第63話 消えた教徒たち(4)
寺院一階は、大きく分けて四つの区域に別れていた。
一つは受付を初めとした来賓区域。もう一つは家が無い者たちのための一時的な宿泊施設や食堂などがある生活区域。二階以上に存在する寺院の資産や信者たちの情報、行事などについて菅理を行う事務区域。そして最後の一つが、死門へ祈りを捧げるための礼拝区域だ。
受付の左右にある通路は最終的には合流し、ここの礼拝堂へ繋がる構造となっていた。礼拝堂の前には休憩用の広い通路があり、ちらほらと信者たちが設置された椅子に座ったり談笑したりして、くつろいでいる。
カウルたちが目の前を通ると彼らは一瞬こちらを振り向いたが、軽く挨拶を交わした後すぐに談笑へと戻る。腰に剣を差し、軽装鎧を着こんでいるカウルの姿を目にしても、大して気にはならないらしい。ここは街を覆う壁の外にある場所であるため、恐らくこういった服装の者たちのことも見慣れているのだろう。
両開きの扉を開け礼拝堂の中に入ると、部屋の中心に大きな像があった。嵐を模した波打つ雲や雷の造形と、その中心に立つ端正に整えられた男の姿。あれはもしかして、死門とその元となった九大賢者の一人を現わしているのだろうか。
三神教では部屋の奥に台座があり、そこに掲げられた旗や火、像に向かって皆が同じ方向を見て祈りを捧げるのが普通だが、ここでは死門の像を囲むように輪を描いて椅子が設置されている。
席には数人の信者たちが座り、静かに祈りを捧げていた。
まだ昼間のはずなのだが中は暗く、壁際に並べられた蝋燭の青い火によってのみ視界が確保出来る。そのあまりに異様な雰囲気に、カウルは思わず圧倒された。
しばらくその光景を見つめていると、アベルが珍しく神妙な顔でささやいた。
「ここで信者たちに話を聞くのは、少々やり辛いな。外に戻ろう」
その意見には同意だ。何より見慣れない光景過ぎて、居心地が悪い。カウルは小さく頷き、彼と一緒に礼拝堂の外へと出た。
しばらく周囲を見渡した後、アベルは通路の端に座り込んでいる男へと近づいた。腕から顔まで、全身に浅紫の布を巻きつけた奇妙な男だ。床に直接腰を落とし、片膝を立てたまま何かに耐えるように唇をきつく結んでいる。
「大丈夫か」
アベルが聞くと、男は顔を覆う布の隙間から目を覗かせた。
「……大丈夫だ。持病みたいなものでね。心配しなくていい」
布の男は構って欲しくなさそうに答えた。
「呪いか」
何の遠慮もすることなく、単刀直入にアベルが聞く。
男は一瞬ばつが悪そうに目を伏せたが、すぐに力を込め、アベルを見つめ返した。
「そうだ。あまり俺に近づかないほうがいいぞ。あんたに移るかもしれない」
「それは呪縛布だろ。よほどのことが無ければ、呪いがうつることは無いはずだ。心配するな。俺も呪いを受けていてね。君を差別するつもりはない」
そう言ってアベルは彼の横に腰を下した。
カウルは立ったまま、そんな二人の様子を見下ろす。
アベルは壁に背を当て、
「少し話をさせてもらっても構わないか」
「……何の用だ」
「別に大したことじゃない。どういう人達がここにはいて、どんな思いを持っているのか。信者たちの扱いはどうなのか。俺たちは災禍教に興味があってね。参考として、色々と信者たちから話を聞いて回っているんだ」
「入信希望か」
「まあ、そう言えなくもない」
いつものように、曖昧な表現で答えると、アベルは布に覆われた男の手に視線を向けた。
「君はここに来て長いのか」
「もう三年になる。古参の信者たちと比べれば大したことは無いが、それなりに居るほうだ」
よく見れば布の男の唇は紫に変色し、乾燥したように荒れている。まるで声を出すたびに痛みが走っているかのように、男の表情は険しかった。
アベルは男の様子を見て何かを察したように目を伏せた。
「君も……死門に救いを求めて入信したのか」
男は僅かにアベルの目を見返した後、静かに答えた。
「ああ。昔……呪具の運搬業に携わっていた頃に、魔女と関わることがあってな。機嫌を損ねて呪いを受けた。
この呪いは何か動作をするたびにその部位に激痛が走り回り、だんだんと全身に広まっていく呪いなんだ。ただ生きているだけで毎日毎日、地獄のような苦しみが押し寄せてくる」
「三神教協会で解呪は出来なかったのか」
カウルへ状況を理解させるためだろうか。答えがわかっていそうなのに、アベルはあえてそう質問した。
「勿論行ったよ。痛みに耐え涙を流しながら、国中の三神教協会に救いを求めて回った。だがどこに行っても呪いが強すぎて解除出来ないと言われたんだ。
