第百二十三話 大盾
医療所の一階に降り、ロビーを通るとき、ライセンスを介してアデリーヌさんから連絡があった――セラフィナさんは部隊長としてギルドセイバー本部への報告を終えたのだが、俺たちと話したいことがあるという。
「それにしてもお兄ちゃんとキョウカお姉さんったら、二人で歩いてるとき『相棒』って感じが出てましたよー。あんまりいい感じなので、スズちゃんと一緒にやきもちを焼いちゃいましたよ」
「や、焼き餅ではなくて……お二人とも、お仕事で一緒のときもそんなふうだったのかなって話していたんです。もう、ミサキちゃん?」
「え、ええと……会社にいた頃は、私が彼のことを引っ張り回してたというか……今はね、テレジアさんみたいに、少し後ろからついていくのがいいなって思ってるのよ」
「…………」
テレジアはきょとんとしているようにも見える――五十嵐さんが自分の振る舞いを参考にしているとは想像もしていなさそうだ。俺にとっても思いもよらなかったが。
「アリヒトと一緒にお仕事ができたら楽しそう……なんて、少し思ったけど。最初のアリヒトは疲れてる顔をしてたから、やっぱり大変そうね」
「転生したばかりのときは、そう言われることもあったな。今の方が元気っていうのも、何か不思議な気はするけどな」
「毎日を精一杯生きてるっていう実感はあるわね。会社にいた頃にこういう生活をしたいかって聞かれたら、きっとはいとは言わなかったでしょうけど」
シオンは五十嵐さんの言葉の意味が分かるのか、彼女の足元に顔を近づける。五十嵐さんはシオンの頭を撫でて微笑んだ。
「迷宮の風景も、息が詰まるような怖いところばかりでもないしね。観光気分みたいなところも少しはあったり……っていうと、緊張感が無いって怒られちゃうわね」
そう言って五十嵐さんは俺を見やる。俺からすると、いざ戦いとなるとシビアな判断を躊躇いなくする彼女に、緊張感がないなんて思うはずがないのだが。
「キョウカ、アリヒトを励まそうとしてるのね。それに、私たちのことも」
「あの魔物ともう一度戦うことを、みんな否定せずにいてくれた。そのことには、俺も感謝を……」
「お兄ちゃんがそうと言ったら、地の果てまでついていきますよー……って、それは今の場合だとちょっと不謹慎ですか?」
「ミサキちゃん、何かどんどん後部くんになついてる気がするんだけど……そんなに仲良くなるようなことがあったの?」
「えっ、あ、あの、そう言われても……ス、スズちゃんはあったみたいですよ?」
「そ、そんなこと……あれは、必要なことで、アリヒトさんも仕方なく……あっ、ち、違うんです、本当に変なことじゃなくて……」
スズナが慌てているのは、アリアドネの信仰値を上げたときのことを思い出したからだろう。俺はといえば確かにやましいことは何も無かったので、苦笑するほかない――といっても、他のメンバーに対して秘密があるというだけで問題視されるだろうか。
「…………」
この状況でフォローに回ってくれたのはテレジアだった。彼女は手を伸ばして俺の肩をぽんぽんと叩き、みんなの方を向いてゆっくり首を振る。
「……テレジア、それは何もないから大丈夫っていうこと? テレジアがそう言うのなら信じてよさそうね」
「私たちもだんだん、テレジアさんの仕草だけで分かるようになってきましたね。お兄ちゃんには全然かなわないですけど」
皆に微笑ましいものを見る視線を向けられる――テレジアはというと、俺に近づきすぎたことが原因なのか、微妙に蜥蜴のマスクが赤くなっていた。
「肩ポンしただけでテレジアさん、照れちゃってるんですか? ふぁぁ、亜人さんに心がないなんて全然嘘じゃないですか」
「…………」
テレジアはそれには首を振らない。俺からすっと離れると、マスクを押さえる――すると、徐々に赤みが引いていく。そうするとある程度放熱できるというのだろうか。
「私たちが先を急ぐ理由は一つだけじゃない。だから、頑張らないとね」
亜人の呪いが解ける時が、一分一秒でも早く訪れるように。決して見失ったりはしない――立ち止まってはならない理由を。
◆◇◆
セラフィナさんとアデリーヌさんは『緑の館』の前で俺たちを待っていた。
「アトベ殿、申し訳ありません。お疲れのところをお呼び立てして……お休み中ではありませんでしたか」
「いえ、俺たちは大丈夫です。これからもう一度『落陽の浜辺』に向かおうと思って、準備をしようとしていたところです」
