入部初日
「え~。新入生の皆さんようこそテニス部へ。テニス部部長の―――」
そんな紹介はどうでもいいのよ。あなたが部長だって1週間前くらいにやった部活紹介で知っているし、名前も部活一覧の下に大きく載っていたから誰も知らないはずがないのに部長は堂々と名乗る。完全な日差しの下でいるだけで汗ばんできた。元々、運動は得意ではなく、苦手の方だ。こんな練習がきつそうなテニス部なんかに正直入りたくなかった。大人しく文芸部で幽霊部員をしていればよかったと後悔しながら部長の話を聞く。
今、私は学校の敷地の一角にあるテニスコートにある出入り口の前にいる。面は全部で4つあって男女がそれぞれ二つずつ使っている。その一角でジャージ姿の矢々島先輩が他の部員と共に柔軟体操をしており練習前の準備体操中であった。服装は部活の勧誘の時とは違い長そで長ズボンのジャージと私と同じ格好をしている。ペアルックを着ている気分だ。その姿を部長の話を全く聞かずずっと眺めていた。
「君・・・・・・そこの君!」
突然、私の前に部長がやってきた。それが突然すぎて驚いて倒れてしまう。たぶん、私が話を聞いていない風に見えたので注意しに来たんだろう。
「え、えっとその・・・・・・」
誰も知らない人が見たら部長に私が迫られているように見える。見た目は多くのイケメンが出てくる腐女子がキャーキャー言いそうな某テニス漫画の部長のようなさっぱりとした清楚な顔に淵なしのメガネから注がれる鋭い目線。確かにイケメンだけど私の心には全く響かない。
「すまない。驚かせて」
手を差し伸べる優しさに評価。私はその手を取って体を起す。気付けば、周りにいる女性陣から嫉妬の眼差しがグサグサと刺さる。別に私はこの部長が目当てでこの部に入ったわけじゃないから。まぁ、標的が違うだけで目的は同じだけど。
「じゃあ、これから新入部員のみんなには準備運動をしたのちに経験者と未経験者に分かれてもらってそれぞれの技量がどれほどの物なのかを見させてもらう。準備運動の指導は彼女に任せる」
彼女と訊いてもしかしてと思ったけど、私の希望とは違い別の女子テニス部員がやって来た。これから始まるのはなんの面白味もないただの準備運動。私にとってはそれだけで息が切れてバテバテになってしまうのは目に見えているがやるだけやってみる。
まずは軽いアップのためのランニング。ついて行けず、全体の2周遅れで準備運動の柔軟に入る。体は固くスムーズにできない私を先輩のひとりが必死に補助してくれる。その醜い姿に同じ新入部員たちがくすくすと私を笑う。
私よりも年下なくせに。もし、年のことを知ればきっとあいつらの態度だって違うはず。でも、今の私にそれを伝える手段はない。
次に初心者と経験者で二つにグループ分けをされた。私はもちろん初心者。そもそも、テニスのルール自体があやふやなのだ。先輩にラケットの持ちから振り方まで何から何まで教えてもらう始末。しかも、他の初心者と比べて上達が異常に遅かった。部活の練習時間が終わったころには体中泥だらけでジャージは近くのベンチに過ぎ捨て体操服は汗でぐっしょりとなっていた。下着が透けないかだけが気掛かりだった。
「大丈夫。私も最初はそんな感じだったからきっと大丈夫よ」
私に付きっきりで手ほどきを加えてくれた先輩がそう励ましてくれるがその言葉が私の心をちくりと刺す。申し訳ない。2年生で同じ年ではあるがテニスの経験では明らかに向こうの方が上で私が偉そうなことを言う立場ではない。
「はい。・・・・・・・今日は・・・・・そのありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてフラフラの足に鞭を撃って小走りで女子更衣室に逃げるように走る。勢いよく扉を開けるとそこには誰もいなかった。それは好都合だった。
私は扉によりかかって膝を抱えてその場にうずくまる。
ああ、なんでテニス部なんかに入ったんだろう。席を入れたら名前だけでもいいのに何で真面目に練習しているんだろう。運動は苦手で頭で分かっていても体が言うことを利かない。いろんな人に迷惑をかけて、年下に惨めに笑われて。
「もう、何なのよ」
気付けば膝が涙で湿っている。ただ、ひとりの人が気になって、それだけのためにこの部に入部することを決めた安易さが裏目に出てしまった。
「もう、部活にはいかない」
そう決めた。瞬間、扉が突然開いて私は完全によりかかっていた私はそのまま背中から倒れて後頭部を思い切りコンクリート製の地面に強打する。
