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第百五十五話 シロネの視点/孤独

「はぁっ、はぁっ……」


 走り続けて、迷宮の三階層まで辿り着く。時刻が急激に変化して夜になり、私を追ってきていた山椒魚の魔物の気配は途絶えた。


 左右を高い岩壁に挟まれた、峡谷のような地形。ところどころに奇妙な形の岩があって、そのうちの一つに私は近づき、背中を預けてもたれかかる。


「……こんな迷宮の魔物に、いいようにやられて……私だけじゃ、何も……」


 『旅団』に入ってからは、パーティを組むのが当たり前になっていた。


 入団する前の頃に戻っただけ。所属していたパーティが壊滅し、あるときは放逐されて、あるときは騙されて捨て石にされたこともあった。


 迷宮国で生きるということは、そういうこと。仲間を利用し、切り捨ててでも上に行こうとするくらいでなければ、どこかで妥協してわだかまり、安全に探索できる範囲の区に定住することになる。


 上の区を目指さなくても、序列を上げることができなくても、穏やかな生活を送れるような仲間と出会えれば――そんな甘いことを想像していたのは、もうずっと昔の話。


 貢献さえできていれば、旅団には居場所があった。団長は、私の存在を認めてくれていた。


 けれど、今の旅団が目指す場所に行くには、私は必要ない。私は双剣士だった頃にも、双剣型の『色銘の装備』を使うことはできなかった。


 私にはもう何もない。自分でも分かっていた、みっともなく今の居場所に縋っていることも、報われない努力をして、温情に期待をかけていることも。


 団長は決して、一度決めた判断基準を変えることはない。(エリー)の願いさえ聞き入れなかった彼は、血の繋がりもなく、役に立つこともできなかった私に、これ以上価値を見出すことはない。


『ここに残っていても、君に与えられる役割はない』


 団長が私に言い渡した最後通告。私に与えられた最後の機会は、旅団を離れてエリーティアの剣を取り戻すことだった。


 エリーティア以外に、あの剣は使いこなせない。それでも団長は、剣だけでも回収するようにと私に言った。それはエリーティアでなくても、他の誰かが剣を使えるならそれでいいということ。


 エリーティアは『赫灼たる猿候』に囚われたルウリィを助けることを諦めていない。けれど旅団のメンバーは、彼女に力を貸すことを許可されなかった。


 一人になったエリーティアは、私と同じように路頭に迷っているかもしれない。『死の剣』と呼ばれて探索者たちから忌避されていることを噂で聞いた私は、彼女も一人でいるものだとばかり思っていた。


 ――エリーティアのことを七番区で見つけたとき。パーティで行動していると聞いて、私はすぐに自分の感情を受け入れられなかった。


「……私は、旅団に残ろうと頑張ったのに……頑張っても、一人なのに……」


 旅団の副団長は、私のことを気にかけてくれていた。けれど、副団長にとっても団長の決定は絶対だった。


 他の仲間は、双剣型の『色名の装備』がもう一つ見つかる可能性の低さから、私がいずれ旅団から外されることを悟って、最低限の会話しかしなくなった。


 エリーティアは呪いの武器を使ってでもアドバンテージを得ようとする旅団の方針に反発していた。それなのに、団長から与えられた剣を使うことを拒絶できずに――選ばれて。見たこともない職業に変わって、レベル以上の強さを手に入れた。


 あまりにも、理不尽だった。望んでも得られないものがあって、私はそれをエリーティアに持っていかれたのに、彼女は自分から手放して、自分だけが悲劇の中にいるような顔をしている。


「……ずるい……ずるいよ、エリーは……私だって……私は……っ」


 頭の中がぐちゃぐちゃになる。この迷宮にエリーたちの知り合いのパーティが入っていくのを見かけて、その後を追って――『ゴーレム』系の魔物と出会ったときには、私はエリーのパーティを分断する計画を思いついていた。


