52
言葉の通り料理はどれもこれも意匠が凝らされ素晴らしい味であった。タツキは自分がバンド活動に勤しんでいる間、ダイキが料理人としての修業を必死になって積んでいたであろうことに思いを馳せ、目頭が熱くなった。昔から苦労を苦労とも思わぬ強さがあった。はたから見れば困難としか思えぬ状況でも笑い飛ばす、そういう強靭さがあった。それこそがタツキがダイキと共にいたいと思わせる最大の因であった。ダイキと共にいれば、いかなる痛苦も苦渋も過ぎ去っていく一つの雲に過ぎない。そう思わせてくれたのだった。
ダイキは次々に皿を運んで来る。メンバーたちも大喜びで、ああタツキがS市でのライブを了承してくれて良かった、これからは必ずツアーに組み込もう、音も良かったし、などと勝手に決め付けて盛り上がる。
「ツアーっつうのはどのぐらいの頻度でやるんですかねえ。」卓の傍で次々に空になる皿を、もう一人の従業員と片付けながら、ダイキがシュンに訪ねる。
「だいたいCD出したらだから……、無茶苦茶頑張ると一年に一度できたりするんですけど、まあ、普通は二三年に一度ぐれえかなあ。あ、でもタツキの尻にムチ打てば来年来れます。」
「あははっは!」
「もう実は完成間近の曲がいっぱいあんだ。だから来年だ! 来年また来るぞ!」タツキは清子のそれとも劣らぬ、至上の味噌肉茶漬けを啜りながら言った。
「おお! さすがタツキだな! こいつは本当にピアノ巧かったんすよ。本当子供ながらもう、プロのピアニストって感じで。」
「何言ってんだ。たかが田舎の中学生じゃあねえかよ。」タツキは顔を赤らめて言う。
「でも、ほら、ピアノコンクールだなんだで全国大会までいってるんすから。本当だったらウィーンにだって行かせて貰えるはずだったんですよ。副賞がウィーンで。それに中学の時、合唱コンクールなんて、あったでしょう? あれ伴奏者にはいっつもタツキが選ばれて。凄かったんですよ、毎回伴奏者賞貰って。音楽の先生よりも巧かったんだから。」
「んな訳あるか。」
タツキとダイキはにわかに中学時代の記憶を甦らせていく。タツキにとっては合唱コンクールなんぞとうに記憶から消えていた。でもたしかに、毎度教師から命じられてピアノを弾いていたっけ。その度に親からは完全に無視されていたピアノの腕を、教師やらクラスメイトやらが絶賛してくれたっけ。タツキは頬を弛ませた。
「タツキはやっぱ昔っから音楽の才能があったんだなあ。」コウキは何やら咀嚼しながら感嘆して言った。
「ええ。だって、今もそうでしょう?」
「そうだ。」レンは即答する。「今やデスメタル界のホープだもんな。」
「こいつの曲のおかげで、俺ら認められたようなもんだから。こいつの曲があれば無敵だ。」ショウも続ける。
「プレッシャーかけんなよ。……でもダイキだって、凄ぇじゃねえか。いつの間にかにこんな旨い飯作れるようになってさあ。」
「本当だよ。」コウキはひっきりなしに咀嚼し続けている。「この店来るために、これからツアー先に必ずS市を入れよう作戦を決行する。俺は決めたかんな。」
「あ、そうだそうだ。ここって昼やってるんすか?」ヒロキが言った。
「ええ。ランチやってますよ。夜よかちっとは安くしてます。限定メニューとかもありますし。」
「突然ですが明日の昼お願いします。」がばり、とヒロキは頭を下げた。「この通り。東京から大切な客が来るんです。」
「ええ、マジですか。」
「あ、リョウさん来るんだっけ。」タツキが目を瞬かせて言った。「ダイキ、頼むよ。俺のことをさ、最初に認めてくれた、デスメタル界じゃ有名な人なんだ。」
