第百三十一話 名誉称号
上位ギルドの『緑の館』に入ると、いつも通り一階奥の方に連れて行かれるが、九つの星が書かれている扉の部屋ではなく、別の場所に連れていかれた。
ドアノブのない、宝石のようなものがついた扉がある――セラフィナさんはポーチから指輪を取り出すと、その宝石に向けた。
指輪から細い筋状の光が放たれて、扉についている宝石に当たる――すると宝石が輝き始め、扉全体が壁の奥にガコン、と移動して、横にスライドするように開いた。
(アリアドネのいた階層もそうだが、迷宮国には機械的な仕掛けを用いている場所があるな。それらには、何か繋がりがあるのか……?)
「各区のギルドには、ギルドセイバーが使用する専用フロアがあります。クーゼルカ三等竜尉はそちらにいらっしゃいます……さ、足元に気をつけてお進みください」
扉の奥に続いているのは、螺旋状の地下に潜っていく階段だった。明かりは無いが、階段自体が淡く発光していて、足元に気をつけて進めば危険は感じない。
しばらく進んだところで、転移する感覚があった――テレジアも気づいたのか、俺の服の裾をつまんでくる。
「大丈夫だ、何も心配ないからな」
「…………」
「私もギルドセイバーに入ったばかりの頃は、こういった仕掛けには戸惑ったものです」
ギルドセイバーと関わりを持たなければ、ギルドの建物にこんな施設があると知ることは無かっただろう。そう思うとやはり新人の中でも、俺達は稀有な経験をしている。
やがて螺旋階段の先に扉が見えて、セラフィナさんは指輪を使って扉を開ける。
ここはギルドの地下なのか、それとも別の場所に転移しているのか――わからないが、地上の建物とは全く違う雰囲気の光景だ。
壁には継ぎ目がまったく見られず、床はやはり、アリアドネがいた場所と似た材質で作られている。リノリウムをより硬質にしたような、SF映画の宇宙船にでも出てきそうなものだ。
左右の壁に均等に配置された明かりは水色の光を放っている。他のギルドセイバー隊員が向こうから歩いてきて、通り過ぎる時にセラフィナさんと敬礼を交わす。
廊下の突き当たりには『落陽の浜辺』で会った、クーゼルカさんと一緒にいた男性がいた。こちらに気づくと軽く手を上げる――話し方などで受けた印象の通り、フランクな振る舞いをする人物のようだ。
「お疲れさん。クーゼルカ様は中にいらっしゃるが、ほんの少しだけ待ってもらえるか」
「了解しました。ホスロウ竜曹殿も面談に参加されるのですか?」
「いや、俺は取り次ぎ役をしてるだけだ。部屋に通したら、そのへんで油でも売るとするさ。それと俺より階級が上なのにかしこまりすぎじゃないか、セラフィナ中尉」
「私はいつもこのような口調ですので。それにホスロウ竜曹殿よりも、ギルドセイバーに参加した時期はずっと後です」
話を聞く限りでは『竜曹』はギルドセイバーの階級を指しているようだ。『軍曹』と同じような意味合いだろうか。
ホスロウさんはセラフィナさんの実直さに押されて苦笑していたが、俺の姿を見ると、いかにも興味深そうなものを見るような顔をする。
「よう、青年。『スーツの男』なんて言われてるようだが、スーツ以外の装備もなかなかどうして、充実してるじゃねえか。しかしその銃はスーツ姿にはハマリ過ぎてるぜ……よく七番区で手に入れられたもんだ」
最初に見たときは、髪が多く白髪に変わっていることからもっと年齢が高いのかと思ったが、ホスロウさんは四十代に届くか届かないかと言ったところだった。リヴァルさんよりも若いかもしれない。
「改めまして、俺はアリヒト・アトベと言います」
「ジョシュ・ホスロウだ。階級は聞いての通り竜曹で、クーゼルカ三等竜尉の補佐をしている。この歳でも出世が遠い、うだつの上がらないおっさんと覚えてくれ」
「……やはり今でも、そのように言われているのですか。ホスロウ殿」
「おっと、アトベ君には何も言わんでくれよ。この歳になると、男はミステリアスな方が味わい深いもんだ」
飄々とした人物だが、セラフィナさんの様子を見る限り、彼が自分で言うような人物像とは全く違っているようだ。
