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――それから一年が経った。
「アオイ様、さあさ、参りますですよ。」
アオイは真新しい紺色の園児服に、黄色のリボンのついた帽子を被り、玄関にたたずんでいた。外は輝かしいばかりの快晴である。
「うん!」元気いっぱい肯く。
「さあさ、お靴を履いて。」清子はそう言ってアオイにコイン入りの小さなローファーを履かせる。
「おお、どっから見ても立派な幼稚園児だ。」タツキはアオイの頭を乱暴に撫でた。
アオイは首を傾げて微笑む。
「今日は入園式。先生もたっくさんのお友達も皆お待ちですからね。楽しみですねえ。」
「うん!」
アオイは清子が希望していた最も近い場所にある幼稚園のプレスクールへの参加を認められ、半年間通った後正式な入園を認められた。そこに週に一度づつ通う中、友達も多数できていたのである。痣のことでいじめられたりするのではないかという清子とタツキの当初の危惧は、果たして杞憂であった。アオイはクラスの誰よりもお絵かきが巧く、また、字も上手だったのである。
「どうしてアオイちゃんのお顔、黒いの?」プレスクールの始まった日、そう直接に聞いて来る園児があった。
「お風呂入ってないの?」
「クレヨンで描いたの?」
「変なの。」
しかしそんな会話は、ベテラン教師が許さなかった。
「アオイちゃん、凄いわ!」アオイのプレスクールへの参加を、やはり痣のあるということで不安視していた園長初めその他の教員たちにも推薦してくれたという女教師が、大げさなぐらい何度も褒め称えたことで、周囲の見る目は尊敬のそれに変わった。「こんなに上手にお絵かきも字も書けるなんて、先生今までに見たことないわ!」
「でもアオイちゃんのお顔、変。」
「あら。お顔っていうのは一人一人違って当たり前でしょう。みんなおんなじだったら、みか先生、みんなのことわからなくなっちゃう。かなちゃんは誰ですか、あいちゃんは誰ですかってね。毎日聞いてみなきゃいけなくなる。」
「ええ、そんなのやだ!」かなは顔を顰めた。先生に真っ先に名前を憶えて貰って喜んでいたのはかなであった。
「でしょう。かなちゃんもアオイちゃんも、みんな違っていて、それが一番いいの。違ってるのを、変だなんて言う方が変なのよ。」
もうアオイの痣を指摘する子供はいなくなった。
「かなちゃん、あいちゃん、りりちゃん、りくとくん、じゅんくん、みんなお待ちですから、さあさ、参りましょう。」
「うん!」
清子とタツキの間で手を繋がれながら、アオイは上機嫌に「みかせんせい、いる?」と尋ねる。
「みか先生も、もっちろんお待ちですよ。」
「でも、担任ではないんでしょ?」タツキが眉を暗くしながら訊ねる。「あの先生、アオイのことよっく面倒見てくれて良かったんだけどなあ。」
「みか先生は今年から園長先生になられるから、仕方がないんでございますよ。その代わり、新任の先生が担任の先生になられるということで……。」
「新任の先生かあ。」タツキは不安を覚えた。アオイのことを庇ってくれるであろうか、いじめなんぞが起きないようにきちんと指導をしてくれるであろうか。
しかしそんな素振りには全く気付かぬように、アオイは二人の手にぶらさがり、ぶらさがり、しながら幼稚園までの十分たらずの距離をはしゃぎつつ歩いた。
こんなに喋れるようになるなんて、思ってもなかった。それで入園を許され、今日からその第一日目が始まる。タツキは感慨深さに胸が熱くなるのを覚えた。
間もなく到着した幼稚園は、風船や折り紙の花などできらびやかに飾り付けがなされ、アオイはますます大喜びであった。門の前には、「入園式」と書かれた大きな垂れ幕もあった。
「アオイちゃーん!」仲良しのかな、が園庭から走ってくる。かなの両親が隣で頭を下げた。「おはようございます。」
「おはようございます。いやあ、普段と全然違いますねえ。先生方準備大変だったでしょうねえ。」
「先程その先生に早速ご挨拶してきましたよ。今年から赴任された……、ほら、あちらに……。あ、お見えになった。」
若い女教師は、パステルピンクのスーツに身を包みながら、早速水玉模様のエプロンを付け、子供たちに囲まれていた。
「……ゆこ!」アオイはそう叫んでぽっかりと口を開けた。
女教師は顔を上げ、にっこりとアオイに微笑みかけた。
「あー!」その隣でタツキも叫ぶ。
「どうなさったんです? ああ、アオイ様の担任の先生でいらっしゃる方でしょうかねえ。お聞きしていた通り、お若い方で……。」
「ゆこ! ゆこ!」アオイは清子とタツキの手を振り払って、若い女性教員に向けて一目散に駆け出した。
「まあ、アオイ様! どうされたんです?」
「あの、人……、アオイが初めて喋った日、ライブハウスで、店員してた人なんだよ! 一日アオイの面倒よっく看てくれて!」
ユウコはしゃがんで、走り来るアオイを抱き締めた。「アオイちゃん、今日からよろしくね。」
「ゆこ!」
清子とタツキは互いに目を見合わせ、微笑んだ。この美しい園庭の中で齎された今の光景が、アオイの未来を輝かしいものとしてくれる、そのプロローグとしてこの上なく相応しく思われて。




