邪神に拾われた聖女が、もう一度初恋を取り戻すまで
「パトリシア様ー!」
「聖女様!」
人々の歓声が響く。その声に答えるように、美しい彼女はそっと人々に手を振り応えていた。
「聖女様!」
大勢の人々の中から子供を抱いた女性がパトリシアの前に飛び出してきた。
彼女はそれに不快感を示さず訊ねた。
「どうしました?」
「子供の熱が下がらないんです! 息も苦しそうで……」
「まあ」
パトリシアが子供に目をやると、子供は苦しそうにぜいぜいと息を吐いていた。
パトリシアは子供の頭を優しく撫で、安心させるように言った。
「大丈夫ですよ。わたくしがすぐに治してさしあげますからね」
にこりと微笑むと、パトリシアの周りが光り始める。
子供もその光に取り込まれ、眩しさに一瞬目をつぶると、次の瞬間子供はケタケタ笑っていた。
「治った! 治ったわ! パトリシア様、ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
親が感謝の涙を流す中、パトリシアは優しい笑みを浮かべたまま言った。
「すべては女神エステル様のご慈悲……さあ、皆様、そこに並んでください。皆様にもエステル様の癒しの力を与えさせてください」
パトリシアの声を聞き、人々がパトリシアの前に並んだ。
「女神エステルよ……我らの願いを叶えたまえ……」
パトリシアの祈りに反応するかのように、パトリシアと人々の周りが光り輝いた。怪我をしていた者、体調が悪かった者がそれまでのことが嘘のように治っていき、喜びの声を上げた。
「治ったぞーー!!」
「エステル様万歳! パトリシア様万歳!」
その声に嬉しそうに手を振る最中、後ろにいた付き人が身体をよろけさせ、地面に倒れた。
「おい、あんた大丈夫か?」
パトリシアに感謝を述べていた一人の男が手を差し伸べる。みすぼらしい姿の付き人はその手を借りて立ち上がった。
「ありがとうございます……」
感謝を述べられた男はその付き人の姿を見てぎょっとする。
薄汚れたローブで隠れて、今まであまり姿は見れなかったが、身体中アザと傷だらけの女の姿はとても美しいとは言えない有様だった。
男は反射的に手をひっこめ、女から距離を取った。
女はそれを気にした様子もなく、パトリシアの後を追った。
「なんだあの姿は……」
「どうしてあんな女がパトリシア様のそばに?」
「パトリシアのそばにいるのにあんなに傷だらけなんて、エステル様も救えない罪人なのよきっと」
「優しいパトリシア様が哀れに思ってそばにいさせてあげてるんだわ」
口々に自分に対する噂を耳にしながら、哀れな女であるセシルは無言のままパトリシアの後を追う。
そうしなければいけない理由が彼女にはあった。
◆❖◇◇❖◆
家に着いた途端、セシルは頬を叩かれていた。
先程まで人々に優しい笑みを浮かべていたパトリシアに。
「さっきはどういうつもりなの!?」
頬を押さえるセシルにパトリシアは怒鳴った。
「これみよがしに倒れ込んで! 不審に思われるでしょう!?」
「ご、ごめんなさい……」
「それに最近癒しの力が効くのが遅いわよ! これしかできないんだからちゃんとやってよね!」
「ごめんなさい……」
「いい?」
パトリシアはセシルの髪を引っ張った。痛みに呻き声をあげるセシルに構わず言葉を続けた。
「聖女はあたし。あんたが間違えてその力を得てしまっただけ。みーんな美しいあたしが聖女の方が嬉しいの。だからあんたは言われた通りにしてたらいいのよ」
痛みで涙を浮かべるセシルに、パトリシアはそんな姿を気にせず、さらに髪を引っ張った。
「だから、あんたは絶対に正体がバレないようにしなさいよ」
パトリシアのどこまでも慈悲のない瞳を見て、セシルは慌ててコクコクと頷いた。
それを見てパトリシアは満足そうに笑みを浮かべた。
「あんたはあたしの幸せのために存在しているの。忘れちゃダメよ?」
