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ああ、なんで私はこんなところにいるんだろう。
考える力が完全に衰えているのが自分でも分かるくらい私は考えたくなくなっていた。
あのまま学校を誰にも話しかけられることなく出てすぐにまっすぐシェアハウスに帰って来た。すでに三根さんが帰ってきていたけど、その三根さんを無視して自室に飛び込んでカギを掛けてベッドにもぐりこんで涙を流した。なんで泣いていたのか私にも具体的な理由は分からない。
格好は制服のまま部屋の明かりは付けておらず暗く部屋の全体が見えているのはカーテンをしめていないから月明かりや街頭が窓から差し込んでいるせいだ。時間にして2時間近くこうして泣いている気がする。のどはカラカラで食事をろくにとっていないせいか頭が回らずボーっとする。体も力がまったく入らずベッドから体を起すこともできそうにない。それでも私は未だにポケットの中に入っている鷹音先輩のパンツを取り出す。水色のふりふりのついたもの。暗がりのせいで灰色に見えなくもない。
それを涙のせいで歪んだ視界で見つめる。そして、それを女子更衣室にいた時と同じようにゆっくりと顔に近づける。今度は私に止める気力も思考も存在しなかった。ただ無心で先輩のパンツを顔に当てる。視界が鷹音先輩のパンツによって塞がれて何も見えなくなる。大きく鼻で息を吸う。いや、そうではない。私がやろうとしているのは鷹音先輩の匂いを嗅ごうとしていたのだ。誰にもさらしたことのない下着の匂いを私はひとり独占している。特に匂いはない。でも、私の体はまるで運動した後のように汗が全身から噴き出て呼吸がどんどん荒くなり興奮状態になっていく。鼓動は部屋中に響いているのではないと思うくらい大きくなっていく。指が胸に口に・・・・に動き気持ちが変な方向にどんどん進んで行ってしまう。私が・・・・・榎宮蛍子が壊れてしまうそうになってしまう。
好きな人。初めて抱いた恋と言う思い。それは間違いにも女の子に抱いてしまった。矢々島鷹音先輩。清楚でよく届く声にセミロングの茶髪、健康的に焼けた肌に宝石のような藍色の目。どんな時でも笑顔を絶やさない優しい部活の先輩としての姿と私にキスをした時に見せた親友としての―――いや、それとは別の恋人という意思気を持ったかもしれない頬をほんのりピンク色に染めた先輩の笑顔を浮かべる姿。そんな姿を想像しながら私は身を縮ませて指を動かす。興奮状態がどんどん昇っていく。匂いを嗅ぐ。何もしない布でも私にとってはそこに先輩の汗やいろんな匂いが混ざっていると思い嗅覚が脳によって本物の匂いに変わる。アンモニア臭が私の鼻をほのかにツンと刺すような感覚に襲われる。
頭が苦しそうだ。気が飛んでしまいそうだ。
「先輩・・・・・・鷹音先輩・・・・・先輩・・・・・・鷹音先輩」
自分で異常だって気づきもしない。私はただその時間を思考がぱったり止まって真っ白になっていた。鼓動がどんどん早くなり興奮状態が絶頂に達しそして飛んだ。気を失ったのはほんの数秒だった。気付けば先輩のパンツは私の顔の横に横たわっており。中途半端に肌蹴た衣服にはたっぷりの汗が染みこんでいて透けている。
火照った体と若干の息切れをしながら私は部屋の天井を見つめて体を冷やしながらそして冷静になる。また、涙が溢れる。
「私何してるのよ」
涙を脱ぐためにカッターシャツで目元を抑える。でも、水分を吸うことが出来ないくらい汗を吸ったシャツは涙を吸うことなく、涙は私の頬を伝う。
もう水分は完全に出てしまうくらい汗もかいて涙も流したのに私の気は全く晴れない。
その時、私の部屋の扉がノックされた。
「蛍子?いるの?」
声から芳美さんだ。このシェアハウスの女性陣の年長の喜海嶋芳美さんだ。涙が流れてかすむ視界で私は部屋の時計を見ると時間は8時を回っていた。OLの芳美さんが帰って来ていてもおかしくない時間だ。
何度もノックをする。芳美さん。
「蛍子。入るわよ」
カギを掛けているがこのシェアハウスにはそれぞれの個室のスペアキーが存在する。1階の男性陣の部屋のスペアキーは藤見さんが、2階の女性陣のスペアキーは芳美さんが持っている。そのスペアキーを使って芳美さんは私の部屋に入ってくる。その前に私は布団をかぶる。
