第百三十七話 賑やかな宴
宿舎に戻ると、何人かは部屋で休んでいた――ぐっすり寝たあと、外出前にさっと湯に浸かって、着替えなどの準備を済ませる。
外に出ると辺りは暗くなり、街には明かりが灯っていた。ベルギー料理の店『ルーヴェンの風』に行くと、外まで順番待ちができている――迷宮国の飲食店が毎回ほぼ満席になっているのは、みんな外食が主になっているからだろう。
八人掛けのテーブルが三つあり、あとで席を立つことも視野に入れて、最初は適当に別れて座る。テレジアが俺の後ろに立っていたので隣に座らせ、逆隣りにはルカさんが座った。なぜかウインクをされたが、それも彼なりの冗談と受け取っておく。
「こほん……なぜアリヒトでなくてわしなのか分からぬが、年長者ということで音頭をとらせてもらう。では、乾杯!」
『乾杯!』
「バウッ」
今回はシオンも入店できたので、護衛犬用の料理をオーダーした。最初に出てきた骨付き肉を前にして、シオンは五十嵐さんにお預けをされていたが、乾杯の後で解禁されてかぶりつく。
「乾杯、アリヒト。こうして飲める機会があって素直に嬉しいわ」
「俺もです、ルカさん。本当に色々お世話になってますから」
グラスに注がれたビールはかなり濃い黒色をしている――濃いほど度数も強いらしいが、最初の一杯はルカさんがすすめるものを頼むことにした。
普段はビールを飲まないというシオリさんも、俺のテーブルの向かい側に座って茶褐色のブラウンビールを飲んでいる。女性に人気があるとのことで、他にも何人かが同じものを頼んでいた。
「んっ……ぷは。ビールは苦手じゃがこれは飲みやすいのう」
『ご主人様はいつも薬草のリキュールを飲んでるからね。濃いのじゃないと酔わないんだって』
「シュタイナーはお茶とジュースしか飲まぬからの。そろそろ大人として酒を酌み交わしたいものじゃが、お主らが誘ってくれたのでよしとしよう」
セレスさんは隣に座っているシオリさんにお代わりを注がれて、頬を上気させつつ満足そうにする。少女のような外見で酔っ払っていると、微妙に俺の遵法精神が警告を発してくるが、れっきとした大人の彼女にそれを言ったら怒られてしまいそうだ。
「後部くん、お疲れ様。このお店もすごく雰囲気がいいし、お料理も美味しそうね」
オードブルで出てきたミートパテを、焼き目がついた黒パンに塗って食べてみるとこれがまた美味しく、ビールにもよく合っている。ポテトも今までの食卓で付け合せで出てきたものとは違い、サクサクとした歯ごたえがたまらない。ベルギー風コロッケも頼んだので、出てくるのが楽しみだ。
「キョウカお姉さん、そうやってすぐお兄ちゃんのところに行っちゃうんですから。私たちとポテトゲームするって約束はどうしたんですか?」
「あ、熱いからそれはやめておいた方がいいんじゃない? ポテトゲームなんて聞いたことがないし」
「ソーセージゲームでもいいですよ? あ、ちょっと酔っ払っちゃってるみたいになっちゃってますね、私。ちゃんと度数が低いのにしてますから全然へーきですよー」
「あ、ああ……ミサキ、あまりはしゃぎすぎないようにな」
迷宮国では年齢制限がないとはいえ、やはりミサキとスズナが酒を飲んでいると大丈夫だろうかという気持ちになってしまう。メリッサも普通にビールを飲んでいて、隣のマドカは林檎ジュースを飲んでいた。
「…………」
テレジアも強い酒は体温が上がってしまうからか、ミサキと同じ『ホワイトビール』というものを頼んでいる。それでもすでにほんのり赤くなってきているので、アルコール全体に弱いのかもしれない――注意して見ておいた方がよさそうだ。
「アトベ様、お注ぎしてもよろしいですか?」
「はい、こちらこそ……シオリさんも結構飲まれるんですね」
「普段はあまり飲まないのよ。こういう時は特別にね……タクマも今はお酒に弱い体質になってしまったけど、適度に飲むのは好きなのよ」
タクマさんは甲虫のマスクを被っているが、テレジアと違って口元まで覆われている。しかし飲み物を飲む時は口の部分が開き、その下の人間の口が見えた――亜人固有の装備にも色々あるものだと感心する。
甲虫が樹液を主食としているように、食事も糖分を含んだ蜜を主に摂っているそうだが、それでも屈強な身体をしているので、栄養の摂取はしっかりできているようだ。
