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第百六十二話 記憶/仲間

「……エリーさん、私たちではまだレベルが足りませんか?」


 スズナの声が聞こえて、俺は足を止める。今、二人に声をかけるべきなのか迷う――話の内容によっては、俺に聞かれたくない内容ということもありうる。


 それなら、ここで聞いていることも正しくはない。しかし、そのままその場を離れるわけにはいかなかった。


「六番区に行って、迷宮に潜って、少しずつ強くなって……それで五番区を目指さないと、危険だと思っているんですよね」

「……五番区に戻ることは、私一人でもできる。でも、一人じゃどうにもならなかった……だから仲間を探したの」

「それなら、皆で五番区に行けるようになった今、迷うことなんて……」

「……わかってる。皆が五番区に行くことに賛成してくれてる……このチャンスは、アリヒトがいて、みんながいて、それで手に入ったもの。それは凄く嬉しい……だけど……」


 エリーティアは迷っている――今まではまだ遠いと思っていた、俺たちが全員で五番区に上がるときが、予想以上に早まったからだ。


 通常の手順を踏んで五番区に行くよりも、リスクは大きくなる。俺達が五番区に呼ばれているのは、戦力が少しでも求められる状況――スタンピードを控えているからだ。


「五番区の魔物と、私は一度もまともに戦えてない。旅団には幾つかのパーティがあって、私は三番手のパーティにいたから……『赫灼たる猿候』に襲われたときはレベル8で、五番区に来られるような強さはなかった。兄が団長で、父が立ち上げた組織だったから、置いていてもらえただけ」

「……エリーさんは『赫灼たる猿候』という魔物に襲われたと言っていましたね。その時は、探索に参加していた……それは、どうしてだったんですか?」

「私たち第三パーティがあの迷宮でこなすはずだった役割は、敵の戦力を一箇所に集中させないための陽動……敵の主力じゃない、『猿候』の従えている幹部のうち一体を引きつけることが役目だった。なのに、あの日だけは……情報屋が幹部がいると教えてくれた場所で、『猿候』が奇襲をかけてきた……」


 ――魔物が組織を構成し、『猿候』が首領として率いている。そして『猿候』には、探索者を欺く狡猾さがある。


 エリーティアは『猿候』の奇襲を受け、仲間を奪われた。五番区に行けるという段になって、その時の感情を思い出してしまっても無理はない。


 俺がシロネによって仲間と分断されたときも、一瞬とはいえ諦念を覚えずにはいられなかった。俺が間に合っていなかったら、俺がいない状態で『泥巨人』を仲間たちが倒せなかったら――そんなことは想像すらしたくない。


「『旅団』は『猿候』と戦うことを目的にしていたわけじゃなかった。『猿候』に捕らえられた探索者が持っている、呪いの武器を手に入れようとしていたの。第二パーティがその目的を達して、団長から撤退の命令が出た。けれど『猿候』と戦っていた私たちには、救援が来なかった」


 『同盟』のやり方は、効率のいい狩り場から他の探索者を締め出すというものだった。それも一つの方法であり、全否定はできないが、『白夜旅団』のやり方については根本的に同意できない。


「……救援を出さないことは、元から決まっていたことだったんですか?」


 スズナも聞きたくはないようだった。声を震わせながらも、それでもエリーティアを真っ直ぐに見つめて問いかける。


「……兄も初めは、協力して迷宮を攻略していこうとしてた。でも六番区を抜けるまでに、何かがあって……兄の考え方は、大きく変わってしまった。どんな方法を使っても上の区に行くこと、そのために強くなることを優先するようになった。その方針に賛同できる人だけを集めて、『旅団』は今の形になった」

