第百六話 職人たち
外に出ているボードに書かれたブランチメニューを見て、みんなは楽しそうに話しながら何を食べるかを決める。俺は『ソルジャームースの香味ソテー』を頼むことにした。
ムースというのはシカのことらしい。テレジアも興味を示しているので、俺たちは同じものを注文することにした。テレジアはそれだけでは足りないので、もう二、三品選んでも良いと伝えておく。
「お兄ちゃん、この『遮り蟹の辛味ソース煮込み』ってもしかして……」
「多分『同盟』が狩場を独占してるっていう蟹だろうな。食材としての需要は高いみたいだ」
「目玉メニューって言われると興味があるけど、自分たちで狩ることができたら、その時にお祝いとして食べた方がもっと美味しく感じるでしょうね」
五十嵐さんの言うとおりだ。独占が解消されたら、みんなが自分で『蟹』を狩って食べられる――その時に食べた方が旨いだろう。
「私たちは他の迷宮を攻略して、必要な貢献度を稼ぐこともできる。『フォーシーズンズ』が攻略に行き詰まっているということもなくなったし、『同盟』の独占については、あえて干渉しないでおくという手もあるけど……」
「そうだな。いざこざを避けるのが賢いって部分もあるだろう……だが、同盟のやり方がルール違反ではないにしても、他の探索者がそれに従う理由もない。『蟹』を狩る権利は、本来誰のものでもないわけだしな」
食材や素材として需要が大きく、倒しやすい。そういう魔物を狩りたい探索者は当然多いわけで、『同盟』の独占で二の足を踏み、くすぶっている人がいる可能性は高い。
「みんなも見てたと思うが、『同盟』のリーダーは全く話が通じないわけじゃなかった。『落陽の浜辺』に潜れるようになったら、実際にどんなふうに『蟹』が独占されてるのかを見て、他の探索者に全く入り込む余地がないくらいだったら、改めて交渉してみようと思う。狩りの時間を区切ってもらうとかな」
「『フォーシーズンズ』だけでなく、ギルドでも問題を把握しているくらいだから、今は二十四時間『蟹』の出現を監視しているくらいでしょうね……」
そこまでしても六番区に上がりたい理由が、彼――ロランドにあるのか。一度七番区の序列最下位まで落ちた経験も、関係があるように思える。
「どのみち、パーティを強くしておくことは必要だ。今後は探索のペースも、週休二日くらいを目安に考えていきたい」
「それはいい考えだと思うけど、丸一日お休みを貰っても何に使えばいいのか迷いそうね」
「お買い物に行ったり、ごろごろしたりですかねー。あ、エリーさん、劇場もあるって言ってませんでした?」
「ええ、そうね。プロの経験がある人たちも舞台に立つから、なかなか見ものだと思うわ」
エリーティアはミサキに勧めはするが、自分が行きたいという空気は出していない。
娯楽に目を向けてしまえば、『赫灼たる猿候』に捕らえられた仲間に申し訳が立たない――そんなことを考えているのだろうか。
「当面は、お休みも今後のために使うべきだと思います。楽しいことは、みなさんと一緒なら幾らでも日常の中で見つかりますから」
「だよねー、お兄ちゃんを観察してるだけでも飽きないし。お休みの日も何だかんだで追い回しちゃうかもしれないです」
「ま、まあおっさん……と自分で言うのも切ないが、いい歳した男がだらっとしてるところを観察しても楽しくはないんじゃないか?」
「バウッ、バウッ」
このシオンの吠え方は何か、俺の休日の過ごし方を肯定してくれているようだが――いや、おそらく散歩してほしいとかそういうことだろう。
「…………」
「シオンちゃんもそうだけど、テレジアさんもそういう過ごし方で問題ないみたいね」
「……私もそれでいい。寝るのは好きだから」
「わ、私も……皆さんでお家でゆっくりするのもいいと思いますっ」
「ああ、そうやって過ごす時間もしっかり取りたいな。と言っても、何だかんだで俺は色々動き回ると思うけど、みんなも過ごし方について考えておいてくれ」
「ええ、分かったわ。いつでも出られるようにしておくから、同行する必要があるときは声をかけてね」
「あ、そうだ。スケジュールボードを用意して、別行動をするときは行き先や予定を書けるようにしたらいいんじゃないですか?」
ミサキの意見にみんなも同意する。会社のホワイトボードには、休日にも『出勤します』と書いていた記憶ばかりが蘇るが――それを五十嵐さんも思い出したのか、少し申し訳なさそうに苦笑いしていた。
◆◇◆
食事を終えたあと、俺たちは宿舎に戻っていったん休憩することにした――すると、宿舎の前に見覚えのある人たちの姿を見つけた。
魔法使いのようなローブを身につけている、小柄な少女――といっても、迷宮国の長命な種族なので、俺より年上なのだったか。
「おお、どこに行っておったのじゃ。お主から出張要請が来ておったから、午後は店を閉めることにして飛んできたのじゃぞ」
