第百八十九話 湖畔の庵
林の中に入ってしばらくすると、霧で一度視界が塞がれる――ここを本当に抜けられるのかと心配になる前に、霧が晴れ、林が途切れた。
「……迷宮の中に……家?」
先行していたセラフィナさんも戸惑っているが、パーティ全員気持ちは同じだった。
木造で、茅葺き屋根の小さな庵。煙突が作られていて、そこから煙――いや、霧が流れ出している。どうやら、これがさっきの霧を作り出していたらしい。
◆現在の状況◆
・未踏領域に侵入
・魔物出没確率:非常に低い
・地形効果の有無:判定技能なし
未踏領域――誰か住んでいるように見えるのに、そう判定されることもあるのか。
スケアクロウは『アルターガスト』の氷塊をその辺りに置く。そして、庵の扉の前に立った。
「あっ……ひ、開きます、お兄ちゃんっ……」
庵の扉が開く――いつも『後衛』の俺だが、ミサキとマドカは俺の後ろに隠れている。スズナはどうしようかと考えているようだが、俺の後ろには回らなかった。『中衛』というよりは『後衛』寄りの彼女だが、俺よりは前にいようと思ってくれているようだ。気持ちは嬉しいが少々申しわけない。
「……女の子……?」
「――そう言われるのは悪い気はしないが、私はあいにく君より大人だよ、お嬢ちゃん」
「っ……!?」
確かに扉の向こうから出てこうとしていたはずだ――しかし気づくと、エリーティアのすぐとなりに、三角帽子を被った小柄な人物が姿を現していた。
(似ている……セレスさんと。『翡翠の民』ということなのか……?)
面立ちこそ似ているが、セレスさんと比べるとフェイスペイントのようなものをしていたり、髪を細く編み込んでいたりと、装飾という点では大きく志向が異なる。
熱帯地域の民族衣装のように、ところどころ肌が露出した装いをしていて、その上からマントを羽織っている。どのような職業なのだろうか――『シャーマン』とかそういうものを思い浮かべるが、その場合意味的には『巫女』に近いものがある。
「ふうん、剣を抜かなかったね。色銘武器に操られているというわけでもないのか」
「……この剣のことを知っているの?」
「知っているよ。というより、そういったもの全般が専門と言ってもいい」
彼女は俺の方にやってくる――随分と小柄だが、セレスさんと同じように、年齢と容姿が一致しない種族ということか。
「初めまして、俺はアリヒト・アトベと言う者です」
「私はリーネという。この庵で迷宮暮らしを営んでいる変人さ。招待に応じてくれて感謝するよ」
右手を差し出され、握手をする――友好的なようだが、『スケアクロウ』が攻撃してきたことについては確認しておかなければならない。
「色々と話すべきことはあるが、まず、その戦士の女性については一刻も早く診た方が良さそうだね」
「あなたは『霊障』を治療することができるんですか?」
「そうだね、私の職業について明かしておこう。私は『ウィッチドクター』……呪術医とも呼ばれる職業で、呪いや霊にまつわる技能を持っているんだ」
リーネさんはアルターガストの氷塊に近づき、マントの下から紙のようなものを取り出す。
「あれは……護符、でしょうか?」
「スズちゃん、あれみたいなの持ってなかったっけ?」
「そうか、『死霊除けのチャーム』をスズナに持っていてもらったんだったな。それでさっきの魔物は、初めスズナを避けてたんだ」
特殊な効果を持つ装備を持っていると、戦闘の中で気づかず恩恵を受けていることもある。『言霊』なしで霊体に攻撃できるようにするためには、『死霊除け』の効果があるアクセサリが他にも欲しいところだが、スズナの『言霊』が有効だったので、やはり対霊体の防具や護符はスズナに優先して持っていてもらうのがいいだろう。
「……巡り合わせというのはあるものだ。この『アルターガスト』は、二度と出現しないものだと思っていた。女性が多いパーティというのが影響したのか、それとも呪いを受けているメンバーが複数いるからか……この場合、おそらく前者なんだろうね」
「リーネさん、それはどういう……」
「遭遇できたとしても、こんなふうに凍結させられるというのは凄いことだ。普通は霊体を凍らせることなんてできないと思うところだよ。それを君はやってくれた」
この話し方からすると、スケアクロウに『アルターガスト』の氷像を持ち帰るように指示したのはリーネさんのようだ。
彼女にとって、この『アルターガスト』にはそれだけの価値があるか、何かの因縁があるということか――まだ色々と見えてこないが、彼女は友好的な理由で俺たちを招いてくれたと、そう思ってよさそうだ。
「アリヒト君、この『アルターガスト』は持ち帰れば魔物素材にもなるだろう。けれど、私はこのアルターガストをできればこの護符に封じたい。そうすれば、彼女の『霊障』も抑えられるだろう」
「倒してしまうと、霊障が解けなくなるということは……」
「倒すわけじゃない、封印するんだ。私は霊体を従える技能を持っていてね。霊体をこういった護符に封印することもできる。その護符は『霊具生成』の素材となるんだ」
「霊具……そういったものがあるんですね」
素直に答えると、リーネさんはにんまりと笑った――何とも悪戯っぽい笑みだ。しかし何かを思い出したように、彼女の表情はすぐに曇ってしまう。
「……アルターガストの凍結も、じきに解除されてしまいそうだ。これを私にくれたら、今後も協力することを約束しよう。私の力は何かの役に立つはずだ」
「ありがとうございます。俺たちは、あなたに相談したいことがあってここに来ました。アルターガストの件だけでなくても、何か必要なものがあれば言ってください」