「だから……目的を達したのなら、仲間が脱落してもいいということですか……?」


 初めは、『旅団』の非情さに動揺しているのだと思った。しかしスズナの声に宿る感情は、それだけではなかった。


「他のパーティがどんな方針でやっていくのかは、自由であるべきだと思います。私が文句を言ったりするのは、筋違いだと分かってます……でも……」

「……『猿候』を相手にするはずだったのは、第一パーティだった。私たちも旅団の一員だから、本当は同じリスクを背負わないといけない。だから、そのときは団長に強く反発する人も、離脱する人も出なかった。数人から出た『猿候』に捕まってしまったルウリィを助けたいという意見も、旅団全体を動かす力にはならなかった」


 エリーティアは諦められなかった。所属している組織が、親友を助けないと決めたとき、どう思ったのか――想像するだけで、怒りと無念さが胸を満たす。


「それほど強い魔物に遭って……ルウリィさん以外が無事でいたのは……」


 『猿候』の奇襲を受けたのなら、隊列は乱れ、パーティは混乱していたはずだ。しかし、捕まったのは一人だけだった。


 その理由を口にしようとしたエリーティアの身体が震える。その震えを止めるために、彼女は強く自分の腕をつかんだ。


「……ルウリィは戦闘向きの職業じゃなかった。でも……パーティが窮地に陥ったときに救うための『士気解放』を持っていたの」


 ――士気解放『救いの手(サルベーション)』。自分の体力を使って敵にダメージを与え、仲間を階層の入り口に転移させる。


「私たちは……気づいたら、『猿候』たちから逃れていて。ルウリィはどこにもいなくて……探しに行こうとした私を、団長が……」


 エリーティアは兄の手で気絶させられ、次に目が覚めたときには『旅団』が宿舎としている屋敷の一室にいたのだと、声を震わせながら言った。


「私がもっと強かったら、ルウリィに『士気解放』なんて使わせなかった……私があいつの足止めをできたら、前衛の役目を果たせたら……私が『緋の帝剣』をもっと上手く使えてたら……ルウリィは……っ」


 エリーティアは涙を流し、後悔を口にする。スズナはエリーティアを抱きしめ、しばらく何も言わずにいた。


 どうしても分からないことがある。しかし、それは考え方の相違なのかもしれない。


 旅団の第一パーティ、第二パーティであれば、ルウリィを助けられる可能性はあったはずだ。それを挑みもせずに切り捨てたのは――『猿候』と自分たちがぶつからずに済んだことを、幸運だったと考えたからなのか。


 だが、どんな事情があっても俺の結論は変わらない。


 八番区まで仲間を探すために降りてきたエリーティアとスズナが出会い、俺たちと合流した。


 エリーティアに何が起きたのか、まだ俺たちは全てを知らない。それでも、彼女の目的はパーティに加わった時から、重んじるべき目標になった。


 俺たちはエリーティアに助けられてきた。だからエリーティアを助ける、それは何があっても変わらない。


「……アリヒトさん」

「っ……」


 俺は街灯の明かりの下に出てきた。二人が俺の姿に気づき、こちらを見た。


「二人が外に出てると聞いて、探しに来たんだ。話も、途中から聞かせてもらった」

「……ごめんなさい。皆が賛成してくれたのに……五番区の魔物の強さを考えたら、まだ……」

「今、五番区に行くのは早い……か。確かに、六番区で強くなって五番区に行く方が、戦いは楽になるんだろうな」

「アリヒトさん……」


 心配も何もせず、肯定的な側面だけ見て五番区に行く。


 強敵との戦いに臨む上で、そうするのも一つの選択だ――しかし、今エリーティアが求めているのはそんな言葉ではないだろう。


「だが、エリーティアもそうだが、俺たちはレベルが高いセラフィナさんと組んで戦ってきた。レベル9の『名前付き』……『葬送者』を倒せたということは、もう少しレベルが高い通常の魔物とも戦えるってことだと、俺は思う」

「……それは……」

「五番区の魔物がどれくらいのレベルかは聞いておきたい。数字を見ただけで動揺するつもりはないけどな」

「迷宮によって、差はあるけど……レベル11くらい。『赫灼たる猿候』のレベルは12だったわ。でも、『猿候』が生存している時間が長くなるほど、過信してはいけないと思う」


