第百八十六話 資料館
五番区の資料館は、中位ギルドの付近にあった。俺が知っている図書館とは違い、石造りのアカデミックな建物だ。
入り口のところで、守衛をしているらしい武装した男性の前を通り過ぎる。そして、司書らしい女性がこちらに歩いてきた。
「入場時にライセンスを拝見しております……あら、特別選抜探索者の方ですか?」
「はい、昨日認定されたばかりですが」
「スタンピードで招集がかかったということですね。大変な任務、ご苦労様でした……いえ、この場合は『依頼』と言った方が正確ですね」
「いえ、どちらでも大丈夫です。微力ながら、鎮圧に参加できて光栄に思います」
任務という言葉には義務的な意味合いがある。あくまで探索者である俺たちには、スタンピード鎮圧への参加は強制されないので、彼女も気を使ったのだろう。
「自主的に鎮圧に参加される探索者の方は、ご覧になったかと思いますが、ごく一部になります。この資料館は避難場所の一つになっていますから、私たちも昨日は防衛の面に回らせていただきました。侵入されないようにするだけで精一杯でしたが」
「それは……まずは何より、無事で良かった」
「ありがとうございます。では、中央書架までご案内いたしますね」
司書の女性は、紐のついた学帽のような帽子の位置を直すと、俺たちを先導して案内してくれた。
「参加というか、最功労者ですって言ってみたらどうなっちゃいます?」
「そういうことをあまり自分から広めないのが、後部くんのスタンスなのよね」
「アリヒト殿の謙虚な姿勢は、いつも見習いたいと思うところです」
「はい……奥ゆかしくて、でもいざという時は……アリヒトさんは、そういう方です」
「そうね……アリヒトは、あまり見ないくらいの紳士だと思うわ」
前を歩いている皆がやたらと俺を褒めているのだが、まともに聞いていたらとてもじゃないが落ち着かない。
「わぁ……壁一面が本棚で、吹き抜けになっているんですね。映画の図書館みたいです」
マドカが声を上げて、俺も意識を切り替える。ここが中央書架――見上げるほどの書架にぎっしりと本が収められており、本棚に沿うように階段が作られている。階段から直接本を取るということだろうか。
「これは凄いな……蔵書数は、どれくらいになりますか?」
「こちら中央書架に三十万冊、他に特殊な本を収蔵するための小書架がございます」
「私たちが探してる本は、この書架のどこかにあるのかしら……」
「私の技能で、全ての図書からすぐに目的のものを探し出すことができます。あるキーワードを指定していただいて、関連する語句から探すことも可能です」
「ありがとうございます。では、『猿侯』と『炎天の紅楼』、それと『呪印』についての本を探すことはできますか?」
「お、お兄ちゃんが単刀直入すぎる件について……っ!」
「遠回しにしている場合でもないから、茶々を入れないの」
ミサキの言わんとするところもわかるが、今回ばかりは五十嵐さんの言う通り、ストレートに聞かせてもらった。
司書さんは少し驚いたようだったが、やがて祈るように目を閉じる――すると。
「『猿侯』についての本は一冊。『炎天の紅楼』については二冊。呪印に関する本は、この中央書架に十冊ほどございます。書名はこちらになります」
書き記してくれたリストを見ると『初歩的な呪印』『魔物の特殊攻撃呪い編』『呪いを扱う職業』といった本が並んでいる。どれも調べたいことに関係はしていそうで、冊数もそれほど多くないので、全て調べてみることにする。
「この中央書架にということは、小書架に収蔵してある本もあるのでしょうか?」
セラフィナさんが質問すると、司書の女性は頷きを返す。
「はい、個人で寄贈された本になりますが、『呪印』についての本が66番小書架に収蔵されています」
「中央書架の本で調べたい事項が分からなかったとき、それを閲覧することは可能ですか?」