「相談……そうか。まったく、あの子は。来ているなら顔を見せればいいものを」
「あの子……って、誰のことですか? あ、聞いちゃうの早いです?」
ミサキはまだピンと来ていないようだが、リーネさんが言っているのは、おそらくセレスさんのことだろう。
「……我が呪いによって汝は支配される。眠り、安らぎ、静寂の河に横たわりて、父と母の地に身を委ねよ」
――オォォ……オォ……。
凍結していた『アルターガスト』が、歪んだような声を上げながら霧状に変化し、リーネさんが二つの指で挟んで持った紙の札に吸い込まれていく。
◆現在の状況◆
・『リーネ』が『霊符封印』を発動 →『★転変妖霧のチャーム』を生成
「……ようやくだ。十年も探して、もう諦めそうになっていたんだ」
「十年……そんなに長い間、この迷宮に留まっていたんですか?」
「そういうことになるか。この庵を作ったのは私ではないけれどね。私は元からここにあったものを、魔物払いをして利用しているだけなんだ」
こともなげに言うが、十年も『アルターガスト』を探し続けるには、相応の理由があるはずだ。
「……さて。このチャームを、戦士の彼女に持たせてあげるといい」
「いいんですか? リーネさんは、このチャームを作ろうとしていたんじゃ……」
「私は『アルターガスト』をこの手で封印したかっただけだ。人の手で捕まえてきてもらっておいて、何を言っているのかと思うだろうけど……これは、けじめのようなものさ」
リーネさんは俺にチャームを渡そうとする――しかし、何かに気づいたように手を止めた。
「パーティの仲間とはいえ、男性に任せるのは少し問題があるかな。私が呪術医として、責任を持つことにしよう」
「……? チャームを渡すだけなら、俺でも大丈夫だと思いますが」
「ア、アリヒトさん……チャームの装備の仕方は、その……肌身離さず持っていないといけないので……」
「……あっ、ああ、そうか。そういうものだったんだな」
「私もチャームというものは装備したことがないので、少し気になりますね」
スズナの言う意味が、まだセラフィナさんには伝わっていない。彼女も今後装備することになるかもしれないので、知っておくに越したことはないと思うが。
◆◇◆
庵の中には二人分の寝床があったが、リーネさんはいつも一人で寝ていると話してくれた。スケアクロウには寝床を使う必要がないのだという。
五十嵐さんは簾で仕切られた向こうで寝かせられ、リーネさんの手でチャームを身につけさせてもらっている――こういった紙の札の場合、身体のどこかにくくりつけるか、剥がしやすい糊のようなもので貼っておく必要があるらしい。
「あ、あの……治療と言っても、少し恥ずかしいです……」
「符を貼る場所は特に決まっていないけれど、どこに貼っても動きによって剥がれやすくなったりもする。探索中に剥がれるようなら、次は紐を使ってくくりつけるといい」
もっと利便性の高い装備方法が幾らでもありそうだが、貼り付けるのが慣例と言われては何とも言えない。
しかし庵の中に入れてもらったはいいが、何かの香のようなものの香りがする上に、女性の密度が高い中に俺が混じっていていいのかと案ずる部分がある。
「お兄ちゃん、どこに貼ってるか想像してます?」
「いや、そんなことは全く……」
「ちょっと覗いてみたりなんかして……わっ、思った以上にすごい絵面……!」
「な、何を言ってるのミサキちゃん。これは治療をしてるだけなんだから……そうですよね、リーネさん」
「戦士系の職業だと、腹筋が割れている女性も珍しくないんだけどね。かなり鍛えられてきているけど……」
わざと想像を煽る言い方をされているようだが――五十嵐さんの腹筋は割れていない。俺の腹筋は割れてきているが、後衛のわりに激しく動き回っているからだろうか。
◆★転変妖霧のチャーム◆
・『熱情3』までの状態異常を抑制する。
・最大魔力が上昇する。
・技能『ラスティレイション』が使用可能となる。発動時に破損する可能性がある。
霊体系の魔物を封じ込めたものは、星つきの装備になることがある。迷宮で見つかるチャームの類も、こうやって『霊符封印』か、『護符生成』などの技能で作られているそうだった。
「『チャーム』は彼女の身体に貼らせてもらった。これは一週間くらいは外してはいけないよ。今回のような『霊障』はしばらく時間が経過すると治るんだけど、抑制できるものをつけていないと症状が出てしまうからね」
「は、はい。それでリーネさん、このチャームの効果なんですが……」
ライセンスをリーネさんに見せる。五十嵐さんの様子を見る限り行動に支障が出てしまうようだが、『熱情3』とはどういうものなのだろうか。
――しかし真面目な質問をしたはずが、なぜかリーネさんは俺に同情するような目をして、踏み台に乗ってから頭を撫でてきた。
「お兄ちゃんがよしよしされてる……セラフィナさん、キョウカお姉さん、ライバル出現じゃないですか?」
「な、何言ってるの……リーネさん、一体何をしてるんですか」
「私はアリヒト殿より年下なので、そういったことをするのは適切ではないと思いますが……」
五十嵐さんが簾の向こうから心配そうに声をかけてくる。セラフィナさんは少し残念そうにしているが、なぜなのか。そろそろこの状況について、リーネさんから説明が欲しい。
彼女は俺に耳を貸すようにという仕草をする。周りに聞かれてはまずいようなことなのか――単に俺をからかって楽しんでいるだけのようにも見えるが。
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