第百五十話 罠
二層への入り口は、巨大な岩が目印になっていた。巨岩を組み合わせて造られた、原始的な社のような人工物――その中をくぐると、周囲の光景が一変する。
迷宮の入り口からここまで二時間ほどが経っただろうか――ほとんど、他の探索者を見ることはなかった。魔物の出現する数が少なく、スタンピードも起きにくいため、普段はほとんど放置されているような迷宮なのだろう。
――しかし、二層に入った途端に、俺達は異変に気づく。
「これ……泥の塊に、腕がついてるのかしら」
「……顔があるように見える。泥人形の魔物に、水をかけて……柔らかくして、叩いて倒してる」
五十嵐さんとメリッサが、倒されたままで放置された魔物を調べる――テレジアは何も反応していないので、『罠探知1』で探知できない罠ということでなければ危険はない。
ところどころに大きな水たまりがあるという地形に変化はない。変化があるのは、不自然なまでに切り立った壁のようなものがあり、視界を遮られているということだった。
こういった地形は『落陽の浜辺』で見ているので、それほど驚きはしない。それよりも気になるのは、倒された魔物たちが、いずれも『運び屋』の手で回収されていないことだ。
「水を使う技能……リョーコたちが、ここで数時間前に戦っていた……」
「……これは……」
泥人形の額の部分に、何かが嵌まっていたような痕跡がある。
少し進んだ先にも倒された泥人形が見つかる――その額にもまた、魔石ほどの大きさの何かが入りそうな穴が開いている。
(魔石だけを回収して進んだ……そういうことなのか……)
間隔こそ空いているが、発見した泥人形を順番に倒している。このことが意味するものは何なのか――そして、全ての個体が魔石を持っている魔物が存在するのか。
集めているものは何なのか。何のために集めたのか――ただ偶然に回収しただけなのか。
「……アリヒト……ッ、何か聞こえて……」
――みんなを離して……っ、返してくださいっ……!
「アンナちゃん……っ!?」
「っ……!」
五十嵐さんが声を上げる――テレジアが走り出し、全員が後に続く。
もはや、考えている猶予がない。一秒でも早く辿り着かなければ――声は、目の前にそびえ立つ岩壁の、向こう側から一帯に反響してきているように聞こえた。
走る中でも、俺達は何体もの泥人形を見た――レベル5か6の魔物だとは思うが、『フォーシーズンズ』が協力して倒したと見られるものの中に、異質な倒され方をしたものが混じっていた。
刃物でずたずたにされた残骸。『フォーシーズンズ』が丁度倒せるほどの打撃しか与えていないとしたら、その残骸は明らかに、圧倒的な威力の攻撃を受けたように見えた。
俺たちが見てきた七番区の探索者とは、比較にならない攻撃力――それを持っている人物で考えられるのは、一人しかいない。
――次に会う時までに、考えておいてね。
――心変わりしたら、いつでも私に会いに来て。
(シロネ……だとしたらなぜ『フォーシーズンズ』に関わろうとした……?)
「――アンナッ!」
視界を塞いでいた壁の向こうに、全速で回り込む。
そこにいたのは――壁際に追い詰められながら、ラケットを両手で握っているアンナと。
見上げるほどに巨大な泥人形が、拳を振り上げる姿がそこにあった。
「アンナ、逃げなさいっ!」
エリーティアが『ソニックレイド』を使って加速する――そして、問答無用で大技を繰り出そうとする。
「――だめっ……攻撃してはだめですっ、みんながっ……!」
「っ……!!」
アンナの悲痛な叫び声で、俺はようやく気づいた。
◆遭遇した魔物◆
・★三面の呪われし泥巨人 レベル9 水吸収 雷吸収 戦闘中 ドロップ:???
◆現在の状況◆
・『★三面の呪われし泥巨人』が『カエデ』『イブキ』『リョーコ』を『拘束』
・『エリーティア』が『ライジングザッパー』の発動を中止
・『アリヒト』が『支援防御1』を発動 →対象:『エリーティア』
・『★三面の呪われし泥巨人』の攻撃 →『エリーティア』に命中
「……オォォォォ……!!」
「くっ……!!」
――アンナの「返して」という言葉の意味に気づいたとき、俺たちが考えられたことは、拘束された三人を攻撃しないというだけだった。エリーティアが巨人の拳を受ける――しかし彼女は空中で宙返りをして着地し、すぐに剣を構える。
「……こんな性質の悪い魔物がいるなんて……っ」
今まで見てきた泥人形に近いもので組成された、泥の巨人。その胸の部分に、カエデと、イブキと、リョーコさんが埋め込まれている――身体の形に泥が盛り上がっているが、顔の部分しか外に出ていない。
「うっ……あぁ……」
「……アンナ……みんな、逃げて……っ」
「……カエデ、イブキ……あなたたちも……必ず、助けて……っ」
怒りが衝き上げる――叫ばずにはいられない、だが激昂して叫んでも、三人を助けることはできない。
(――三人を傷つけずに打撃を与えれば……奴の弱点はどこだ……!)