「パトリシア」
スッと二人の間に入ってくる人物がいた。この家でそんなことができる人物はただ一人。
パトリシアの母であり、セシルとは血の繋がりのない継母、マリーである。
「もう少しでセオドア様が来るわ。そこまでにしなさい」
マリーの言葉に、パトリシアは残念そうにしながらもセシルから距離を取った。
セシルは少しだけ表情が和らいだ。セオドアはセシルの婚約者だ。
パトリシアはまだセシルをイジメ足りないようで、不満げな表情で母親を見ていた。
「セオドア様が?」
「そうよ。だからあまり叩くのはやめなさい。見た目に支障が出すぎると困るでしょう」
「ふん」
パトリシアはイライラした様子を隠さずにセシルを一瞥した。
「まあいいわ。つかの間の平和を味わったらいいわよ。セオドア様だってあんたなんか本当は嫌いなのよ」
パトリシアはそう言うと、セシルに興味を無くしたようで、スタスタとその場を後にした。
継母もチラリとセシルを見るだけで、去っていき、セシルはホッと息を吐いた。
「セシル!」
突然声が聞こえて、セシルは顔を上げた。
「セオドア様……」
「元気だったかい?」
セオドアは優しい笑みを浮かべて、セシルの元に歩いてきた。
「さ、部屋に行こう」
セシルの手を引いてくれるこの手のおかげで、セシルはまだ頑張れている。
セシルに唯一優しくしてくれる存在。それがセオドアだった。
セオドアとの婚約は父が決めたものだったが、セオドアはとても優しくセシルに接してくれる。
この婚約者がセシルの心の拠り所だった。
「またいじめられたのか?」
セオドアが優しくセシルの頬を撫でる。先程パトリシアに叩かれたところだ。
「大丈夫です」
いつものことなので、という言葉は飲み込んだ。
「もっと俺が庇ってあげられたらいいんだが」
「こうして会いに来てくれるだけで十分です」
よその家のことに口出しはあまりできないものだ。セオドアが会いに来てくれるだけで、あの二人の攻撃が減るので、十分に助かっている。
「お父上が帰ってきたらいいのにな」
「父は国のために生きる方ですから」
セオドアがセシルの手を握った。
「セシル……無理はしないでくれよ。その聖女の力も、無理したら命に関わるんだろう?」
気遣わしげにセシルを見るセオドアに、セシルは笑みを浮かべた。
このままだと自分は死ぬかもしれない。力の使いすぎはセオドアの言う通り、命に関わるのだ。
「気遣ってくださりありがとうございます」
「セシル……」
「私は……」
セシルはそこで言葉を止めた。
二人の間に沈黙が落ちる。
「……セシル、そろそろ帰らないといけないんだ。ゆっくりできなくてすまない」
「いえ、時間を取らせてしまって申し訳ないです。ありがとうございました」
部屋から去っていく後ろ姿を見送りながら、セシルはベッドに座って思い出していた。
継母と妹が来た日のことを。
◆❖◇◇❖◆
セシルはマリクリフ公爵家の長女である。
マリクリフ家は先祖代々、女の子に聖女が生まれる家系で、セシルが生まれた時、みんなが喜んだと言う。
とは言っても、女の子が必ず聖女になるわけでもなく、たまに聖女が誕生する家系。そうだといいね、と母に言われて育った程度で、然程期待もしていなかった。
父は国境警備を任されている将軍であり、それに誇りを持っているので滅多に家に帰ってこなかった。セシルは父の姿をほぼ忘れているぐらいだ。
滅多に家に帰ってこない父は、母が亡くなっても帰ってこなかった。
代わりに来たのが、父と再婚したというマリーと、父の血を引くパトリシアだった。
パトリシアはセシルとひとつしか歳が変わらなかった。喪に服す期間は過ぎたとはいえ、あまりの再婚の早さと、正妻の子とほぼ変わらぬ歳の隠し子にみんな呆れ果てていたが、何も後ろ盾のない子供と、新たな継母と妹だと、みんな後者についた方がいいと思ったのか、使用人たちを初めとして、みんなマリーたちについた。
