第百三十九話 幻想島
迷宮国に来てから初めての休日。メリッサはいつも通りに早起きをして朝食を作っていたので、俺も手伝わせてもらった。
『フォーシーズンズ』の面々は朝食が出てきたことにまず驚き、恐縮していたが、ひとまず俺が手伝っても味に問題はなかったようで安心した。『調理1』の技能を持っている人が料理の指示を出すと、アシスタントがいても出来上がりの効果に差がなくなるとのことだ――しかし他の皆が起きてくると、俺は週に一回しか食事当番が回ってこないのでじっとしていろと言われてしまった。そう言われても何もしないと落ち着かない。
朝食後、一休みしてから『フォーシーズンズ』はいったん宿舎に帰り、昼前に『緑の館』で集合することになった。
◆◇◆
集合場所である『緑の館』のロビーにいるときだった――セラフィナさんとアデリーヌさんが後から建物に入ってきて、こちらにやってくる。
「おはようございます、アトベ殿……申し訳ありません、休暇中にお声掛けしてしまって」
「先輩、本当に三等竜尉のおっしゃる通りでしたね。それじゃ、私はここで……」
「さっきまでは、置いていかれてもついていくと言っていなかったか? 急に照れても仕方があるまい」
「はっ……恐れ多きお言葉。アデリーヌ二等兵、セラフィナ中尉の命により、バカンスにご同行させていただきます!」
「俺からもお声がけしようと思っていたので、ここでお会いできてよかったです」
「あの、セラフィナさんたちは私たちが保養所に行くことを知ってらっしゃったんですか?」
「はい、クーゼルカ三等竜尉から通達がありました。私たちも任務が他にない場合は、参加の許可をくださるとのことで……」
厳格そうな人物に見えたクーゼルカさんが、セラフィナさんたちに休暇の指示を出した――なかなか想像しづらいが、俺も第一印象だけで決めつけてはいけない。
「お待たせしました、皆さん……あら、セラフィナさんたちも合流されたのですね。ますます賑やかになりそうですね」
「ルイーザ殿、一つお伺いしたいのですが……今から利用する保養所は、どのような場所なのですか?」
「『幻想の小島』という、小さな島型の迷宮になります。風光明媚な場所ですので、砂浜で遊ぶ以外にも、散策などをお楽しみになることができますよ」
「先輩、水着なら私が持ってきてますから。水中訓練に使う服でいいですよね?」
「う、うむ……用意しているのなら問題はないのだが。失礼しました、当方には問題ありません」
「もし何か足りないものがあったら遠慮なく言ってくださいね。今日はよろしくお願いします」
五十嵐さんがセラフィナさんに挨拶をして、みんなもそれに続く。シオンは俺たちのやり取りが終わるまで、伏せの姿勢でリラックスして待っていた。
◆◇◆
『緑の館』の近くにある転移所から、俺たちは『幻想の小島』に転移した。小さな建物の中に転移扉が設置されていて、扉を操作することで行き先を変えることができる――ルイーザさんが操作してくれて、扉を開けた後に真っ暗な中をしばらく進むと、また扉が見つかる。
それを開けた向こうには、柔らかな陽射しの降り注ぐ砂浜が広がっていた。
ギルドが管理する保養所の一つ、『幻想の小島』。これは危険度が低く、『安全指定』がなされている迷宮であって、生息している魔物は島の何箇所かで調教され、飼育されている。そのため、増えすぎてスタンピードが起こることもないとのことだった。
宿泊施設は職人が建築した、水上ホテルだ――こんな海外リゾートのような場所に自分が来ることになるとは、転生前は想像もしなかった。
「ふぇ~……すっごーい、としか言葉が出て来ないですよ?」
「本当にね……保養所っていうから、静かな別荘地みたいなところを勝手に想像していたんだけど……」
ミサキはもっとはしゃぐかと思ったが、圧倒されてしまって驚くことしかできないようだった。五十嵐さんも見るからに嬉しそうだ――というより、喜んでいないメンバーは一人もいない。
「い、いいんでしょうか……こんな素敵なところを貸し切りみたいにして……」
「一度に利用できる人数が限られておりますから。宿泊施設は四人部屋が二つ、三人部屋が四つで、二人部屋も二棟ございます。向こうにあるのは管理人さんの家ですね。島の環境を維持するために、ギルド職員が六名滞在しています」
「ルイーザさん、ガイドさんみたいやなぁ。なんや、本当に旅行に来た気分やわ」
