第百七十六話 立ち入り許可
「……無礼を承知で申し上げますが。彼女が『死の剣』……あの迷宮に捕らえられたかつての仲間を、取り戻そうとしているんですのね」
「エリーティアのことをご存知なんですか?」
「ええ。私たちは、この迷宮をこのままにしておいてはいけないと思っていますの。スタンピードが起きないからといって、放置されたままで十年以上も経過している……記録を調べると、何人の探索者がここで未帰還となったかが分かります。五年目からは、もうこの迷宮に挑む人自体が激減してしまっているのですわ」
この迷宮を放置しておいてはいけない。そう思っているパーティが、俺たち以外にもいる――。
「……一つ言わせてください。エリーティアは『死の剣』と呼ばれていますが、それは彼女が望んだことじゃない。彼女は俺たちを、これまで何度も助けてくれました。『死の剣』なんて呼び名とは正反対の、頼れる仲間です」
「ええ、分かっています……いえ、分かっているつもりです。それでも恐れられるような名前を口にするのは、いけないことです。申し訳ありません」
「っ……い、いいの、それは……私は、そう言われるくらいのことを……」
「いえ、それがあなたの望んだことでないのなら、誤った認識は正していかなければ。そうでなければ、あなたの本質と異なる名前に縛られてしまいますわ」
イヴリルの言葉に、エリーティアははっとしたような顔をする。しかし何も答えることなく、俯いてしまった。
「顔をお上げなさい、エリーティア=セントレイル。あなたのしようとしていることは、ただひたすらに正しい。他ならぬあなた自身がそう信じなければ、ずっとその剣に振り回されたままですわ」
「イヴリルさん、それは……」
五十嵐さんがエリーティアを気遣う。イヴリルは、ずっとエリーティアに向けた視線を外さなかった。
「……あの剣のことも、知っているんですね」
「ええ。申し訳ありません、また不躾なことを……それでも、今言わなければならないことなのです。彼女は一人でも戻って来られると思ったからこの迷宮に入った。しかし、結果はどうでしたか? アリヒト様たちに助けられなければ、あなたは……」
「……強くなりたい」
これ以上言うようなら、イヴリルさんを止めなければならない。そう思った瞬間に、エリーティアが震える声で言った。
「もっと強くなりたい……もう二度と、あんな思いは……」
「……それを恐れているから、強くなりたいのですか?」
「……それの何がいけないの? この迷宮国に来て、大切なものを見つけて、そのために戦うことの、強くなりたいと思うことの、何が悪いの……っ!?」
エリーティアの感情を受け止めるように、イヴリルは真っ直ぐに見返している。
――そしてイヴリルは、その瞳から一筋涙をこぼす。
「それでも、あなたが命を捨てなければならないような行動を取るのなら、あなたの心はその剣に囚われたままなのですわ。武器は持つ人が生きようとしてこそ生きるもの。何よりもあなた自身が生きたいと思わなければ」
ルウリィを救うことができるならと、エリーティアは自分の身を案じなかった。
それが意味することは、エリーティアの中では俺たちと進む未来よりも、贖罪のほうが優先されているということ――それは、最初からずっと感じていたことだ。
「……イヴリル様」
「ええ……お説教のようなことをできる身ではありませんものね。けれど私は、エリーティアさんはもっと強くなれると思っています。そのときあなたは、『死の剣』ではない別の名前で呼ばれることになる……より、あなたにふさわしい名で」
「……イヴリルさん、あなたは……」
何者なのか。そう問いかけると、彼女は唇に人差し指を当てて笑った。
「アリヒト様たちが協力者を集めているという話も、聞いてしまいましたの。よろしければ、私とヴァイオラも参加させていただけますか? 五番区の迷宮で通用する力はあると思いますから、足は引っ張りませんわ」
「っ……本当ですか? まだ、俺たちは……」
「会ったばかりですが、お話をしているうちに分かりました。エリーティアさんのことを案じているあなたの顔には、打算も同情もなく、ひたすらに真摯だった。そしてあなたは私の握手に応じてくれた……それがとても嬉しかったんですの」
それこそ俺は、出会う人の誰もを疑うことをしたくなかったというだけだ――そんな自分を弱いと思いさえもした。
今も本当に十割信じられるのかという思いがある。もし『猿侯』討伐作戦を実行するとき、彼女たちが想定しない行動を取ったら――でも。
彼女はエリーティアに生きたいと思わなくてはと言ってくれた。それを上辺だけの言葉と見なしてしまったら、俺は自分自身を信じられなくなる。
「……とても危険な戦いになります。それでも協力してもらえますか?」
「ええ。私の持つ技能を全てお教えすることはできませんけれど、求められた役割は果たしますし、そのための技能については説明させていただきますわ。操られている探索者の攻撃を封じること、彼らを殺めないように無力化すること……私とヴァイオラなら、その両方を満たすことができます。パーティの人数は多い方がいいですけれど」