「ご主人様ったら、ずっとアトベ様のことを気にかけていたんだよ。あ、私のことは覚えていてくれているよね?」
「ええ、勿論です。急に連絡してすみません、セレスさん、シュタイナーさん。それに、ファルマさんも」
シュタイナーさんは相変わらず重厚な甲冑姿で、ファルマさんも店の外でもエプロンをつけている。数日会っていないだけだが、変わらない姿がとても懐かしく感じた。
「アトベ様、その後もご活躍のようで何よりです。七番区に来るのは久しぶりですが、少し雰囲気が変わっているみたいですね」
「そうか、ファルマさんは現役だった時に来たことがあるんですね」
「ええ、夫と一緒のパーティで冒険をしていたときに……この先の区のことは分かりませんが、この区まではある程度案内することもできます。といっても、お仕事で呼んでいただいたので、滞在時間は限られているのですが」
「うむ、時間が限られておるから、きっちりと作業を終えなくてはならん。条件次第では、滞在期間に融通が効くようにもできるのじゃがな」
その条件とは、さっきルイーザさんとも話していた『特約』を結ぶことだろうか。しかし来てもらって早々にその話をするのも何なので、まずは仕事の方を頼みたい。
魔石とルーンは、装備を新調してからどれに着けるかを考える必要がある。そうすると、順番としてはメリッサによる解体が終わって、魔物の素材で装備が作れるかどうかを確認してからということになるが――。
「……あ」
メリッサが小さく声を出す。すると、テラスハウスの並ぶ区画に続く坂道を、一人の男性が上がってくるところだった――ライカートンさんだ。
「やあ、お久しぶりです。良かった、迷わずに来ることができましたよ」
「……急に呼び出して、お店は大丈夫だった?」
「ああ、問題はないよ。昼までに入った仕事は終わらせてきたからね」
主にメリッサが魔物を解体しているように見えたが、ライカートンさんの技術も相当なものだと分かる。メリッサが応援を頼むわけだ――そしてライカートンさんも、娘に呼び出されてかなり嬉しそうだ。
「ライカートンさん、隔壁の通路を通ってきたなら、かなり大変じゃなかったですか」
「ギルドの転移扉を使わせてもらえたので、歩いて来るよりはずっと早く来られました。それにしても良いところに住んでいらっしゃいますね……いつも血なまぐさいところにいるものですから、高級住宅街の空気が清々しく感じます」
「……店の中の空気が懐かしい。アリヒトには、少し引かれてた気もするけど」
最初に見た時は確かにぎょっとしたが、今はそんなことはない。俺も肝が据わってきたというか、度胸がついてきたのだろう。
「わしらもルイーザの紹介で、ギルドの転移扉を使って来たのじゃぞ」
「はい、私もです。子供たちと母が見送ってくれて……母にはしっかりやるようにと言われました。子供たちは、シオンとみんなによろしくと」
久しぶりに本来の主人であるファルマさんに会ったシオンは、お座りをして尻尾を振りっぱなしだ――だが俺の方も見ているので、ちょっと遠慮しているのかもしれない。
「シオンちゃん、久しぶりだから行ってきたら? すごく嬉しいのが尻尾に出ちゃってる」
「バウッ」
シオンは返事をすると、ファルマさんの所に歩いていく。彼女は屈み込むと、シオンの身体や頭などを撫で始めた――五十嵐さんがほろりとしているが、俺もちょっと感じ入るものがある。
「毛づやもすごくいいですし、すごく可愛がっていただいているのが分かります……ありがとうございます、皆様がた」
「いえ、こちらこそシオンには助けられてます。良く言うことを聞いてくれるし、勇気もある」
「そう言っていただけて、この子も喜んでいると思います……シオン、これからもアトベ様の言うことを良く聞くのよ」
ファルマさんは再会をひとしきり喜んだあと、少し名残惜しそうにシオンから離れた。
「今回呼んでいただいたのは、黒い箱の件……とお伺いしましたが」
「なにっ……黒い箱とは……前回のルーンも、おそらく希少な箱から手に入れたのだとは思っておったが。お主らは、一体どんな魔物と戦っておるのじゃ……?」
「幸運が取り柄のメンバーが一人いまして。それと色々巡り合わせもあって、『名前つき』と戦う機会が多くて……」
「運だけでは説明がつかぬぞ……出現条件が判明せず、まだ姿すら見られていない『名前つき』がいると言われておるのに。中には向こうから出てきて多くの探索者を襲う者もいると聞くが、本来は一ヶ月に一体遭遇するだけでも『ツキ』が強いと言われるのじゃぞ」
「ご主人様、驚く気持ちは分かりますけど、私たちの仕事はアトベ様たちにいい装備を作ることだよ。『黒い箱』を持っているなら凄い素材や装備が入っているかもしれない」