ロランドさんのように、事情があって昇級していないということも考えられる。しかし初対面で、そこまで根掘り葉掘り聞くものでもない。
「あのグレイって男は、ひとまず裁定待ちだ。一番大きな罪は、あんたらに魔物をけしかけようとしたことだな。他にも余罪はあるが、なにぶん特殊な技能持ちでな、ほとんどの探索者のライセンスに反応しない隠蔽技能を持っていやがる。ギルドセイバー隊員にはそういった技能を無効化できる者もいるが、ずっと監視をつけるわけにもいかんから、期間つきの技能封印が課せられることになるだろうな。あとは再教育だが、こいつはうちの鬼教官がやってくれる。札付きのワルが半年で真人間になるところを見られるぜ」
「そうですか……技能を悪用さえしなければとは思うんですが」
「悪用すると危険な技能の持ち主に対しては、どうしても性悪説にならざるを得ない。実際悪用で得た利益の大きさと、周辺に撒き散らした迷惑を考えれば、そんな技能は使ってくれるなって話になっちまうのさ。女を泣かせた人数を考えりゃ、数年はぶち込んでもいいだろうとは思うがね」
フォーシーズンズの四人も、あのままでは危ないところだった――その意味でも、最速と言われる期間で七番区に来て良かったと思う。
「おっ……どうやら準備ができたようだ。二人とも、またどこかでな」
「はい、ありがとうございました、ホスロウさん」
ホスロウさんは扉の前を離れて歩いていく。途中で他の男性隊員に声をかけて、飲みに行くような話をしていた――せっかく七番区に来たからということだろうか。
セラフィナさんは扉をノックしてから開ける。すると、セラフィナさんとはまた違う色の制服を着たクーゼルカさんが、席を立って出迎えてくれた。
「セラフィナ中尉、アリヒト・アトベ殿、ともに出頭しました」
「ご足労いただきありがとうございます。お待たせして申し訳ありません」
「いえ、ホスロウさんと話させてもらって、グレイの状況なども聞けて良かったです」
なぜ、少し待つことになったのか――それは、クーゼルカさんを見たときに何となく察したのだが、あえて言うことでもない。
「…………」
テレジアは俺を牽制するかのように、袖を引っ張っている――やましいことは何も考えていないのだが。クーゼルカさんは多分、今まさに入浴していたところで、服を着たばかりのようだった。推測を裏付けるようにかすかに石鹸の匂いがするが、それを指摘するのは少々無神経だろう。
「……では、こちらに」
一瞬だけ躊躇したのは、おそらく湯上がりであることを話すべきかと思ったのだろうが、特にその義務はないと思う――予想していない展開だったので、俺も微妙に落ち着かない。
俺たちは面談用のテーブルに座る。テレジアは俺の右後ろあたりに立ち、セラフィナさんは隣に座って、向かい側にクーゼルカさんが座った。
黒い鎧を着ていないと、淑やかな雰囲気が前面に出て別人のように見える。しかし年甲斐もなく緊張しているわけにもいかないので、ここは頭を切り替えていく。
「まず、改めて名乗らせていただきます。私はクーゼルカ、ギルドセイバーにおいて三等竜尉の階級にある者です。お二人はアリヒト・アトベ殿、テレジア殿でよろしいですか」
「はい、間違いありません」
「…………」
「良いお返事です。テレジア殿は……いえ、その件については今は置きましょう」
テレジアが亜人であることについて、何か思うことがあるのだろうか。気になるが、まずはクーゼルカさんの話に耳を傾ける。
「三等竜尉という階級を常につける必要はありませんので、私のことは名前で呼んでいただくのみで構いません」
「は、はい……クーゼルカさん、と呼ばせてもらいます。『竜』という部分には、何か由来があるんでしょうか?」
「ギルドセイバーを創設した人々のパーティ名に因んでいると聞いています。『竜』は非常に強力な魔物で、他の魔物とは全く格が異なると言われています……そういった危険な魔物に対抗する力を持とうというのも、ギルドセイバーの理念になります」
