第百七十話 千手童子
緋澄のお蔭で何とか島の直撃は防げたが、《皇宮》を包んでいる山は半壊し、破壊によって生まれた残骸が《皇宮》に降り注ぎ、荘厳な建物をも巻き込んで下敷きにしていく。
島落下による大爆発によって、【オウゴン大陸】には巨大な眼のようなクレーターが生まれてしまった。
爆風により《裁軍》のみならず、グロウズたちや《英霊器》たちもまた吹き飛ばされていた。周囲には砂塵が舞い、仰々しい黒煙が天へと立ち昇っている。
だがそこへ地上に落下してくる緋澄の姿を発見したグロウズが、彼に向かって剣を振り、その剣圧によって落下スピードを緩めた後、グロウズは彼を受け止める。
「緋澄! お前その腕は!?」
「ぐ……へへ、しくったなぁ」
緋澄の左腕が根元から引き千切られており、夥しいまでの血液が大地へと流れ出ている。
「くっ、このような時、リンネがいてくれれば……」
《五臣》の一人である薬師のリンネなら、出血を簡単に止めてくれる。しかしこの場にはいない者に期待しても無意味である。
「私が治しましょう」
その場へ現れたのは桃色の髪を三つ編みに結っている二十代後半の女性。
「クレラオ殿……!」
クレラオ・シッドロー。彼女は《英霊器》の一人、《微笑みの喜王》の魔法を持つ存在。その力は――――――
「おお……!?」
グロウズの目に映ったのは、彼女のか細い手が緋澄に触れた瞬間に、膨大な魔力が注がれ傷口が塞がっていく様子だった。出血もすぐに止まる。
「私にはこれくらいしかできませんが」
「いや、お嬢さん、感謝する。ありがとう」
「はい」
緋澄のナイスミドルの微笑みに、こちらもまた女神のような微笑みで返すクレラオ。
「では私は他の方の治療に向かいますので」
そうしてクレラオは、先程の爆発により傷を負った者たちの介抱に向かった。
「……緋澄、一体何があった? お前ほどの者が腕を奪われるとは……」
「分からん。ただあの時――――――何かが横切った」
「お前が島を掌握する時だな?」
「ああ、島から何かが出てきたと思ったら、一瞬に距離を詰められ、気づいたらブチッだぜ? ったく、か弱い老人に何しやがるんだか」
「それだけ悪態つけられれば大丈夫だ。現状を確認しよう」
「ちっ、優しくないね~ホント」
それでもグロウズは彼を支えて立ち上がり、クレーターがある場所まで移動していく。すでにクレーターの周りには他の《英霊器》たちがその中心を注視していた。
「真雪殿!」
「あ、グロウズさん!」
「どうしたのだ? 何故そのような顔をしている?」
「そ、それは……あそこに……」
真雪が指を差した方向。そこはクレーターの中心。グロウズも言葉を失う光景が目に入る。
クレーターの中心に何故か存在する玉座。そこに一人の人物が座っていて、彼に《九鬼衆》が頭を垂れて跪いている。
だがグロウズは見た。その玉座に座っている人物が手にしているある物を。それは人の腕。
「あれは……緋澄の!?」
「間違いないね~、言ったら返してくれるかな?」
冗談めかして緋澄は言うが、玉座の人物が何者か理解して皆が緊張に包まれている。すると何を思ったか、その人物はおもむろに緋澄の腕を喰い始めた。
「なっ!?」
グロウズが咄嗟に阻止しようと足を踏み出すが、緋澄に止められる。
「止めておけって。迂闊に動くな。お前も分かってんだろ? 奴が―――――――――千手童子だ」
グロウズはギリッと歯噛みする。確かにかつて見た千手童子の面影が残っている。あの時はまだ何も知らなそうな子供だったが、たった一年半ほどの間で急激に成長している。
