第十九話 暴君
仲間が増えても一番後ろからついていく――俺はもしかしなくとも、これから人生で最も多く目にするのは、彼女たちの後ろ姿なのだろうか。
この隊列なら支援防御がかかるといっても、エリーティアにとっては雑魚とはいえ、あの筋骨隆々のファングオークの攻撃を五十嵐さんとテレジアに受けさせる気にはなれない――ダメージテストのためにエリーティアに協力してもらうというのも気が引ける。あまりにエリーティアと他のメンバーの防御力が違いすぎると、参考にできないのだが。
(ゲストとして同行してるだけだと、エリーティアの隊列が設定できない。彼女の技能に何かのリスクがあるとはいえ、できれば『支援』したいが……)
レベル8の剣士は、どれくらい体力があるのだろう。数値として80くらいだとしたら、5ポイントの回復では少ない――ということもないか。急場で大きく回復できないとはいえ、8分休憩すれば全快するので、ほぼ永久的に有用ではある。
「ファングオークの視界に入らないと、あそこは通れないわね……私が掃討するわ」
そしてエリーティアは自分の判断で先行し、ファングオークを倒してしまう。彼女がミサキのことで責任を感じているのは分かるが、これは美味しくない。
(……ん? でも、経験値がゼロってわけじゃないのか)
パーティの情報を見ると、名前の下に体力と魔力以外に、黄色い丸と黒い丸が表示されている。これが経験値らしく、魔物を倒すとじわじわ上昇している。黒い丸が経験値が貯まると黄色に塗られていき、10個の丸が黄色になるとレベルが上がるようだ。
便宜上、この経験値の玉を『バブル』と呼ぶことにする。エリーティアがゲスト状態で敵を倒しても、10分の1バブルくらいだが、微妙に経験が入っているのだ。俺よりレベルが低いメンバーはなおさらで、テレジアはほとんど経験が入ってない。傭兵に経験値が入らないというわけではないので、いずれは上がるとは思うが。
「アリヒト、オークの牙が貯まってきたから渡してもいい? 上質な牙だけ選んで切り取っているけど、さすがに数が多いわ。あとで換金した分はあなたにあげる、パーティのリーダーだものね」
「あ、ああ……じゃあ、預かっておくよ。といっても、俺もいっぱいなんだけどな」
「オークの上質な牙は、どれくらいの価値があるの?」
五十嵐さんが俺の聞きたいことを聞いてくれる。エリーティアは少し考えてから答えた。
「八番区だと、銀貨3枚くらいよ。上の区だと素材としては使えなくて、みんな集めないものだけど、この区ならそれより安いことはないと思うわ」
「それは美味しいな……できるだけ詰めさせてもらうか。そこまでかさばらないしな」
オークの上質な牙が10本、3金貨。これなら、傭兵チケットの購入代金への到達も見えてくる。
「エリーティア、ミサキを見つけたあと……いや、明日になるか。俺たちとまた、ここに付き合ってくれるか?」
「そうね……あの子を助けたら、仕切り直しになるわね」
彼女は急いでいる。しかしスズナの育成に時間がかかることも分かって、気持ちを抑えているようだった。
そろそろ見つかってほしいものだが、ミサキもこちらを探して動き回っているなら、姿を遠目にでも発見できてよさそうなものだ。
――しかし、彼女の姿の代わりに聞こえてきたのは。
「――いやぁぁぁぁぁっ……た、助けてっ、助けてぇっ、誰かぁっ!」
あののんびりとした口調からは想像できないほどの、絹を裂くような悲鳴。
「ミサキちゃんっ……あ……あぁ……っ」
スズナもその声をミサキのものだと思ったらしい。だが、彼女は声が聞こえた方角――遥か遠くに浮かび上がった巨大な影を見て、言葉を失った。
「なんだ……あれは……っ」
それまでは、そんな姿は見えなかったはずだった。だが今は確かに、見上げるほどの体格を持つ、人型の影が見える。
(……オーク……それも、巨大な……しかも、仲間を引き連れてる……!)
ミサキの位置がようやくわかる。彼女は縛られて自由を奪われ、まるで巨大なオークに捧げられた生贄か何かのように、草むらに寝かせられていた。
「あ、あんなのが……最初の迷宮の二階に、現れるの……?」
「……『名前つき』……オークの名前つきをあえて出そうとする探索者なんて、いないはずなのに。誰かが、私たちになすりつけて倒させるために……!」
(――奴らが言っていたのは、このことだったんだ……!)
