105.順調順調
気球で空を飛んでから早いもので一ヶ月ほどの月日が過ぎた。
日に日に暑くなっていき、季節は完全に夏へと突入したようだ。カンパーランドの夏は公国より昼は暑く、夜は寒い。
といっても、湿度が低いからか日本に比べると格段に過ごしやすいと思う。
日中は温度計がないので体感だけど、だいたい28度くらいで夜になると肌寒く、20度以下にはなっているのかな。
クーラー要らずの夏は快適で、相変わらずのほほんとした暮らし……は夢のままだ。
夏本番になると、もう少し暑くなるかもしれない。
夏だから水着でも着てルビコン川でペンギンときゃっきゃうふふしたいところだけど、ネラックの街は只今インフラ工事の真っ最中なので今しばし我慢だ。
少なくとも水路の工事が終わるまでは……。
みんなが汗水垂らしている横で水遊びとしゃれこむことはさすがにできないものね。
この一ヶ月、いろんなことが進んだんだ。
領民が2000人を軽く超えて、農地も拡大の一途を辿っている。キャッサバの収穫も進み、他の作物も育てている。
牧場の家畜も順調。特にソーモン鳥の繁殖が進んでいた。
ソーモン鳥は地球で言うところのニワトリのような家畜であるが、群れる習性があり成長も早い。ニワトリに比べ、若干体が小さいことと運動が必要なことが相違点かな。
個人的には群れる習性があるから、ニワトリより育てやすいとは思う。
農場と牧場の進歩もさることながら、街自体めざましい発展を遂げた。
増え続ける領民に向け住居の建築が進み、大通りだけではあるがレンガで舗装するまでになっている。
商店街予定の建物も立ち並びつつはあるものの、こちらはまだ稼働しているとは言えない。
急ピッチで開発が進んでいるが、ネラックは未だ自給自足の物々交換社会を脱しておらず、貨幣経済が成り立つまでにまだ多くの時間がかかるだろう。
この地を開拓しはじめてまだそれほど時がたっていないため、集まった領民たちの善意で成り立っている。
言わば非常時なわけであるのだけど、平時に戻すためには貨幣経済を成立させねばと思っているんだ。
貨幣を導入するとなると、税制度を整備しなきゃだし、避けて通ることはできないと分かってはいるものの気が重い……。
全てを一から立てるってのは、単に衣食住を確保するだけじゃあダメなんだよな……一国を作るってのはやっぱり相当力がいる。
でもま、シャルロッテもいるし何とかなるだろ。うん。
官吏の教育とかもおいおいやっていくことにしよう。
さてさて、いろいろ思い悩むことはつきないが、今日は記念すべき日なのである。
俺は今、鍛冶屋の中でペンギンのフリッパーを引っ張って遊んでいた。いや、準備が整うのを待っている。
ペンギンはペンギンで嘴をパカンと開けたり閉じたりと俺の遊びにつきあってくれていた。
そこへ、ルンベルクが颯爽と現れ片膝をつく。
「ヨシュア様。準備が整ったとトーレ殿より」
「分かった。行こう」
ペンギンのよちよち歩きに合わせてルンベルクと共に鍛冶屋を後にした。
◇◇◇
完成した水道橋から伸びた水路は街まで至り、ガラムとトーレが中心となって最終チェックをしていたのだ。
そして今、トーレから完了したとルンベルクに連絡が入ったというわけだった。
水道橋の周囲にはたくさんの領民が集まっており、今か今かと俺を待っている。
鍛冶屋から外に出た途端に、領民たちから大歓声を受け右手をあげ彼らに挨拶を行う。
ウワアアアアアア――。
割れんばかりの声があがり、領民たちによる俺の名の大合唱がはじまった。
ちょっとだけ恥ずかしさを覚えつつも、割れた領民たちの花道を通って水道橋に入る。
そこでガラム、トーレをはじめ、セコイアやシャルロッテらが俺を待っていた。
ガラムと目を合わせ頷きあった俺は、水道橋の端にある柵に手をかけ、領民たちへ顔を向ける。
「諸君!」
一言発すると、これまで大歓声をあげていた領民たちがしーんと静まり返った。
「愛すべき領民の諸君! 諸君らの尽力があり、ついに水道橋と水路が完成した。今日この日を迎えることができたことはこの上ない喜びだ!」
ここで一旦言葉をきり、ゆっくりと右から左へ顔を動かす。
誰もが皆、固唾を飲んで俺の一挙手一投足を見守っていた。
「ネラックの街はこの日をもって、更なる階段を登ることになった! ここにいるガラム、トーレ、ポールが中心となってくれた。彼らに盛大な拍手をもって労ってもらえないだろうか?」
並ぶ三人へ右腕を向けた瞬間、領民たちから彼らに向け万雷の拍手が鳴り響く。
照れくさそうな三人にくすりと顔を綻ばせつつも、すっと左腕を上にあげる。
すると、途端に拍手がやみ、再び静寂に包まれた。
「それでは、水路に水を流すことにしよう! ガラム、トーレ、頼む!」
呼ばれた二人が揃って顎髭に手を当て、弟子たちに指示を出す。
サイフォンをせき止めていた閂が外され、空気を抜くと橋桁の中に水が入っていく。
続いて、水路にハメた閂を外すと、どばーっと水路に水が流れ始めた。
ウワアアアアア!
