第百七十六話 混戦
希姫が敵の一撃によって《金子の間》の奥にある祭壇まで吹き飛ばされてきたのだ。突然の事態にそこにいた者たちはギョッとなったが、そのお蔭で皇帝がネオスのもとから脱出することもできた。
「ほう、《猛る姫》か。まさかこんな形で会えるとはな」
「ん~? おお、イケメンじゃん! ねえヨヨ、誰このイケメンくん?」
「はぁ、お母さん、今はそれどころではありません。それにその者は我々の敵です」
戦場というのに気が抜けるようなことを言うのでヨヨは肩が落ちる思いだ。
「へぇ、敵なんだ」
「そんなことより何故お母さんが――――」
その時、希姫がハッとなり上空を見つめる。咄嗟に希姫が立ち上がり身構えていると、天井から真っ直ぐ何者かが突っ込んできて希姫と激突した。
その衝撃波により祭壇がある部屋が壁ごと吹き飛んでしまう。ロブの近くにいたお蔭で、彼が蟲を使って作りあげた壁のお蔭でヨヨとノウェムは吹き飛ばずにその場に立てていた。
一方ネオスはというと、少し後ずさりしたものの衝撃波を受けながらもその場で耐えている。それだけでも身体能力の高さが窺える。
希姫を襲った人物が、希姫と距離を取ると周りにいる者たちに視線を向ける。
「む?」
その視線が皇帝を捉える。
「その身形は皇帝か……さっさと我が身かわいさに逃げたと思っていたがな」
「あちゃ~、バレちゃったかぁ。でも千手童子くん、悪いけど皇帝には手を出させないよ!」
「フン、今は皇帝などに興味はない。興味があるのは、貴様との戦いだけだ」
「おお~、嬉しいこと言ってくれるじゃないの!」
ヨヨは初めて見る鬼の頭領である千手童子の姿に言葉を失っている。ヨヨ自身、戦闘力が高いわけではないし、武人の力を判断できるほどの経験もない。
しかしながら、千手童子を一見して彼が異常な存在だということが理解できる。その内包するエネルギーがとても一生命が持つものだと思えない。
(ほ、本当に生物なの……?)
まるで大災害に襲われて成す術もなく呆けてしまうほどの理不尽さを感じる。希姫の強さも理解しているが、まだ希姫については規格外ではあるものの人としての器がハッキリと伝わってくる。
だが千手童子の器がまったく見えてこない。どこまでも強く、どこまでも高く、どこまでも広い、想像できないほどの器が感じられる。到底人が倒せるような存在ではないと思わされてしまう。
「ヨヨ! ソージくんはまだなの?」
希姫の言葉で、千手童子に意識をとられていたヨヨもハッと現実に引き戻される。
「え、ええ。ソージのことだからこちらに向かってきているはずです」
「そっかぁ、ずいぶん強くなってるんだろうなぁ~。う~楽しみ楽しみ!」
喜ぶ彼女の顔を不審そうに見つめる千手童子が、
「ソージ? その者は強いのか?」
と好奇心の込められた瞳が光らせる。
「うん、多分ね」
「ほう、貴様よりもか?」
「ん~どうだろう?」
「違うのか……」
少し残念そうな声音。見るところ、千手童子は戦闘狂のようだ。
「違うかどうかは、会った時にでも確かめればいいよ。ソージくんは、面白いからね」
「ほほう、貴様ほどの者が言うのなら、少しは期待できそうだな」
「うん! あ、でもね~、ここで君を私が倒しちゃうから、結局手合せはできないかもね」
「クク、言うなキキよ」
二人して獰猛な笑みを突き合わせる。だがその時、二人の間に入って来た存在がいる。
「そうか、お前が千手童子」
「ん? 何者だ貴様?」
ネオスだ。彼は千手童子を珍しそうに頭の上からつま先までじっくりと観察している。その視線に不愉快さを感じたのか、千手童子も眉間にしわを寄せる。
「良い実験体になりそうだ。お前を人形化したら、さぞ最高に近づけるだろうな」
「無礼な物言いだな小僧。先に始末してやろうか?」
千手童子の言葉を受け流し、ネオスが皇帝と千手童子を見比べるように見ると溜め息を一つ吐く。
「こうなれば、力ずくか。面倒だが仕方ない」
ネオスが右手を空へとかざすと、空間に大きな亀裂が走る。その場にいた者も上空に注視し、不気味な寒気を感じて身構える。
「踊り出でよ、我が傑作――――――――――セプス」
亀裂の中から不気味に紅く光る巨大な双眸。その瞳に射抜かれているようで、目が合った瞬間に怖気が全身に走る。
ヨヨだけでなくノウェムも目を丸くしながら時を止めたようにジッと亀裂を凝視したまま。
「嫌な空気だね~」
希姫もまた苦笑を浮かべながら天を仰いでいる――――――――が、千手童子だけは無意識に楽しそうに笑って亀裂を見上げている。