「痛っ~」
痛みで涙目になる。
「ごめん!大丈夫!」
扉を開けた人物が私の視界に入って今まで悩みと後悔と焦燥が一気に吹き飛んだ。
倒れる私を覗き込むように心配してくれたのは半そでに短パン姿で私と同じように汗だくで下着が透けるのではないかと思うくらい体操服が湿った、私がこの部の入部きっかけになった人物、矢々島鷹音先輩だ。目が合うのはこれが3度目。一気に緊張が走る。それは二重の意味でもある。先輩と顔を合わせてしまったことと、それと明らかに目じりのあたりがじんじんとして腫れていて泣いていたことが丸分かりになってしまう。恥ずかしくなってすぐに体を起そうと矢々島先輩と私のおでこがぶつかる。等々の痛みにお互いに額を抑える。
でも、私はすぐに矢々島先輩の方を向きなおして床に腰を下ろしたまま頭を下げて謝る。
「す、すみません!」
その謝る姿は土下座にしか見えない。
「だ、大丈夫だから頭をあげて」
もうダメだ。もうやめよう。明日からこのテニスコートから近づくことすらできない。
「えっと、君は確か付きっ切りで練習してた新入部員ちゃん?」
その答えには返事をせずずっと頭を下げたままの姿勢を保った。
「顔をあげてお願いだから」
矢々島先輩は更衣室の扉を閉めてからそういった。声が少し大きくなったから土下座する私に近づくために屈んでいるのだろう。恐る恐る顔をあげると予想外にも矢々島先輩は私の顔を覗き込むように近づけていてほんの残り数センチでキスしてしまいそうな距離まで近づいていて思わず頭をまた下げてしまった。
「ご、ごめん驚かせちゃって」
「すみません」
「はい?」
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません!」
訳も分からずただ謝る。何か先輩に対してこんな謝るようなことをした覚えも私にはない。完全に混乱していた。今日は私は年下に軽蔑されるようにバカにされて同じ年でありながら部の先輩の貴重な練習時間を費やしてしまった、私のすべての過ちをここですべて出して謝った。何も知らない矢々島先輩に。
すると矢々島先輩は私の頭をまるで子猫のようによしよ~しと優しく撫でた。先輩がその手をどけると私は自然と顔をあげた。
「君は上達の遅かった新入部員ちゃんだね」
涙のせいで土が頬にくっついて固まり涙腺を浮きだしているのを先輩の宝石のような瞳に映る自分の姿を見て気付いて慌ててふき取ろうとする。それを先輩は止める。
「ダメだよ。そんな乱暴にこすり取ったらきれいな肌が台無しだよ」
そういって私の手を引いてベンチに座らせると自分のロッカーからウェットティッシュを取り出して私の頬を吹いてくれた。優しくそして暖かかった。そのせいでまた泣きそうになる。
「君は泣き虫だね」
「すみません。普段はこんなんじゃないです」
そう、あまりにも慣れないことをやりすぎて精神的にも疲れ果てて自分でもなんで泣いているのか分かっていない。
「新入部員ちゃんの名前は何かな?」
頬について泥を払い終わった後で私の名前を聞いてきた。不本意ながら私はこの部に入るきっかけとなった人物とこうして話せる気化が廻って来たことに動揺していた。その動揺を必死に胸の内に抑えつけながら名前を教える。
「榎宮蛍子です」
「そっか、蛍子ちゃんって言うんだ。よろしくね、蛍ちゃん」
「ほた・・・・・」
私のことを蛍子と呼ぶ人物はこれまで何人かいた。でも、私のことを蛍と呼ぶのは彼女が初めてだ。暗い何もない漆黒の夜道にひっそりと輝く光。それが蛍。そんな暗闇でも小さく優しく光り美しくあれと親がつけてくれた蛍子の名前。好きでも嫌いでもなくただ虫であることに抵抗があっただけでそれ以外は何も思っていなかった。でも、この矢々島先輩にそう言われて初めて蛍という響きがいいなと思えた。
「蛍ちゃんはテニスの前に運動はあまり得意じゃないかな?」
私は何も隠さずに正直に答える。今の私の頭では正常に物事を考える状況ではなかった。
「・・・・・・・はい」
「そっか」
すると矢々島先輩は私の目の前でおもむろに体操服を脱いで着替え始めた。その羞恥心のなさにまるで頭が活火山のように噴火する勢いで血が上り熱くなり、これ以上みると気絶してしまいそうになって慌てて目線をそらす。
「蛍ちゃんも着替えて」
「え?」
「ちょっと、これから付き合ってもらうから」
「へ?」
矢々島先輩が何をしたいのか。この時は何もわからなかった。




