第百二十話 約束
アデリーヌさんは魔物牧場との仮契約を代行してきたことを伝えてくれて、そして『アラクネメイジ』に対応する召喚石を渡してくれた。
「第十七魔物牧場の、ウィリアムさんのところに預けてきました。アトベさんと取引がある牧場ということで、ギルドセイバーは情報取得の権限がありますので……あっ、す、すみません。勝手に見てしまったのは、良くなかったでしょうか」
「いえ、手続きに必要なことなので全く問題ありません。こちらこそ、お手数をおかけしました」
そう言って頭を下げると、アデリーヌさんは胸に手を当てて息をつく。こうして改めて近くで顔を見ると、日焼けではなくて、元々褐色の肌なのだと分かる。職業は『狩人』と言っていたが、狩猟をする部族の出身だったりするのかもしれない。
「それにしても……皆さん、こちらから支援要請をしたとはいえ、無事に戻られて本当に良かった。先ほど隊長とも会って無事だと分かってはいたんですが、皆さんの姿を見た時は、本当に安心しました」
「俺たちは無事ですが、『同盟』は大きな被害を受けました。だから、喜んでばかりもいられないですね……」
「窮地に陥った探索者の救助は、ギルドセイバーでも困難な局面が珍しくありません。撤退しても罰則のある状況ではなかったのに、隊長は一人でも行くつもりだった。あの人は、そういう人なんです」
アデリーヌさんはこれまでセラフィナさんを近くで見てきて、彼女の性格をよく知っているのだろう。そのうえで、彼女を止められないと分かってもいる。
「皆さんに、改めて感謝します。私達の隊長を助けてくれた恩は忘れません」
頭を深く下げて、そのままアデリーヌさんは静止する。ここまでの最敬礼を、俺は久しぶりに目の当たりにした。
「セラフィナさんには、何度か助けてもらっていますから。それに、強い魔物と戦うこと自体は、これまでもしてきたことです」
「……普通は、そう言えないですよ。だって彼らは、皆さんの競争相手なんですから」
「彼らが勝てない相手を倒せば、文句なしで六番区に上がれる。そういう意図もあります……『名前つき』を待っていたら、足踏みをすることになるので」
俺たちは、ほぼ毎回の探索で『名前つき』に遭遇している――だから、本当は遠回りをしても構わないのだろう。
それでも、一分一秒でも早くなるに越したことはない。まだルウリィという人は生きている――そう信じるのなら、迷宮の中で、魔物に捕らえられて過ごす時間は、少しでも早く終わらせなくてはならない。エリーティアは今も、俺たちの見ている前以外で、隠れて泣いているのかもしれないから。
「……あなたみたいな探索者だから、先輩は……背中を任せられるって、そう思ったんですね。ちょっと、羨ましいです」
「い、いや……俺は『後衛』なので、後ろでしか役に立てないだけで……」
「いえ、背中を任せるっていうのと、隊列を組んで並んでるっていうのは違うんです。その……信頼の度合いが違うっていうんでしょうか」
セラフィナさんを支援することで信頼度は確かに上がっているのだろうが、パーティの仲間と比べるとわずかな変化だと思う。しかしアデリーヌさんはそう思っていないようだ。
「あっ、先輩には内緒にしておいてくださいね。お喋りがすぎる、ってお小言を言われちゃいますから」
「大丈夫です、俺は口が固い方ですから。セラフィナさんにもよろしく伝えてください」
「その……ギルドセイバー本部への報告もあるので、一、二時間くらい後になると思うんですが。セラフィナ隊長からお話があるかもしれないので、ライセンスで連絡できるようにしてもいいですか?」
『セイバーチケット』は連絡に使うものでもないと思うので、他の連絡方法を用意しておけるとこちらとしても助かる。
アデリーヌさんと連絡できる状態にしてもらったあと、彼女を見送って上位ギルドに向かう。その途中で、エリーティアが横に並んできた。
「アリヒト、召喚石を受け取ったんでしょう? つけられる数に限りはあるけど、ペンダントに追加できるわよ」
「ん、そうか。じゃあ、早速追加しておこう」
◆召喚石のペンダント・四魔◆
・『デミハーピィⅠ』を召喚できる。
・『デミハーピィⅡ』を召喚できる。
・『デミハーピィⅢ』を召喚できる。
・『アラクネメイジ』を召喚できる。
・『回避力』が少し向上する。
・『風耐性1』が身につく。
・契約した魔物の信頼度が上昇すると、追加効果が解放される。
久しぶりに『召喚石のペンダント』の情報を見たが、『追加効果』が新しく一つ解放されている。魔物は召喚するだけで信頼度が上昇するようだ。