見た目は十七、八歳ほどだろうか。グロウズが【ルヴィーノ国】で見た無邪気さを醸し出す少年が、今ではすべてを見下しているかのような怜悧な目を持つ存在へと変化していた。
千手童子が腕を喰い終わった後、感情の見えない視線をクレーターの外にいる者たちへと向ける。そして興味を失ったような溜め息を一つ吐き口を開いた。
「……こやつらが敵? 冗談だろ、阿弥夜?」
「敵……ではありません。害虫です」
「だろうな。まるで歯応えがなさそうだ。せっかく目覚めてみたが、俺が楽しめそうな者がいない。まったくつまらんな」
「それは仕方のないことでございましょう。王子は強過ぎます。かの《五臣》のリーダーでさえも敵にならず。もう誰も、王子に敵う者などおりますまい」
「つまらん。本当につまらんぞ。あの者はどこだ? 昔いたではないか、俺を倒した者が」
千手童子はキョロキョロと周囲を見回す。
「英傑ポロス……でございますね?」
「おお、確かそのような名前だったな。奴は楽しめた。血が滾った。負けはしたものの、奴とは相討ったはず。あのまま死んだとて、奴のことだ。その力を後世に遺したはず。どこにいるのだ? 確か《英霊器》と呼ばれているのだろう?」
「……実はこの場にいる《英霊器》は九人でございます」
「は? では何か、まだ全員集結していないということか?」
「はい。どうやら英傑ポロスの魂だけがまだ引き継がれていないようなのです」
「何? それは本当か?」
「はい。王子にとって残念かもしれませぬが、どうやら現代にはポロスの魂を受け継げるような人材は現れなかったようで」
すると千手童子は背もたれに身体を預けて舌打ちをする。
「……つまらん。もういい、ここにいる者どもを貴様らで薙ぎ払え。その後に革命を成す」
「畏まりました」
言葉通り、すべてに興味を失ったかのように目を閉じる千手童子。《九鬼衆》がスッと立ち上がり、クレーターの外を睨みつける。
「まずはゴミ掃除だ。王子の機嫌を損なわないうちに狩れ」
阿弥夜の言葉が終わった瞬間に、鬼たちが一斉に動き出す。
「来るぞっ!」
グロウズの叫びに、《英霊器》たちは身を引き締める。だがそこで先に飛び出した存在がいた。【日ノ国】の姫―――――――希姫・八継である。
とんでもないスピードを以て千手童子に突っ込んでいく。鬼たちもいきなり千手童子に向かうとは考えていなかったのか、虚を突かれて動きを止める。
「王は取れる時に取れってねっ!」
バチィィィィィィンッと乾いた音が周囲に響く。希姫の拳は―――――――千手童子の手の平に包まれて止まっていた。だが千手童子は口角を上げて「ほう」と呟いている。
すかさず希姫が閃光のような蹴りを一閃する。玉座が見事に粉砕するが、その場にはすでに千手童子はいなかった。
千手童子が希姫の背後からゆっくり後ろ首を掴もうとするが、そのまま希姫が後ろ回し蹴りを放つ。だがまたその攻撃は空を切る。二人は互いに距離を開けた。
「ほう、先程見た中にはいなかったな。まさか気配を殺せるのか?」
「闇に乗じて命を絶つのは暗殺の基本なんだけどね」
どうやらクレーターの外には希姫もいたようだが、気配を殺して千手童子に悟られないようにしていたようだ。
「まあでも、こんな開けたとこじゃ、暗殺は無理なんだよね~。失敗失敗」
「ハハハ、いいではないか。お前のような奴がいたとは。少しは楽しめるというものだ」
「戦闘狂はお互い様かぁ。んじゃまずは名乗りを上げようか! 私は希姫・八継! 一児の母だよ!」
「覚えておけ。俺は千手童子。この世を総べる新しい王だ」
二人は互いに笑みを浮かべて大地を蹴り上げた。
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