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STIGMATA  作者: maria
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 車窓はぐんぐんと過ぎ去っていく。タツキは茫然と今日自分はどれだけの距離を移動しているのだろうかと思った。何か、家族の死以外にことを考えていないと、深い水底に引き摺り込まれてしまうような危機感があった。

 隣で清子は何かを言い出そうとして、黙し、それを幾度となく繰り返していた。タツキはその隣でただ黙していた。清子の発言を待つというものあったし、ただ、ただ、疲弊していたというのも、ある。家族の死の報が舞い込んだのは今朝の出来事なのだ。今日一日が夢であったら――。しかしそんなことを夢想するには、あまりに体中がずっしりと重かった。眠ってしまえればそれが一番楽なのはわかっていたが、妙に頭だけが冴え、眠気とは無縁である。思えば新幹線の中で微睡みもしなかった。

 「タツキさん。」意を決した清子の声がタツキの耳に届いた。

 「何。」タツキは目を瞬かせながら隣を見る。

 「……済みません。少し、話を聞いて貰えますか。」

 ただならぬ気配を感じつつ、タツキは努めて平静を装い答えた。「いいよ。」

 「これから向かう、C病院のことなのですが……。」

 まだ、タツキはなぜそこへ向かうのか知らされていなかった

 「うん。」。

 「サクラ様には、亡くなったご長男のお姉様に当たる、ご長女様がいらっしゃるんです。」

 「へえ。」驚きを孕んだ、随分間抜けな声だった。

 「その子が、これから行く病院に入院してるの? 病気? 怪我?」タツキは矢継ぎ早に訊ねる。

 「それが、……」清子は再び言葉を喪い、それからえいと自分を叱咤するように言い出した。「どちらでもないと、私は思うのです。お元気なのでございます。でも、生まれてすぐに入院されました。それから三年間、一度も、病院をお出になられたことはございません。」

 「……どういうこと?」タツキの声は震えていた。

 「その……、お嬢様、アオイ様のお顔には、痣があります。こう、右目を覆うような形です。それを治療するという名目でございました。当初は。でも完全に、こう、普通の肌色に戻るなどということはないそうなのでございます。皮膚の移植手術でもすれば話は別なのかもしれませぬが、しかし、そんなことをこれから成長する子どもにはできないと。もしできたとしても、何年もかけて何度も何度もむつかしい手術を繰り返さなければならない。そうすると今度は逆に、傷の方が目立ってしまうと。」

 「なのに病院に入れたっきりなのか。」

 清子は泣き顔で小さく肯いた。「お生まれになって三年の間、一度たりともおうちに戻られたことはございませんでした。お父様、お母様はおろか、サクラ様も、サクラ様の旦那様も、一度もお見舞いに行かれたこともなかったようでございます。」

 タツキは息を呑んだ。それは、自分と同じではないか。顔の痣と、学問への不適応という違いはあれど。しかし、いずれも岩村家の人間としては相応しくないと判断された。排除されるべきと判断された。タツキの胸は痛烈に、痛んだ。もう一人の自分がいた。いて、しまった。あってはならないことであるのに。同じ苦しみと寂しさを抱いた人間が、いたなんて。それは言葉にはならなかった。清子も自分の言うべきことを言い尽くした達成感というよりは疲弊感に、再び黙した。

 車は進んで行く。次第に薄暗く、闇に落ちていく風景に、タツキはそのアオイという女の子と出会うのに緊張感を覚え始めた。

 「アオイは、その……元気なの?」

 「……ええ。絵本を読むのがお好きです。」清子はほっとしたように言った。

 「そう。」

 「お母様によく似て、ご聡明で、もう字も書けますし、絵もお上手でいらっしゃいます。」

 「そう、なんだ。」

 しかし憎むべき相手はもうこの世にはいない。どうしたらいいのか。どうすべきなのか。気持ちをどこへ持って行ったらいいのか。タツキは衝撃を抱えながらその、アオイという子のことを思った。三年間病院の中で生きてきた子。世界を何も知らない子。これからもそのまま大きくなろうとしていた子。

 「そ、それで、……勝手なことだとは思いながら、弁護士さんとも相談させて頂いたのですが、アオイ様におうちに戻って頂こうと思っているのです。」

 「そうだな。」タツキは即答した。「一日でも早くそうすべきだ。今日、連れて帰ろう。病気でも何でもねえのに、病院から一歩も出れねえで、家族から切り離されるなんて、おかしい。」と言った時、その家族が誰もいないということにはたと気付かされる。

 「ええ。ええ。」清子は慌てて鞄からハンカチを取り出し、目に押し当てた。「タツキさんならそう言って下さると信じておりました。ありがとうございます。タツキさん、帰ってきて頂いて、ありがとうございます。」


 それは遠目からでもはっきりと分かる大きな総合病院であった。どことなく父親の病院にも似ていた。清子もどこか緊張感をもってその建物を眺めていた。「あそこで、ございます。」

 「清さんは、来たことあんの?」

 清子は小さく肯く。「月に一度、二度、お着替えをお持ちするのを奥様より仰せつかっておりましたので。」

 「良かった。そんじゃ、アオイも清さんが来るの嬉しがるだろう。はしゃいだりも、するのかな。」少なくとも、両親が亡くなったというショックだけを与えるのは忍びなかった。

 「その、……アオイ様はお話が、……できません。」

 「え。」

 「済みません。言おう言おうと思っていたのですが、……その、アオイ様は言葉が出ないのです。もちろん字はお上手に書けますし、こちらの言うことは充分にお分かりになられているのですが……、お医者様からは緘黙という症状だろうと言われています。」

 「カンモク?」

 「精神的ショックがあって、言葉が出なくなってしまわれる病気のことのようでございます。」

 「え。」

 「長らく病院にいて、お寂しい思いをされていたのだと思います。……なんでも、不安や心配を抱えるとそうなってしまうお子さんがいらっしゃるようなのでございます。きっと私のような者が月に一、二度窺うのではなくして、お父様、お母様にちゃあんと愛情を注いで頂ければ、そうはならなかったのかもしれませんが……。」それが亡き人に対する非難につながることを察して、清子は再び口を閉ざした。

 まさしく、原因はそれに相違ないのであった。子供が肉親にも会えず、たった一人病室に入れられているとなれば。

 タツキは愕然としながらも、「じゃあ、清さんはどうやってアオイとコミュニケーション取ってんの。」

 「お顔付きや肯かれたり……。あとはひらがなをノートに書いて下さって……。」

 「そんな、……たった三歳で筆談かよ。」声は自ずと震えていた。

 清子は悲し気に肯いた。タツキの顔が憎しみのそれに強張る。

 その時、「到着いたしました。」運転士が事務的に言った。気付けば病院のロータリーに車は停止していた。

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