第百六十六話 多音・火ノ原
城を出て少し離れた場所に小山が存在しており、その上には神社と大きな道場がある。ソージの目的地はそこである。
山の頂上には長い階段が設置されており、そこをずっと昇っていく。ソージはシャイニーを抱き上げて、隣に風音を連れ添いながら頂上へと辿り着いた。
「いや~久しぶりですが、あまり変わっていませんね」
「そうか? これでも門下生も増えたことで少しは改築したのだけどな」
「そうなんですか? そういえば景気の良い声が聞こえてきますね」
視線の先にある道場からは威勢の良い掛け声などが響いていく。恐らく門下生たちが修業中なのだろう。
「多音様は社の中ですか?」
「恐らくな」
だがその時、道場から聞き覚えのある声が届く。
「あぁーっ!?」
何かを発見したようなその声に、ソージも振り向いて様子を見る。するとそこには確かに見覚えのある人物が立っていた。
「テ、テメエ! 何でこんなトコにいやがんだよ!」
「おやおや、これはこれはお久しぶりですね、刃悟さん?」
刃悟・東堂――――ここにいるシャイニーがまだ卵だった時に、その卵を取り合いをした相手である。
「もう、ど~したのよ刃悟……ってあれ? ソージちゃんじゃないの?」
道場からはもう一人の顔見知りである善慈・青峰が出てきた。彼も刃悟とともに卵を狙ってきた者だ。
「お久ぶりです善慈さん」
「あ、これは丁寧にどうも」
ソージが頭を下げたので善慈もそれにしっかり返してくれた。
「おい善慈! もっと驚けよ! つうかあんな野郎に挨拶する必要なんかねえよ!」
「こら刃悟っ! 武術を学ぶ者は挨拶に始まり挨拶に終わるという言葉をもう忘れたの!」
「げっ!? な、何で風音様がソージと一緒に!?」
初めて風音の存在に気づいたようで刃悟は顔を青ざめて後ずさりしている。立場的にはどうやら風音の方が強いと見える。
「ソージはお客様だ! そのような無礼な態度をとるというのであれば、師範代としてきっつい修業をさせてあげるわよ?」
「お、おおお俺汗流してくっからぁぁぁっ!」
「あ、待ちなさいよ刃悟!」
しかし善慈の制止の声も虚しく刃悟はゴゴゴゴゴと背後から凄まじいオーラを迸らせる風音の前から逃げていった。
「まったくもうしょうがない子ね。ごめんねソージちゃん、あの子も素直じゃないだけなのよ」
「いえいえ、相変わらずお元気そうで良かったですよ」
「だがソージ、この者たちと知り合いだったとは驚いたぞ」
「その話はまた後にしましょう風音さん。今は……」
「う、うむ、そうだな。おばあ様のところに急ごう」
「何だか面白そうだから私もついていく~」
見た目はごつくていかつい筋肉男な善慈が、キャピキャピした感じで近づいてくるのはいつ見ても慣れない。
風音の先導のもと、社の中へと入っていくと、一人の小柄な老婆が祭壇の前に座り座禅を組んでいた。凛とした雰囲気で、まるでそこだけ別世界のような違和感さえ覚える。
まるで時を止めたような空気がその老婆を中心にして広がっている。思わず見惚れてしまい時間さえ忘れてしまう。
そして老婆がゆっくりと目を開きその漆黒の瞳でソージを真っ直ぐ捉える。
「これはまた、懐かしい客のようだね」
一気に穏和な空気が場を支配し、彼女が微笑を浮かべて静かに立ち上がる。ソージは彼女の前に向かうと正座をすると頭を下げる。
「ご無沙汰しております多音様」
「本当だよ。ふむ、ずいぶんと成長したようだね」
多音がソージを下から上まで全身をくまなく観察して微かに目を見開く。
「一体何用だい?」
多音にここへ来た理由を伝える。
「ふむ、それで私に修業をつけてもらいたいと?」
「はい」
「おばあ様、ソージは真剣です! 是非ソージを」
「お前は黙ってろ風音」
「あ……はい」
さすがの風音もやはり多音には強く出られないようで、ソージはつい苦笑を浮かべてしまう。厳格な多音のことだから、もしかしたら修業の件も上手くいかないこともある。
多音が腕を組んでジッとソージを見つめてくる。ソージもまた彼女の目を見返して真剣さをアピールする。
「一つ聞くが、それはお前さんが《火ノ原流》の門を叩くということでいいのかい?」
「いえ、私の資質上《火ノ原流》は向いていないかと思います。私が多音様に師事したいのは多音様がご自身で編み出された《金剛破邪の極意》を学びたいと参った次第です」
その言葉で多音の表情が険しくなり、風音と善慈はギョッとなって息を呑む。
「……本気かい? ありゃ確かに魔法を使える者にしか辿り着けない境地ではあるけど、失敗すりゃ――――――――――死ぬよ?」
「覚悟の上です」
ソージは揺らぎのない瞳を彼女にぶつける。しばらく見つめ合いが続き、ふと多音が溜め息を漏らす。
「そこまでの相手なのかい? その《鬼》というのは」
「はい」
「何でそこまで力を求めてまで戦おうとするんだい? お前はただの執事だろ?」
「私には守りたいものがたくさんあります。幼馴染の女の子が《鬼》との戦いに臨みます。彼女の命を守るためにも、そしてヨヨお嬢様のためにも私は最強の執事を目指したいのです」
「アーハッハッハッハ! 結局強くなるためは女のためというのかい! まったく、お前らしいね!」
「そ、そんなにおかしいことでしょうか?」
「ククク、いやいや、ただそういう事情なら力を貸してやるのも吝かじゃないってだけさ」
「そ、それじゃ!」
「ああ、鍛えてやろうじゃないか。もう引退している身分だが、最後に本当の後継者を作っておくのも冥土の土産になるというものさ」
「ありがとうございます!」
ソージはこんなにもスッキリと希望が通ると思わなかったので正直に言って驚愕だった。しかしまだ、これはほんの入り口に立っているだけ。
本当に大変なのはむしろこれからである。多音の言う通り、これから学ぶものは、失敗すれば死が待っている。かつて多音ほどの傑物でも死を何度か意識させられたという。
それは多音がもう心技体ともに充実していた若い頃のこと。まだまだ未熟なソージでは、体得する可能性はかなり低い。
それでも体得すれば必ず今よりも遥かに強い力を得ることができる。
「それじゃ早速――――――」
「修業ですか!」
少し期待感を込めた言葉を吐くソージだが、
「いや、この社の掃除だ」
「……え?」
「まず修業は掃除からだ! さっさと動け弟子よっ!」
「は、はいィィィッ!」
多音から気圧されるような覇気を感じて、弾かれるように立ち上がって掃除へと向かった。
「ククク、退屈だったからちょうど良かったというものさ。風音、お前もソージとともに修業しな」
「も、もしかして……掃除?」
「当然だ! さっさと行けっ!」
「は、はいィィィッ!」
「わ、私は道場に帰りますっ!」
やはり多音は最強なのか、風音も善慈も大慌てでその場から立ち去った。残ったのは楽しげに笑っている多音だけだった。




