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翌日からタツキは日常生活へと戻り、夜間はライブハウスの仕事をし、朝までスタジオリハをして数日を過ごした。そしていよいよS県への出立の日となった。
アオイは白のレースの帽子を被り、清子が買って来た小さなリュックを背負ってモモそっくりの猫のイラストのついた水筒をぶら下げ、玄関先で清子の最中チェックを受けていた。モモも何かを感じ取るのかしきりにアオイのくるぶしに首を擦り付けている。
「とてもお似合いでございますよ。ああ、それからアオイ様、これもお持ちにならないと。」
そう言って手渡されたのはスケッチブックとクレヨンである。アオイはぎゅっとそれらを大切そうに抱き締めた。
「ばっちりだな。」
アオイはしかしどこか落ち着かないように、帽子を押さえてみたり、水筒を後ろから前に持ってきてみたりと忙しない。
「大丈夫でございますよ。タツキ様と一緒でございますからね。途中お手洗いに行きたくなったら、ほら、アオイ様が昨日お書きになった、これをお見せすればいいんですから。」と言って捲ったスケッチブックには、カラフルな色合いで「おといれ」と大書きされている。「お腹が減ったらこちら」と言って捲られた次のページには同じく「おべんとう」と書かれている。
「大丈夫だ。俺もアオイのことはしっかり見てるから。」
「よろしくお願いいたしますね。」
「清さんもたまには家でテレビでも観てさ、ゆっくりしててな。」
「ありがとうございます。」
「どっか買い物でも行って気晴らししてきてもいいし。」
「ありがとうございます。」清子はくすくすと笑い出す。
ちょうどその時、庭先にバンの停まる音が聞こえた。
「あ、来たみてえだ。じゃあ、行ってくる。アオイ、行くぞ。」
「お気をつけていってらっしゃいまし。」
アオイの手を引いてタツキは家を出た。外は遠足に相応しい快晴である。これならば田舎の景色もさぞ美しく見えるであろう。そう思ってタツキは自然と笑顔になった。
運転席からレンがタツキに、ではなくアオイに手を振っている。アオイも真顔で手を振り返した。
「よろしくな。」
タツキがそう言ってアオイを後部座席に押し込んだ。アオイは鼻の穴を膨らませて座り込む。
男たちは珍し気にアオイの顔を眺める。デスメタルバンドのツアー用バンに誰かが同乗するなど、ましてやこんな小さな女の子が同乗するなど、考えたこともなかったのだ。
「アオイちゃん、宜しくな。」コウキが隣から顔を覗き込むように言った。
恥ずかしがり屋のアオイは、目を背けながらそれでも大きく肯く。
「眠たくなったら寝ていいからな。」レンがバックミラー越しに面白がって声を掛ける。
再びアオイは肯く。
「何か食べたくなったりトイレ行きたくなったりしたら、こいつの」と言ってショウはコウキの頭を突き出した。「腹を突っつきな。」
アオイはその心配は無用だとばかりに、自慢げにスケッチブックを捲り出し、「おといれ」と書かれたページを見せた。
「おお、凄ぇ。こんなモン用意して来たんか。立派、立派。」ショウは大仰に肯いてみせながら「よし出発だ。」とコウキに言った。
車は発進していく。
住宅街の一軒一軒も、車窓からの眺めとなればいつもとは違って見え、アオイにとっては面白いのであろう。車窓に顔を貼り付けるようにして、じっくりと外を眺め出した。
「今回はだいぶ近いぞ。」ナビを見ながらレンが言う。「二時間弱で着くみてえだ。」
「ほお、そんなもんか。じゃあ、もちっと出発遅くても良かったんじゃねえの。」タツキが驚きの声を上げる。
「馬鹿言え。今日は『遠足』なんだから、アオイちゃんが楽しめる所あったら寄ってやんねえといけねえだろ。」
タツキは車窓に張り付いているレースの帽子の後頭部を見つめながら、ゆっくりと破顔した。
しかしアオイはどこでも何でも興味を持っている様子である。赤信号に停車すれば、そこをランニングしている青年の様子を、何をしているのかと訝るような驚いた顔で見つめ、主婦に連れられている散歩途中の大型犬がしきりに尻尾を振っている様子をまじまじと見つめ、国道沿いのガソリンスタンドがオープンしたてか何かで旗を振っている店員がいた時には、指さして口をぽっかりと開けていた。
「アオイは、……何でも面白いんだな。」タツキは少々呆れたように呟く。
「だーから、もっとあっちこっち連れ出してやんねえと、ダメなんだよ。」レンが少々の怒りを込めて言う。
「でも俺、昼夜逆転の生活だしよ。」
「わかった。じゃあ、これからも近場のライブに連れてって『遠足』させてやろう。」ショウが提案する。
「でも、『遠足』っつうからにはもちっと、何というか、文化的じゃなくっちゃなあ。道行く人観てるだけじゃあ……。」そう言ってコウキは赤信号で停車をすると、再びナビを見た。「お、近くに神社あるぞ。ここ寄っておみくじでもやらせてやったらいいんじゃね。」
ショウもアオイを見詰め、にっと笑った。「お、いいな。社会科見学だ。」
「ツアーの成功を祈って来てもいいな。」レンが身を乗り出してナビを共に確認する。
「何お前ら結構信心深いのな。」タツキが呆れたように脚を投げ出す。。
「デスメタルバンドだからな。」レンがなぜか自信満々といった風に言った。
「デスメタルって信仰深いんか。」
「まあ、色んな人種のるつぼだかんな。」微睡んでいたショウが呟く。
「主に社会不適合者の。」コウキがそう言って噴き出した。
そうこう言いながら進路は次第に自然の多い、ひいては山に近い方へと向かって行く。
アオイはどうにもアーバンライフがお気に入りであるのか、田んぼだの畑だの人の姿よりも牛なんぞが見えて来るようになると、朝早かったこともあり眠気を催したらしい。すうすう寝息を立てて寝始めた。
「アオイ、アオイ、もうすぐ着くぞ。」
アオイは眠りながらも不機嫌そうに首を振る。
「なーんだよ、お前のために来たんじゃねえか。起きろ、起きろって。」
「お前、可哀そうじゃねえか。寝かしとけよ。」レンがタツキの手を叩く。
「だーってよお。」
「何だって無理やりは可哀そうじゃねえか。そんな遠出なんてしたことねえのに連れて来られて、疲れてんだよ。」
ショウにまでそう叱咤され、タツキは詰まらなさそうに口を尖らした。
「いいのいいの。お守りでも買って来てやって、そのリュックに付けてやれば。」
「そうかよ。」タツキは仕方なしに寝ているアオイに、清子から預かって来たガーゼの毛布をかけてやる。
「いい天気だし、暑くも寒くもねえし、車で昼寝っつうのもいいもんだろ。いいよ、俺らだけでちょこちょこっとお参りしてこよう。」
タツキたち四人は神社の駐車場にバンを停め、アオイにも自然の風を感じさせようと窓を半分程度開けると、アオイを後部座席に寝せたまま車を降りた。
「じゃあ、いい子で寝てろよ、すーぐ帰ってくっかんな。」