バキバキバキッと亀裂が広がっていき、そこからシュルシュルシュルッと、巨躯をうねらしながらその姿を現した。
それは一目見て言葉を失うほどの威圧感。ヨヨの屋敷ですら、一呑みにでもしてしまいそうな巨大な口を持つ―――――大蛇。継ぎ接ぎだらけの身体に、毒々しい紫色に黒い斑点が体中に確認できる存在。
「クハハハハハハ! 何だアレは! 面白いではないかっ!」
千手童子がまるで子供が新しい玩具でも見つけたかのごとく喜んでいる。
「セプス、邪魔者を呑みこんでしまえ」
ネオスの命令を受けて大蛇のセプスがまずターゲットにしたのは千手童子だった。本能的にこの中で一番仕留めるべき相手だと察知したのかもしれない。
大きな口から二又に別れた赤い舌を出して千手童子を捕まえようとしてくる。千手童子は愉快気に舌を掴もうとするが、咄嗟に手を引いてその場から距離を取る。
すると舌は床を突き抜け、ジュゥゥゥゥゥッと舌から緑色の液体を出して床を溶かしていく。
「ほう、毒か。面白い!」
完全に千手童子の興味が希姫からセプスへと向かった。
「ぶ~、せっかく楽しんでたのに~」
「お母さん、今は皇帝を守るべく動いて下さい。敵同士がぶつかり合ってくれるのなら、一番都合が良いですから」
「もう、相変わらずヨヨは理屈屋なんだから。私は頭で考えるより身体を動かしたいタイプなのよ!」
「分かりましたから、皇帝を―――――」
その時、ネオスが新たに空間に亀裂を走らせた。そこから出てきたのは、これまた継ぎ接ぎだらけの緑色の体躯を持った巨大な《自動人形》。しかも三体。
「リンネ、皇帝を安全な場所へ!」
「はい、ロブさん!」
リンネはロブに言われて皇帝を連れてここから逃げ出そうとするが、
「……逃がしはしない」
リンネの逃げる方へ、空間を伝って現れるネオス。《自動人形》とネオスに挟まれた形になってしまった。今戦えるのはロブ、ノウェム、希姫だけ。そのうちネオスの相手ができるのは希姫だけだとヨヨは直感的に思った。
(ネオスの強さは一度見ているわ。あの時よりさらに強くなっていることを考慮すると、ノウェム王には難しい。ロブ殿はどうかしら……《五臣》だけど戦闘タイプではなさそうだし)
必死に状況を分析するヨヨ。何とか有効的な戦術を組み立てようとするが、やはり希姫がネオス相手に戦ってくれた方が、皇帝を守り易いと判断する。逃げ道を防いでいるネオスさえ足止めをすれば、その脇から皇帝を逃がすことができるからだ。
「お母さん、ネオスの相手、頼めますか?」
「あのイケメンくんね。いいわよ、アッチはアッチで楽しくやってるみたいだから」
アッチというのは無論千手童子とセプスのことだ。
「それでは頼みます。ロブ殿、あなたには背後の《自動人形》たちの食い止めをお願いします。何とか皇帝の逃げ道を作るためにも!」
「……了解だ。リンネ、必ず皇帝をお守りしろ」
「は、はいです!」
「す、すまぬなリンネ、ロブ。皆の者よ」
皇帝から幼い声音で謝罪が届く。
「そう簡単に頭を下げなさるな! あなたは皇帝なのです! 常に毅然とした態度をお見せ下さい。ご安心を、このロブ、命を懸けてでも皇帝を守り抜く所存です!」
「わ、私もです! 絶対に皇帝をお守りしますです!」
「二人とも……感謝する」
ヨヨはリンネに抱えられている皇帝を見つめる。まだ十歳にも満たないほどの外見をしている幼き皇帝。その小さな身体に、どれくらいの責務が課せられているのかは分からない。
(辛いわね……きっと)
まだ心を殺し仲間を見捨てることを許容できる年頃ではないだろう。本来なら彼女の姉が皇帝だったのだが、突然の病死によって亡くなったことで、必然的にまだ若い彼女が皇帝の座に就くことになった。
自分が皇帝になることも想像していなかったかもしれない。だが突然の姉の崩御に悲しむ時間など許されはしなかったはず。日々の業務もさることながら、周りからの期待も重責となっていること間違いない。
(幼いながらも、自分の立場を理解しなければならない。その気持ちは少なからず理解できるわ)
ヨヨもまた幼い頃から屋敷の当主として社会の波に揉まれてきた。それでもやってこれたのは、ソージや屋敷の者たちが支えてきてくれたお蔭。そして彼女にもそういう存在がいて、今まさにその者たちが死ぬかもしれない状況に陥っている。
自分には何もできない無力感に、心が引き裂かれる思いが彼女の胸に痛みとなって表れているだろう。
(ソージ、待ってるから)
この世で一番信頼できる者の名を呼び、ヨヨは自分のできることをするために前を見据えた。
次回更新は12月21日(日)です。




