが出されている。
「私の技能の一つに、一つの材料から同じ効果を持つ料理を2、3個作れるというものがあります。能力を高める食材を一つ食べると一定期間を空けなければ効果がないため、複数を一人で食べても効果は同じです」
「でも、皆で分ければ人数分だけ効果がある……ということですね。ありがとうございます、マリアさん」
「この甘い香り……デザートは別腹……」
「う、うん……今だけはミサキちゃんと同じ意見だけど、こんなに貴重なものを、いいんですか……?」
「どれを食べるか悩みどころだが……セラフィナさんはどうします?」
「む……かなり悩ましいところです。スフレ……いや、アップルパイも捨てがたいものが……はっ」
「能力だけじゃなくて、デザートの種類でも悩んじゃうわよね……後部くんはどれにするの?」
みんなデザートには目がないということか、どれを食べるかはかなり悩むことになったが、ライカートンさんたちを待たせすぎるわけにはいかないので、思い切って決めることになった。
◆現在の状況◆
・『エリーティア』『メリッサ』『シオン』が『豪力の胡桃・スフレ』を摂取 → 力が上昇
・『アリヒト』『キョウカ』『ミサキ』『スズナ』が『機知の林檎・パイ』を摂取 →魔力最大値が上昇
・『テレジア』『セラフィナ』『マドカ』が『敏捷の葡萄・フルーツソース』を摂取 → 敏捷性が上昇
食事をしている間に魔力はほぼ回復していたが、アップルパイを食べてからライセンスで確認すると、魔力の青いバーが二割ほど減っていた。つまり最大値が増えたので、その分が減っているように見えるということだ。
(こんなに上がるとは……レベルが2上がる分くらいの上昇量じゃないか?)
「身体が軽い……これなら大盾を持っていても、より素早くカバーに回ることができそうです」
「あ、あのっ、私も、身体が軽くなって……これで皆さんのお役に立てますでしょうか……っ」
行動が早くなるのは、どんな場合においても利点になる。荷車の運用で参加してもらうマドカにも、確実に恩恵はあるはずだ。
「お気に召されたでしょうか。また調理の必要な食材がございましたら、いつでもご用命ください」
「あの……マリアさん、ちょっとよろしいですか?」
ルイーザさんが退室しようとするマリアさんを呼び止める。それが何のためなのか、俺にはまだ想像することができていなかった。




