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第百二十五話 雨と落陽

 再び『落陽の浜辺』まで戻ってくる。他の探索者は潜入禁止とされて通行禁止にされているが、警戒対象となっている魔物と交戦した俺たちは、中に入ろうとしても止められることはなかった。


「皆さん、どうかくれぐれも気をつけて頑張ってください……っ!」

「ああ、見送りに来てくれてありがとう。マドカも宿舎に戻るときは気をつけてな」

「はい、大丈夫です。一人でも、道に迷ったりしません……あっ、こ、これは、違うんです、泣いてるわけじゃなくて……っ」


 少し涙ぐんでいるマドカを見て、みんなが彼女の回りに集まる。それぞれに励ましの声をかけて、無事で帰ってくると改めて伝えていた。


「セラフィナ隊長自ら、迷宮に潜られるんですね……私達も本当なら、協力できれば……」

「いや……今回のように侵入制限を敷かれている状態で、個人的にパーティに参加すれば罰則を受ける可能性がある。私のことは気にせず、ここで諸君らの任務を果たしてほしい」

「……了解しました。どうか、胸を張って戻ってきてください。上層部がどう判断されたとしても、私たちにとって隊長は誇りです」

「うん。アデリーヌにもよろしく頼む……今生の別れというわけではないが、彼女には色々と心労をかけた。皆とも慰労の機会をと思いながら、なかなか席を設けることができず……本当にすまない」


 セラフィナさんは部隊でもよく慕われているのだということは、彼女たちのやり取りを見れば良く分かった。


「後部くん、もしセラフィナさんが上司だったら、気持ちよく仕事ができてた……とか考えてる?」

「い、いや、そこまでは……作戦会議に参加してもらっておいて何ですが、本当にいいのかと少し考えてしまって」

「ギルドセイバーの人たちも、セラフィナさんに居てほしいわよね……でも、彼女は私たちのパーティに参加してくれた。そのことに、感謝しないとね」

「はい。セイバーチケットも本当はすぐに回収するところを、『任務が無事に終わったら』と言ってくれましたし……」


 どうすれば彼女のしてくれたことに報いられるのか。それを考えることもまた、無事に戻ってからするべきことだ。


 そして俺は気がつく――ギルドセイバーの隊員の一人が、何かセラフィナさんに言いたそうにしながら、話しかけられずにいる。


「あの、すみません。どうされました?」

「っ……あ、あの。一つ、隊長に報告させていただきたいことが……」

「報告……?」


 セラフィナさんも気がついてこちらにやってくる。隊員の女性は背筋を正して、セラフィナさんだけでなく俺にも話をしてくれた。


「先ほど、連絡がありまして……事態の緊急性を鑑みて、ギルドセイバー本部から『三等竜尉さんとうりゅうい』の方が派遣されると決定が下りました。現着は六番区での任務終了後の予定ですが、やはり数日はかかる見込みとのことです」

「三等竜尉の方が……そうか。レベル8の『名前つき』に対して出動するとは、やはり七番区自体の停滞を重く見られているのか」

「以前から問題になっているとは聞いておりましたから、おそらく今回のことを契機に、介入が行われるのではないかと思います」


 七番区の問題――停滞という言葉から推測するに、六番区に上がることを諦めた探索者の多さについてのことだろう。


 時間制限はあと十時間ほど――見込みより大幅に早く『三等竜尉』が到着することに期待して、ギリギリまで待つという選択はない。


「そうか……報告に感謝する。他にも何か伝えておくことはあるか?」

「は、はい……実は……私たちが通行規制を完全に敷く前に、迷宮に入った者がいるようです。申し訳ありません」

「……分かった。迷宮の中で遭遇次第、脱出するよう勧告する。どのような姿かは見ていないのだな」


(……おそらく、グレイだ……だとしたら、どこかで仕掛けてくる。『緑の館』で話したあと、すぐに迷宮に戻ってきたのか? 俺たちに意趣返しをするために)