「一泊でもあたしには立派な旅行だよ……早く砂浜を走りたい……この白くてサラッサラの砂を走ったら気持ちいいだろうなー」
「ビーチバレーのコートが設置してありますが……ここに来た人たちの間では、人気なのでしょうか」
「ゆっくりするだけだと身体がなまっちゃうものね。適度に運動するのはいいと思うわ」
リョーコさんは陽気が暖かいからか、すでにボアコートを脱いでいる。見てはいけないと思うが、食い込みを直す仕草が視界に入ってしまい、思わず青い空と海に視線を逃した。
「男の人ってしょうがないわね……なんて、後部くんにそういうこと言うのは厳しいかしらね」
「そうですね、アトベ殿は質実剛健を絵に描かれたような方で、世俗の感情からは離れておられますし」
五十嵐さんとセラフィナさんが意気投合している――俺は聖人になるしか、この先生き残る方法は無いのではないかと思う。
「アリヒト、そのままスーツで着ちゃったわね……ある意味安心するけど」
「着替えは持ってきたけどな。水着が手に入らなかったのはちょっと残念だが、泳がなければ問題ないし……それにしてもみんな、全員分水着を揃えてるとはな」
出発する段になって分かったことだが、マドカが足りない分の水着を手配し、全員の分を揃えてくれていた。どんなものかは見ていないが、これから見ることになったりならなかったりするのだろう。
「アトベ様、お部屋割りはいかがなさいますか?」
「俺は二人部屋を一人で使わせてもらえるとありがたいです。みんなは自由な部屋割りで……」
「…………」
「……テレジアがどうして二人部屋なのに一人なのか、って言いたそう」
メリッサの翻訳が俺の胸に突き刺さる。確かに二人部屋に二人で寝ても、特に問題はないはずである――何も起こらなければ。
「……っ」
そのとき、テレジアが急に首を振った――蜥蜴のフードの耳の部分が、ぶんぶんと振られる。そして見る間に真っ赤になり、走っていってしまった。
「……ごめんなさい、今のは私がよくなかった」
「あ、ああいや……テレジア、あまり遠くに行かないようにな!」
すると砂浜を走っていったテレジアが、水際で足を止める――どうやら、塩水は苦手なようだ。
「後部くん、テレジアさんの部屋は私たちで相談して決めるわね。着替えたらビーチに集合でいい?」
「は、はい。すみません五十嵐さん、テレジアのことを頼みます」
五十嵐さん、ルイーザさん、リョーコさん、セラフィナさんと大人が多いので、俺が何か言わなくても自分たちで仕切ってくれている。
俺も一旦、自分の使う部屋に行って荷物を置いてくることにした。一応武器も持ってきてはいるが、使うような事態にはならなさそうだ――ここも迷宮と言われると、念には念をと思いもするのだが。
◆◇◆
水上ホテルに行ったところでベッドメイキングをしている職員の人に会い、水着のレンタルなどがないか聞いてみると、『フロッグマンズパンツ』というハーフパンツタイプの水着を購入することができた。買い上げで金貨五枚ということで、水着販売もこの小島におけるギルドの収益になっているらしい。
しかし、水着の上に結局シャツとズボンを着る――女性陣の前に上半身裸で出ていくのは、デリカシーに欠ける気がしたからだ。
ビーチに隣接した場所に椰子の木のような林があり、その日陰に置かれた木製のサンベッドの上で休んでいる人もいれば、ビーチバレーに勤しむ人もいる。
「行くわよ……それっ!」
エリーティアとメリッサという運動神経に優れた二人を相手に、俺とリョーコさんのチームでミニゲームをしている。エリーティアのサーブを、俺は飛び込みつつ拾う――スーツでもそこまで動きに支障はない。
「リョーコさんっ……!」
「ナイストスです、アトベさんっ!」
リョーコさんは砂地でも軽やかなフットワークで、俺のトスからスパイクを繰り出す。それを敵方の後衛にいるメリッサが、回転しながらレシーブした――まさに猫のような動きで、観戦している面々が歓声を上げる。
「いっちゃってください、エリーさん! お兄ちゃんとリョーコさんの間を引き裂くように!」
「な、何を言ってるのよ……っ、あっ……!?」
ミサキの声援でエリーティアの足がもつれるが、さすがといったところか、倒れずにトスを返してくる。そこにリョーコさんがブロックに飛んだ。
「――リョーコさん、『支援します!』」
手が届かないかに見えたのだが、バチッと『支援防御1』の壁が発生して、ボールが向こうに戻る。
「ナイスブロックです!」
