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STIGMATA  作者: maria
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 バンはそれから国道をひた走り、アオイは再び外行く人々に見入っては昼寝に勤しみ、通りがかった公演で清子の作った弁当を食べ、そしてライブハウスに着いた。

 迎え入れてくれたライブハウスの店長、受付、PAの皆の目が釘付けになったのは無論アオイである。痣のことを言われるかとタツキは肝を冷やしたが、感極まった第一声を上げたのは受付担当の若い女性店員である。

「まー! 可愛いお嬢ちゃん! 担当は? ギター? ベース? ドラム? あ、お歌?」

「あおい。」

アオイはそう言って、そそくさとタツキの腕の後ろに隠れた。

「まあ、そうなの? アオイちゃんっていうの? いいお名前ねえ。」先程はパートを尋ねてはいなかったか、タツキは首を傾げる。

「I AM KILLEDです。今日はよろしくお願いします。」レンが一緒にアオイの頭を下げ挨拶をした。

「ええと、こちらのお嬢ちゃんは?」面食らっていた店長がようやく言葉を発する。

「ええと、あえて言うならイラスト担当ですかねえ。うちのギタリスト、タツキの姪っ子です。特技はお絵かきです。ひらがなも書けます。」

「へえ、凄いわー! だってまだいくつ? 三歳ぐらい?」再び女性店員がはしゃぐ。

「ええ、三歳です。三歳と二カ月になるかな?」タツキが後ろから引っ張り出してアオイを前に立たせる。

「やっぱり! ねえ、お絵かきしながらでいいから私と一緒に受け付けしない?」女性店員はそう言うと「おいで。」とアオイの前でしゃがみ、にっと笑った。アオイは戸惑ったように暫く女性店員を見詰めていたが、恐る恐る近寄っていく。「いい子いい子。」女性店員はそう言ってアオイを抱き上げた。アオイは随分視界の高くなったところから不思議そうに女性店員を、それからそこからのタツキたちを、じっと見下ろした。

「まあ、大人しくっていい子。アオイちゃん、お姉ちゃんと一緒に受け付けしましょ。お客さんから順番にチケット貰うの。」

アオイは不思議そうに女店員を見詰める。

「じゃあ今日はよろしくね。お姉ちゃんね、ユウコって言うの。」

「ゆこ。」

「そうそう! まあ、お喋りも上手なのねえ。」

タツキは思わず咳込む。

「ユウコさん、子供慣れしてんすねえ。」コウキが感嘆したように言った。

「そうそう、この間実習終わったばっかりで。あ、私保育の大学通ってんです。将来はライブハウスと迷ったんですけれど、保育士になる予定で。」

 アオイはユウコにもすぐ懐いた。リハーサル中は楽屋で待っている手筈であったが、受付のユウコの隣にパイプ椅子を置き、アオイはそこで絵を描いていた。楽屋で一人ぼっちにしておくよりは無論アオイにも良いと思われたのでタツキは感謝をしたが、しかし本当に開場してからもそんな目立つ場所にいるのか、と訝る気持ちも正直、あった。

「まあ、これは車?」ユウコはチケットの準備をしながら、アオイが真剣に描いているスケッチブックを覗き、尋ねる。

 アオイは肯いた。

「これは、……バンドのバンね。」

 灰色の四角い車を、必死になって塗りたくっているのである。

「アオイちゃんはこれに乗って東京から来たのね。」

 アオイは再び肯く。

「遠かった?」

アオイは首を振る。

「そう。じゃあ、……これ乗って、ここ来る前にどっか寄ったりした?」

 アオイは今度はスケッチブックを荒々しくめくった。そこには真っ赤な不思議な形をした門、らしきものと、その上に黄色い人間のようなものが描かれていた。

「これは、……何かな。」暫くユウコは腕組みして考え込んだ。「あ、神社? これ、鳥居? 神社寄って来たの?」

 そこにリハを終え、コンビニに買い出しに言っていたタツキたちが戻って来た。

「ねえねえ、あなたたちここに来る前、神社寄ってから来た?」

「ええ。」タツキが驚いたように答える。アオイの語彙には「神社」なぞはないような気がして。

「それって、こんな大きな鳥居があった?」ユウコはアオイのスケッチブックを見せた。

「ああ、ああ。あったあった。」レンが楽し気にスケッチブックを受け取る。アオイはまだ絵描き途中のスケッチブックを取られて憮然となった。

「でさあ、災難だったんですよ。お参りでもしてこうかっつって、アオイちゃんは寝てたから俺らだけでとりあえず境内の方行ったら、その隙に泥棒の野郎に後積んでた機材狙われてさあ、俺ら全然気づかねえでお参りしてて。でもね、その時アオイちゃんが初めて、初めてな、『たーちゅー!』って大絶叫して俺らんこと読んでくれた訳。そんで泥棒の野郎どもがびっくりして盗んだ機材も落っことしていって、無事助かったつう訳。凄いだろ? アオイちゃん初めて声出したんだよ。それまではまあ、何つうか……、無口な少女だった訳よ。」レンはそう言ってアオイにスケッチブックを返した。