耳をつんざくほどのこの日一番の歓声があがる。
水の流れを追って水路を走る人、その場で膝をつき天を仰ぐ人、力一杯叫ぶ人、それぞれがそれぞれの反応を見せた。
誰もが笑顔で喜びを分かち合っている姿を見ると、胸がじーんとする。
激務に激務が続き、寝落ちしてしまうことが何度もあったけどこうしてみんなが嬉しそうな顔をしてくれるとやってよかったと思えてくるんだ。
……。いや、決してこのまま社畜の道を歩もうなんて思ってないけどね。
「これで向こうもガラムとトーレが本格参戦かの?」
うんうんとじーんとしている俺に向け、セコイアがふふんと両腕を組んで胸を反らす。
「そうだな。あっちはあっちで進めはしているけど、ある意味水道橋より難工事だからなー」
『細かい計算は私も行おう』
いつの間にか足元まで来ていたペンギンが両フリッパーを上にあげ、やる気を見せた。
「任せておけい。これまでにない風車を作ってやるからのお」
「土台はもうできておりますぞ。あとは羽ですな。楽しみですぞですぞ」
水が流れたことでもう興味がこちらに移っているのか、トーレとガラムの二人も鼻息荒く胸をドンと叩く。
ん、その時ちょうど首をこてんと傾げたアルルと目が合う。
俺と目が合った彼女は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに耳をピンと立てた。
「ヨシュア様!」
「アルルの笑顔にはいつも癒されるよ」
「自然と、そうなるの。アルルね。ヨシュア様が楽しそうだから」
「楽しそうにしてたかな、俺」
「うん! とっても」
「そっかそっか。それは、みんながいるからだよ」
「うん!」
純粋で幼い子供のような心を持ったアルル。しっかりものだけどたまに抜けたところを見せて可愛いエリー。
真面目で涙もろいルンベルク。飄々としているけど、胸の内に熱さを持つバルトロ。
最初はたった四人だったんだなあ。
そこにセコイアやトーレたちがきて、どんどん賑やかになり。
ペンギンという日本時代を知る友もできた。
「ヨシュア様。本当に楽しそうな笑顔を浮かべてらっしゃいますね」
「エリーこそ」
にこやかにはにかむエリーに向け、力一杯の笑顔を向ける。
「風車の完成も楽しみです。私には何が起こっているのか及びもつきませんが」
「水車の大型版とでも思ってもらえると。ルドン高原の上空は良い風が吹いていたんだよ。ペンギンさんの計算が肝だ」
「きっと、いえ、必ずうまく事が運びます。ヨシュア様ですもの」
「あはは。そうだな。そう思う事にするよ。発電が成れば、魔石や燃焼石の問題も解決する」
「はい!」
もう少しでこの街の基礎は完成するぞ。
辺境開拓に邁進し、明るい未来に思いを馳せる俺たちをよそに、公国は大きな動きをみせていることなどこの時の俺はまだ知らなかった。