「甘みのあるお酒が出る店で良かったわ、弟も喜んでいるから」
「それは良かったです。ああ、でもお酒が回ってきちゃってるみたいですね」
「……いつもより楽しそうにしてるみたい。家族の贔屓目かもしれないけれどね」
今はテレジアのことを優先して考えるが、タクマさんも人間に戻れるのなら、方法の詳細が分かったときに伝えたい。その時は俺たちが協力できることもあるだろう。
「なんや、兄さんの人気がありすぎて、お話する時間が貴重になってしまってるやんか」
「う、うん……ここはリョーコ姉に譲ろうかな、ずっと待ってたみたいだし」
「お姉さんに気を使わなくていいの、みんな思う通りにするのが一番いいわ」
「ええ。私なんて、アトベ様を見ているだけで心が落ち着く境地に達していますから」
リョーコさんとルイーザさんが「ねー」と笑い合っている。俺としては普通に話せればと思うが――と思っていると、今度はアンナがやってきて、お酒のお代わりはまだ必要ないと確かめたあと、ポテトをミニフォークで刺して差し出してきた。
「……お酌は間に合っているようなので、こちらでどうでしょう」
「あ、ああ。ありがとう」
断るのも申し訳ないので食べさせてもらうが、アンナがじっと見ているので微妙に照れてしまう。その様子を見ていたマドカを、アンナはどうぞというように見やる――この波状攻撃というか、お酌と食べさせの連鎖はどこまで続くのだろう。
「お、お兄さん……私も、いいですか?」
「アリヒト、メインのビール煮込みが来たわよ。使ってる肉は何の肉か当てるゲームでもしましょうか。外したらアリヒトはアブサンを一口飲むこと」
ルカさんは店のウェイターさんが持ってきた料理を、俺に食べさせるようにとマドカに差し出す。ビール煮込みと言ってもシチューのような色だ――煮込んでいるうちにアルコールは飛んでしまうのだろうが、フォークが容易に刺さるほど柔らかい。
「お兄さん、あーん……ってしてください」
「あ、あーん……」
言われるがままに肉を口に入れられる。これは――何度か口にしている慣れ親しんだ牛肉の味だ。
「これは湿地の水牛の肉ですか?」
「鋭いわね。そうよ、七番区までで牛肉と言ったらその品種になるわ。上の区には牛鬼を食べようとする猛者もいるみたいだけど、やっぱり二本足で立って歩く魔物を食べるのはちょっと気が引けるわよね」
「ルカよ、アリヒトが正解したのじゃから、お主が飲むのではないのか?」
「ああ、気づかれちゃった……セレスさんには敵わないわね。アリヒト、これがアタシの生き様よ。良く見ておきなさい」
ルカさんは運ばれてきた、小さな金属の盃に入った酒――おそらくかなり度数のきつい酒だ――を、呼吸を整えてからぐっと一気に飲み干した。
「ああ……全身から火が出そう。ここのアブサンはね、ポーションを作るときに使う薬草を使って作ったリキュールなのよ。体力が十分なときに飲むと、一時的に最大体力が上がる効果があったりするわ。まあ、苦くて辛くて凄い味だから、罰ゲーム向けにしか飲まれないけどね」
「最大体力……そういうことなら、飲んでみたい気はしますね」
「迷宮に潜るまでに元に戻っておるのではないか? ルカも道連れを増やそうとするものではないぞ」
「まあまあ、アリヒトが興味があるって言うんだから。また誰かと勝負してみるのはどう? これは進んで飲むような味じゃないから」
ルカさんはピッチャーから水を注いで口にする――よほど苦いのだろう、興味本位で口にしては確かに痛い目を見そうだ。
「ふふふ……ここで私の出番ですね。お兄ちゃん、勝負事で私に勝てると思わないでください。このサイコロで勝負です!」
「ミサキちゃん、負けちゃったら強いお酒を飲まなきゃいけなくなっちゃうけど……いいの?」
「ああっ、スズちゃんが息をするようにお兄ちゃんの味方をしてる! 私の唯一得意な分野ですら否定するなんて、友情よりやっぱりお兄ちゃんなのね!」
「そ、そうじゃなくて……もし酔っちゃったら、あとが大変になっちゃうから」
「明日はせっかくお休みなのに、二日酔いなんてことにならないようにね」
エリーティアがミサキに忠告すると、ミサキはエリーティアの手元を見る――彼女はお酒を飲んでおらず、普通にジュースだ。
「な、なに……? わ、私は、お酒は進んで飲むほど好きじゃないから……」