こうしてセシルはいらない子となった。
「あんたがいなかったらもっと早く貴族になれた」
「あたしの幸せをあんたが奪った」
セシルはそう言われて、食事は使用人より悪いものを、部屋も一番古くて狭いところを割り当てられた。
すべてを諦めていたけれど、今ほど悪くはなかった。悪化したのはあの日だ。
「セシル! 薄汚れた鳥がいたから埋めておいてよ! 汚くて見たくもない!」
そう言ってパトリシアが使用人を使ってこちらに投げ飛ばしたのは、酷い怪我をした小鳥だった。
このまま放っておけば死ぬだろう。それがわかる状態だった。
それをわざわざセシルの部屋に持ってきて埋めておけというのは、嫌がらせ以外の何ものでもなかった。
パトリシアはニヤニヤしながら去っていったが、セシルはまだ死んでいない小鳥を埋めることはできなかった。
その場しのぎではあるが、小鳥に手当をした。
飛べない小鳥を見て、徐々に失われていく命に、セシルは悲しくなった。
「治ればいいのに……」
セシルがそう思った時である。
セシルの周りが光り、小鳥も光に包まれた。驚い目をつぶり、なぜか痛む自身の身体に驚きながら、セシルが再び目を開いた時。
「ピィーーー!」
小鳥は嬉しそうに空を飛んで行った。
おかしい。もう助からない怪我だった。たとえ奇跡的に治ったとしても、こんな短期間で飛べるはずがない。
「セシル」
戸惑うセシルを、マリーとパトリシアが驚いた顔で見ていた。
しかし、その顔がすぐに憎しみを浮かべる。
「どうしてお前が」
マリーが歯を食いしばった。
「その力はパトリシアにこそ相応しい! お前の力はパトリシアのために使いなさい!」
何が起こったのかわからない。わからないが、その日確かにセシルの運命が変わってしまった。
セシルはマリクリフの聖女の力を、パトリシアのためにのみ使うことになった。
力の代償が自分自身だと気づいたのは、そのすぐ後だった。
◆❖◇◇❖◆
あ、そうだ、掃除しないと……。
セシルは痛む身体を引きずりながら立ち上がり、廊下に出た。
セシルは聖女の力だけを使って生きているのではない。継母から命じられた雑用もこなさなければこの家で暮らしていけない。
父がいれば違うのかもしれないが、父はまったく帰ってこない。それがおそらく答えなのだろうとセシルは思っている。
「いつまで待てばいいのよ」
ふとパトリシアの声が聞こえて、セシルは足を止めた。中庭からだ。
セシルはこっそりと気配を消した。見つかると怒られるからだ。パトリシアはセシルの姿を見るだけで怒り出してしまう。無駄な暴力は受けたくなかった。
「あと少しよ」
義母マリーの声も聞こえた。
「もういいじゃないの! あたしは聖女としての地位を確立したわ。みんなあたしに感謝してる。ここで力を失ったとしても、誰も責めないでしょう」
「……」
――力を失う……?
何を言っているんだろうか。
不穏な空気を感じ取って、セシルは少しだけ中庭を覗いた。
「……仕方ないわね。本当は、最後まで力を使わせてしまおうと思ったけど」
「死んだ後の始末も面倒じゃない」
「それはそうね。そろそろ死にそうだし、もういいわね」
嫌な予感がする。
「あの子を邪神の住む谷に捨てましょう」
邪神の谷、と聞いてセシルの肩がピクリとした。
「邪神の谷?」
「エステル様と違って、悪い力を持つと言われる神よ。その神の住む谷に落ちたものは、二度と帰ってこられないらしいわ」
「谷に落ちたらみんなそうでしょう」
「谷底も見えないらしいの。遺体を見つけられないってこと」
話が見えてきたパトリシアがニヤリと笑った。
「セシルを落としたら証拠も何もかも谷底ってことね?」
「私たちは心を病んだ娘が急にいなくなったと装えばいいのよ」
――それって……私を谷に突き落として、その事を悟られずに、私が自分で失踪したってことにするってこと……?
殺される……!
