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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第四章 激闘の果て
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十九.誓約(うけい)再び

 スサノオはアマテラスの鏡──奪われた彼女の『魂』を、ついに手にした。

 高天原タカマガハラが暗雲に包まれた、あの屈辱の日から……ずっと求めていたものだ。

 スサノオの疲弊は限界に達しつつあったが、鏡から漏れ出る陽の気が流れ込み、己の活力となるのを感じた。


「……姉上ッ……やっと、やっと会えた……!」


 二度と離すまいと、スサノオは鏡をしっかと懐に抱いた。

 だがその喜びも束の間だった。


 うぞぞぞぞ……!


 ウケモチの矢で両腕を射抜かれ、スサノオの剣で腹を裂かれ爆散したはずのけがれが、再び別の大地に寄り集まり、巨大な影を形作っていた。


「……よもや、われからアマテラスの魂を奪い返すとはのう……

 成長したようじゃな、スサノオや……」


 けがれの塊たる醜悪な物体オブジェから、イザナミの声が轟いた。


「何度も言うように、オレの目的は姉上の魂を地上に連れ戻す事だ。

 母上を討ち果たすために、黄泉の国に来た訳じゃない」


われはそなたを褒め称えておるのじゃぞ、スサノオ?

 後はその鏡を、黄泉の国の外まで持ち出す。それだけじゃ……じゃが。

 それをいかにして為そうと考えておるのじゃ?」


 イザナミの声に、嘲るような声色トーンが混じった。


「あの程度の剣で、われの力を完全に散らす事ができると思うたか?

 そなたも疲労の極みに達しておる。われの追撃を逃れ得るのかや?

 それに……そなたの仲間──タヂカラオ、ウズメ、そしてツクヨミを、我が雷神が捕縛しておる。彼奴らは何とする? 見捨てるのか?

 よもや鏡を手にした時点で、われが負けを認め、そなたらを見逃すなどと思うまいなァ?」


 畳み掛けるように問いを投げかけ続けるイザナミ。

 確かに彼女の言う通りだ。

 黄泉の国の地の大半が彼女の行動範囲である上、ここは黄泉の最奥に近い地。

 イザナミの追撃を逃れ、地上に出る道のりは困難を極めるだろう。


「……確かに、仲間の大半が捕まっている上に、オレやウケモチ、オオゲツヒメにだって余力なんざ残ってねえ。

 これ以上戦い続ければ、オレ達は間違いなく地上に辿り着く前に全滅する」


「……よう分かっておるではないか、スサノオ。さすればどうするのじゃ?」


「オレは……母上を信じる。いや、信じたい」

 スサノオは身に帯びし十拳剣とつかつるぎを高々と掲げ、言い放った。

「だから……オレは今から誓約うけいを母上に申し出る」


 スサノオの言葉から出た意外な単語に、イザナミは眉を潜めた。


誓約うけい……じゃと?」

「そうだ。オレが高天原タカマガハラに上る時に、母上が教えてくれた……誓約うけいだ」


 誓約うけい。日本神話においてたびたび登場する、選択に迷った時に行う神頼みのようなものだ。

 行う前に、二者択一の条件を提示するのが一般的な誓約うけいのやり方である。


「今のわれにその誓約うけい、受ける利点メリットがあるのかや?」

「無いな。だが……この圧倒的優位にある状況で、母上の勝ちは見えているはず。

 母上が正しく勝利できるなら、誓約うけいを受けようが受けまいが、結果は変わらないハズさ。

 にも関わらず受けるのを渋るのは、オレたちが正しく、負けるのを恐れているって事になるぜ」


 スサノオの屁理屈にも似た口上に、イザナミは露骨に声を荒げた。


「ふん……しばらくの間に、よう口が回るようになったのう。

 今一つ訊こう。どのようにして誓約うけいの証を立てるのじゃ?」


「オレの……この十拳剣とつかつるぎを、オレの歯で噛み砕き、神を産む。

 オレ達が正しければ、産まれる神は善神となり、荒ぶる母上を鎮める力を持っている筈さ」


「……痴れ者がッ!」イザナミの怒号が響いた。

誓約うけいの神産みを何と心得ておる!?

 この地はけがれし黄泉の地ぞ! 剣を清めるための神川もないのじゃ。

 そのような状態で神を産めば、そなたは……!」


「ああ。オレの剣は姉上から授かり、オレの所有物となった。

 そして今は、母上のけがれた血を吸っている。清めもせずに噛み砕けば……

 誕生するのは十中八九、どうしようもない悪神の類だろうな。

 最悪の場合、オレ自身が母上のけがれに侵され、命を落とすだろう」


「そこまで分かっていながら、何故──!?」


「だからこそ、さ。オレたちが無事に脱出できる目も。

 今この状態で、オレの剣の誓約うけいが成功する目も。

 ハッキリ言って一割にも満たない、分の悪い賭けだ。

 でなきゃ、母上がここで承諾する理由も利点も無い」


 スサノオの悲壮とも言える決意と言葉に、イザナミは絶句していたが……やがて諦めたように、吐き捨てるように言った。


「…………好きにするがよい。後悔するでないぞ!」

「さすがだぜ、母上。感謝する」


「馬鹿野郎、スサノオ。駄目だッ!」

「そうよスサノオくん! あたし達がこうなったのも、自業自得なんだからッ」


 大雷オオイカヅチの糸に囚われた状態のタヂカラオとウズメから、制止の声が上がった。


「タヂカラオ。ウズメちゃん。

 ここまで一緒にやって来たのに、今更見捨てられる訳ねぇだろ?

 ……ごめんな。オレの頭じゃこんな方法しか、思いつかなかった」


 スサノオは目を閉じ、精神を研ぎ澄ませた。


(……最悪、オレの命であがなってもいい。姉上、どうかオレに力を貸してくれ。

 姉上の魂を地上に連れ帰り、仲間の皆も救いたいんだ。

 図々しい願いなのは、分かってるけどよ……!)


 意を決し、スサノオは己の持つ神剣の刃に歯を立て、一思いに噛み砕いた!


 バギン!

 鋭い金属音と共に、十拳剣とつかつるぎの刃は砕け、周囲に飛び散る。


 どぐん。

 同時にスサノオの口の中で、黄泉の瘴気とイザナミのけがれが凄まじい勢いで荒れ狂った!


「う……ぐおおおおおおおッッッ!!」


 頭が破裂するかと思えるほどの激痛と不快感の濁流が襲ってくる!

 スサノオの思考が苦痛で埋め尽くされた刹那──彼は全身から血を噴き出した。


「がはッ…………」

 白目を向き、地に倒れ伏すスサノオ。


 それを見守っていた仲間たち四柱のうち、タヂカラオとウズメは青ざめて言葉を失い、オオゲツヒメとウケモチは悲痛な叫びを上げた。


「スサノオ様、なんという事をッ……

 どうか、どうか目をお開け下さいませッ!」

「……スサノオ……畜生めッ……!」


「……我が子ながら、なんと愚かな事よ」

 イザナミの声も心なしか、嘲りの色が薄れ、沈んだものとなっていた。

「我がけがれに生きながら苛まれるのは苦しかろう。せめてわれの手で、一思いに楽にしてやろうぞ──」


「オ、大神オオカミさまァ……あ、あれをッ!」

 突如上ずった声を上げ、イザナミに這い寄ってきたのは、蜘蛛の姿をした大雷オオイカヅチであった。


 配下の雷神に言われ、イザナミが目を向けた先には。

 砕けたスサノオの剣の破片から誕生した……穏やかな顔をした美しい女神の姿があった。

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