第百二十二話 依頼
医療所の受付で面会を申し入れると、ダニエラさんは意識がある状態で、俺たちに会うことを受諾してくれた。
「まだ患者さんは安静が必要な状態ですので、一度に面会する人数は二人までとさせていただきます。患者さんを興奮させるようなお話はされないこと、それから……」
看護師の女性に病室に案内されながら注意事項を説明される。二人までということで、俺と五十嵐さんがダニエラさんと面会することになった。
待ち合いスペースにパーティの皆を待たせ、ダニエラさんのいる305号室に入る。ベッドの上で横になっていたダニエラさんは、俺たちが入室すると、看護師さんに支えられてゆっくりと身体を起こした。
看護師さんが退出したあと、ダニエラさんは俺たちを見ると――力なく、微笑みかけてくれる。セラフィナさんと張り合っていたときの彼女と、同じ人とは思えないほどにその姿は儚げだった。
「良かったら、座ってください。私が偉そうに言うことでもないのだけど……」
「いや、そんなことは……お気遣い、ありがとうございます」
五十嵐さんが面会者用の小さな椅子を持ってきてくれる。ダニエラさんは髪を一つに結び、病室用の簡素な服に着替えていた。
「お腹を冷やさないように、温かくしてください」
「ありがとう。取り乱してしまったけど、この子は大丈夫……ごめんなさい、見苦しいところを見せてしまって。それに、不快な思いも……」
「……なぜ、そこまでという思いは確かにありました。あなたたちくらいの大規模な集団なら、他にやりようはあったはずです」
ダニエラさんはベッドの上に身体を起こしている姿勢が辛いようで、五十嵐さんの補助を受けてベッドの端に座り直す。
「……私達がどうしてあの方法を取ったのか。それを、聞きにいらしたんですか?」
「はい。それを教えていただいた上で、俺たちはある提案をさせてもらいたいと思っています。ダニエラさんの意向を尊重すべきですから、何かを強要するというつもりは全くありません。ただ、互いに納得できるよう話す必要があると感じています」
『致死昏睡』状態にあるというロランドさんについて、すぐに触れることはどうしても躊躇ってしまう。しかし、先延ばしにすることもできない。
「……後部くん、ここからは私に話させてもらっていい?」
ズボンの膝を、気がつくと強く握ってしまっていた。五十嵐さんはそれに気づいて、代わりに言葉を続けてくれる。
「私たちは、あの魔物を倒したいと思っています」
「っ……そんな……」
「『同盟』の人たちのやり方は、公平性を欠いていたと思います。そう思っている私たちが、なぜ……と思われるかもしれません。ですが、私達にもできる限り早く昇格したいという動機があります」
俺たちの事情を詳しく知らなければ、それだけでリスクを犯してまで『無慈悲なる断頭台』と戦う理由になるのかと思われるかもしれない。
ダニエラさんは俯いたままでいる。しかし、沈黙は長くは続かなかった。
「……ロランドは……夫は、元々仲間たちと一緒に、この迷宮国にやってきました。転生する前はある国の軍隊にいて、空軍に所属していたんです。一緒に六人が転生して、軍隊での経験を活かし、七番区まではすぐに上がることができたと言っていました」
生前から身体能力や判断力を問われる環境に身を置いていたのなら、転生してからも順応は早いだろうというのは想像がつく。
しかし、ロランドさんは七番区で一度挫折している――その経緯もまた、ダニエラさんは俺たちに話してくれた。
「ロランドのパーティが七番区の序列一位になったのは、二年前のことです。しかしロランドは、パーティのメンバーを庇って傷を負い、それが原因で疫病に冒されました。未確認の『名前つき』が与えたその病は、今も有効な治療法が確立されていません……彼は、とても運が良かったと思います。四番区の大神殿から派遣された治療師による施術を受けられて、一命を取り留めたんです」
ダニエラさんは当時、この医療所に医師として務めていた。早期に『支援者』となった彼女は、ロランドさんの治療を担当し、言葉を交わすようになったという。
「……ロランドは意識を取り戻しても寝たきりで、立ち上がるまで半年がかかりました。その間に、彼の仲間は六番区に上がった。ロランドに向けて、仲間の人たちは言伝を残していました」
――いつかまた、上位の区で会おう。ロランド・ヴォルン軍曹殿。
「それは……ロランドさんが回復することを祈って……」
「そういった気持ちもあったと思います。しかし、パーティに貢献していたロランドを、彼らは一ヶ月も待つことをしませんでした。ロランドがいつも言っていたという、『足手まといになったら迷わず切り捨てるように』という言葉通りに……療養しているうちにレベル1になったロランドが、一人でやっていくのはとても難しいことなのに」
「……だから、貴方が仲間として支えようとした。そういうことだったんですね」