「小書架の本は貸し出しに条件がありまして、外への持ち出しはできません。それでもよろしいですか?」
「ぜひお願いします。少しでも手がかりが欲しいところなので」
◆◇◆
呪印に関わる本は、書棚の中ほどに入っていた。中ほどといってもかなりの高さだ――落下を防ぐための措置はされているようだが、下を見るとぞっとしない。
「アラクネさんなら、壁に張りついて本を取ってきたりできるんじゃないですか?」
「できそうだが、図書室内では召喚のペンダントは使えないみたいだな」
「なにげに結構すごいことしてるんですね、この図書館」
ぞろぞろと階段を登るわけにもいかないので、本を取ってくるメンバーをジャンケンで決めた。ミサキは負けても意外に文句を言わず、軽い足取りで階段を上がっている。
『猿侯』の本は五十嵐さん、『炎天の紅楼』の本はエリーティアがそれぞれ取りに行ってくれている。俺たちは本が十冊と多いので、二人で行かせてもらった。
そして目的の本を見つけてきて、読書用の席で中身を精査する。
「五番区の魔物について書いてある本に、『猿侯』のことは書いてあるけど……今までの討伐情報が提供されてないみたいで、新しい情報はないわね」
エリーティアの席まで行き、本を見せてもらう。『猿侯』の姿が描かれているが、それも正確性に欠けるものだった。
「すでに使ってきた技能が書いてあるな……『呪詛侵蝕』の記述はない。今回の個体から使うようになったってことなのか」
「『名前つき』は出現するたびに、耐性などが異なります。技能についても個体特有のものがあるというのは、十分に考えられます」
「お兄さん、この本に『炎天の紅楼』の地図が載っています。何かの参考になるでしょうか?」
マドカが持ってきた本は『五番区迷宮の基本調査』という本だった。炎天の紅楼については、魔物がいなかった第一層については詳しく書いてある――しかし二層からは極端に情報が少なくなる。
その理由について『調査に重大な支障が生じた』と書かれていた。第二層の探索途中に何かが起きたということだ。
「この本に情報を提供した調査隊は、第三層の入り口があった場所に近づくことができていた。猿侯が砦を作ったのは、ここに進ませないためなのか……?」
「魔物によっては、深部に潜ろうとする探索者を妨害する習性を持っています。その習性が特に強いか、あるいは何かを守っているか。しかし理由があったとしても、『猿侯』の探索者に対する敵意は、極めて危険であることに変わりはありません」
セラフィナさんは落ち着いた口調で話すが、『猿侯』に触れるときにはその声に力がこもった。
得られた情報は少ない。『呪い』についての本も調べたが、猿侯の使った呪印についての記述は見当たらなかった。
「後部くん、小書架のほうを探してみる? 私たちはもう少しこの本を調べてるから」
「はい、そうしてみます」
席を立つと、辺りの様子を見ていたテレジアがぺたぺたとこちらにやってきた。彼女を連れて、司書の女性に頼んで小書架に転移するための転移扉に案内してもらう。
「本の中には、魔物が擬態しているものなども存在します。数十年も擬態し続けるような魔物もいて、その場合は図書館側も全く判別がつきません。念のため、本のページを開くときは注意してください。文字が動くなどの変化があれば、魔物である可能性が高いです」
「は、はい……注意しておきます」
悪い意味での『当たり』を引かないようにと祈りつつ、転移扉をくぐる。すると、中央書架よりもかなり狭く、薄暗い部屋に出た。
書棚には一冊一冊が間隔を開けて置かれている。その中に一冊、黒い革表紙の本があった。
「こちらが『呪詛に関わる職業、そして魔物』という本になります」
「ありがとうございます。じゃあ、失礼して……」
慎重に手に取らせてもらう。表紙の中央に、緑色の宝石のようなものがあしらわれている。
(これは……翡翠か? セレスさんの一族、翡翠の民に関係がある……?)