毎日毎日、呪いを刺激するような意味の無い祈祷術を浴びせられ続け、俺は悲鳴を上げ何度も死にたいと願った。けれど、やつらは決してそれを許さなかった。
三神教の教義において、命は何よりも優先すべきものだ。どれだけ苦しくても、どれだけ絶望していても、決して死を許さず報われない解呪と祈りを強要し続ける。俺は……その生活に我慢出来なかった」
話しているだけでも辛いのだろう。男は時たま何かに耐えるように全身の筋肉を強張らせた。
「このままではただ永遠に苦しむだけ。廃人になるかもしれないと、そう思い始めた時に、患者仲間からここの噂を聞いたんだ。
最初は藁にも縋る気持ちで訪れた。だが信者や葬使の話を聞いていくうちに、俺はここの考えに共感するようになった。
彼らは俺の呪いを抑えるための呪縛布を施し、ただ拷問のような苦痛に耐えるばかりだった俺に、死という別の道を差し示してくれた。
死門はこの地獄のような肉体から俺を解放してくれる救いであると共に、新たな旅だちへの入口なんだ。そう信じることで救われた気がした」
布の男の穏やかな瞳を見て、カウルは彼が何を見ているのか気が付いた。壁の向こう、さらにその先にある死門を、彼は眺めているのだ。
「君は、ここに来て三年になると言っていたな。何故すぐに死門へ命を差し出さなかったんだ」
随分と踏み込んだ質問だ。カウルはアベルを見たが、彼の表情は変わらない。
布の男は気にする素振りも無く、会話を続けた。
「いつでも好きな時にこの苦痛を終わらせることが出来る。そう思うと、どうしてかな。苦しいだけだったはずなのに、毎日の景色が別物のように見えてきてね。まだいいか。もう少し先にしよう。そんなことを考えて過ごしている内に、気が付けば、三年も経ってしまっていた。
きっと……ここの居心地がとても良かったからなんだろう。ここには俺を差別する者も、嫌悪する者もいない。哀れで醜い呪い人ではなく、一人の人間として扱ってくれた。それがたまらなく嬉しかったんだ」
細くぼろぼろの体。けれど本当に穏やかな表情で、布の男はそう言った。
椅子に座っていた三十代程の女性が話を続ける。
「私は五年くらい前に、夫と息子を失ったの。私は裕福な家庭じゃなくてね。今でこそ言えるけれど、当時は家族ぐるみでスリや空巣をして、何とか生活をしていた。でもある日、それが村を仕切っていた造船所のボスにばれてね。夫は見せしめとして殺されてしまったの。
稼ぎ頭を失った私と息子は路頭に迷って、まともな食事をとることも出来ずその内に息子も病気にかかって死んでしまった。
両親も既に他界してた私は、行く場所もなくてね。最初はすがるように三神教の協会を訪れたの。彼らは皆私に同情的で、食べ物を用意してくれたり、寝床を与えてくれたり、とても優しかった。
私は彼らにとても感謝して、熱心な信者になろうと思ったの。でもね。教義を学んでいく内に、ある事実を知ってしまった。三神教の教義では死後、善人は三神教の元へ招かり、幸せな生活を送れるけど、悪人として死んだ者はその地の災禍に取り込まれ、永遠に呪いとして世界を巡回し続ける罰を受けるとされているの。
私の夫は時には人を脅したし、傷つけもした。三神教の教義が本当なら、彼は決して救われない。自業自得。それはわかっている。でもね。私はどうしてもそれを受け入れることが出来なかった。
……災禍教は素晴らしいわ。善人だろうと悪人だろうと、死者は災禍を通して一つの渦へと帰る。そこには罪の有無も、生前の行いも関係ない。みなが平等に公平にひとつのものへと戻るとされているの。
どちらが真実なのか、私には今でもわからない。でも、どうせ信じるのなら希望のある方がいいと思った。そう思わなければ私は立ち上がることが出来なかったから。だから、ここにはとても感謝しているの。私に生きる希望を与えてくれた唯一の場所だから」
通路の中央付近の席に、他の者たちより少しだけ小奇麗な恰好をした男がいた。歳は五十を超えたくらいだろうか。カウルたちが声をかけると、嬉々として話を始めた。
「私は呪術師でね。元々は黒陽の国アザレアで研究を行っていたんだが、死門の“命を奪う”という現象に強い興味を惹かれてね。この国を訪れたんだ。
九大災禍を研究する上で、災禍教以上に適した場所は存在しないよ。歴史、教義、活動方針のどれをとっても、災禍教が最も真に迫っているとそう確信しているんだ。目に見えない神や精霊だとかを信じる三神教や北部信仰よりも、実際にそこに存在している災禍の方がずっと信用できる。……おっと失礼。誤解しないでくれよ。私は別に三神教や北部の精霊信仰を否定しているわけじゃなんだ。ただ九大災禍の研究という意味では、災禍教ほど適した場所はないって、そう言いたいのさ」