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『鷹の眼』を発動 →『★三面の呪われし泥巨人』の弱点を看破
泥巨人の頭部――明確な頭はないが、盛り上がっている部分がある――そこに、三つの色と表情の違う奇妙な仮面が埋め込まれている。
水色と黄色の仮面が発光していて――赤色の仮面だけが、光っていない。
俺はライセンスに目を滑らせ、その色が意味するものを推察した。
(水色は水属性、黄色は雷属性――どちらも無効と表示されている。つまり、発光している面の属性は吸収される……今の状態では炎属性だけが通り、それが弱点になる……!)
「テレジア、あの赤い仮面を……っ!」
赤い仮面を、炎属性の『アズールスラッシュ』で攻撃する。正確に狙うために『支援統制1』を発動する――そして、『支援攻撃』の1か2を重ねる。
それが成功したあと、敵の反応を見て追撃するか、防御するかを決める。
そこまでの指示を出そうとして、俺は――最後まで言葉にすることができなかった。
「――ここまで来てくれて、お疲れ様。でもね、ここで退場だよ」
「シロネッ……!!」
どこに潜んでいたのか――この時を、待っていたのか。
いや、違う。もっと、ずっと前に、シロネの企みは始まっていた。
◆現在の状況◆
・『シロネ』が『アリヒト』に接触し『マジックマーキング』の条件を成立
・『シロネ』の巻物効果が『アリヒト』に限定
・『シロネ』が『帰還の巻物』を使用 →『アリヒト』が転移
アンナが、パーティの皆が、俺を振り返り――そして、目を見開く。
抗いようもなく、眼前の世界が遠のく。そして一瞬の後に、俺は二時間ほど前に見た、『原色の台地』の入り口の風景をもう一度見ていた。
ライセンスを確認する。そこに記された内容は、シロネが技能を使い、俺だけをパーティから切り離して転移させたことを示していた。
走り出す――少しでも考えている時間が惜しい。
七番区では例外的な強さを持っていたレベル9の『名前つき』――『無慈悲なる葬送者』。それと同じレベルを持つ『名前つき』が現れるなら、この迷宮はもっと危険なものだと見なされていたはずだ。
おそらくシロネはこの迷宮にいる『名前つき』の情報を持っていた。それは『白夜旅団』の一員として攻略したときに得たものか、それ以外かは分からない。
俺と『フォーシーズンズ』に関係があると知ったシロネは、彼女たちを『名前つき』の元に導いた。あるいは、出現条件を満たすために協力もしたかもしれない。見ているだけではなかったことは、四人とは異質の力で破壊された泥人形が示している。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『八艘飛び』を発動
少しでも速く進む方法を選択し、高低差も関係なく連続で跳躍する。魔力が尽きかければ、もう一本のマナポーションを使う――しかし。
喉を通そうとした液体を身体が拒絶する。俺は姿勢を制御できなくなり、赤茶けた地面に投げ出され、坂を転げ落ちる。
「っ……がはっ……」
◆現在の状況◆
・『★修道士のアンク』の効果が発動 →体力を魔力に変換
(もう……そこまで消耗しているのか。少しでも速く戻らなきゃならないのに……)
再び走り始める。しかし、脚が一度目に走り抜けた時よりも鉛のように重い。
振り切ることができたはずの『マッドクロウラー』たちが道を阻む。『八艘飛び』が使えなければ、飛び越えて無視することもできない。
「「「――ピギィィィッ!!」」」
鳴き声が他の個体を呼ぶ。気がつけば俺は、緩慢に、しかし確実に、周囲を魔物に囲まれていた。
なぜこうなったのか。答えは一つだ――シロネに悪意があると感じていながら、彼女が俺に触れたときに何が起きたのかを調べなかったこと。おそらくはそれが、『マジックマーキング』という技能の発動条件だった。
そして、もう一つは。『フォーシーズンズ』と共闘し、また上の区で会おうと言ったこと。
その気持ちに嘘がなくても、彼女たちを急がせるようなことを口にするべきではなかった。
――だが、それよりも。今はただ、こんなふうに泥まみれになって立ち止まっている自分が、どうしようもなく。
「終わらせられるか……こんなところで……!」
『後衛』の俺が、周囲を囲まれて突破できる方法があるとしたら――『ムラクモ』の力を借りるしかない。