セラフィナさんたちは目を見開く――しかしセラフィナさんはすぐに落ち着きを取り戻すと、静かな光を宿す瞳で俺を見た。
「……アトベ殿。もし可能なら、『セイバーチケット』を使用してはいただけませんか」
「せ、先輩っ……ギルドセイバーの側からチケットを使うように頼むのは、規定違反になりますっ。そんなことをしたら、先輩に何かの処分が……」
「分かっている。しかし、今の状況で私がアトベ殿たちとともに迷宮に入るには、それしか方法がない……ギルドセイバーは『落陽の浜辺』への立ち入りを禁止し、通行を制限する立場にある。唯一例外があるとすれば、通行資格を持った探索者によって参戦を要請された場合のみなのだ」
ギルドセイバーであるセラフィナさんは、危険な状況にある『落陽の浜辺』への侵入を規制する立場にあり、同時にそのルールに自分も拘束される――そういうことだ。
「あの魔物と対峙して、私もその脅威を理解しているつもりです。交戦経験のある者が多い方がいい……そのような考えは、押し付けだと分かっています。それでも私は……」
「……あのチケットを使わなくても、セラフィナさんは俺たちを助けてくれた。その貴方が参戦したいと言ってくれているのに、断る理由はありません」
「っ……アトベ殿、それでは……」
「規定違反ということなら、本当ならお願いしてはいけないと思います。でも、可能なら参加してもらいたい……それが本音です」
セラフィナさんはアデリーヌさんを見やる。アデリーヌさんは最初は止めようとしていたようだが、じっとセラフィナさんに見られると、耐えかねたように目を逸らした。
「ああ、もう……先輩って言い出すと聞かないんですから。それで、私のことは置いていって、後のことは頼むとか言うんですよね」
「……流石はアデリーヌだ、私のことをよく分かってくれているな。ずっと行動を共にしてきただけはある」
「だ、だからそういうときに言われてもですね……はぁーぁ。私だってついていきたいですよ、でも他のみんなへの対応とかもありますしね。そういうことも分かってるつもりですよ……ずっとバディだったんですから」
アデリーヌさんの言葉からは、セラフィナさんを深く尊敬していることが伝わってくる。そして、彼女のことを心から心配していることも。
それでもセラフィナさんがいるといないとでは、俺たちのパーティの戦い方はまるで変わってくる。ムラクモと戦ったときにもそうだった――彼女の防御が起点となって、何度も反撃のチャンスが生まれた。
「アデリーヌさん、俺たちは……」
「分かってます。アトベさんたちが有望なパーティだっていうことも、その実力も見せてもらいましたから。だから、信じます」
言いたいことはきっと、言葉にしている分よりもずっと多いのだろうと思う。しかしアデリーヌさんは、時間を取らせまいとしてくれているようだった。
「セラフィナ隊長、私はこれからしばらくの間、私情により単独行動をさせていただきます」
「恩に着る。迷宮から帰還次第連絡する」
「了解しました。隊長、皆さん、どうかご武運を」
アデリーヌさんは敬礼をすると、俺たちには頭を下げてから歩いていく。その後ろ姿を見送ったあと、俺はセラフィナさんにセイバーチケットの使い方を教えてもらった。
「このチケットは、特殊な金属を使っていて、魔道具として機能します。手に持って、救援要請をしたいと念じていただけますか」
俺は水色の金属でできた『セイバーチケット』を取り出し、セラフィナさんに言われたとおりに念じる――すると。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『セイバーチケット』を使用 →『セラフィナ』に参戦要請
・『セラフィナ』が『アリヒト』のパーティに参加
パーティのメンバーは、これで8名――すでに定員いっぱいだが、もう一人参加してもらいたいメンバーがいる。
二つのパーティに分かれても、別パーティを支援することはできる。しかし今回ばかりは、敵が『ファントムドリフト』『スカイハイ』といった移動手段を持っている以上は、『エフェクトアイテム』を使ってもらうためにマドカに参戦してもらうのは危険すぎる――彼女には安全な場所にいてもらったほうがいい。
「アトベ殿、皆さん、二度目の参加となりますが、よろしくお願いします」
そしてセラフィナさんにも、確かめておきたいことがある――彼女の盾が、どんな攻撃を防ぐことができるのか。改めて挨拶をしたあと、俺は迷宮の入り口に向かおうとするセラフィナさんを引き止める。