『アラクネメイジ』の信頼度を上げると、どんな効果が解放されるのだろう。召喚石の数が増えるほど付加能力も増えるので、今後も魔物の捕獲は選択の一つとして考えておきたい。
◆◇◆
上位ギルドの『緑の館』に着くと、一階の奥に案内される。前と同じ、星座のような九つの石がはめ込まれた扉の部屋に入り、しばらく待っているとルイーザさんが入ってきた――走ってきたのか、肩を大きく上下させて息をついている。
「はぁっ、はぁっ……ア、アトベ様っ、ご無事なのですね……っ」
『落陽の浜辺』で起きたことを、ルイーザさんもすでに知っている――そう察した俺は、立ち上がって彼女を出迎えた。
「この通り、俺も仲間たちも全員無事です。ご心配をおかけしました」
「……良かった……『自由を目指す同盟』の方々が、魔物によって大きな被害を受けたと聞いて……アトベ様たちも救助に加わったと、ギルドセイバーの方から報告が……」
それならば、ロランドさんのことも伝わっているだろう。ルイーザさんは目を涙で潤ませている――俺たちが帰ってきたことを、心から喜んでくれていることが伝わってくる。
「……申し訳ありません、取り乱してしまって。こんなことでは、ギルド職員失格ですね」
「俺こそ、心配をかけました。一度、探索の報告をさせてもらおうと思って来たんですが……その前に、一つ聞かせてもらってもいいですか」
ルイーザさんはそれだけで、何を聞こうとしているのかを察したようだった。簡単には言葉が出てこないようで、胸を押さえて息を落ち着けたあと、神妙な面持ちで言う。
「『同盟』は、中心パーティのメンバー五人が重傷……リーダーのロランドという方は、現在『致死昏睡』状態です」
「致死、昏睡……それは……」
「……いつ、死亡と認定されてもおかしくない状態です。長く持っても、半日……ギルドの規定では、そのような状態を『致死昏睡』としています」
医療所でも、ロランドさんを回復させることはできない。
魂を抜かれた状態では、やはり長くは生きられない――それを確かめた今、簡単に言葉が出てこなかった。
「『同盟』の方々が、救助のために迷宮に入られる可能性はあります。しかしそうしなくても、それは……生き残った方々の自由です」
ルイーザさんは、規則をありのままに伝えてくれている。それだけでも、心優しい彼女は、自らの心を削ってしまっている。
「……辛いことを言わせてしまって、すみません」
「いえ……アトベ様方が救助のために尽力されたこと、それはとても尊い選択です。迷宮内で起こることは各パーティの自己責任で、どんな事態が起きても他のパーティが介入する義務はありません」
義務はない。助けずに逃げても、それはパーティのメンバーと生き延びるため、第一に肯定されるべき選択だ。
「……それでも、助けようとする探索者はいる。アトベ様たちのように……その選択もまた、ギルドは讃えるべきもの、価値あるものとして評価します」
ずっと思いつめたような顔をしていたルイーザさんが、ふっと微笑む。
称賛を受けたくてやったことじゃない。それでも、ルイーザさんがそう言ってくれたことは、心から嬉しく思う。
「今回の件については、また別途ギルドから通達があると思います。『スタンピード』の鎮圧に参加したこと、『北極星』の方を救助されたことも併せて、ギルド上層はアトベ様方の活動について強い興味を示されていますから、きっと良いお報せになると思うのですが……」
「そ、そうなんですか……ギルド上層っていうのは、何か雲の上の人たちっていうイメージがあるんですが。まだ駆け出しの俺たちに興味を持ってもらうのは、ちょっと恐れ多い気がします」
「それほどアトベ様方の活動に目覚ましいものがあるということです。私も報告するたびに、僭越ながら、自分のことのように誇らしく思っております」
ルイーザさんはそう言って、胸に手を当て、少し反らしてみせる――豊かな起伏のある部分が強調されると、俺も若いと思いながら顔が熱くなってしまう。
「さて……それでは、報告に移らせていただきますね。ライセンスを拝見いたします」
俺たちはテーブルを挟んで対面して席に着く。ライセンスを渡すと、ルイーザさんは指先を滑らせて操作し、探索結果を表示した。
◆今回の探索による成果◆
・『落陽の浜辺』1Fに侵入した 20ポイント
・『アラクネメイジ』を1体捕獲した 120ポイント
・『自由への同盟』を救援した 480ポイント
・『★無慈悲なる断頭台』から撤退した -20ポイント
・『★無慈悲なる断頭台』と一定時間交戦した 40ポイント
・パーティメンバーの信頼度が上がった 35ポイント
・『セラフィナ』の信頼度が上がった 30ポイント