魔力が尽きているなら、体力を魔力に変えられる。魔力が枯渇した今、技能を使うごとに命を削るとしても、俺は――。
『契約者よ。貴方が仲間を守ろうとするなら、私はその願いを叶える』
「……アリアドネ……俺を、みんなのもとに転移させられるか……?」
『それはできない。しかし、連れて行くことはできる』
この荒野を駆け抜け、あの泥巨人と戦っている仲間のもとに戻る。それを可能にする方法を、アリアドネは与えてくれるという。
「……頼む……力を貸してくれ。アリアドネ……!」
『揺るぎなき後衛よ。その信仰に応え、貴方を導く――光の道を走る、銀の車輪で』
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『アリアドネ』に支援要請
・『アリアドネ』が『銀の車輪』を召喚
『――我が秘神の名の元に、契約者を導く。我はアルフェッカ……銀の車輪の化身なり』
「アリアンロッド……銀の車輪……」
銀色の車輪が、俺の左右で実体化する。その間に構築された車座に、俺は座らされる――実体化したアルフェッカが、俺を引き上げたのだ。
『マスターは座っていればよい。瞬きの間に辿り着く』
アリアドネもムラクモも、何も言わない――だが、アルフェッカと共に俺の言葉を待っていてくれる。
「――全速で走ってくれ、アルフェッカ!」
『――御意に』
◆現在の状況◆
・『アリアドネ』が『アリヒト』の信仰値を魔力に変換
・『アルフェッカ』が『エンドレスループ』を発動 →『アルフェッカ』の魔力消費が停止
・『アルフェッカ』が『ローズスパイク』を発動 →攻撃時に体力、魔力吸収 搭乗者に分配
・『アルフェッカ』が『フローティング』を発動 障害物無視 高低差無視
這うようにして迫ってきたマッドクロウラーたちが、一斉に飛びかかってくる――しかし動き始めた車輪は、彼らを寄せ付けることはなかった。
(っ……車輪が浮き上がって……空中を、走ってる……!)
「――ピギィィッッ!」
◆現在の状況◆
・『アルフェッカ』の攻撃 →『マッドクロウラー』3体に命中 ノックバック大
・『ローズスパイク』の効果が発動 →『アリヒト』の体力、魔力が回復
魔物たちが『ローズスパイク』で強化された車輪に弾き飛ばされる――今まで見たこともないほどの距離を吹き飛ばした瞬間、俺は身体に力がみなぎってくるように感じた。
マナポーションを連用していたことで受けつけなくなっていた身体に、魔力が満ちていく。俺の隣で車輪を駆っている霊体が、こちらを見やる――表情はほとんど透けていて見えないが、俺の状態を確認し、微笑んだように見えた。
『搭乗者を癒やすことも我が務め。万全の状態で送り届けよう』
「ああ……頼む。本当に助かる……!」
浮き上がったアルフェッカは、空中を滑るようにして高低差に沿って走っていく。『ソニックレイド』の瞬間速度には劣るが、高速を維持して進み続ける――一度目に移動したときよりも遥かに速く。
◆◇◆
泥巨人が拳を振り上げ、叩きおろしてくる――リーチが長く、範囲も広い。
それだけなら回避に徹すればいい。けれど距離を取ることも、逃げることもできないことには明確な理由があった。
「ガルッ……グルルッ……」
勇敢に攻め込んでくれたシオンが、泥巨人の浴びせてきた泥で身体の自由を奪われて動けなくなっている――セラフィナはシオンを庇うために立ち回ってくれていた。
「――狙うなら、私にしなさい……っ!」
◆現在の状況◆
・『★三面の呪われし泥巨人』が『マッドフィスト』を発動 →『エリーティア』が回避
・『★三面の呪われし泥巨人』が『泥の檻』を発動 →『カエデ』『イブキ』『リョーコ』の『拘束』を強化 体力吸収 魔力吸収
泥巨人は地面に拳を激突させたあと、飛び散った泥で、三人をさらに深く取り込もうとする。その度に捕らえられた三人は力を吸われてしまう。
「――卑怯者っ……三人を離せっ……!」
◆現在の状況◆
・『エリーティア』が『ブレードロール』を発動 →『★三面の呪われし泥巨人』に命中
・『★三面の呪われし泥巨人』が『装甲破棄』を発動 →『★三面の呪われし泥巨人』が破損した装甲を破棄 耐久力回復
(表面だけ削っても、また泥を塗られて装甲を回復される……弱点を突かないと壊せないの……!?)