ダニエラさんは頷く。彼女のレベルも一度引退したときに2まで落ちていたが、勘を取り戻すために八番区に戻るロランドさんについていくために、探索者に復帰したのだという。
「初めは……せっかく命をつないだのに、彼が仲間に追いつくことしか考えていないことに反感を覚えることもありました。彼を諌めたいという気持ちもあって、お節介のつもりで同行して……けれど仲間が少しずつ増えて、もう一度七番区で探索ができるようになった頃には、私も探索者をしていたときの気持ちを思い出していました。私にも、仲間と迷宮国の謎を解きたいと思っていたことがあったんです」
迷宮国の謎――それを解き明かせとギルドから伝えられるわけではない。しかし、俺もずっと感じていることではある。
この国には、何か重大な秘密がある。『曙の野原』の隠し階層でアリアドネに会った時から、そんな考えが常にある。
「でも……七番区の上位ギルドまで復帰したときのことでした。ロランドは、過去のことを思い出してしまったんです。毎晩闇の底に落とされるような悪夢を見て、どんどん衰弱していきました。それでもかつての仲間たちがいるところを目指すことは、どうしても諦められなかったんです」
そして『同盟』は、安全に貢献度を稼ぐための狩り場として『落陽の浜辺』に目をつけた。
「ロランドはあれだけの辛い思いをした。だから、こんな方法を取っても大目に見て欲しいという思いがありました。非難を受けること、疎まれることを分かっていて、開き直ろうとしていたんです……恥ずべきことだと分かっているから、ギルドセイバーの方の説得に対しても、酷い態度を取ってしまいました。責められることはしていないなんて……誰が見ても、そんな詭弁は通らないのに」
しかし『蟹』に依存しすぎた貢献度稼ぎは、予期せぬ事態を招くことになった。そうなった今だから反省しているとも言えなくはないが、今彼女を責めても仕方がないことだ。
最大で27名の組織になった『同盟』だが、今は18人にまで減っている。俺は、そのことについても引っかかっていることがあった。
「なぜ、負傷した五名を『同盟』から外すことになったんですか? ロランドさんの奥さんである貴方が合意するのは、不自然に感じますが……」
「……今の状況では、私は『同盟』の副リーダーとしての責任を果たすことはできません。ですから、これからも『同盟』を引っ張ってくれる人に、方針を委ねようと思いました」
――やはり、伝えておかなくてはならない。
グレイが仕組んだだろう、『同盟』の実質権限を持つ人間の交代。それは、彼の不正によってもたらされたものだということを。
「……グレイは、リーダーの地位を譲るようにと言ってきたんですね」
「い、いえ……彼は、ロランドに信頼されていて、今回の作戦でも……これまでも、他のメンバーが認めるほどの功績を上げていて……」
「それは、違うはずです。俺はロランドさんと、グレイが話しているところを聞きました。ロランドさんは参加した時期が遅いグレイよりも、初期からのメンバーの貢献を考慮したいという方針だった。それは、ダニエラさんも聞いていたんじゃないですか?」
今俺が話していることは、推論でしかない。しかしあながち的外れでもなく、ダニエラさんにも心当たりがあるようだった。
「……で、ですが……今回『呼符』を調達してきた彼は、功績が大きく……」
「確かに、これまでの『同盟』の方針を満たす方法として『呼符』は一つの手段だったと思います。しかし彼が『呼符』を使って魔物を無理に出現させたことが、今回の原因になってもいる。そして、ロランドさんと一緒に最後まで戦おうとしたのはトーマスさんという人のはずです……彼はグレイがリーダーになるかもしれない今の状況に納得していない」
「それなら、もう一度話し合う必要があるんじゃないかしら……それなのに、なぜ彼は自分がすでにリーダーになったという体で話していたの?」
五十嵐さんが疑問を呈する――ダニエラさんは混乱していて、さらに困惑させることを言うのは気が引けるが、事実をありのままに告げるしかない。
物証ならば存在する。俺はここに来るまで、『その表示』が流れてしまわないように留意していた――ライセンスを取り出し、ダニエラさんに該当する部分を見せる。
「……トリック、スター……技能を、隠蔽……」
「これが、グレイが『同盟』の中で地位を向上させるために使った方法です。彼は交渉ごとを有利にさせる技能を、他者に気付かれないように発動していた。これは、彼が俺たちのパーティメンバーを引き抜こうとするときに技能を使ったときの記録です」
「なんて、こと……私も、ロランドも、他のメンバーも……今まで『同盟』に協力してくれた人たちも、この方法で……」
グレイの思い通りに動かされる局面があった。それをこれ以上無い形で示されると、ダニエラさんは頭を抱えてうずくまってしまう。