上位探索者が、お荷物を連れている。酒場で見た男たちはそんなことを言っていた。
ミサキがいなければ、彼らはスズナをさらい、自分たちが出現させた『名前つき』を、エリーティアに倒させるつもりだったのだ。自分たちのレベルが届かない魔物を倒させ、その収穫を奪うために。
――おそらくエリーティアがオークの名前付きを倒したあと、彼女を何らかの手で無力化する方法も備えている。今も、この状況を気配を隠して、この階層のどこかで見ているのだろう。
「――あなたたちはそこにいて! 私一人なら、オークの名前つきくらい……!」
「エリーティア、待てっ!」
動けないミサキにファングオークの集団が今にも襲いかかろうとしている。彼女を救うには考えている暇はない、オークを倒すしかないと分かっていた。
「――臓物を撒き散らせ、オークどもっ!」
◆現在の状況◆
・エリーティアの『ソニックレイド』が発動
・エリーティアの『ブレードロンド』が発動 →『ファングオーク』六体に命中
・『ファングオーク』を六体討伐
『ソニックレイド』はおそらく瞬間的に加速する技能――『アクセルダッシュ』より強力で、移動できる距離も遥かに長い。
エリーティアは瞬時にオークたちに近づくと、白刃を閃かせて舞うように剣を繰り出す。『スラッシュリッパー』より威力が大きく、密集した敵を攻撃できるその技能は、彼女の言葉通りにオークの身体を細切れにして四散させる。
――しかし、その返り血を浴びた瞬間。俺には、エリーティアの纏う空気が、禍々しさを孕んだように見えた。
◆現在の状況◆
・エリーティアの『ベルセルク』が発動
「……あぁ……あぁぁぁぁぁぁっ……!」
エリーティアの苦しむような声が聞こえてくる。
それこそが、彼女の抱えていた問題――おそらくは返り血を浴びることで発動する、彼女特有の技能。
「エリーティアさんっ……!」
「後部くん、彼女を放っておけない! あの大きいオークは、幾ら彼女が強くても、一人じゃ……!」
「――来ないでっ!」
スズナと五十嵐さんを、他ならぬエリーティア自身が制する。
ベルセルク――狂戦士という意味ならば、今のエリーティアは極度の興奮状態にある。攻撃力などが上昇しても、周囲の分別がつかなくなるのかもしれない。
(だから、パーティを組まず、距離を置けと言ったのか……でも、それは……!)
彼女が、一人で全てを背負おうとしたから。あの名前つきも、オークの集団も、全てを請け負おうとした。
――だが俺達は離れていても、ミサキを巻き込む可能性がある。しかしソニックレイドで離れた距離を追いついてエリーティアを止めることはできない。
「必ず助ける……私は……私は人殺しなんかじゃない……人殺しなんかじゃ……っ!」
先鋒のオークを倒されて、他のオークは怯んでいる――しかし、名前付きは動じない。
地面を揺るがして迫ってくるその巨体に、エリーティアは正面から切り込んでいく。
――俺はライセンスに視線を走らせ、もう遅いと知りながら叫んだ。
「エリーティア、そいつは……っ!」
◆遭遇した魔物◆
★ジャガーノート:レベル5 戦闘中 物理無効 ドロップ:???