 あのときは上手く行くと思った。アリヒトに対してしていた『仕込み』も成功して、彼は戻ってこなくて、『フォーシーズンズ』は探索者としてリタイアすることになって――『かわいそうなエリーティア』を拾ったアリヒトは、それできっと責任を感じて折れてしまい、ルウリィの救出を諦めきれないエリーティアはまた一人になる。


 そうしたら、きっと私はエリーティアを連れ帰ることができる。『緋の帝剣』を回収する任務を果たせば、旅団にいられる時間が延長される。


 ――それなのに。


 それなのに、アリヒトは戻ってきてしまった。信じられないスピードで、そうすることが当たり前というかのように、壊滅しかけたパーティを救ってしまった。一人の犠牲者も出すことなく――彼が戦いの中で何をしていたのか、私は半分も理解できていない。


 分かるのは彼が支援系の職業でありながら、パーティの要であり、状況を落ち着いて分析する恐ろしいほどの冷静さと、仲間を鼓舞する勇敢さを合わせ持っていること。


『俺たちは、エリーティアを決して死なせたりしない』


 迷いなくアリヒトは言った。どんなパーティのリーダーも、迷宮の残酷さを知れば『決して死なせない』なんてことは言えなくなってしまうのに。


『それに彼女の目標は、俺たちの目標でもある』


 どうしてそこまで言えるのか。エリーティアの目的は、アリヒトにとっても途方もなく高い壁の向こうにあるもののはずなのに。


 迷宮は、命を賭けて潜るものなのに。他人の目的のために潜るなんてことは、自分に利益がなければ誰もしようとしないはずなのに。


 ギルドセイバーでさえ、目的があってギルドという組織の管理下に属している。彼らは自分たちの任務以外で、一般のパーティに協力することは原則としてありえない――それなのにアリヒトたちには、ギルドセイバーの何人かが個人的に協力していた。


 わからない。まだ彼はルーキーといえるような日数しか、迷宮国で過ごしていないはずなのに。


 エリーティアはアリヒトに全幅の信頼を置いて、彼は不可能を可能に変えて、きっとこれからも止まることなく進み続ける。


 身体から力が抜ける。自分がどこに立っているのかも分からなくなる。


 ――エリーティアが、羨ましくて仕方がなくて。


「……私と何が違うの? どうして私は……」


 自分でも分かってる。私が自分で選んだのだから、自業自得だと。私は自分のために人を陥れるような方法を選んで、法に裁かれる立場になった。


 迷宮を出て、誰にも気づかれないなんてことはできない。私のカルマはあのパーティに魔物をけしかけたことで大きく上がり、どの区にいても手配される立場になってしまっている。


 カルマがゼロになるまで、私はギルドセイバーによって拘束される。レベルは下がり、貢献度も失われて――旅団の一員としてでなければ、五番区に入ることだってできなくなる。


「……全部無くなっちゃった。やだな……もう二度とこうならないようにって……」


 自分でも虚しいことと分かっていても、泣き言を言わずにいられない。アリヒトを挑発したときの自分を思い出して、自己嫌悪が溢れる。


 私がもしアリヒトを連れ帰れていても、私は団長にとって無価値なことに変わりない。


 分かっていたのに、ありもしない未来に縋っていた。他に何ができるわけでもないのに、ギルドセイバーに自分から出頭することもできない。


 ――そのとき、ひらひらと、視界の端を青いものが横切った。


「……蝶……こんな小さな蝶が、魔物……?」


 ◆遭遇した魔物◆

 ?青い蝶A:レベル3 中立 耐性不明 ドロップ:???