話を聞く限り、クーゼルカ三等竜尉も『竜』に類する魔物と遭遇したことはないようだ。
今まで見てきた『名前つき』も十分悪夢じみた強さを持っていたが、それと格が異なると言われてしまうと、もはや全く想像がつかない。
「脅かすようなことを言って申し訳ありません、『真の竜』は個体数が少なく、このあたりの区の迷宮では『亜竜種』しか出現記録は残っていないので、安心してください」
「いや……もし遭遇して戦闘が避けられないとしたら、と少し想像しました。常に離脱の方法は確保しておくべきですね」
「何もせずに迷宮を脱出してしまうと、貢献度は低下します。その点にのみ注意していただければ、離脱も一つの戦術でしょう。危険だと判断したとき、どこまで食い下がれるかというのも、パーティの強さではありますが……」
クーゼルカさんは話してから、何かに気づいたように俺を見やる。その反応が何を意味するものか、彼女の言葉の続きを聞くまで分からなかった。
「アトベ殿たちに今さらこのような話をするのは、失礼に当たりますね。これまでの記録を見て、貴方がたが驚異的な速度で昇格を続けていること、遭遇した『名前つき』全てを討伐していることを確認しました。この実績に、ギルド上層部は特別な評価をしています」
特別な評価――これまで俺たちがひたすらに進んできたことを見ている人たちがいて、
それに対して評価をしている。
素直に喜ぶべきことだとは思うが、浮かれてばかりもいられないように思う。期待をされるということは、そこに責任が生じてくることも否めない。
「その、評価というのは……」
「まず、これは可能性としての提案です。アトベ殿、ギルドセイバーに入隊するおつもりはありませんか。勿論アトベ殿だけでなく、パーティの全員です」
クーゼルカさんは真っ直ぐ俺を見て言う――彼女は本気で俺たちを勧誘してくれている。
ギルドセイバーを初めて見た時、経験を積んだ強い探索者たちが、人を護るための道を選んだというように感じていた。まだ新人探索者の俺が入ることなど、想像もしたことがなかった。
しかし、俺の答えは決まっていた。ギルドセイバーの任務については共感しているが、今は他にやるべきことがある。
セラフィナさんは俺の様子をうかがうが、予め俺がどうするかは分かってくれていたのだろう、かすかに微笑みを浮かべていた。
「俺たちを見込んでもらったことは、凄く光栄なことだと思ってます。それでこんな返事をするのもどうなのかと分かっていますが……ギルドセイバーへのお誘いについては、辞退させてください」
「……分かりました。残念ではありますが、まだ探索者を始められて一ヶ月も経たずにギルドセイバーに所属するのは、あなた方の可能性を狭めることになります。それに、いかなる組織にも所属せず、序列を上げることを目標にされている方がほとんどですので、勧誘を断ることについて遠慮されることはありません」
「そう言っていただけると有り難いです。俺たちには大きな目標が二つあって、まずはそれを達成することだけを考えたいと思っています」
セラフィナさんにはまだそのことについて話していなかったので、こちらを見てくる――俺も同時にセラフィナさんの方を見たので、目が合ってしまう。
「も、申し訳ありません……話の最中に、個人的な興味を示すようなことを……」
「セラフィナ中尉は何度かアトベ殿のパーティと共闘したと記録にありますが、まだ知らないことも多いようですね」
「はっ……恐縮です。アトベ殿のパーティとは協力させていただいたり、今回はこちらから支援を要請いたしましたが、まだ接した時間としてはごく短時間であります」
「その短時間の間に、共に『名前つき』を討伐するに至った……通常、パーティの練度を高めるには長い時間一緒に行動する必要があります。アトベ殿のパーティは、短期間でもメンバーの実力を引き出せるような仕組みができているようですね」
(俺の技能について、クーゼルカさんも把握していないってことか……?)