「それは、集団で迷宮に向かったということではなかったの?」

「は、はい……一人だけだったそうです。私たちがまだ配置についていなかった逆側から侵入し、隊員が気づいたときには迷宮の入り口に消えていくところだったそうです」


 エリーティアの質問に隊員が答える。何らかの方法でレベルの高いギルドセイバーの追跡を逃れ、迷宮に入った――やはりそこまでする人物が、他に思い当たらない。


「探しても簡単には見つからないでしょうね……警戒はしておかないと」

「ああ。勝った後で何かしてくるとしたら、『巨大蟹』を倒したあとも気は抜けないな」

「この状況で何かしてくるなんて、無謀なことをするのかしら……いえ、あの人だったとしたらしてきそうね」

「外にギルドセイバーの人がいるので、悪いことしても逃げられないんじゃないですか? パーティにはセラフィナさんもいますし」


 俺もミサキの言う通りだと思うが、ベルゲンたちのようにカルマが上がらない方法を使われることもありうる――と、身構えてばかりもいられない。


「……アトベ殿、侵入した人物に心当たりが?」

「確実とは言えませんが、可能性はあると思っています。『同盟』の一人が、俺たちをあまり良く思っていない状況なので」

「そうですか……その人物には、物申したいこともありますが。考えなしなことはしないと思いたいところですね」


 グレイは『無慈悲なる断頭台』を前にして、完全に戦意を喪失していた。あえて砂浜に出向いてまで、俺たちの足を引っ張ろうとすることは考えにくい。

 

「……きっと、彼はあの岩壁の道を通れません。砂浜で狩られた魔物の霊たちが一番憎んでいるのは、自分だと分かっているはずです」


 霊の存在を感知できるスズナが言うなら、その意見は信頼できる。グレイにも良心があるなら、自分のしたことも『無慈悲なる断頭台』が現れた一因だと理解しているだろう。


「いずれにせよ、俺たちはやれることをやるだけだ。みんな、気をつけて行こう」

「「「はいっ!」」」


 歩き始めると、自然に隊列が形成されていく。一番前を行くセラフィナさんは、迷宮に入る間際に少しだけ後ろを気にした――俺も振り返ると、警備に当たっている隊員たちが、全員揃って敬礼姿で見送ってくれていた。


「まったく……任務外ではあのようなことはするなと言っているのですが」


 そう言うセラフィナさんだが、微笑みを浮かべている。皆も気が引き締まったようで、それぞれにいい顔をしていた――誰一人恐れずに、先に進むことができている。


 ◆◇◆


 迷宮内の時刻が、外とはずれている――俺たちが目にしたのは、夕焼けの色に染まる空と平原だった。


 まず、周囲の安全を確認して『士気解放』が使えるように準備をする。最大で四十五分はかかるところを、一度目の潜入で全体的に士気が上がっていたため、三十分でパーティ全員の士気を100にすることができた。


「よし……これで最後だ。みんな、準備はいいか」


 ◆現在の状況◆


 ・アリヒトが『支援高揚1』を発動 →パーティの士気が10向上


「……アトベ殿に言葉をかけられるたび、士気が……応援系の技能は、専門職の方なら持っていることもあると聞きますが」

「お兄ちゃんに応援されると、不思議と気力充実、やる気110パーセント! くらいになるんですよね」

「ミサキちゃん、それだとちょっとだけしか増えてないような……」


 士気が高い状態で得られる恩恵は大きいので、常に100にしておくに越したことはないのだが――戦闘をはさまずに同じ場所で支援高揚を使うと、士気の上がり幅が減ってしまうようだ。装備の補正で12上がるはずが、最後は10しか上げられなかった。


 いずれにせよ、これで準備は整った。『デミハーピィ』を召喚し、俺とミサキ、スズナを運んでもらうように頼む――彼女たちは足で俺たちの身体を挟み込んでくれるのだが、華奢な見た目のわりに鷲か何かのように力が強く、がっちりと固定してくれる。


「デミハーピィを調教テイムして、このように戦力にするとは……アトベ殿のパーティが用いる戦術の多様性は、他のパーティも参考にしたいところでしょう」

「魔物はレベルが上げにくいし、飼うにもお金がかかるから、資金に余裕のあるパーティしか人型の魔物は調教テイムしないでしょうね」

「倒さずに捕獲することも、とても難しいことです。気絶させる技能を使っても、同時に打撃を与えて倒してしまうこともありますから」


 デミハーピィと一緒に落下し、シオンに受け止められた時のことを思い出す――そして、シオンの母犬のアシュタルテのことも。彼女の威嚇がなければ、デミハーピィを捕獲することはできなかった。