セシルは逃げようとしたが、聖女の力を使いすぎた身体はうまく動かなかった。
もたついてつまづいたセシルが、立ち上がろうと身体を起こした時には、パトリシアとマリーが目の前に立っていた。
◆❖◇◇❖◆
「着いたわよ」
馬車がついて、顔に麻袋を被せられていたのを外される。もし馬車の窓から顔が見えたら困るからとのことで、その徹底した様子に本気さが窺えてセシルはさらに恐ろしくなった。
着いたのは薄暗い谷間の上。
谷の端に立たされ、セシルは恐怖に震えた。
「やめて……このまま聖女の力を使うから……」
「もうそれも必要ないの。聖女として頑張ってきたパトリシアは、突然聖女の力を失ってしまったけど、心は美しいまま、っていうストーリーにする予定だから」
どこまでも自分が一番なパトリシア。そしてそのためだけに殺されそうな自分。
なんてちっぽけで、どうしようもない存在なのかと、セシルは自分を哀れに思った。
「……セオドア様が突然私がいなくなったら疑うかも」
セシルの言葉を聞いたパトリシアが、ポカンとした後、大きな声で笑った。
「あんた、思ったよりお花畑だったのね」
「?」
「ここまで誰が連れてきてくれたと思うの?」
パトリシアの言葉に合わせるように御者をしていた人物が馬車の上から降りてきた。
見覚えのあるその姿に、セシルは絶望した。
「……セオドア……様……」
「やあセシル」
いつもの爽やかな笑みを浮かべながら、セオドアはパトリシアを抱きしめた。
「一般の御者を雇うと、口を割っちゃうかもしれないじゃない? だから彼に頼んだの」
「悪いなセシル」
悪いとは微塵も思ってない口調で謝罪するセオドアに、セシルは気が遠くなりそうだった。
「……いつから……」
「あたしがマリクリフ家に来てすぐよ。陰気なあんたより、あたしがいいって」
「家同士の繋がりだから、それならパトリシアでもいいはずだからな」
悪びれずに言う二人が信じられない。
「なら、どうして私に優しく……」
「君が逃げたらパトリシアが聖女ではなくなってしまうだろう? きちんと聖女の地位を確立した今ならともかく、昔は君がいてくれないと困ってしまうからね」
「そんな……」
セシルは足が震えて地面に座り込んだ。
信じていたものがすべて崩れてしまった。何もかも。
「無駄話はもういいでしょう?」
マリーが二人の前に出てきて、セシルの肩に手をやった。
「邪神によろしく」
マリーが肩を押すと、セシルの身体は後ろに傾き、そして落ちていった。
谷から落ちながら見えるのは、笑うパトリシアにその肩を抱くセオドア。そして満足そうなマリー。
私の人生はなんだったんだろう。
誰からも愛されず。ただパトリシアの道具として生きてきた。
これで人生が終わるのか。
――そんなの嫌だ!
セシルがそう思った時。
『なら俺と契約しろ』
声が聞こえた。
「誰?」
『ずっと見ていた、セシル』
声の主の姿は見えない。
『あいつらに復讐してやればいい。見返してやれ、世界を、すべてを』
声はセシルの耳にすっと入ってくる。
『女神エステルもな!』
「あなたは……まさか……」
セシルはマリーとパトリシアが言っていたことを思い出した。
ここは邪神の谷。
そう、邪神の住む谷。
『そうだ、それは邪神――邪神ゼロ』
「ゼロ……」
『俺と契約して、俺の聖女となれ、セシル。そうすれば生きてあいつらに復讐できる』
生きられる?
生きて……やり直すことができる?
セシルは今までの人生を振り返った。
ずっとパトリシアの道具、そして憂さ晴らしとして生きてきた。
「――私は……」
自由に生きたい!
「契約する!」
ニヤリ、と近くで誰かが笑った気がした。
ふわり、と身体が浮く。
「契約成立だ」
誰かがセシルの身体を持ち上げている。落ちているセシルの身体を持ち上げられる者なんで普通はいない。つまりその相手は――。
セシルがその相手を見る。
そこには燃えるような赤い瞳に、漆黒の髪をした、人間離れした美しさを持つ男がいた。
――この人が、邪神ゼロ。私が契約した邪神。
「さあ、我が聖女よ」
邪神はセシルの顔を撫でる。
「ともにこのエステルの世界を壊してやろう」
ゼロはそう言うとニヤリと笑った。
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『邪神に拾われた聖女が、もう一度初恋を取り戻すまで』
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