・『ロランド』の信頼度が上がった 10ポイント
・合計9人で合同探索を行った 45ポイント
探索者貢献度 ・・・ 760ポイント
七番区貢献度ランキング 45
想定していたよりも、貢献度が多い――一番大きく寄与しているのは、『自由への同盟』を救援したという項目だった。
「魔物を捕獲されて、その後に救援をされた……ということでしょうか」
「はい。救援での貢献度は、かなり高いんですね……これは、どんな算定基準になっているんでしょうか」
「救援対象となったグループの人数一人あたり、20ポイントと算出されていますね。『同盟』は合計24名でしたので、480ポイントになっております」
救援した対象が大きな組織であるほど、貢献度は大きくなる。そして、やはり『名前つき』は討伐しなければ大きな貢献度が得られない――交戦しただけでは、『グランドモール』一体あたりの50ポイントよりも少ないくらいだ。
「『救援』には、他にも貢献度の算定基準があります。今回も適用の可能性がありますので……制度として、説明させていただきます。それがギルドでの規定になっておりますので」
「他の算定基準……というと?」
「他のパーティ、あるいは組織が討伐できなかった魔物について、正式に依頼を受けて代わりに討伐を行った場合には、『代行補償』という制度が適用されます」
ルイーザさんは自分のライセンスを取り出すと、自由に描ける画面を開いて、指で図を描きながら説明してくれた。
「例えば、ある魔物が探索者のパーティを敗走させたとします……そのパーティは、大変多くの貢献度をマイナスされるペナルティがついてしまいます。魔物は生き残るほどに強くなってしまうので、ギルドとしては厳しい評価をしなくてはなりません」
探索者を多く返り討ちにするほど、魔物は強さを増す――分からなくはない話だ。『名前つき』がレベルに対して尋常ではない体力があったりするのも、それが原因なのかもしれない。
「倒せなかった魔物については、他の探索者に討伐を依頼することができます。すると、他の探索者が討伐を成功させたとき、敗走したパーティがペナルティとして失った分の貢献度が、討伐成功時の評価に算入されます」
ペナルティがどれくらいになるのか分からないが、場合によっては『名前つき』を倒したときよりも、大きな貢献度が得られる可能性がある――そういうことだ。
「『代行補償』の内容はそれだけではなく、人的、物的補償も受けられます。適用される状況が限られているので、実際に制度として利用されることはまれなのですが」
「分かりました。そういった制度もあると覚えておきます」
『代行補償』という制度は、一つの可能性を示唆している――『同盟』の依頼を正式に受け、『無慈悲なる断頭台』を討伐すれば、六番区に行く条件を最速で満たすことができる。
しかしそのためには、ダニエラさんに面会する必要がある。ほぼ敵対しているようなものだった俺たちと、話してくれるのか――会うことすらできなければ、そこで話は終わってしまう。
「……アトベ様。私は……アトベ様のパーティが迷宮国を進んでいくところを、近くで見ていたい。少しでも長く……いえ。叶うのなら……」
「俺も、ルイーザさんにはずっと見ていてもらいたい。あつかましいかもしれませんが、そう思ってます」
「っ……ア、アトベ様……」
「八番区から七番区までせっかく一緒に来られたんです。途中から別れるとか、担当の方が変わるっていうのは、寂しいというか……ルイーザさん?」
話しているうちに、ルイーザさんの肩を出して着ている服がずれて、彼女はそれを引っ張って位置を直す。何か、肩をこけさせるようなことを言ってしまっただろうか。
「……私はアトベ様方の専属受付嬢のようなものです、と申し上げたこと、お忘れになりましたか? 軽い気持ちで申し上げたつもりではなかったのですが」
片眼鏡を外したルイーザさんは怒ったように見えて、謝らなくてはと慌てる。そんな俺の反応を見ても、彼女はまだ怒っているようで――けれど、違っていた。
「……今のお話で、アトベ様がどのようにお考えになるかは、これまでお話をしてきて分かっているつもりです」
「すみません、ルイーザさん……それでも話してくれて」
「はい……本当のことを言うと、とても心配です。ですから、今夜も一緒に夕食を取っていただけるように、今からお願いさせていただきます」
それは彼女なりの、無事を祈るという意味の言葉でもあるのだと思った。だから俺は、ルイーザさんが差し出した小指に、少し照れるものを感じながらも、自分の小指をつなぎ合わせた――この約束は、必ず違えないと誓って。