生活区域の食堂で、隅にある席に目を引く姿の男が座っていた。
両目から紫色の花を生やした、奇妙な男だ。
顔には植物の根なのか血管なのか判断の付かないものが無数に浮き出ており、その全てが目の位置にある花へと繋がっている。
カウルはぎょっとして話しかけるべきか迷ったのだが、アベルは気にすることなく彼の前の席へと座り、声をかける。花の男は最初はこちらを警戒していたようだったが、話をしていく内にだんだんと打ち解け、自分のことについて教えてくれた。
「僕は昔、野草を集める仕事をしていたんだ。ある日いつもよりも野草が見つからない時があってさ。慣れない山奥に入りすぎた結果、崖から落ちてしまったんだ。
足の骨が折れた僕は、身動きが取れなくなってね。仲間が助けに来るまで、そこでじっと待つしかなかった。
幸い、崖下には植物がたくさんあってさ。僕はよく山に入っていたから、食べられる植物とそうでないものについては熟知していた。だから思いもしなかったんだ。その花が強い呪いに汚染されていたなんて。
約七日間。植物を食べ続けた僕の体は、もはやどんな祈祷術でも解呪出来ないほどの呪いに蝕まれてしまっていた。体は変化し、全身に木の根のようなものが広がり、眼球からは花が咲いた。
このおぞましい体だ。友人も家族も三神教の信者たちですらも、みな僕を化け物や怪物のように扱った。でも災禍教の……ここの人達だけは違った。災禍教だけが僕を人として、一人の人間として接してくれたんだ。
世間から不審がられたり、災禍をあがめる少数一派なんて思われているかもしれないけれど、ここの人達はみんなとてもいい人たちだよ。誰よりも呪いに対する苦しみを理解して、共感してくれる。だから君たちがここに興味を持ったっていうのなら、是非そういったいい面をもっとよく知って欲しいな」
その後も信者の者たちに話を聞き続けたが、彼らの口から出るのは一貫して災禍教への感謝を述べる言葉ばかりだった。
みなが何かしらの痛みや苦痛を持ち、災禍教がそれを救ってくれたと、強くそう思っている。
三神教のみが世界の真実だと教えられ育ってきたカウルには、最初災禍教は得体のしれない怪しい集団でしかなかった。けれどこの場所を訪れて、信者たちの話を聞いて、その価値観は既に大きく崩れ始めていた。別に三神教よりも災禍教の方が素晴らしいだとか、そんなことを言うつもりはないけれど、ここで救われた、ここでしか救われない人達がいることもまた事実なのだ。
食堂にいる信者たちを眺めていたカウルを見て、アベルがさとす様に言った。
「呪われた者たちへの差別は根強い。三神教は真摯に対応しようとしているが、それでも人員や能力によって限界はある。彼らの救いの手から零れ落ちてしまった者たちにとって、最後の受け皿になっているのが災禍教だ。
トンバロの言う通り、災禍教の一部が偽祈祷師とやらに関わっていたとしても、彼ら全てが悪だとは決めつけないでくれ。それはあまりに短慮で自己保守的な考えだ」
「……わかった」
今ならここへ入る前に、何故アベルがあそこまで災禍教について配慮させようとしたのかよく理解出来る。あえて多くを語らず、カウルは素直に頷いた。
昼時だからだろうか。食堂にいる信者たちの数が増えてきた。
彼らの姿を見てアベルは、
「さてもう十分だろう。重い話も多かったが、例の偽祈祷師に対する手掛かりが無いわけでも無かった」
「ああ。そうだな」
信者たちの話を聞いてく中で、いくつかの事実が露呈した。
来賓対応のナズィールが災禍教死門派の先代葬使であること。そして彼からその地位を引き継いだ今代の若い葬使が、一部の信者たちと共に行方不明になっていること。それも、死門が停滞したあの時期から。
今後の方針を纏めるように、アベルが言葉を続ける。
「信者たちの中に葬使と共に姿を消した者の妻が居た。彼女が言うには、行方をくらます直前、夫は黒陽の国アザレアの王都、ノアブレイズの一角にある奈落街へ向かうような話を漏らしたらしい」
「奈落街って? 話題には出てたけど、よくわからなかったんだ」
「非合法な呪術や呪具、禁術なんかを扱う市場。いわゆる闇市っていうやつだ。奈落街はその中でも、世界最大規模の場所と言われている」
非合法な闇市。偽祈祷師の目的が何かは知らないが、そういう場所であれば身を隠すには最適だと言えるだろう。
もし死門派の葬使が偽祈祷師本人、もしくはその仲間なのであれば、そこへ向かえば彼に会えるかもしれない。
カウルは唇の端をぎゅっと結んだ。
「じゃあ次の目的地は――」
「ああ。黒陽の国、アザレアだ」