 七番区でレベル9の『名前つき』が現れたのは、やはり通常では起こり得ない例外的な事象だった。


 だからこそ――この区で苦戦したからこそ、五番区に行くことは全くの無謀ではなくなる。


「レベル10を飛ばして11の魔物と戦うかもしれない……一体倒すだけでやっとかもしれないが、戦力になれないことはなさそうだ」

「っ……でも……もし一回でも攻撃されたら……」

「大丈夫です、エリーティアさん。みんなで協力すれば、きっと……」

「そうそう、そんなこと今さら心配してどうするんですか」


 ――後ろから声がして、振り返る。すると、さっきまで俺がいた街灯の陰から、いつの間にかついてきていたミサキが出てきた。


「ごめんなさい、後部くん……やっぱり心配になってみんなで来ちゃった」

「ワンッ」

「……エリーティアにレベルは追いついてないけど、足は引っ張らないようにする」

「…………」


 五十嵐さん、シオン、メリッサ、そしてテレジアも一緒に来ている――最後に出てきたのは、マドカとセラフィナさんだった。


「あ、あのっ……私、戦うことはできないですけど、皆さんが五番区に行くのなら、一緒に行きたいです……!」

「私もレベルという意味では、五番区の魔物とようやく渡り合えるというところですが……このパーティであれば、『奨励探索者』の称号に足りる貢献ができると思います」


 エリーティアの瞳が揺れる。しかし涙が溢れる前に、彼女は顔を覆う。


 そして次に顔を上げた時には、俺たちが良く知っている瞳の輝きを取り戻していた。


「……ありがとう。みんなで五番区に行けるのなら、それが一番嬉しい」

「ああ。一緒に行こう、エリーティア」


 右手を差し出すと、エリーティアは俺の手を引いて立ち上がった。スズナも一緒に立ち上がり、少し目を潤ませて俺を見る。


「探しに来てくれてありがとうございます、アリヒトさん、皆さん」

「もー、そういうときは私も連れていってくれないと。エリーさんとスズちゃんと同じ、お兄ちゃん子同盟なんだから」

「ミサキちゃんはそうやって茶化すところがあるから……ううん、よく寝てたから置いていかれちゃったんでしょうね」

「そんなことないですよ、明日に向けて……もう今日ですけど、なかなか寝付けないなと思ってたらぐっすり寝ちゃってました」


 途中まで寝付けなかったというのは本当かもしれないが、やはり彼女のムードメーカーぶりにはいつも助けられている。


「……泣いてる場合じゃない。泣くのは、友達を助けてから」


 メリッサがエリーティアに声をかける。エリーティアは微笑み、そして言った。


「ええ、メリッサの言う通りね……どんな任務を与えられても、全力で戦わないと。そうじゃなきゃ、呼ばれた意味がないものね」

「さて……そうと決まれば、そろそろ戻るか。まだ朝までは時間があるから、できるだけ休んでおかないとな」


 皆が連れ立って宿舎に戻っていく。俺も行こうかと思ったところで、別の方向から公園に入ってきたのは――甲冑姿のシュタイナーさんと、その肩に乗ったセレスさんだった。


「アリヒトよ、加工は一通り終わったのでわしらも寝るところじゃ。お主らが五番区にいるうちにお呼びがかかれば、わしらも五番区に行ける」

『ぜひ呼んで欲しいっていうことだよ。五番区では良い鉱石が手に入るから、装備も強化できるしね』

「ありがとう、二人とも。滞在の許可が降りて、装備について相談したいことができたらぜひ声をかけさせてください」

「コルレオーネにスーツを作ってもらっておるという話じゃったが、完成したら必ず受け取るのじゃぞ。危なければ無理はするな、初回の緊急招集なのじゃから、生き残ることを最優先にすればよい」


 俺は頷きを返す。生き残ることを最優先にする――あとのことは、全てその先にある。


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