ページをめくっていくと、人体図のようなものが描かれたページがあり――そこに、テレジアの首の後ろに浮かんだ印と似たものが描かれていた。
――『呪詛』の一環として『呪印』があり、それは身体の一部に刻まれる。
――魔物の一部は『呪詛』を用いる。生存しているときの呪詛よりも、死亡する際に遺される呪詛の方が効果は重く、運悪く受けてしまうと永続することもある。
――そのため、『呪詛』を解くには、魔物を討伐する前に解呪の手続きを踏まなければならない。
「…………」
テレジアが俺の手を引くので、彼女にも内容を見せる。
ページをさらにめくるが、肝心の『解呪の手続き』については書かれていない。途中からページは空白になっている。
この本を書いた人物は一体誰なのか。五番区のどこかにいるのか、それとも別の区なのか。
テレジアに本を渡して、俺は司書の女性に質問しようとして振り返る。
――その時だった。
薄暗い部屋が、急に明るくなる。この光の出どころは、後ろからだ。
「っ……お二人とも、その本から離れて……っ」
司書の女性が声を上げる。しかし、眩いほどの発光は徐々に静まっていく。
テレジアの持つ本が、緑色の淡い光を帯びている。
「…………」
「これは……」
テレジアの横に立ち、本を見せてもらう。すると、真っ白だったページに、文字が浮かび上がっていた。
迷宮国の古い文字だろうか、楔のようなものが組み合わせてあるものだが――。
『……迷宮国の、古の民の文字。夕闇歩きの湖畔と書かれている』
アリアドネの声が聞こえてくる。俺が見ている文字が、彼女にも見えていて、翻訳してくれたのだろう。
発光していた文字はすぐに見えなくなる。なぜこんな現象が起きたのか、その理由の一端は示されていた。
――テレジアの首の後ろの呪印が、妖しく輝いている。
「お二人とも、今の光は……その本から発せられたものなら、改めて調査を行わなければいけません」
「おそらく、持っている人次第で反応を起こすものだと思います。危険なものではないと思うので、あまり心配はしないでください」
「そ、そんなわけには……」
「本が発光する条件は……おそらく『呪詛』をかけられている人物が、この本を手に持つことです。俺たちはこの子の『呪詛』を解くためにここに来ました。この本について教えてくれて、本当にありがとうございます」
こんな形で手がかりが見つかるとは思っていなかった。しかし驚かせてしまった以上は、可能な限り事情を説明すべきだろう。
「『呪詛』……私は、お客様の言葉をそのまま受け取って、どうしてそういった本を探していらっしゃるのか、考えようともしていませんでした。司書として不甲斐ないです」
「い、いえ、それは……こちらにも、警戒されたくないという思いがあって、できるなら事情を話さずにおきたいと思っていたんです。それは、俺の都合でしかないですから」
「お気遣いに感謝します。ですが、私も資料館の職員として、探索者の皆様のお力になれればと思っています。より皆様の信頼を得られるよう、精進いたします」
「……今回のことでも、俺たちは凄く助けられました。それは、改めて言わせてください」
司書の女性がテレジアから本を受け取る。彼女は気を取り直して、帽子の位置を直すと、俺たちに先に転移扉をくぐるように促してくれた。
◆◇◆
『夕闇歩きの湖畔』は、五番区南東部に入り口のある迷宮だ。
暗い岩窟から、湿っぽい空気が流れてくる――ここを降りていくと、迷宮に転移するらしい。
「……何だか入り口に、凄く雰囲気があるというか……おどろおどろしいわね……」
「キョウカさん、大丈夫ですか? ご無理はなさらないほうが……」
「だ、大丈夫、私には『恐怖』を治す技能だってあるもの……あっ、怖いってわけじゃないのよ、昼間からお化けが出るなんてこともないしね」
「迷宮の中って不思議時間だったりするじゃないですか。この迷宮、ずーっと薄暗い夕方なんじゃないですか?」
「ミ、ミサキちゃん、そんなにはっきり言うのは……」
「ということは、明かりを用意した方がいいんですかね……そこまで暗くはないですか」
「視界がゼロに近いほどの迷宮は、ギルドで警告が出ていますので。この迷宮は暗闇対策が必須とはされていないようです」
セラフィナさんがパーティに加わってから、要所で助言をしてくれるのでとても助かる――と、改めて実感していると。
「キョウカお姉さん、油断してるとお兄ちゃんと付き合いが長いだけじゃ勝てないですよ?」
「そ、そんなこと……私だって、セラフィナさんのことは頼りにしてるし……」
「これまでもみんなで切り抜けてきたんだから、少し怖い魔物が出ても大丈夫よ」
エリーティアが五十嵐さんを元気づける――それを見て感激しているのは、ミサキとスズナだった。
「な、何……?」
「いえ、エリーさんがいつものエリーさんに戻ってくれて、嬉しさのあまり涙腺に大ダメージだったりしまして」
「本当に……良かった。これからも『みんなで』頑張りましょう。そうすれば、きっと大丈夫ですから」
「……二人とも、私をあまり甘やかさなくてもいいの。でも、ありがとう」
時間は限られているが、自分を戒めてばかりでは、きっと最高の結果は生まれない。
仲間と共に進む。決して一人じゃないことを、エリーティアはもう忘れたりはしないだろう――彼女の笑顔を見て、そう信じられた。