「エリーさんもゲームに参加しませんか? 大丈夫です、イカサマとかしませんから。サイコロを二つ転がして、合計が奇数か偶数かを当てるだけですから」
「そういう賭け事って、今の若い子が知ってるものなのかしら……?」
「ま、まあ……ゲームとかにも出てくるんじゃないですか、シンプルなルールですし。俺が勝ったとしても、ミサキは無理して飲まなくていいからな」
「ふふふ、私にも意地ってものがありますから、そこは気にしなくていいですよ。勝負に負けたら裸で土下座でも何でもする、それが私の生き様です!」
ミサキは『ギャンブラー』という職業を選んだだけに、元々勝負事に熱くなる性格なのか、ただこの場の雰囲気で盛り上がっているだけか――深く考えなくても両方だろう。
「……は、裸で土下座……兄さん、そういうお仕置きとかしてはるの……?」
「あ、あの、先生、あたしが良くないことしちゃったときは、せめてスパッツまでで許してもらえませんか……?」
「私もスパッツまでなら……いえ、おいたをしなければ済むことですね。今の発言は忘れてください」
「アトベさんがそんなに過激なことを……い、いえ、そういったこともパーティの引き締めのために大切なことなのよね、きっと。分かりました、私も勝負に参加します」
「し、してませんから。今のはミサキが勢いで言っただけなので、安心してください」
「……良かった。私がパーティに入る前はしてたのかと思った」
「そ、そんなこと……お兄さんがするわけないです。私は信じてますっ」
メリッサとマドカが微妙に心配していたが、何とか信頼してもらえたようで何よりだ。口を滑らせがちなミサキについては、何とか勝負に勝って自重を促したいところだが――悲しいかな、本職のギャンブラーに勝てる気は全くしなかった。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『生命のアブサン』を使用 →『アリヒト』の最大体力値が一定時間上昇 酩酊状態
・『ルカ』が『生命のアブサン』を使用 →『ルカ』の最大体力値が一定時間上昇 酩酊状態
・『ミサキ』が『生命のアブサン』を使用 →『ミサキ』の最大体力値が一定時間上昇 酩酊状態
・『リョーコ』が『生命のアブサン』を使用 →『リョーコ』の最大体力値が一定時間上昇 酩酊状態
・『セレス』が『生命のアブサン』を使用 →『セレス』の能力全てが上昇 酩酊状態 制約が緩和
◆◇◆
「ア、アリヒト……世話になったわね……今日は楽しかったわ。また誘って……今度はもう少し軽い飲みにしましょう……」
「は、はい……今日は俺も楽しかったです。ラウロ君、ルカさんのことを頼んだよ」
「はい、ちゃんと連れて帰ります。あっ、兄さんそっちは違うよ、家とは逆方向だよ」
酒が回ってしまったルカさんは同居している店員の人と弟さんが迎えに来て、付き添われて帰っていった。
サイコロ勝負に参加したのはミサキとリョーコさんだけではなく、他にも何人かが参加した――シオリさんとセレスさんが勝負をしてセレスさんが負けていたが、彼女は今回の酒は日頃から飲んでいるようで、ミサキが一口しか飲めなかったのに、小さな器とはいえ美味しそうに全て飲んでしまった。
『ご主人様、本当にお酒が好きだよね。アトベ様にうわばみって言われちゃわないかな』
「アリヒトの国ではザルと言うのではないか、昔聞いたことがあったぞ。ふふ……しかしこんなに酔ってしまったのは久しぶりじゃな。とても気分がいい……おっと」
「っ……危ない。セレスさん、大丈夫ですか?」
足元がふらついたセレスさんを支える――身体がものすごく軽い。セレスさんは自分の身体ではなく、三角帽子の方を庇っていた。
「……すまぬ、調子に乗って転んでは年長者の示しがつかぬな。シュタイナー、できれば宿舎まで運んでくれぬか」
『そう言っていただけると思ってましたよ。あ、リョーコさんはシオンに運んでもらってるんだね』
「……ごめんなさい……いつもいつも、お酒で失敗ばかりして……私って……」
リョーコさんはふらふらの状態で、シオンにおんぶしてもらっている。俺はといえばミサキを背負っているが、俺も酔っているのでそのうち誰かに交代してもらうかもしれない――なんとか宿舎までたどり着きたいところだ。
