31 マージェリーは役に立ちたい⑥
「さらわれた………アイザックが、あの男に?」
「ああ」深く深くお顔に皺寄せて、公爵閣下はうなずく。
「……ロデリック殿下。
しばしマージェリー嬢に長い話をしても良いでしょうか。
アイザックからは、何もかもすべてマージェリー嬢に伝えてほしいと言われてここに来たのです」
「わかった。
私も他言はしないことを誓う。
話してくれ」
「では……マージェリー。君は誘拐犯の名を聞いただろうか?」
「は、はい。かなり後に教えてもらいました。ニール・ジョーという男だと……」
「ああ、そうだ。私もその名を聞くたびに胃が引っくり返りそうなほど吐き気がする、醜悪な男だ。
君と侍女の勇気ある証言によってようやく監獄に送られた、狡猾な悪魔だ……」
裁判で証言をすることができなかったため、危うく軽い刑になるところだったそうだ。
だけどあのとき私を助けてくれた警吏の皆さんが、私とアンナの負わされた怪我の酷さを強調し、傷害どころか殺人未遂だと強く主張してくれたのだとか。
その主張が認められ、十五年という長い刑期となったのだという。
「あの外道は……仲間と結託し、子どもたちを狙って誘拐を繰り返していたんだ。
身代金を得るためだけじゃなく、己の浅ましい肉欲を満たすためにな」
私は唇を噛んだ。
手のなかにじっとりと汗がにじみ、知らす知らずのうちに身体が震えてしまう。
あとほんのわずかロデリック殿下に助けられるのが遅ければ、その毒牙は、私をも貫いていた。
「私が独自に調べたところ、最初は平民の子どもを狙って誘拐を試みたらしい。
だがすぐに捕まり、監獄で臭い飯を食った。
間もなく出所したニール・ジョーは、
『平民は子どもが誘拐されたら必死で探すし憲兵に訴えもするが、貴族なら醜聞を恐れて大事にはしない。誘拐もより容易だし、捕まることも訴えられることもないだろう』
そう考え、同じ考えの仲間を集め……貴族の子どもを狙うようになったのだ」
震えが止まらない私の手に、ロデリック殿下の手がそっと重なった。
その温かみに、思わず手を握り返してしまう。
「君が誘拐される1年ほど前に、アイザックは拐かされた。
君と同じように、散歩の途中を狙われたのだ。
殴られ重傷を負った侍従がどうにか邸まで帰りつくのと時を同じくして、身代金を求める脅迫状が我が家に届いた。
……アイザックは私のすべてで、この世の何よりも大切な息子だ。
どんな大事になっても、すぐにでも見つけ出したかった。
だが……勝手なことをしたら殺すと手紙には書かれていた。
もし、あの子が帰ってこなかったら。あの子が殺されてしまったら。想像しただけで心臓が凍りつきそうだった。
結局私は……手紙の指示に従うことにし、翌日、指定された方法で身代金を支払った。
すぐにアイザックは邸に帰ってきた。生きて帰ってきた我が子を抱き締めることができて、そのときの私はホッとしたのだ。
だが……」
あふれだして止まらない言葉を紡いでいた公爵が、急に言葉をつまらせた。
爪が食い込みそうなほど拳を握り肩を震わせる公爵のその両目には、涙がにじんでいた。
「…………その、たった一晩に、アイザックは…………」
あまりのつらさに、こらえかねたのだろうか……公爵閣下は涙をこぼした。
「様子がおかしいので、その後何日も何日もかけて、何があったのか彼から聞き出した。
彼はまだ8歳で、その時はされた行為の意味をわからないでいたけれど、深く心を傷つけられていた。
なぜ一晩待ってしまったのか。殺すという脅迫状の言葉に怯えずに官憲に頼れば、大規模捜索に踏み切っていれば、あの一晩を待たずに救出できたのではないか。私の判断の誤りで、私の怯えのせいで、アイザックを生き地獄に突き落としたのではないか。
……そう、死ぬほど後悔したが、あのとき親としてどうすれば良かったのか、正解は今でもわからないのだ」
「閣下……」
「誘拐犯が憎かった。殺してやりたい、この手で八つ裂きにしてやりたいと思った。
しかしアイザックは……傷つけられ、悪夢に苦しみ泣いていた。
憎い誘拐犯を捕まえるにはアイザックの証言が不可欠だが、晒し者にされながら過酷な記憶を呼び起こし、自分がされたことを言葉で人に伝える……そんな恐ろしいことが、今のこの子に耐えられるだろうか? いや、きっとより深く傷つくに違いない、そう思った。
それに誘拐されたことが広まれば、女性ほどではないが、貴族社会の好奇の目にも晒される。