「――あぁぁぁぁぁっ!」
エリーティアが叫びながら、山のように巨大なオークに飛びかかっていく。
――そして振り抜いた剣は。オークの皮膚を削ることもできず、表面を滑り、受け流された。
「っ……!」
オークの『名前つき』――ジャガーノートの咆哮は、ファングオークのものとは全く違い、あまりに大きすぎ、激しすぎた。
「くぅぅっ……あぁ……!」
◆現在の状況◆
・ジャガーノートは『ブルータルボイス』を発動 →『エリーティア』が一時麻痺
・ジャガーノートは『エリーティア』を捕獲
「うぅっ……くぅ……放せっ……あぁぁっ……!」
それは絶望的な攻撃だった。ファングオークをものともせず倒してきたエリーティアが、巨大なオークに捕まって悲鳴を上げている。
地上のオークたちは勢いづき、ミサキに目掛けて殺到しようとする。
――彼女が宝箱を開けなければ。慎重に行動していれば、この事態を招かずに済んだ。
五十嵐さんも、テレジアも、スズナも――絶対に死なせたくない。
「……アリヒト……ッ、逃げて……うぁぁぁっ……!」
このままではエリーティアは握りつぶされる。ジャガーノートの手は人間を捻り潰すことなどわけもないだろう。
逃げろと言われたら、スズナが持っている脱出の巻物を使えと言われた。今ならそうできる、そうすべきだ、あんな化物に勝てるわけがない。
だが、逃げれば――エリーティアも、ミサキも命を落とす。
そのことに対する猛烈な怒りが湧き上がる。それだけは許せない、許してはならない。
「逃げろと言われて、逃げられるかよ……!」
◆現在の状況◆
・アリヒトの『ブレイズショット』が発動 →『★ジャガーノート』に命中
・『★ジャガーノート』が燃焼
「ウゴッ……!」
ジャガーノートの顔面目掛けてブレイズショットを放つ。物理無効でも炎は通る――その考え通りに、エリーティアの剣で怯みもしなかった巨体が揺らぎ、手の力が抜ける。
「くっ……!」
◆現在の状況◆
・『★ジャガーノート』の攻撃 →『エリーティア』は回避
解放されたエリーティアは地面に落下する前に身を翻し、頭上から叩きつけられたジャガーノートの一撃を回避する。一時麻痺の効果がすぐに切れたのは幸いだったが、利き腕ではない方の腕が使えなくなっているようだった。
レベル5とされていても、『名前つき』の実力は数字通りではない。レベル8のエリーティアが瀕死の状態まで追い込まれているのは、認めたくないが事実だ。
「五十嵐さん、テレジア、スズナ。どうしようもなくなったら、俺を置いて逃げろ」
「っ……そんなこと、できるわけないっ! 私だって、最後まで……っ」
「頼む……俺の言うことを聞いてくれ。無事に帰れたら何でもする……約束するから」
「……どうしようもなくなるまで、逃げません。ですからここにいさせてください」
「スズナちゃん……」
あんな化物を前にして、俺も生きた心地がしないのに――スズナは本当に、土壇場で肝が座っている子だ。
「……スズナ、脱出の巻物をいつでも使えるようにしておくんだ。それは約束してくれ」
俺たちはジャガーノートとは戦えない。近づいただけで即死する――だがエリーティアは、ジャガーノートの攻撃を回避できる。それは、攻撃のチャンスを作れるということだ。
(支援防御は、あんなデカブツが相手じゃ役に立ちそうにない……だが、支援攻撃なら……)
「――エリーティア! 俺のパーティに入ってくれ、一時的でいい!」
声をかけてもエリーティアは反応しない。ジャガーノートの攻撃を一度、二度と回避し、反撃の時を伺っている――『ベルセルク』の効果によるものか、それとも彼女の意志で逃げようとしないのか。
――違う。彼女はミサキに攻撃が当たらないように、誘導しているのだ。
「このままじゃミサキも助けられない! 俺の言うことを聞いてくれ、頼む!」
声を限りに叫ぶ。それでもエリーティアは振り返らない――もう、攻撃を回避し続けるのも限界だ。
「エリーティアさんっ……お願いです! アリヒトさんの言うことを聞いてください!」
「――あなたは……っ、そんなところで死にたいわけじゃないでしょう!」
スズナと五十嵐さんが叫ぶ。それでも声は届かないのか――そう諦めかけた瞬間だった。
◆現在のパーティ◆
1:アリヒト ※◆$□ レベル2
2:キョウカ ヴァルキリー レベル1
3:スズナ 巫女 レベル1
4:エリーティア カースブレード レベル8
5:テレジア ローグ レベル3 傭兵
(入ってくれた……これなら……!)
俺の支援が、エリーティアに対して使える。ブレイズショットの届く距離なら、これだけ離れていても効果が届く……!
「エリーティア! 『手数の大きい攻撃』を使え……『支援』するっ!」
物理攻撃が無効であっても。ダメージが「10ポイント」で固定なら、可能性はある……!