それなら、なぜ二人だけで活動しているのか――そこまで踏み入ることは、初対面ですべきことではないだろう。
「それでは……ここで会えて良かったですわ。アリヒト様、連絡ができるようにライセンスの情報を渡しておきますわね」
「ありがとうございます……もう道も暗いですし、帰りはお気をつけて」
「ええ。頼れる護衛もついておりますから、心配ありませんわ」
イヴリルは一礼すると、広場から出ていく。その後を追う前に、ヴァイオラも俺たちに一礼していった。
「何ていうか、すごく気品がある女の子だったわね……『お嬢様』っていう職業があったりするのかしら」
「珍しい職業であるのは間違いないですね。どんな戦い方をするのか想像もつかないですが……」
地球からの転生者ではないとして、セレスさんのような『翡翠の民』とも違うように見える――謎が多いが、五番区で戦える探索者が協力してくれるならとても助かる。
できれば三パーティ以上で『猿侯』の砦を攻略できればと考えているが、まだ人数は足りないし、全てのパーティが八人編成とはいかないかもしれない。しかし重要なのは敵を分散させること、『猿侯』との戦いに十分な戦力で臨むことを両立させることだ。
「きっと、あの傘を武器にするんでしょうね」
「エリーティア……」
イヴリルの言葉に感情が高ぶってしまっていたから、心配したが――エリーティアはそんな俺を見て、顔を赤らめる。
「あ、あまり過保護にしないで……私は強くなりたいって言っているんだから」
「そ、そうだな……これまで通りにしたいと思ってるんだが、すまない」
「……私は、みんなと生きたい。自分だけで何かを変えられるなんて、もう考えたりしない。それができなかったから、みんなに助けてもらってここまで来たのに、私は……」
強くなりたいと言うから、やはりエリーティアの気持ちはすぐには変えられないのかと思ったが――それは違っていた。
「武器は使う人の気持ちに左右される。そうだとしたら、私はこの剣に振り回されたままじゃいけない。この剣を、本当の意味で、みんなと一緒に生きるために使いたい」
これからは、きっと今までとは何かが変わる。彼女の中で大きく意識が変化して、良い方向に向かおうとしている――エリーティアの瞳に戻った強い意志の光が、そう信じさせてくれる。
「……そうだな。エリーティアには、きっとそれができるよ」
「私も、みんなも信じてるわよ。エリーさんがいてこその私たちなんだから。今回のことで、私ももっと強くなりたいと思った……追いつけないって諦めていないで、少しでもあなたに近づきたいって」
「……キョウカ」
五十嵐さんはエリーティアの手を取る。するとエリーティアは、五十嵐さんから目をそらしつつ言った。
「……ずっと抱きしめてくれて、温かかった。みんなが来てくれて良かったと思った……だ、だから……」
セラフィナさんも、テレジアも、エリーティアを見ている。エリーティアは顔を真っ赤にしながら、自分の手を握ったままの五十嵐さんに向けて言った。
「ありがとう。こんな私を、見放さないでくれて」
「そんなことするわけないでしょう? そうよね、後部くん。エリーさんがいないとなったら、もう血相変えちゃって……」
「ま、まあそれはですね……俺もエリーティアが心配だったんですが、一人で行かせないでやっぱり過保護にすればよかったのかと思って……」
さっきは否定したが、もはや認めざるを得ないだろう――ここは開き直るところだ。
「……そうやって迷うくらいなら、俺はパーティの誰かが心配なときは、今まで踏み入らなかったところまで踏み込むことにする。大人としての裁量だとか、パーティの仲間とはいえ一定以上に立ち入らないとか、そういう建前は捨てなきゃならない。心配なら心配だって言うべきなんだ」
「……うん。私は、アリヒトがそう言ってくれるなら、すごく嬉しい」
「重いと言われてしまうだろうけど、それでも……え?」
エリーティアが笑っている――五十嵐さんも、セラフィナさんも。背中に背負っているムラクモまで笑う気配がした。
『マスターはすでに、そこまで立ち入る資格を得ていると判断する。人間の機微というものは、私の理解が及ばないものではあるが』
自分が笑っていることに、ムラクモは自覚があるのだろうか――それとも、俺にそのように聞こえているだけで、彼女は笑ってはいないのか。
テレジアは俺の肩をぽんぽんと叩いている。どういう意味でのことか分からないが、愛でられているような感じがしなくもない。
そのマスクを外すことができたら、彼女もまた、こんなときは笑顔を見せてくれるのだろうか。
この区よりさらに先、四番区の大神殿。あとひとつ進めれば――しかしその一つはまだ俺たちには遠い。
それでも、必ずその日は来る。俺たち全員が、ともに生きることを何より大切だと考えられたなら。




