41.再会2
やがてアランに連れられイデアがやってきた。ゼイビアは緊張で喉が渇いた。唾を飲み下すとイデアに駆け寄って抱きしめたい衝動を抑える。
ドンという名の商人代表からは怖がらせたことを直接謝罪するように言われた。
イデアは扉が開いた瞬間目を見開いて、しかし怯えることなくこちらにやってきた。
「……はじめまして、イデア・リリーシュです」
「……帝国騎士団第二特殊部隊隊長、ビィ・ファリアだ」
反射的に偽名を名乗ってしまった。これでは余計に父親だと言い出せない。自分はなんて馬鹿なのだろうと自嘲する。
しかし四年ぶりに見たイデアは大きくなった。だが十歳にしては小さいだろうか。シェフいわく満足な量の食事を与えられなかったというから当然か。
イデアは何かを確認するようにこちらをじっと見ている。腕にはなにやら見たことのない種類の犬が抱かれていた。
お互い探り合うように見つめあって、長い時間がたったように思う。しかし実際は一分もたってはいなかった。
「こちらがつけた護衛が怖がらせたと聞く。すまなかった」
ひとまず謝罪をしなくてはと、ともすれば張り付いてしまいそうな喉を無理やり動かした。
「いえ。どうして私に護衛を……」
イデアは何かに怯えているようだ。城に連れ戻されるかもと思っているのかもしれない。
どういえばいいかと迷っていると、アドニスが口を開く。
「君は神聖ミラメアの精霊王の託宣が示す精霊の愛し子だ。精霊の愛し子の行動を決して縛ってはいけない。そう神聖ミラメアが言うので、秘密裏に護衛をつけた」
「そうなんですか……?」
イデアは虚を突かれたような顔をして首を傾げている。
「じゃあ私、ここに居ていいんですね」
ゼイビアが頷くと、イデアは嬉しそうに笑った。やっぱり城に連れ戻されるかもと怯えていたのだと、胸が痛くなる。
イデアの胸に抱かれていた犬がきゃんきゃんと鳴く。イデアはまるで言葉を交わすように犬をじっと見つめると、肩の力を抜いた。
「君は自分が精霊の愛し子だと知っていたのか?」
アドニスか問うと、イデアは頷く。
「アゲハが教えてくれました。アゲハは精霊王の使いです」
イデアは抱いていた犬を前に差し出して言う。犬は応えるように再びきゃんと鳴いた。こんな小さな犬が精霊王の使いだという事実に驚愕する。
「精霊王の与えた使命とはなんだ?」
アドニスの再びの問いに、イデアは少し考えて答える。
「世界の均衡が崩れた時、聖域内から動けない精霊王の力を細部まで届けることらしいです」
イデア自身もよくわかっていないような口ぶりだった。使命の内容もだいぶ抽象的だ。
「私は精霊王とつながっているそうです。だから私が弱った鏡に精霊王の力を注いでいます」
こんな小さいのに精霊王は何と過酷な使命を与えるのかと、ゼイビアは唇をかんだ。イデアはあまり考えていなさそうだが、世界の均衡が崩れたと言っている以上この帝都だけで済むはずがない。イデアはこれから色々な地域を回らなくてはならないのではないか。ゼイビアはそう考えた。
「とにかく君には陰から護衛をつけたい。好きに日常を過ごしてかまわないから了承してくれるかな?」
イデアはちらりとドンの方を向いた。ドンが頷くと、安心したように笑う。
「はい、わかりました」
頷いたイデアは完全に緊張がほぐれたようだ。ふいに精霊王の使いがきゃんきゃんと鳴いた。イデアはその声に聞き入っているようだ。
「あのお二人とも、ちょっと待っててくれませんか?」
そう言って突然集会所から走り去っていった。
「イデアが特別な事には気づいていました……愛し子の行動を妨げてはならない。ということは私たちもいずれイデアを送り出さなければならない日が来るということですな」
ドンは複雑そうな顔で呟いた。そうなのだろうか。ゼイビアはまだイデアを城に連れ戻したいと思っている。しかし精霊王の意志に従うのなら、それは許されないのだろう。
ゼイビアは悩んだ。しかし、いまだ答えは出ない。自分が父親だと明かすことさえできていない。アドニスがこの場を仕切ってくれなければ、悩みすぎて一言も発せなかったかもしれない。
ゼイビアが懊悩していると、イデアが二つの手鏡を持って戻ってきた。
「これ、限界まで精霊王の力を込めました。魔物化の……体の中の邪気を浄化してくれるので、進行を抑えられると思います」
「これはありがたい。いただこう」
アドニスが鏡を受け取って、本日は一旦帰ることになった。捕まっていた部下を連れて馬車に乗ると、イデアが手を振ってくれる。後ろ髪をひかれる思いだったが、父親だと明かせなかったのは自分なのだから仕方がない。馬車の窓を開けて、イデアが見えなくなるまで軽く手を振った。
「……今日はずいぶん無様だったな。いつ父親だと名乗り出るんだ?」
むかいに座るアドニスの辛らつな一言が、ゼイビアの胸に突き刺さった。
「打ち明けるのが遅くなるほどややこしくなると思うぞ。早く心を決めろ」
早くしなければならないとゼイビアだってわかっているのだ。だがどうにも間が悪いし、勇気がない。いっそこのままビィとして交流を深めてから打ち明ける方がいいのではないかと、ゼイビアは思った。