さらにつらい思いをすることだろうし、将来にも影響が出るだろう。
だから……この子のためには一日でも早くあの誘拐犯のことを忘れさせるしかない。
そう考えた私は、事件のことを届けず、ひた隠しにしたのだ。
そうして、誰に捕らえられることもなく野放しになったニール・ジョーが、一年後に誘拐したのが……マージェリー、君だ。
私たちが訴え、あいつらが捕まって監獄に送られてさえいれば、君は誘拐されずに済んだのだ。
謝った理由をわかってくれただろうか」
「は、はい。いえ、でもそれは……」
「私が犯人を野放しにしてしまったことが、さらに息子を苦しめた。
私は身を挺して息子を守ったつもりで、何も守れていなかったのだ」
(アイザックが歩んだのは……私が歩むかも知れなかったもうひとつの道だわ)
もしも母が言ったように、私が誘拐された直後にアンナが他の人に助けを求めず、まっすぐ邸に帰っていたら。
そうして追って届いただろう脅迫状に従って、犯人の指示通りに身代金を払っていたら。
私はアイザックと同じ目に遭い……一方で、外の人間には何も知られることなく、邸に戻ったのだろう。
(でも……もしも八歳の私がこの身体を踏みにじられることと引き換えにヴァンダービル家の名誉が保たれていたとしても、きっと私の家族は、私を蔑んだ目で見たのでしょうね)
それは容易に思い浮かんだ。
残念だけど、それはもう認めざるを得ない。
公爵閣下と私の両親は、違う人なのだ。
「アイザックは大好きな君の死に打ちのめされ、そして責任を感じた。
親の私のせいだ、おまえには何も責任はないと私は何度も言ったのだが…………心優しい息子は、自分がもっと強ければ、犯人を捕まえてほしいと強く言っていればと、日々泣き暮らした。
さらに、成長するごとにアイザックは、自分が誘拐犯に何をされたのかを理解しはじめてしまった。
年々その苦しみが増し、心の苦しみが身体に影響を及ぼし、体調の良い日というものが皆無になり、のたうち回るように毎日を送った。
親として身を焼かれるようなつらさだったが、かわってやることもできない。
その上、綺麗な顔立ちが仇となり、主に女性からではあったが性的な対象として見られるようになって、息子の心は限界に達した。
だから、自ら火を……」
公爵閣下自ら酷い火傷を負いながら、焼身自殺をはかった息子をとめる。その壮絶な姿を想像して私は息を呑んだ。
「……そんなアイザックが……ずっと死にたいとしか言わなくなっていた息子が、君の生存を聞いて『良かった』と口にした。
君が生きているのなら、自分も生きようと言ってくれたのだよ」
「そう……そうなのですね……」
あまりに壮絶すぎて、何を言っても軽々しく聞こえてしまいそうで口にできなかった。
たくさんの感情が整理できずに頭のなかで渦巻いて、どうしようもなく。
ただそのなかでフツフツと湧いてきたのは、犯人ニール・ジョーへの強い怒り。
(浅ましい欲望でこんなにも人を傷つけて、今もなお苦しめ続けているということを……きっとあの男は知らないままなのだわ)
そして、嘘でたくさんの人を傷つけた、両親への憤り。
(せめてうちの両親が、本当のことを言ってくれていたら……!)
「閣下……お願いです。
どうかもう、ご自分を責めないでください。
閣下はその都度、アイザックのために必死でお考えになって、選択なさったのでしょう?」
「優しい言葉はありがたいが、きっと私は死ぬまで後悔し続けるよ。息子を愛しているから。私の苦しみなど償いとしては軽すぎる。
だがね、マージェリー。そんな地獄にいる私たち親子にとって、君は一縷の光明なのだよ」
「そんな……私なんて」
「私は、私たち親子は、君の味方をしたい。
今はロデリック殿下のもとでお世話になっているというのはわかったが、少しでも何か私たちが役に立てることがあれば言ってほしい。
罪滅ぼしの気持ちもないではないが……それ以上に、君が生きていてくれて、本当に良かったと思っているのだ」
「はい、ありがとうございます」
私はギュッと、胸の前で両手を握りしめた。
負けたくない。卑劣な犯人にも、家族にも。
「そういう君だから...…迷ったのだが、私が得た情報を伝えようと思うのだ」
「情報……ですか?」
公爵閣下はうなずき、そして続けた。
「犯人ニール・ジョーは間もなく出所する。刑期より五年も早く」
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