アリヒトが言おうとしていたこと――きっと、泥巨人の弱点は頭の盛り上がった部分についている三つの仮面。けれど『ブロッサムブレード』で狙えば、胸の部分に取り込まれている三人を巻き込んでしまう可能性がある。
私の攻撃は精密に一箇所を狙うものじゃない。どの場所をどんなふうに攻撃しても有効な打撃を与えるようにアリヒトが支援してくれたとき、最も威力を発揮する。
けれどアリヒトがいない今は、私たちで乗り切らないといけない。一度姿を現したあと、シロネはずっと私達を見ている――生き残らなければ、彼女がしたことを償ってもらうことはできない。
「ほら、エリー、また来るよ! 使えないのなら、私がその剣を使ってあげようか!?」
「……シロネ……あなたは……っ!」
私が呪われた剣を手放せないと知りながら、そんな挑発をしている。
(……それとも……私がここで死ねば、この剣が帰ってくると思ってるの……?)
◆現在の状況◆
・『★三面の呪われし泥巨人』が『マッドフィスト』を発動 →『エリーティア』が回避
・『★三面の呪われし泥巨人』が『ぬかるむ泥縄』を発動 →『エリーティア』の速度低下
「っ……しまった……!」
「――はぁぁぁっ!」
◆現在の状況◆
・『★三面の呪われし泥巨人』が『マッドフィスト』を発動
・『セラフィナ』が『シールドパリィ』を発動 →『マッドフィスト』を無効化 『★三面の呪われし泥巨人』が一時行動停止
・『★三面の呪われし泥巨人』が『泥の雨』を発動 →『セラフィナ』に泥が付着
「くっ……!」
「――セラフィナッ!」
「駄目です、その泥は……泥をつけられたら、あの巨人に取り込まれて……っ!」
◆現在の状況◆
・『★三面の呪われし泥巨人』が『泥の誘い』を発動
・『テレジア』が『アクセルダッシュ』を発動
・『テレジア』が『ダブルスロー』を発動 スモールダークを2本投擲
・『★三面の呪われし泥巨人』に二段命中 ノーダメージ
・『メリッサ』が『兜割り』を発動 →『★三面の呪われし泥巨人』に命中 ノーダメージ
・『キョウカ』が『ダブルアタック』を発動 →『★三面の呪われし泥巨人』に命中 ノーダメージ
このままではセラフィナが拘束される――それを阻止するために三人で攻撃する。けれど攻撃は全て有効打を与えられない。
「っ……!!」
「……止められない……っ」
「やっぱりあの仮面を……でも、どうすれば攻撃が通じるの……!?」
あの光っている仮面が敵の属性耐性を示しているなら、光が消えている赤の仮面――おそらく炎が弱点。セレスがいてくれたら、『ファイアテキスト』で攻撃できた。でも、それは無いものねだりでしかない。
探索者は、できるだけ多くの属性を持っている方がいい。けれど、テレジアは炎属性の攻撃を持っている――準備はできていても、敵も弱点を簡単に突かせてはくれない。
「……!!」
「――テレジアッ!」
◆現在の状況◆
・『★三面の呪われし泥巨人』が『泥の雨』を発動 →『テレジア』に泥が付着
・『テレジア』が『アズールスラッシュ』を発動 →『★三面の呪われし泥巨人』に命中 ノーダメージ
・『★三面の呪われし泥巨人』が『泥の誘い』を発動 →『テレジア』が拘束
「っ……!!」
泥巨人が標的をセラフィナからテレジアに変える。巨大な手で掴まれたテレジアは、逃れることができずにもがいている。
三人を助け出すどころか、さらに仲間を捕らえられた。初めは呼吸をすることができても、『泥の檻』を重ねて使えば、完全に泥巨人の中に埋まってしまう。
そうすれば――死なせてしまう。また、私の目の前で、何もできないままで。
「……血を……浴びれば……」
「――エリーティアさんっ、駄目っ!」
私は剣の刃を見つめる。血を浴びれば、あの忌まわしい技能が発動して――私は我を忘れて。
泥巨人を倒すことができれば、それでいい。攻撃が通じなくても、『死の剣』に倒せないものはないはずだから。
「……ごめんなさい……私が、弱かったから……」
「――うぉぉぉぉぉぉっ!!」
指先を刃に押し付けようとしたとき――私は。
ずっと待っていた声。必ず来てくれると信じていた彼の声を、確かに聞いた。
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