「でも……後部くん、羽根の生えた女の子に足でカニばさみされてるみたいね……」

「私達もそうなので、それは言わない約束ですよー。それにカニじゃなくて、今は鷲掴みって言ってください」

「蟹と戦う前だものね……ふぅ。ミサキがいると緊張しなくていいのは助かるわね」


 士気が上がるほどに張り詰めた糸のようになっていたエリーティアだが、程よく肩の力が抜けたようだ。


 メリッサは『フォビドゥーン・サイス』を背負ってシオンに跨がり、突入前に手筈てはずを最終確認する。


「侵入した直後に、『バブルレーザー』で狙われることも考えられます」

「それなら、私が『ブリンクステップ』で……」

「純粋な魔法攻撃は、『ブリンクステップ』の回避の対象にならない可能性があるわ。私なら、撃たれても反応できると思うけど……」

「いえ。新しい盾の性能を鑑みて、私に任せていただいて大丈夫です」


 セラフィナさんの全身から、闘志が立ち上っているかのように見える――彼女が大丈夫だと言うなら、信頼して任せられる。


 岩壁の間の通り道の向こうは、逆光で見えない。セラフィナさんが確実に敵の攻撃を受けてくれるならば、突入直後に目が眩んで撃ち落とされるなんて事態は避けられる。


「『恐怖』避けの技能をかけるわね。『ブレイブミスト』!」

「ありがとうございます、キョウカ殿……では、行きます……!」


 ◆現在の状況◆


 ・『アリヒト』が『支援防御1』を発動 →対象:『セラフィナ』

 ・『キョウカ』が『ブレイブミスト』を発動

 ・『セラフィナ』が『防御態勢』を発動

 ・『セラフィナ』が『怒涛の進撃』を発動 →防御中の移動速度が上昇

 

「――はぁぁぁぁっ!」


 自分の身体より大きな盾を構えたまま、セラフィナさんは信じ難い速度で猛進していく――そして彼女が進む先に、巨大な姿が突如として亡霊のように浮かび上がる。


 ◆遭遇した魔物◆


 ・★無慈悲なる断頭台 レベル8 耐性変動 地形効果:恐怖 ドロップ???


「受ける……この盾で……!」


 ◆現在の状況◆


 ・『セラフィナ』が『プロヴォーク』を発動 →『★無慈悲なる断頭台』の『セラフィナ』への敵対度が上昇


 セラフィナさんの身体が淡い光に包まれる。自分の持てる限りの技能を使い、そして狭い道を抜ける瞬間に、巨大蟹は侵入者を迎撃するように、岩壁を抉る威力を持つ高圧の水流を吹き出してきた。


「……グワララララララ……!!!」


 ◆現在の状況◆


 ・『セラフィナ』が『オーラシールド』を発動

 ・『鏡甲の大盾』の特殊効果が発動 →『セラフィナ』の魔法防御力が大きく上昇

 ・『セラフィナ』が『ディフェンスフォース』を発動

 ・『★無慈悲なる断頭台』が『バブルレーザー』を発動 →『セラフィナ』に命中 ノーダメージ


 セラフィナさんの盾が、一瞬大きくなったように見えた――ロランドさんのパーティを壊滅させた攻撃は、彼女の盾に押し止められ、飛び散った水が雨のように降り注ぐ。


「――行くわよ、みんなっ!」

「ええっ……!」

「……!」


 エリーティア、五十嵐さん、テレジアが駆け抜けていく――セラフィナさんはさらに『怒涛の進撃』で進み続け、前衛の位置を維持する。


「俺たちも行くぞ……っ! ヒミコ、頼む!」

「お願いします、アスカさん!」

「行きますよー、ヤヨイちゃん!」

「――私達も……っ!」

「ワォォーンッ!」

 

 デミハーピィたちは力いっぱい翼をはためき、降り注ぐ霧雨の中で、地上を走るシオンと同時に砂浜の上空に飛び出す。


 ――一瞬、息が止まるほどの景色。戦いで来たのでなければ、言葉もなく見つめていただろう。


 高い岩壁で平原と隔てられた、広大な白い砂浜。水平線に沈みゆく夕日を浴びながら、『無慈悲なる断頭台』は巨大な鋏を掲げていた。


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