「は、はいっ……こちらこそナイスです、アトベさん!」
「すごい……バレーでまで兄さんの応援が効いてる……あれってどうなってるんやろ?」
「先生と一緒のチームだとそれだけで強くなるんだよね、きっと」
さすがにルール上どうかと思うが、迷宮国のビーチバレーは危険でなければ技能を使ってもいいらしい。敵の攻撃が『支援防御1』の対象になるなら、まず負けることはない――しかしメリッサの堅守は簡単には破れない。
「それだけじゃ甘い……っ」
「――勝負よ、アリヒト……!」
メリッサのトスからのエリーティアの速攻――まさに電光石火の攻撃。しかし『鷹の眼』を発動させた俺には、二人の攻撃とその軌道は把握できていた。
「――リョーコさん!」
「はいっ……!」
そして『支援連携1』――俺のトスを起点にして、リョーコさんに二段目を連携させることで、反撃パターンが構築される。
「っ……!?」
エリーティアの横を抜け、メリッサも反応できない位置にボールが落ちる。リョーコさんは勢い余って、着地後に尻もちを着いた。
「きゃっ……」
「大丈夫ですか、リョーコさん……ふ、二人とも、どうした……?」
メリッサはともかく、エリーティアが頬を膨らませている――これは怒っているということだろうか。
「……ま、まあ、勝負だから仕方ないけど。アリヒト、後で私とも組んでくれるわよね?」
「……私も組んでみたい。いいようにされて、少し悔しい」
「い、いや……俺もそろそろ、技能を使わないようにしようと思ってたんだが」
「私も『ソニックレイド』を使ってるから、別にいいと思うわ。魔力を使いすぎるのもどうかと思うけど、一晩で回復するくらいならね」
「まーまー、二人とも。うちらもそろそろ入っていい? 兄さん、ちょっと疲れてきてはるし」
「それもそうね……じゃあ、あなたたちが向こうのコートに入って」
エリーティアはすっかり火がついてしまったようだ――彼女はスポーツ全般が好きなのだろう。
「エリーティアさん、水着ずれへんように気をつけてな、かなり激しく動いてるから」
「え、ええ……ありがとう、気をつけるわ」
エリーティアは赤と白と青、ストライプのビキニを身に着けている――その上から薄手の服を羽織っているのは、露出が多いからだろう。確かに激しく動いていたので腰紐が緩んでいて、メリッサが気づいて結び直す。
「……私もメリッサみたいな水着にしておけば良かったわね、防御力……しっかりカバーしてくれるし」
「そうでもない。水着はどれも同じ……私は日焼けしやすいから」
メリッサはハーフスーツタイプの水着を着ていて、上にシャツを羽織っている。猫は泳ぎが好きではないというイメージがあったが、彼女の場合は特に苦手ではないらしい。
見ていて分かったのは、水着自体が少数しか出回っていないためか、みんな希望するものを着ているというより、手に入ったものから選んでいるということだった。
「それにしても……キョウカは何を逃げ回ってるのかしら。あの水着が似合うスタイルなんだから、自信を持てばいいのに」
「……私はあれを着て人前に出る勇気はない。ルイーザもかなりのもの」
「あの人たちは……まあいいわ、私たちもバレーが終わったら様子を見に行きましょう。森の散歩も興味はあるしね」
「せやな、順番に楽しんでいけばええんやない?」
「えーと、一度練習させてもらっていい? バレーって授業でやったきりだから」
「イブキはジャンプサーブを打つのですね……凄いです」
次の試合が始まり、イブキのサーブをメリッサが見事に拾い、エリーティアがアタックを打つ。俺はそれを見届けて、応援の声をかけた。
「――エリーティア、『ナイスアタック』!」
「っ……あ、ありがとう……別にアリヒトに褒めてほしくて頑張ったわけじゃないんだけど……」
「エリーティアさん、絵に描いたようなツンデレですねー」
「私たち、応援してるだけなのに……アリヒトさんの一声で、胸が……」
声をかけたときに『支援高揚1』が発動する――ここで士気を上げる必要はないと思うが、上がって不都合があるわけでもないのでいいだろうか。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援高揚1』を発動 →パーティの士気が10上昇
今は『ライトスティール・チェイングラブ』と『エルミネイト・マウント・ブーツ』を装備していないので、士気の上昇量は少ない。それでも試合中に何度も声掛けをしていたので、二十ほどは士気が上がっていた。