「セラフィナさん、お時間を取らせて申し訳ないですが、作戦会議をさせてもらってもいいですか」
「っ……も、申し訳ありません。志願して参戦させていただいたのに、勝手な行動を……」
「アリヒト、一度宿舎に戻りましょう。まだ時間はあるから大丈夫よ」
エリーティアの提案を受けて、俺たちは宿舎に向かう。マドカにもう一度探索に出ることを伝えなくてはいけないし、メリッサには作戦に参加してもらう必要がある。
◆◇◆
俺たちは宿舎にいるマドカとメリッサを呼び、契約している倉庫に移動した。
マドカは倉庫を改装してくれており、ミーティングを行うためのテーブルと椅子が運び込まれていた。迷宮に持ち込む装備を検討しながら話し合えればと思い、マドカに頼んでおいたのだが――七番区の商人組合ともすでに彼女は緊密に連絡が取れる状態になっていて、迅速に模様替えを済ませてくれた。
「もう一度、迷宮に入るんですね……お兄さん、私にも何かできることはありますか?」
「今回はかなり激しい戦いになる。マドカのレベルを上げる機会もいずれ設けるが、今日は待機しておいてくれ。大丈夫だ、必ず帰ってくる」
「は、はい……分かりました。セレスさんたちもいてくれるので、みんなで一緒に待ってます」
マドカは不安を隠せないでいる――申し訳なく思うが、同時にセレスさんたちが来てくれていて良かったとも思う。一人で待たせることになったら、ルイーザさんのいるギルドに居てもらうことになったかもしれない。
俺以外の全員が席に着く。マドカはミーティングに使う黒いボードと白墨も調達してくれていたので、それを説明に使わせてもらうことにした。
「では、作戦会議を始めたいと思う。あの魔物……便宜上『巨大蟹』と呼ぶが、全長がかなり大きく、接近戦を挑むことができる機会は限られてくる。そして大きな特徴として、物理攻撃を仕掛けると攻撃がすり抜けるようになり、魔法攻撃が有効になる。そこで魔法攻撃をすると、元の状態に戻る。まず、そのことを把握しておいてほしい」
「そ、そんなことになってたんですか? 透けたりしてるな、っていうのは分かったんですけど……」
「スズナちゃんが『ストームアロー』を撃ったあと、確かに敵が実体化していたわね……そういう法則があったのね」
後衛の俺は、魔物の変化を一番引いた位置から観察することができる。それが俺の果たすべき役割でもあるので、今後も状況の理解に努めたい。
「私は主に物理攻撃をするから、有効な打撃を与えるには、実体化している時に攻撃しないと駄目ね……」
「そう……そして、可能なら連携攻撃を入れたい。そこで必要なのは、『物理攻撃が通る』状況、そして同時に『反撃を受けない』状況を作ることだ。無理に仕掛けて大きな鋏を振り回されたら、前衛が一気に壊滅する恐れもある」
「……物理攻撃が通る状態と、敵に隙を作ることの両立。それを可能にする一つの方法として、敵が実体化して攻撃してきたとき、それを私が受け、跳ね返すという手段が考えられます」
セラフィナさんはそう提案してくれる――だが、一つ危惧していることがある。
「それは確かに有効だと思います。ですが、『巨大蟹』には他にも攻撃手段がある。特に『バブルレーザー』と『魂を攫う鎌』の二つが危険です。セラフィナさん、あの二つは魔法系の攻撃だと思いますが、セラフィナさんの盾で受けることはできますか?」
「……私の『オーラシールド』は、物理、魔法問わず被害を軽減する技能です。しかし盾の性能は、物理防御に著しく偏っています。魔法に類する攻撃は、半減すらできないと思います」
そういった可能性もあると思ったからこそ、俺は『魂を攫う鎌』をセラフィナさんが受け止めようとする事態を避けようとした。
だが、セラフィナさんが前衛の盾役を果たせなくなるというわけではない――彼女が使っている盾より、魔法に対する防御力が高い可能性のある盾を、俺たちは一つ持っている。
「マドカ、前に『背反の甲蟲』の甲殻で作った盾はどの棚に置いてある?」
「はい、防具の棚に入れてあります。とても大きな盾ですから、台車に乗せて……」
「私に見せていただけますか。大きな盾を扱えるように、日頃から鍛錬していますので」
セラフィナさんは席を立ち、マドカに案内されて、目的の盾があるところに向かう。彼女は自分の身長と同じくらいの大きさの盾を手にして、小さく驚きの声を上げた――俺の見込み通り、幸いにも『鏡甲の大盾』は期待に添う性能を持っていたようだった。