探索者個人個人の能力について、必要が無ければ調べられることはないということか。そうなると、カルマが上がって捕まったりしない限り、俺は自分の技能について秘密にし続けられるということだ――くれぐれも気をつけなくては。
「アトベ殿、その大きな目標には、あなたのパーティに所属しているエリーティア・セントレイル殿が関係しているのですか?」
――やはり、五番区から降りてきたエリーティアが俺たちのパーティにいることは、ギルドセイバーにも注目されていた。
この機会に、エリーティアの友人を救うために協力を頼めないだろうか。もしそれができていれば、エリーティアは八番区まで戻って仲間を探したりはしていない。そう分かっていても聞いておきたかった。
「エリーティアとは縁あって、八番区からパーティを組んでいます。俺たちは、五番区の迷宮に取り残された彼女の友人を助けたいと思って……」
「……エリーティア殿のご友人については、現状では救助は難しいと解答せざるを得ません。あの迷宮については、ギルドセイバーの手でも、二階層以降の干渉を断念しています。スタンピードが起こらないよう管理はしていますが、『名前つき』を倒すことについてリスクが大きい特殊なケースに当てはまってしまっているのです」
スタンピードを防ぐことができれば、ギルドセイバーは任務を果たしている――危険を冒して、囚われた人を助けることまではできない。
エリーティアは友人を助けるために、仲間を探した――六番区でも、七番区でも見つからず、八番区まで降りてきた。
俺たちはいずれ五番区まで上がる。だが順序通りに進んでいくだけでは、助けられる可能性は少しずつ失われていくように思えてならない。
「……クーゼルカさん、一時的にでも、五番区に行かせてもらうことはできませんか」
「っ……アトベ殿、それは……あまりに危険すぎます、五番区の適正レベルは10以上です。今のあなた方が強いといえど、まだ五番区では……っ」
「はい……危険なことは分かってます。それでも、迷宮の中で魔物に捕らえられることの辛さを思えば、少しでも早く助けたい」
クーゼルカさんは何も言わず、静かに目を閉じる。そして思案したあと、自分のライセンスを取り出して、何かの操作をした。
「今すぐに、アトベ殿たちが五番区に行けるように計らうことはできません……しかし、一つの方法を提示することはできます」
「っ……本当ですか……!?」
「はい。ギルドセイバー上層部は、貴方がたがギルドセイバーに所属されなかった場合も、『奨励探索者』の名誉称号を贈ると決定しています」
「奨励……俺たちの活動に対して、ということですか?」
頷きを返し、クーゼルカさんは俺にライセンスを見るように促す――すると。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』のパーティに名誉称号『奨励探索者』が授与
「その称号を持っているパーティは、ギルドセイバーの任務に対して協力要請がかかることがあります。要請を受けるかどうかは任意になりますが、受諾していただけた際には報酬が支払われ、『名誉値』が加算されます。これについては、後ほどギルド職員から改めて説明を受けてください」
称号を持っていても、協力要請に対して必ず応じなくてはならないわけではないので、特にリスクはない。しかし俺たちのことなので、なかなか要請を受けて断ることも考えられないが、頻繁に要請があるわけでもないだろう。
「つまり正式に加入しなくても、ギルドセイバーと連携していくことができるってことでしょうか」
「そうお考えいただければ。私たちギルドセイバーは人員が限られていますので、探索者の助力を求めたい局面がどうしても出てきます。八番区のスタンピード鎮圧でも多大な貢献をしていただきましたが、今後そのようなことがあった場合は、より明確な形でギルドセイバーからの報奨を出すことができるようになります」
話を聞いて納得はできたので、後で俺からも仲間たちに説明しようと思う――しかし、まだクーゼルカさんの言う「方法」を聞いていない。
「それで、五番区に行く方法というのは……」
「その称号を持っている場合、『二つ下の区』まで招集がかかることがあります。ごく稀なケースになりますが、五番区での任務に対し、アトベ殿たちに協力要請が出されることもあるということです」
上位の区でのギルドセイバー任務に協力することで、招集された区に、一時的に滞在することが認められる――クーゼルカさんは、そう説明してくれた。
期限は限られているが、五番区に滞在しているうちは、五番区内の迷宮に入ることもできるそうだ。それは、危険な任務に協力した『奨励探索者』に対する報奨の一つ――リスクはあるが、飛び級で上の区にある迷宮に挑むことができる。
(いつ招集されるかはわからないが、五番区に昇格する前にチャンスが巡ってくる可能性はある。その時までに、可能な限りレベルを上げることができれば……決して無謀な試みじゃないはずだ)
そしてこの話は、もう一つの目的にも結びつく。
――四番区の大神殿。テレジアを亜人から元に戻す方法が分かるというその場所に、早い時期に行くことができるかもしれない。
俺は後ろに控えているテレジアを見やる。彼女は俺を見返すが、その口元には何の感情も見えない。
「……アトベ殿。その亜人の少女を、あなたはどうしたいと考えているのですか?」
クーゼルカさんの声が、温度を低くしたように思える――ゾクリとするものを感じながら、俺は再び彼女と向き合う。
「亜人を人間に戻そうというのは、理を曲げる行為です。亜人は一度命を失って、甦った存在なのですから」
彼女は何かを知っている。亜人を人間に戻す方法――そして、それが容易ではないということも。
「……俺は……」
クーゼルカさんは寸分の揺らぎも見逃さないような瞳で俺を見つめ、答えを待っていた。