 迷宮の魔物は、必ずしも全部が探索者に敵対するわけじゃない。中には中立の魔物もいるし、意志の疎通ができる種もいる。


 この蝶は、ギルドで確認されていない。青い蝶というのは未識別の名前で、未だに正体が掴めていないか、誰かが討伐して素材を持ち帰っていないことを示している。


 この場に来たのがレベルが低い頃だったら、関心を持ったかもしれない。けれど今の私にとっても、旅団にとっても、レベル3の魔物がもたらす利益はほとんど無い――『名前つき』でもなければ。


「……ばかみたい」


 まだ旅団のことを考えている。団長にはっきり出ていけと言われるまでは、旅団の一員でいられていると思っている。そんな自分が嫌になる。


 私はこのまま迷宮の奥に進んで、生き延びられたとしても旅団には帰れない。エリーティアを連れ戻すこともせず、武器を失って、旅団から外れなければ迷惑をかけるほどにカルマを上げてしまった。


『――彼女は武器に選ばれなかった。その時点で、残念だがこの区に置いていくしかなくなったのさ』


「っ……団長……!?」


 どこからか、声が聞こえる。ここにいるはずのない、団長の声――穏やかなのに氷のように冷たくて、聞くだけで意識を強く惹きつけられる。


 ここに団長がいるはずはない。これは何かの幻――でも、聞こえてくる声は団長の声そのもので、私の心をかき乱す。


『シロネのありかたを忠実とは言わない。一度捨てられた経験が、僕に対する執着を生んでいるだけだ。僕はシロネにとって特別ではないし、彼女も同じだろう』


「そんなこと……っ、私は、旅団のために……っ!」


 ――冷静になることなんてなれなかった。幻か、それとも魔物の攻撃だと分かっているのに、私はその声を無視することができなかった。


 それは『本当に団長が思っているかもしれないこと』だと、私自身がずっと恐れてきたことそのものだった。


『職業まで変えて旅団のために尽くそうとした彼女を、切り捨てるのですか』


 今度は別の声が聞こえてくる。私より後に旅団に入って、今は旅団にとっても、団長にとっても不可欠の存在となった女性――副団長のアニエス。


『呪いの武器を使うことができなくても、探索者としては十分に――』

『活躍できるとしても、それは常人の範囲内だ。あの化け物たちに割って入るためには、必ずパーティの八人から外れないだけの力が必要だ。シロネがその力を手にする可能性は、現状では限りなく低くなった』


「……やめて」


 蝶が増えている。一匹だけだった蝶が、今は二匹になって――その数が何を意味するのかに気づいた私は、何も考えられなくなった。


 ◆現在の状況◆

 ・『?青い蝶A』が『ギルティフィール』を発動 →対象:『シロネ』


『メンバーは入れ替わることが前提だ。シロネだって、ずっとここに居られるなんて思っていたわけじゃ――』


「っ……!!」


 ◆現在の状況◆

 ・『シロネ』が『妖斬符』を発動 →『?青い蝶』2体に命中

 ・『?青い蝶』を2体討伐

 ・『シロネ』が中立の魔物に対して攻撃 →『シロネ』のカルマが上昇


 外套の内側に貼った呪符の一つを、引き抜きざまに発動させる――発生した魔力の刃は、ひらひらと舞う蝶を逃さずに切り裂いた。


 団長がそう思っているのだとしても、私は聞きたくなんてなかった。一番聞きたくない言葉だった。


 それをこの蝶が聞かせているのは間違いなかった。『ギルティフィール』という技能は、私が一番聞きたくない言葉を、言ってほしくない人の声で聞かせる。


 ――まるで、自分に対する攻撃を誘っているかのように。


「……私をそんなに責めたいの? 何も知らないくせに、私が悪いって言うの!?」


 感情が抑えられなくなる。倒したはずの蝶が次から次へと飛んできて、瞬く間に視界を埋め尽くすような数まで増える。


 響いてくる声が頭の中で混ざり合う。団長の声、副団長の声――私のことを気にかけてくれていた副団長も、団長に対立するような意見を出したりはしない。それは末端の私を切り捨てても仕方がないと思っているから。


