第百六十八話 旅団
ナユタさんに先導されて医療所に向かい、皆が治療を受けている間にスタンピード鎮圧の知らせが届いた。
ロビーにいた俺たちは、報告に来てくれたアデリーヌさんを出迎える。彼女は後方支援で参戦していたとのことで、『デスストーカー』の掃討に参加したとのことだった。
「セラフィナ隊長、改めてご報告します! 5つ星迷宮『凪の砂海』におけるスタンピードは鎮圧されました! 最高功績者は、もちろんアト……ッ」
「ア、アデリーヌさん。あまり大きな声では……皆で力を合わせて鎮圧できたんですから」
「っ……す、すみません、あんまり嬉しいお知らせだったので、私……」
「アデリーヌ、クーゼルカ三等竜尉殿とホスロウ殿はどうされている?」
「今は五番区のギルドセイバー本隊と、掃討後の見回りをされています。戻るには時間がかかりますので、私が皆さんを宿舎に案内するよう指示を受けました。奨励探索者の方々向けに、独立型のお部屋になりますがよろしいですか?」
「はい、とても助かります。仲間が手当てを受けているので、その後に案内していただけますか」
テレジアとエリーティアは負傷の治療を受けているが、幸い傷は残らなかった。スズナも魔力の回復をしてもらって、気分がかなり良くなったとのことだ。
「アトベさんたちが『名前つき』を倒したあと、『デスストーカー』の反撃が弱まって、五番区の探索者さんたちも掃討に参加してくれたんです。最終的には、延べ五百人が参戦することになりました。まあ、迷宮に潜らなくても一発でも攻撃をすれば貢献度を維持できるという動機も無きにしもあらずなんですけどね」
「なるほど……しかしあの魔物ですから、五番区まで来た人たちでもなかなか手が出せないのは分かります」
「『凪の砂海』は砂に潜った『デスストーカー』に奇襲されることが多くて危険な迷宮とされているんです。五番区にいても、初めて姿を見たような人もいるでしょうね。長く五番区にいれば、スタンピードの発生時に嫌でも目にすることになるんですが」
迷宮国においては、スタンピードの脅威をある程度受け入れて暮らさなくてはならない。誰もが戦わなければならないわけじゃないが、自衛の手段があるに越したことはないだろう。
支援者として活動してくれている人たちは、レベルの維持や戦闘の勘を維持することが難しくなる。ならば、可能な限り探索者が鎮圧に参加すべきだろう――それも、他者に強制はできないことだが。俺たちも無理のない範囲で参加するという方針でいくべきだろう。
「それにしても……『スタンピード』鎮圧の最高戦果を、奨励探索者の方が出しちゃうなんて、本当に前代未聞ですよ。五番区のギルドセイバー本部も騒然としてるはずです」
「そ、そうなんですか……」
「あ……安心してください、急にギルドセイバーから頼られて危険な任務が増えるとか、そういうことはありませんから。あくまで、探索者の方の本分は、自分たちの思うままに迷宮を探索することですし」
「ありがとうございます、アデリーヌさん」
「いえいえ、こちらこそ……では、皆さんの治療が終わるまで、私は宿泊先との調整をしておきます。アトベ殿のパーティは全員で八名でよろしいですか?」
セラフィナさんは特命を受けてパーティに参加しているので、現時点の正式な人数は八人ということになる――と、そこに丁度マドカがセレスさんとシュタイナーさんを連れて来てくれた。
「アリヒト、無事で何よりじゃ……と言っても、テレジアが心配じゃのう。装備が壊れるほどの攻撃を受けるとは」
『我輩は鎧の身体だから、できるなら代わってあげたいよ』
「何を言っておるか、お主のリビングアーマーの中身は……まあよい、それよりもわしらは職人としての本分を果たすべきじゃ。貸し工房は使えるのかの?」
「はい、宿舎の近くにある工房に空きがあります。アトベさん、五番区での滞在が終わったらどうされるんですか?」
「俺たちは、できれば行きたい迷宮があるんです。そのために今回の要請を受けた部分もありますから」
「早速、五番区の迷宮を攻略されると……す、すみません、飛び級ですぐに許可が降りるのかどうか、私も規則に詳しくなくて……」
それについてはルイーザさんにも確認を取る必要があるだろう。事情を考えれば、許可を取るなんて悠長なことは言っていられないし、体勢が整い次第『赫灼たる猿侯』のいる迷宮に入りたいところだ。
だがもし条件を満たさなければ入れないなら、堂々と規則を破ると言うのは自重するべきだろう。エリーティアの気持ちを考えると、一刻も早くという思いもある――ジレンマだが、ようやくここまで来たからこそ冷静にならなくてはいけない。