「後部くんだから、グレイのしたことに気づくことができたのね。こんな卑劣な方法を使って……許せない……!」
「こんな技能が存在することには、俺も驚いています。探索者の技能は基本的に、戦闘に使うものや仲間を助けるためのものだと思っていた。グレイの技能の使い方は、他人を陥れることを目的としています……それでは探索者同士の競争に、陰謀めいたものを持ち込んでしまう」
そういった方法でしか、先に進むことができない――そんな職種だとしても、技能を悪用しないで活かすことだってできるはずだ。しかしグレイは、その道は選ばなかった。
「今後は、グレイと単独で面会することは避けてください。彼が医療所に来たとき、技能を使って面会の許可を取ろうとする可能性はあります。しかし、ダニエラさんが断れば、彼がここに来ることは難しいはずです。それだけではグレイの行動を封じることはできませんから、何か対策を講じようと思います」
「……可能な範囲で、お願いします。私は彼にもう一度リーダーの座を譲れと言われたら、断ることができそうにないと思っていました。それも技能の影響としたら、彼が技能を使っていることに気づけなければ、どうしようもありません」
「『同盟』のメンバーの前で糾弾するという手はあるけど……後部くん、どうするの?」
グレイがしたことを明かし、『同盟』における彼の立場が悪化したとしても、他の探索者にまた取り入ろうとする可能性がある。
今、グレイが自由に動ける状況にしておくことはリスクがある――だが何か仕掛けてくるのなら、それが逆に付け目となることも考えられる。
「今は、あの『名前つき』を倒すことを最優先に考えます。ダニエラさん、俺たちが『名前つき』を倒せたとしても、今の状況では『同盟』が失った貢献度はそのまま消えてしまいます。あなたが副リーダーとしての権限を持っているなら、俺たちに『依頼』をしていただけないでしょうか」
「……でも……ロランドは、もう……今からあの魔物を倒しても、彼は……」
ダニエラさんの頬に涙が伝う。とめどなく溢れて止まらなくなり、彼女は顔を覆って泣き始める――五十嵐さんはその手を取り、ダニエラさんを抱きしめた。
「助けられるわ。後部くんは、あの大きな蟹がロランドさんの魂を捕まえるところを見たのよ。それを、取り返せばきっと……」
「まだ良く知らない俺たちのことを、信じるのは難しいかもしれません。ですが、ロランドさんを救助するまでの時間はもう限られていて、一度交戦している俺たちと、『同盟』のメンバーしかあの魔物に遭遇できる可能性はない。現実的に討伐できる可能性があるのは、俺たちだけです」
エリーティアはレベルが高いが、他のメンバーはレベル6が最大――そんな俺たちで、レベル8の『名前つき』を倒せるのか。
しかしレベルが全てを決めるわけではないことも、俺たちは良くわかっている。『手段を選ばず』ではなく、『持てる手段を使いきる』ことで、困難な状況を打破することができるはずだ。
涙に濡れた顔で、ダニエラさんが縋るように俺を見る。俺にできることは、苦渋の選択をするという顔をするのではなく――ただ、笑うことくらいだ。
「その子のことを、両親が揃って迎えてあげてほしい。俺は、自分がそうだったのか分からないですが……自分が生まれてきたことを誰も喜ばなかったとは、思っていないから」
五十嵐さんがダニエラさんから離れる。ダニエラさんは深く頭を下げ、そして大きくしゃくり上げながら、それでも言ってくれた。
「……あの魔物を、倒してください。どうか……あの人を、助けて……助けてください……」
「はい……必ず。俺たちは依頼を受けて、あの魔物を倒します。その過程で何が起きるとしても、それは魔物の討伐に関わる出来事です」
「うちのリーダーは、ロランドさんの魂を取り返せたとしても、それは仕事上のことです……って言いたいみたいです。つまり、さっきも言った通り、私たちにも動機があって戦うんだっていうことです。人を助けるための自己犠牲とか、そういうことじゃないのよ」
五十嵐さんはダニエラさんの心を少しでも軽くしようとする。俺としても、心労をかけてはいけないので、静かな気持ちで待っていてもらいたい――そうでないと意味がない。
『依頼』の仕方は、ダニエラさんが知っていた。彼女はベッドサイドのチェストに置かれていたライセンスを操作し、俺は『依頼受諾』の意志を示して、正式に依頼を成立させる。
「……どうか、皆さんご無事で……決して、無理はなさらないでください」
それは正直を言うと難しい約束ではあるが、五十嵐さんはダニエラさんと握手をする。
俺はあの巨大蟹を倒すための手立てを、すでに幾つか思い浮かべていた。
半日が経つ前に、必ずここに帰ってくる――全員が無事で。
◆現在遂行中の依頼◆
・『自由を目指す同盟』からの依頼:『★無慈悲なる断頭台』の討伐