「わぁ」
入ってきた芳美さんは一瞬だけためらったようだ。季節は7月とはいえ夏日の日々は続く暑い日だ。そんな日で私は冷房もつけず部屋を閉め切っている。その熱気のせいだろう。窓を全開にして換気を芳美さんは行う。
「蛍子、大丈夫?生きてる?」
ベッドの私の存在に気付いて歩み寄ってくる。
私は意味もなく息をひそめる。そんな私に芳美さんは掛布団をめくる。
「す、すごい汗じゃない。大丈夫?」
私はゆっくり目を開けるとTシャツにジャージに眼鏡というラフな格好をしたいつもの芳美さんが私の様子を心配そうに見つめている姿を見て、急に非現実な世界から何も変わらないいつもの現実に引きも出された感覚に襲われて、再び私は自分犯した罪の罪悪感に襲われた涙があふれ出る。
「ちょ、どうしたの?蛍子?」
「よ・・・・・・よ・・・・・・よし・・・・・芳美さ~ん」
私は泣きながら嗚咽を漏らしながら芳美さんの名を呼び体を起してベッドに座り込む芳美さんに抱きついた。
「どうしたの?何があったの?」
ワンワンと泣いているせいで話すことが出来ない。それでも芳美さんは私を優しく包み込むように抱き包んでくれた。私の知る暖かさに優しさに心が急に緩んでさらに私は涙を流した。
10分くらいしてようやく私の涙も乾いてきた。
「落ち着いた?」
コクリ私は頷く。
「どうしたの?三根から聞けば学校から帰ってきてずっと部屋にこもってたらしいじゃない。何か学校であったの?」
あったには合った。でも、言う勇気は私にはない。
「最近、部活も熱心で信頼できる先輩もできたらしいって藤見から聞いていたから少し安心してたのよ」
芳美さんと藤見さんは私が中学の時に起きた事件を知っている。その事件以降私が人間不信になってしまっていることも知っている。無意識に人から嫌われるようなこともしていることもおそらく知っている。そんな芳美さんだからこそここ最近の私の行動はうれしいものだったのだろう。
「いじめでもあったの?」
首を横に振る。
「何か痴漢とかでも」
それにも首を横に振る。
「じゃあ、どうしたの?」
私はその問いには答えることが出来ない。答えようとすると体中が金縛りを受けたように硬直する。筋肉が凍ったように収縮して強張って動こうとしない。私の意思に反して勝手に。もう、自分の体が自分の物じゃないくらい自由が利かない。
そんな私を再び優しく包み込む芳美さん。
「話したくないのなら何も言わなくてもいいわ」
え?
「でも、せっかくできた先輩には私たちと同じ心配を掛けたらダメよ。あなたにできた大切な親友でしょ」
芳美さんの言うとおりだ。鷹音先輩。あの事件以来ふさぎ込んでいた私にできた友人と言える人だ。このシェアハウス以外で私の孤独を潤わせてくれる唯一の存在。私が無断で部活を休んでいるし、様子がおかしかったことを一二三さん経由で伝わっているかもしれない。
「ごめんなさい、芳美さん」
「謝るのは私じゃないんじゃないの?」
その通りだ。もう、芳美さんに返す言葉がない。
「もし、今の友人とうまくいっていなかったら出来るだけのことをやってみなさい。後悔だけは絶対にしちゃダメよ」
「・・・・・・は、はい」
家族よりも私のことを分かっている芳美さん。なんでふさぎ込んでいるのかを問いただすことはなくただこれ以上誰も心配させるなとだけ私に言ってくれた。鷹音先輩だけじゃない。シェアハウスのみんなや一二三さんにだって迷惑をかけている、心配をかけている。それだけは避けないといけない。
だから、私は明日も学校に行って部活にも行く。そうすれば、またいつものように鷹音先輩と部活終わりの練習に行くことになる。その時に今は服の下に隠しているパンツもいっしょに返して謝ろう。
例え、鷹音先輩がそれを許してもらえずとも私にはこのシェアハウスの人たちがいる。家族と同様に切るに切れない縁がある。鷹音先輩に嫌われたとしても私はまた別の恋をすればいい。どちらにせよ偽りの恋。そして、狂ってしまっている鷹音先輩への想い。それがすべてはじかれるのならそれはそれでいいのかもしれない。後悔はないように私は前に進む。