「わっかりました。じゃあ予約入れておきますよ。」
「いやったー!」ヒロキは真っ赤な顔をして寝転ぶ。
「悪いな、無理言っちまって。」
「いやいや、大丈夫だ。ま、部屋はまたここになっちまうけど。」
「でも凄ぇよ。あん時腹減らしてパンの耳とか齧ってたお前がさ、こんな凄ぇ料理人になるなんて。あん時にはマジで考えられなかったよなあ。」
「だよなあ。」くすぐったいような笑みでダイキは答えた。「何でだろなあ。……今思えばさ、清さんが作ってくれる握り飯が本当に俺にとって命を永らえさせてくれるモンでさ、そんで飯に対して憧れみたいなのが作られたんだと思う。」
「マジか。」
「俺も飯物作るけど、清さんは超えらんねえや。あん時食わしてもらった握り飯を超えられる飯は一生作れねえ。」
タツキは噴き出して、「清さんに言っとくよ。」と言った。
「あとは中学ん時、とっとと自分で稼がねえと親父は相変わらず帰ってこねえし、やべえなって思ってとにかく就職決めてえって思ってな。したらさ、あん時目いっぱいバイトやってたろ? そこで知り合った先輩が料理人、俺の師匠になる人を紹介してくれて、そんで担任に相談して。まあ、巧い形に転べたよ。」
「そんで店持ってこんな繁盛さしてんだもんなあ。帰ったら清さんに言おう。絶対目ん玉おっぴろげてびびるわ。」
「ああ、清さんも旅行がてら来てくれりゃあな。あん時は清さんの握り飯に何度救われたかわかんねえもんなあ。まだ面と向かって感謝を伝えたこともねえし。」
「清さんきっと来たがるよ。それからアオイも。」
「アオイ?」
「ああ。」タツキは微笑して、「姉さんの子。」
「ああ。……女の子なんだ。いくつ?」
「三歳。今度幼稚園。」あきらかにそこには確証より期待、が籠められていた。
「じゃあアオイちゃんも連れてこいよ。お子様ランチ作ってやるから。メニューにはねえけど。特別だ。」
「ありがとう。」
タツキは不意に胸が熱くなるのを覚える。ダイキにであればアオイに関する全てを吐きだしたとしても受け止めて貰える。そんな確信が凝った部分をみるみる溶かしていった。
「アオイ、連れてくるからさ、今度はお前の嫁さんも連れて来てくれよ。会ってみたい。」
「ええ、この人タツキと同い年で嫁さんいるんか。」レンが目を丸くする。
「ええ。」ダイキは微笑んだ。「美人ですよ。」
「凄ぇな! バンドマンには夢のまた夢だ!」
「料理人っつうのは凄ぇよなあ。二十歳そこそこで店持って所帯まで持てんだから。」
夜は更けていく。タツキたちは全員がもうこれ以上一口も食べられないというばかりに腹を満たすと、ダイキに感謝の思いを口々に伝え、そして互いに肩を組みながらよたよたとホテルへと戻っていった。
その夜見たタツキの夢は頗る幸福であった。
中学時代のダイキと、いつものように自転車でバイト先にでもあろうか、向かっている。お互いに将来は夢を叶えるんだもんなあ、そんなことを二人して言い合っている。あの時いつも顔を合わせれば言い合っていたはずの「腹減った」は一言も出てこない。腹はすっかりくちく、風が心地よく耳元を過ぎていく。もうダイキも帰らぬ父を待ちわびてあくせくしながらバイト代を計算したりは、していない。「将来は美人な嫁さんがいるんだもんなあ」、「お前も音楽家だもんなあ。」そんなことを言い合って笑っている。するといつの間にやらダイキは大人の姿になって、「今度はもっと色んな食材仕入れて、びっくりさせてやる。」と笑いながら腕に力瘤を入れる。「もう十分すぎる程びっくりしたよ。」タツキはまた笑いが止まらなくなる。
そうして、朝が来た。