「リョーコさんを見ていると、他人事とは思えません……私もきっとゲームに参加していたら、こうなってしまっていました」
今日のルイーザさんはお酒を控えており、最初の一杯以外はあまり飲んでいなかった。エリーティアと同じように、明日に備えてということらしい。
「セラフィナさんも参加してもらえたらと思ったんだけど、今日は都合が合わなかったわね。後部くん、明日はどうする? 保養所に行く前に声をかけてみましょうか」
「ええ、そうしてみます。さて、寮まで帰りますか」
「私は家が別方向だから、ここで失礼するわね。皆さん、本当にありがとう。すごく楽しかったわ」
「また機会があったら、ぜひご一緒させてください。帰りはお気をつけて」
「ええ、おやすみなさい」
シオリさんは深々と頭を下げると、タクマと一緒に『七夢庵』に帰っていった。すでにセレスさんを肩に載せたシュタイナーさんが先を歩いているので、俺たちも後に続いた――テレジアは俺を助けるためか、ミサキの身体を後ろから支えてくれようとする。
「ひゃっ……お、お尻を押し上げるのはちょっと……」
「…………」
「ふぇぇ、テレジアさんに言うことを聞いてもらえるの、お兄ちゃんだけなんですけど。お尻はだめ、って伝えていただけません?」
「シオリさんが勝負事に強かったのは誤算だったな。ミサキも挑戦したりしなければ良かったのに」
「えー、だってお兄ちゃんが飲んでるんだったら、私も飲んでみたいなーとか思うじゃないですか」
「……私も……」
「ほら、スズちゃんも同じこと考えてたみたいですよ。私だけじゃないんれすからねぇ」
「っ……わ、私は、その……ミサキちゃん、おんぶしてもらって、いいなって……」
「スズナも少し酔ってるみたいね……ミサキがわざと酔ってたりするんじゃなければいいけど」
エリーティアの一言に、ミサキが「ぎくっ」と反応する――まさか図星だということか。
「あ、あははー……そんなことあるわけじゃないですかー。ねー、お兄ちゃん……あっ、押し上げないでください、くすぐったいのでっ……」
「それはテレジアさんもお仕置きしたくなるやろな。ミサキちゃん、あざといわぁ」
「でも、それくらいしないと先生にこんなことしてもらえないし……あっ、私はわざとお酒をいっぱい飲んだりしないですよ」
「……皆さん、色々考えているんですね。私はただ、美味しい食事と飲み物だなと思っていただけでした。もっとアリヒトにアピールするべき場だったのですね」
「アピール……アンナさん、お兄さんにどういうことをするんですか?」
「……そ、それは、全く考えていませんが。私はアリヒトから見れば子供なので、背伸びをしているように見られても切ないものがあります」
和気あいあいと話している面々を見て、ふと思い立つ――『フォーシーズンズ』の皆は保養所に興味はあるだろうか。
ルイーザさんの話だと紹介があれば別のパーティも行けるということなので、カエデたちに聞いてみると、彼女たちも喜んで参加してくれることになった。
探索の合間の、束の間の休息。それが明日も続くとなると、長く休んでいるように感じるが――これからのためにも十分に休んで、気力を充実させて次の目的に向かいたい。
まず手をつけたいのは、『誘う牧神の使い』を倒したときに手に入れた黒箱から出てきた『トラップキューブ』――宝物宮につながる転移陣を設置できる道具だ。
後回しにしていたが、星三つの迷宮に相当するのなら、今の俺たちなら攻略できる実力は十分にあるはずだ。
「もう……そうやって目の色がすぐ変わっちゃうんだから。後部くん、私が言うのもなんだけど、休むときはちゃんと休むことを考えてね」
「は、はい……すみません、顔に出てましたか」
「アリヒトって迷宮のことを考えるとき、凄く集中しているから……だんだん、私も分かるようになってきたわ。何を考えているか、相談してほしくなるけど」
五十嵐さんとエリーティアに、俺は考えていたことを説明する――そのうちに『支援回復』が発動して、前を歩いているメンバーの酔いが抜けていく。俺は忘れずに『アザーアシスト』を使い、リョーコさんの『酩酊』状態が早く回復するようにしておいた。
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