◆◇◆
島の管理をしているギルド職員がいるという小屋に一度顔を出しておこうと思い、歩いていく――すると、柵で囲まれている部分を見つける。
「『コーラルピーゴ』飼育場……か」
これがおそらく、島に出る魔物を管理している場所だろう。コーラルというと珊瑚のことだと思うが、『ピーゴ』は聞いたことがない。
五十嵐さんがシオンを連れて、柵の外からじっと見ている――アデリーヌさんも一緒だ。
「あ、アトベさん……キョウカさん、アトベさんがいらっしゃいましたよ」
「ちょっと待って、今目が離せないから……」
アデリーヌさんは俺に会釈をしてくれて、俺も軽く挨拶をする。五十嵐さんの隣りまで来て柵の中を覗いてみると――中には、二足歩行でよちよちと歩く、ふわふわした鳥のような生き物の姿があった。
「うわ……ぬいぐるみみたいですね。ピーゴって、ペンギンみたいな生き物のことだったんですか」
「本当に可愛いわよね……この子たちって、牧場で飼ったりできないのかしら……」
「それは分からないですけど、『ふれあい可』と書いてありますし、頼んだら触らせてもらえそうですよ」
「えっ……い、いいの? じゃあ、職員さんに聞いて……」
五十嵐さんはそのとき初めて、俺の方を見た――横から見たときはあまり深く考えていなかったが、正面から見たときには、本当に目のやり場が見当たらない。
「あっ……あ、後部くん、ごめんなさい、この子たちを見るのに夢中で……」
「す、すみません、俺の方こそ……」
「アトベさんは花に引き寄せられるミツバチみたいなものですから、仕方ないですよ。女性の私でも見入ってましたし。うちの隊長もすごいですけど、いかんせん水着が防御力高めなんですよねえ」
アデリーヌさんも休暇で開放的になっているのか、セラフィナさんが居ないからか、ずいぶんと饒舌になっている。迷宮国に来ると水着の露出度が高いとか低いではなく、防御力という表現になるのか――と、五十嵐さんから意識をそらすべくあさってなことを考える。
会社では冬場に縦のリブ編みセーターを着ていた彼女は、社員から胸を強調している、自分の武器を理解して狙ってやっているなどと言われたこともあったが、それが全く的外れだったことは今の五十嵐さんを見ればよく分かった。
「それにしてもキョウカさんが、そんな大胆な水着を選ぶなんて……やっぱり、アトベさんがいるからってことだったりは……」
「ち、ちち違うわよそんな、私はルイーザさんと交換したかったんだけど、これを選ぶしかなくて……マドカちゃんがせっかく用意してくれたものを、恥ずかしいってだけで着ないわけにはいかないでしょう」
「っ……わ、分かりました、もう冗談は言いませんから、近い、近いですキョウカさん」
アデリーヌさんから学び、俺も不用意なことは決して言わないようにしたい。五十嵐さんが俺に詰め寄ることはまずない――あの距離でも胸が当たっているなんて、まさに暴君と言わざるをえない。
「で、では、私は先輩のところに行ってきますね……ごゆっくりどうぞ」
そろそろとアデリーヌさんが退場していく――五十嵐さんは腰をカバーするパレオを整えたあと、ようやく落ち着いたようで、俺を正面から見た。
「……後部くんらしいわね、リゾート地でもスーツって」
「世の中には、砂漠でもスーツを着ている保険調査員もいるそうですから」
「ふふっ……それって映画か何かの話? それとも漫画かしら」
映画も漫画も、何もかもが懐かしい――そういった娯楽がなくても人はやっていけるものだというのは、新しい発見でもあった。ネットがなければ死ぬと言っていた友人には、案外そうでもないと教えたい。
迷宮国でもライセンスを介してネットワークのようなものが形成されているので、そこまで不便を感じていないというのもある。離れた人と連絡が取れなければ、情報伝達で足止めを強いられて、探索効率は大きく落ちていただろう。
「後部くんだったら、落ち着いていられるのよね……」
「え……」
「ううん、何でもない。シオンちゃんがあの子たちを驚かせないようにおとなしくしてくれてるから、今のうちに見せてもらえるか聞いてみましょうか」
五十嵐さんは着替えてからは俺から隠れたそうにしていたが、慣れてきたということだろうか。いずれにせよ、カルマが上がるほど直視してはいけないので、俺の方も気をつけないといけない。