 ユウコは目を瞠った。

「こいつ、親から離されて育ってて……、その……、今日の今日まで言葉出なかったんすよ。」タツキがバツの悪いように弁明をした。

「そう、……だったの。」ユウコは目を瞬かせながら言った。「よく、声、出たわね。」

「ああ。そりゃあやっぱあれだろ。車ん中でも喋ってたが、タツキのギターがパクられるっつうんで、慌てて呼び戻さなきゃっつうんで、声が出たんだろ。じゃなきゃさ、絶対声なんか出す子じゃなかったんだから。な。」コウキはアオイを賛嘆の目で見つめた。

 ユウコは背を屈めてアオイの目をじっと見た。「頑張ったのね。」

 アオイは恥ずかし気に目を反らす。

「でも、……何これ。」レンは顔を顰めて、スケッチブックを覗き込み、鳥居の上に描かれた黄色の人型のようなものを凝視した。「こんなんあったっけ?」

「……もしかして、この神社の神様じゃないの?」ユウコが驚きの声を上げた。「きっとそうよ! ねえ、アオイちゃん? この人がアオイちゃんの声を出すようにしてくれたんじゃあないの?」

 アオイはそれには反応せず、スケッチブックを捲ると再び道の続きを描くべく灰色で塗りたくり始めた。

 タツキたちはユウコの、安易には否定できぬ新説に頻りに目を瞬かせた。


 開場時間が迫る。タツキはアオイをユウコと一緒に受け付けに座らせておくことに焦燥を覚え、どうにか理由を付けて楽屋に入れておけないかと思案していた。偶然ライブハウス関係者は誰もアオイの痣のことに触れはしないものの、百名近い観客たちの中にはアオイの顔を凝視したり嘲弄したりする者がいるのではないかと、思われてならなかったのである。

 タツキは楽屋を出て、入口をちらちらと見遣る。アオイは随分ユウコに懐き、自分が書いたひらがななんぞを見せ、褒められては悦に入っている。

 「まあ、上手ねえ。よく書けたわ! 『あいあむきるど』。バッチリよ。ここに飾ってもいい?」

 アオイは承諾したようである。ユウコは「ありがとう。」と言いながらスケッチブックからそれを一枚破り、受付に、ライブハウスの受付にこの上なく不似合いな、幼児の書いた「あいあむきるど」を張り付けた。まるで幼稚園である。

 「あ、あの、あのさあ。」タツキは意を決してユウコに声を掛けた。

 「あら、タツキさん。見てよ。これアオイちゃんが書いたのよ。上手でしょう。今日はここに貼っておくから。」

 「その、……そろそろ開場だから……。」

 「大丈夫だって言ったじゃない。アオイちゃんここでいい子にしてるもの。」

 さすがにアオイの前で痣が、とは言い出せなかった。しかしユウコは悟ったように、「あのね、アオイちゃんはこれから幼稚園にも行くし、学校にも行くし、そこでたくさんのお友達を作っていかなきゃいけないの。」と諭すかのように言った。

 「ああ。」タツキは訝し気にユウコを見詰める。

 「色んな子たちと出会って、仲良くしたり、たまには喧嘩もしたり。そうやって人間社会を学んでいくの。ねえ、知ってる? 虐待とかされて幼少時に完璧社会から切り離されちゃった子っていうのは、もう、大人になってからコミュニケーション能力を身につけようって思っても、無理なの。」

 「へ、へえ。」

 「しかも人間っていうのは集団的動物だからね。一旦そんな風に社会と馴染めなくなっちゃったら生きていくのが大変になる。だからね、自分がどんなに否定されてもどうしても、色んな人とかかわっていった方がいいの。一人ぽっちでいたって何もいいことない。もう大丈夫よ。アオイちゃんには神様が付いているんだから。」

 「神様……?」タツキの脳裏にはアオイが描いた鳥居と神様の絵が思い浮かんだ。

 「大丈夫よ。」ユウコは口元に笑みを浮かべて再び繰り返す。

 「否、大丈夫っつったって……。」タツキはちら、とアオイを見る。アオイは知らんぷりをしてひらがなの練習をしている。

 「私保育士の資格も取得見込みだけれど、それ以前に柔道歴十五年なの。」

 「は?」

 「もちろん黒帯よ。だから大丈夫。男だって一撃だから。」タツキは思わず一歩退いた。

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