 そんなことはないと分かっている。アニエスさんは本気で私のことを心配してくれてた――そうだった、はずなのに。


『……団長の決定であれば、私は団員に理解を得られるよう努めます』


 きっとそう言って、私のことなんてすぐに忘れてしまう。ルウリィの時だって、アニエス副団長は第二隊を救出に向かわせるなんて一度も言わなかった。


「……一番ばかなのは、私だ」


 ルウリィを助けようとするエリーティアのことを否定すれば、団長の側にいられると思った。必死で頑張ってるあの子を笑った。


 アリヒトと出会うことができたエリーティアは、私のことをこう思っていたと思う。


 ――自分の哀れさに気づかないふりをする私を、可哀想だと。


『気がついていなかったのは君だけだよ、シロネ。君はこれからも、誰からも……』


「……あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ◆現在の状況◆

 ・『シロネ』が『殲光符』を発動 →『青い蝶』16体に命中

 ・『シロネ』が中立の魔物に対して攻撃 →『シロネ』のカルマが上昇

 ・『?青い蝶』が群体形成

 ・『☆憐憫の幻翅蝶』が1体出現


 いつの間にか、濃い霧に飲まれていた。目の前の蝶しか見えていなかった私は、霧が音もなく近づいていたことに気がつかなかった。


 ――そして空を見上げた私は、翼を揺らめかせて浮かぶ巨大な蝶の姿を見た。


 ◆現在の状況◆

 ・『☆憐憫の幻翅蝶』が『贖罪の痛覚』を発動 →対象:『シロネ』

 ・『シロネ』がカルマに応じたダメージ 『シロネ』のカルマが減少


「あぁぁっ……ぁ……うぁぁぁっ……!!」


 全身に激痛が走る。意識を保っていられないほどの痛みに、私は地面に転がって苦しみ喘ぐ。


 一気に持っていかれた――私が『青い蝶』を倒してカルマを上昇させていた分だけ、大きな反動を受けた。分かっていても、どうすることもできない。


 ◆現在の状況◆

 ・『☆憐憫の幻翅蝶』が『無辜の静謐』を発動 →地形効果:徐々にカルマが低下

 ・『☆憐憫の幻翅蝶』が『幽閉の繭』を発動 →対象:『シロネ』


 あの巨大な蝶のカルマも上がっている――けれど、それを自ら下げようとしている。その振る舞いは自分が秩序を作っているかのようだった。


 探索者の中で、一時期噂になったことがあった。


 罪を犯した探索者の前に姿を現す魔物がいる。その魔物に襲われた探索者は、迷宮からは未帰還となる。


 人間の代わりに、魔物が罪を裁く――そんなことがあるわけがないと、旅団のメンバーも否定していた。


 カルマが上がるほど多くの体力を奪い取る技。そして動けなくなった私に吐きかけられた白い糸が、身体の自由を奪っていく。


 これが私に与えられた罰なら、受け入れなければならない。


 団長のことも、副団長のことも、私は信じることができなかった。


 青い蝶がまやかしを見せただけだと分かっていたのに、感情に任せて呪符を使った。それさえしなければ、こんな痛みを味わうことはなかったはずだった。


(……これで、終わりだ。私は、終わったんだ……)


 糸に絡め取られて、何も見えなくなる。辺りを覆い尽くした霧が薄れていく――私は、どこかに連れていかれようとしている。


 最後に私の脳裏を過ぎたものは、アリヒトの姿だった。


 車輪に乗って助けに現れた彼の姿を、彼の仲間たちはきっと眩しいと思っただろう。


 私には、とても遠いものだった。


 長い間、私が憧れてやまなかったものがそこにあった。


 ◆現 の状 ◆

 ・『幽閉の 』が時 経 により特殊 果を発現 →『シロ 』が隔 空間に転

 ・『☆憐 の幻翅 』が『群 形成』を解除


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i666494/
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― 新着の感想 ―
[良い点] 中立エネミー?が精神攻撃してきたのに 反撃したらカルマ増加という、不条理システム。
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