「ふむ……確かに、感嘆してばかりでも良くないかの。アリヒト、わしを呼んだということは新たにルーンを手に入れたのじゃな? それとも、『魔』のルーンを……なんじゃ、あの黒いスリング以外に、カタナまで使っておるのか?」
セレスさんは俺の後ろに周り、興味深そうにムラクモを見る――アリアドネやムラクモについては簡単に話せないが、セレスさんたちなら、頃合いを見て話しても問題はなさそうだ。
「何という業物……ただならぬ気配じゃ。これほど美しいカタナを、わしは見たことがない」
「この刀は今のところ強化を考えてはいませんが、もし可能なら頼むかもしれません。それでルーンなんですが、今までに2個新しく見つかっていて、できれば装備強化に使えればと思っていまして」
「……なんじゃと?」
何か不穏な空気に変わったセレスさんだが、俺はまずどんなルーンかを教えてもらいたいと考え、近くの転移扉を使って倉庫部屋に案内する――すると。
ムラクモの入っていた黒い箱から見つかり、そのまま倉庫に入れられていたルーン二つと、使っていない魔石――それらを見たセレスさんが、わなわなと震え始めた。
「……何と……勿体無い……」
「え……うわっ!」
セレスさんは勢いよく振り返ると、がばっと俺に詰め寄ってきた。いきなりのことで、俺も事態についていけない。
「お主は……っ、ルーンと魔石をもっと効率よく使うべきじゃ! 倉庫に眠らせたままなど、勿体なくてお化けが出てしまうところじゃぞ!」
「お、俺もそう思ってはいたんですが……やっぱり、勿体なかったですか」
「うむ……まあ、分からぬでもないが。『ルーンメーカー』は七番区には一人しかおらぬし、仕事の予約もかなり入っておろう。八番区のように、ルーン自体の発見頻度が低ければ、わしのように時間を持て余すのじゃがな」
「そうだ、ご主人様。アトベ様が私たちをご贔屓にしてくれるのなら、彼と『特約』を結んだらいいじゃないですか。そうしたら、ずっと彼らのルーン加工や、装備加工を任せてもらえるようになりますし。うん、そうだ、それがいい!」
シュタイナーさんは名案を思いついたというように、少し興奮気味に言う。確かにそうしてもらえると俺たちとしては物凄く助かる――セレスさんの考え次第にはなるが。
「……『特約』のことなど、長く忘れておった。しかしそうじゃ、そういう制度もあったのじゃった。わしは、お主らがもう七番区に移ったと聞いて、もう会う機会は無いのかと思っておったのじゃが。ここにきて頼りにされては、今後もお得意様になってくれるということかの?」
セレスさんは少し冗談めかせて言う――亜麻色の髪の『翡翠の民』である彼女は、俺より遥かに長い時間を生きているにも関わらず、悪戯な表情が少女そのもののようにあどけなかった。
八番区の人たちとの繋がりは、上の区に行くほど薄れてしまうと思っていた。しかし『特約』の力を借りれば、決してそんなことはない。
「俺も、ぜひお願いしたいと思っていたんです。セレスさん、シュタイナーさん……それに、できればファルマさんも、『特約』を結ばせてもらっていいですか?」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。良かった……八番区では、ほとんど難しい箱が持ち込まれないですし、木箱や赤い箱は他のお店さんで開封されることも多くて。ああ……もう一度『黒い箱』を開けられるなんて、すぐに来てよかった……」
恍惚としているファルマさん――相変わらず凄まじい艶っぽさだ。と、あまり見ていると仲間たちの視線が刺さる。
すでにライカートンさんはメリッサと『貯蔵庫』に行って解体を始めてくれている。勿論、彼とも後で『特約』の話をしたい――既に枠が埋まっていなければだが。
「そういえば、傭兵斡旋所のレイラもお主らのことを案じているようじゃったぞ。ちょうどギルドに来て、お主らの近況を問い合わせておったからの。そのうち、連絡が届くかもしれぬ」
「そうだったんですか……教えてくれてありがとうございます。テレジア、レイラさんから連絡が来るかもしれないぞ」
「…………」
テレジアはこくりと頷く――彼女と引き合わせてくれた恩人でもあるレイラさんとも、繋がりが途絶えたわけではない。レイラさんのことを教えてくれたセレスさんには、重ねて感謝したい気持ちだ。
リヴァルさんは今も、『曙の平原』で新人探索者の救助をしているのだろうか。彼らや『北極星』の面々のことも、俺はまたルイーザさんに聞いてみようと思った。元気でいると聞いたら、俺たちも負けずに頑張ろうと励みにできるから。
※いつもお読みいただきありがとうございます!
この場をお借りしてお知らせさせていただきます。
書籍版第三巻の特典について、活動報告で掲載いたしました。
よろしければご参考にしていただけましたら幸いです。