「――はぁぁぁっ……!」
エリーティアが残った魔力で『ソニックレイド』を発動させる。彼女の姿が消え、ジャガーノートの大ぶりの打撃が空を切る。
――そして、次の瞬間。斬撃の雨が、ジャガーノートの全身に向けて降り注いだ。
◆現在の状況◆
・エリーティアの『ブロッサムブレード』が発動
・『★ジャガーノート』に一段目が命中 ノーダメージ 支援ダメージ10
・『★ジャガーノート』に二段目が命中 ノーダメージ 支援ダメージ10
・『★ジャガーノート』に三段目が命中 ノーダメージ 支援ダメージ10
『ソニックレイド』をかけた状態から発動する、超高速の連撃。それは美しくもあり、壮絶な威力を持つ奥義だった。
『支援攻撃1』による不可視の追い打ちは、物理無効の相手にも通る。物理属性と、無属性は別なのか――どちらにせよ、この一撃に賭けるしかない。
(いってくれ……頼む……っ!)
◆現在の状況◆
・『★ジャガーノート』に十六段目が命中 ノーダメージ 支援ダメージ10
・『★ジャガーノート』を討伐
巨体が揺らぎ、動きを止める。ジャガーノートが倒れ、逃げ惑うオークたちが巻き込まれる――そして。
「はぁっ、はぁっ……」
倒したジャガーノートの前に姿を現したエリーティアは剣を突き、自らも倒れかかる。しかしまだ気が抜けないということを、俺は忘れていなかった。
「テレジア、五十嵐さん! エリーティアのカバーを頼む! 近くには、まだ別に敵がいるんだ!」
気がつくのが誰より早かったのはテレジアだった。少し離れた場所に姿を現した三人の男たち――それぞれが射撃武器を持って、エリーティアを狙っている。
「チッ……見てみぬふりでもしてりゃいいものを! 後悔するなよ、小僧……!」
エリーティアの実力でジャガーノートを倒しただけだとでも思って、男たちは俺達を侮っているのだろう。だが姿さえ見えてしまえば、いいようにさせるつもりはない。
レベルは向こうの方が上かもしれないが、絶対に負けられない……!
「――みんな、『支援』するっ!」
「「はいっ!」」
男たちの射撃武器――小型の弓は、テレジアと五十嵐さんの構えた盾で防がれる。次の瞬間、五十嵐さんのサンダーボルト、俺のブレイズショットが放たれ、二人の男に命中する。
「ぐぅぁっ!」
「ぐぉっ!」
「――はぁぁっ!」
五十嵐さんがそのまま突き進み、槍を突きこむ――男たちはなんとか受けようとするが、支援攻撃で吹き飛び、そのまま動かなくなった。固定ダメージ10を一気に削られてショックでのびてしまうということは、彼らはせいぜいレベル2だったということだろう。
残るは一人――余裕を見せていた、ボスらしき男。
「使えねえ野郎どもだ……うぉぉっ! て、てめぇっ……!」
『アクセルダッシュ』でボスに肉薄したテレジアが斬撃を繰り出す。その一撃を飛び退って回避したところで、俺は狙いすまして追い打ちをかけた。
「――喰らえっ!」
◆現在の状況◆
・アリヒトの攻撃が『ベルゲン』に命中
「がっ……!」
スリングで狙いすましたわけではなかったが、当たりどころが悪かったようで、ベルゲンはその場に倒れ込む。決して威力が高いわけではない俺のスリングだが、クリティカルというやつだろうか。近づいて確認すると、鉄弾がアゴに当たったようだ。
五十嵐さんはこちらを見て、言葉が出てこないといった顔だった。生き残っている、それ自体が奇跡のようなもので――勝利の喜びよりも、魂が抜けるような脱力感がある。
後ろを振り返ると、スズナが俺たちを見ている。彼女はまだ戦闘に参加できなかったが、全てはこれからだろう。俺は頷き、彼女にミサキとエリーティアの元に行くよう促した。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』の『支援回復1』が発動 →『エリーティア』の体力が回復
三十秒目で、一度目の回復が発生する。もっと時間が経っていると思ったが、感覚が研ぎ澄まされすぎて、時間が長く感じていただけらしい。
「……五十嵐さん、テレジア。無事で良かった。ごめん、脅かすようなこと言って」
「後部くんこそ……もう、私、無我夢中で……」
「…………」
互いの無事を確かめて安堵しながら、俺たちは歩き出す。そして、ジャガーノートに立ち向かい、倒したエリーティアの元へと向かった。
◆現在の状況◆
・戦闘終了により『エリーティア』の『ベルセルク』が解除