話しているうちに、治療を終えたテレジアとエリーティア、スズナが出てきた――付き添いをしていた五十嵐さんとミサキ、メリッサも一緒だ。
「テレジア、傷は大丈夫か?」
「…………」
「そうか……良かった。装備品もセレスさんたちに直してもらうからな」
テレジアはこくりと頷くと、羽織っているジャケットに触れる。返してくれるということだろうか――と思って見ていると。
「…………」
「ん? テレジア……?」
テレジアはじっと俺を見ている。まだ貸しておいてほしいということなら構わないのだが、五番区は少し肌寒い――だからこそテレジアに貸すべきか。しかし俺のジャケットでいいんだろうか、羽織れるものを街で買うべきか。
「……後部くん、しばらくテレジアさんにスーツを貸しておいてあげたら?」
「あ、やっぱりそうです? お兄ちゃん、テレジアさんの乙女心が分かってない感じです?」
「ミ、ミサキちゃん、そうやって囃し立てるようなことは……テレジアさんも恥ずかしいと思うから……」
「……テレジアのことがだんだん分かるようになってきた。何も言わなくても、目に見えるものは嘘をつかない」
「……っ」
確かに蜥蜴のマスクが赤くなっているが――と考えてやっと気がついた。テレジアはジャケットを返さなくてはいけないと思っているが、まだ持っていたいということだろうか。肌寒いというのもあるが、この場合は――いや、考えると照れくさくなる。
「テレジア、ジャケットなら気にしなくても……」
「っ……」
「だ、大丈夫だ、落ち着いて……宿舎で返してくれればいいからな」
「…………」
テレジアはこくりと頷く。ミサキの言う通り、俺も色々と察する能力が足りないようだ。
そのとき、ロビーに治療を受けて出てきた他の探索者が姿を見せる。白を基調とした外套を身に着けた集団――亜麻色の髪を三つ編みにした女性が、彼らを統率しているようだ。
「っ……」
「エリーさん、どうしましたか? 知り合い……ですか?」
エリーティアは白い外套の集団を見て、目を見開いていた。そして俺は察する――彼らが『白夜旅団』なのだと。
総勢で十四人――二パーティ分ほどの人数がいる。一見しただけでは、エリーティアのように呪いの武器を持っているメンバーがいるのかは分からない。
「エリーティア……彼らが『白夜旅団』なのか?」
「……ええ。あれは第二パーティと、第三パーティ……スタンピードの鎮圧に、彼らも参加していたのよ」
「そういう活動にも参加するのね……少し、考えていたイメージとは違うわね。あまり先入観を持つのも良くないけど」
「あの第二パーティのリーダー……アニエスという女性は、団長とは違う理念で動いているから」
『白夜旅団』の団長――エリーティアの兄。『旅団』のメンバーがここにいるということは、彼もおそらくこの五番区にいる。
旅団の第一パーティは、スタンピードの鎮圧には参加しなかった。戦いに加わる必要を感じなかったのか、街の防衛に手出しをしない主義なのか。事情は分からないが、五十嵐さんの言う通り、『旅団』の一部がさっきの戦いに加わっていたというのは意外に感じた。
「……行きましょう」
『旅団』に対してここはどうするべきか、それを尋ねる前にエリーティアが言う。やはり、思い詰めていることを隠せない力ない声だった。
「あ、ああ……分かった。みんな、移動できるか?」
「あっ、お兄ちゃん……スズちゃんがまだ少し消耗してて……」
「大丈夫、ミサキちゃん。心配しないで、もう……あっ……」
『角笛』と『停滞石』――この組み合わせは強力だったが、魔力の消耗があまりに激しすぎた。一度魔力が枯渇してしまうと、回復できてもやはり本格的な休息が必要になるようだ。
俺はふらついたスズナを支える。スズナは一瞬意識を失ってしまっていたが、すぐに意識を取り戻し、俺の顔を見て困ったように頬を染める。
「す、すみません……私、アリヒトさんに迷惑ばかり……」
「俺こそ、あれほど魔力を使うなら無茶をさせるべきじゃなかった。『角笛』と『停滞石』の組み合わせは、もう少し強くなってから使うことにしよう」
「はい……でも、必要だと感じた時は使わせてください」
スズナは角笛を吹いたあと、魔力があまり回復していない状態で『皆中』を使っている。彼女は言葉通りに、必要であれば消耗の大きい技能を躊躇いなく使うだろう――ならば、俺が考えるべきは、魔力の最大量を上げるか、あるいは消耗を軽減する方法だ。
「バウッ」
「シオンちゃん……すみません、シオンちゃんも頑張って戦って、疲れているのに……」
ロビーの片隅で行儀よく待っていたシオンがこちらにやってきて、スズナを背に乗せてくれる。シオンはスズナを労るように、ゆっくりと揺れないように歩く――本当に優しい性格だ。
エリーティアはそれを見て微笑む。スズナのことを案じているが、囚われている親友のことが心を占めているのだろう。
『ザ・カラミティ』に勝てたのなら、『赫灼たる猿侯』と戦うことも無謀ではないと思いたい――だが、『猿侯』が『ザ・カラミティ』を上回る強さを持っていることは、エリーティアの様子を見れば明らかだ。
考えているうちに、俺たちは『旅団』の近くを通り過ぎる。そのメンバーの何人かが、エリーティアの姿を見て驚く様子を見せた。
「おいおい、こんな早さで戻ってきたのかよ。そいつらは使える連中なのか? 適当に集めた有象無象じゃ話にならねえぞ」
「ソウガ、彼らも五番区に来る資格を得ているのよ。私たちの方が上だと驕るべきではないわ」
「あ、ああ、悪い……アニエスさん。だが、エリーティアがここに戻ってきてるってことは、団長に……」
「団長には私から報告しておくわ。エリーティア……」
アニエスと呼ばれた女性は、エリーティアに声をかける。エリーティアは足を止め、小さく頭を下げただけで、そのまま歩いていく。
仲間たちもエリーティアを一人にしないようにと、アデリーヌさんに案内されて医療所を出ていく。最後に残った俺にも『旅団』のメンバーは関心を示していた。
「エリーティアが、昔あなた方のグループで活動していたというのは聞きました。なぜ彼女が『旅団』を抜けたのかということも」
「……そう。エリーはやはり、ルウリィを助けようとしているのね」
俺に対してエリーティアのことを『エリー』と呼ぶのは、彼女の心の揺らぎを感じさせた。
『旅団』のメンバーが、エリーティアのことを全く考えていないわけではない。アニエスという人は、明らかにエリーティアのことを気にかけている――それをポーズだと考えるのは、さすがに穿ち過ぎだろう。
「私もルウリィを見捨てた一人である以上、何も意見する資格はないわ。あなたも、私たちを軽蔑しているでしょう」
互いの立場を明確にしなければ、交わせる言葉は限られる。俺も、エリーティアのいないところであまり彼らと話すべきではないと分かっている。
それでも一つだけ言っておきたかった。俺たちが今、何のためにここにいるのかを。
「俺は……いや。俺たちはエリーティアの話を聞いて、彼女の親友を助けたいと思った。それだけです」
「……本当に……そのために、あの迷宮に行くというの? ギルドセイバーでも『猿侯』は放置しておくことが得策と言っている。討伐を推奨されない魔物なのに」
「あなたたちも、目的があって『猿侯』のいる迷宮に挑んだはずです。そうして得たものに、仲間を置いていくほどの価値があったのかは分からない。ただ、俺達は『旅団』とは違う判断をした……エリーティアが信じるなら、俺たちも信じる。時間が経ってしまっても、ルウリィがまだ生きていてくれると」
「……どんな楽天家なら、そんな希望的観測だけでここまで来られるんだ。言っておくが、『猿侯』は五番区の中でも誰もが通り過ぎるだけの魔物だ。奴らに手を出すのは、それこそ相応の動機がある人間に限られる」
ソウガと呼ばれた三白眼の男は、こちらを睨みながら言う。背中に背負った戦斧、鍛え上げられた筋肉質の身体――熟練の戦士だろう彼でも、『猿侯』の相手をするべきではないと言う。
「……『猿侯』の何が厄介なのか。それを聞かせてもらっても?」
俺が尋ねると、ソウガは何かを言おうとするが、アニエスに制される。
「『赫灼たる猿侯』……『魔猿侯』とも呼ばれる、五番区の名前つきでも最強であり、最も長く生存しているとされる魔物。『炎天の紅楼』という迷宮の二階層以降に、自分の眷属と共に砦を作っている。迷宮の中に、自分の領土を持っている……その性質は、魔物の中でも特筆に値する。いわば、『魔王』のようなものですから」
魔王――それほどの魔物なのか。今までとは次元が違うと、彼女はそう言っている。
「……お前らじゃ『猿侯』には勝てねえ。行ってもまた仲間を失うだけだ。それでも行くってのなら、止めはしねえがよ」
短髪の髪を逆立てて金と黒に染め、ピアスをつけたソウガの容姿――第一印象では攻撃的な性格なのかと思ったが、それだけでもないようだ。
だが、彼にとっては忠告をしているつもりであっても、結果が決まっているような言い方は受け入れられない。俺たちは信じてここに来た――ルウリィがまだ生きていて、彼女を救うことができると。




