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闘神の御娘(旧)  作者: 海陽
4章 1部 首都アトゥル
97/115

4-17 演武、そして御前試合

non side

忍は身体の前で両手を重ね、肩幅より広く足を開く。すうっとその手を頭上へ持ち上げ両手で円を描くように下ろし、両掌を合わせる。開眼し真剣そのものの表情になった彼女の、流れるような動作に周囲は静まりかえった。その場に生まれた空手独特の厳正な雰囲気に、周囲は身動きすら出来ず食い入るように見つめた。



指先まで揃え伸ばした手を構え先へと繰り出す。かと思えば逆手に入れ替わる。シュッ、シュッと聞こえる衣擦れの音は、その道を相当に積まねば出すことは出来ない、謂わば熟練者である証だ。


拳を突き出し、身体を逆転し、前蹴りを繰り出す。転瞬後には再度逆転しすり足で進み両手での形を体現。形を表した直後にぴたりと止まる体躯、1歩歩を進める動作1つとってもその洗練されているのが感じられた。日本で通っていた道場で、忍が最も針生師範に近いと言われた所以はここにある。だが、そんな身内事情など周囲で見ている者達が知るはずもない。


アルダーリャトを始めとした、忍を固唾を飲んで見つめる者達には、手の形がいつ拳になったのか、いつ手刀の形へなったのかさえ分からない。その手の動きは攻撃し、ときに防御し相手の手を腕を掬い払う。その足運び(すり足)はシン国、いやオリネシアの人間にとっては未だかつて見たことがない動きであり、それ故に足音が立たない忍のキレのある形の一連に驚愕するばかりだった。


力強く張りのある気合声。静寂の中に届く上衣の衣擦れの音。斬れ味の鋭い刀を思わせる手の形。その空間を支配する凜とした彼女の気迫に、ミイドや皇雅も我を忘れ見つめた。見たことがない武術。確かに実戦向きかと言われたなら剣術には劣るだろう。だが、それでも忍なら通用する。そう思わせるには十分な力を示していた。



『ーーーご静観、有難うございました』


その科白にはっと皆が気付いた時には、既に忍は普段の雰囲気と表情に戻っていた。声を掛けることも憚られる空気を纏っていた演武中とのその差異に、掛ける言葉が見当たらず、全員が全員、ただ彼女を見つめることしかできなかった。



***



後日。


忍はアルダーリャトの前で対人戦をする為、彼に連れられて訓練場へ来ていた。アルダーリャトの他には、ミイドと皇雅、そしてダウエルやミナトといった面子が揃う。ミナトの後ろにはグリフィスら財務部署の面々が幾人か付いてきており、彼らは忍の真の実力が見たいが故に必死に書類を処理してきた者達だった。ミナトは言わずもがなである。


『シノブ殿の武術……『形』と言ったか。あれは素晴らしかった。これから見せてくれる武術も素晴らしいのだろうな』


『勿体ないお言葉です……期待外れにならないよう努力致します』


自分が言い出したこととはいえ、忍は対人武道を披露することに後悔し始めていた。王は『政にも軍事にも利用しない』という確約書を書くとは約束してくれた。だが、まだその書類はまだ忍の手元に来ていない。自惚れではないが、もしこれからする対人戦の観戦でアルダーリャトが考えを覆したらーーー。忍は胸中で嘆息した。淡々とした声音に、その気持ちを察したのはミイドと皇雅だけ……いや、ミナトも薄々気付いていた。

ミイドと皇雅は心配していた。シダ村で賊と相対した彼女の様子を知っていたからこそ、これから会う相手によってはあの操り人形のような忍に、その後ずっと心を壊した虚ろな忍になってしまうのではないかと。それを危惧するのは、訓練場へ向かう道中、他人に見えない位置で忍がずっとミイドの手を握っていたからだ。普段のしっかりとした彼女が縋る素振りを見せた、それが不安にさせた。


『相手は……そうだな。ミキフを呼べ』


訓練場へ到着してアルダーリャトがそう告げた。少ししてやって来たミキフという男を見た瞬間、ミイドと皇雅の纏う空気が変わった。


〈あやつは、〉


『……あいつか』


それは、怒り。漏らした声はどちらも平坦だが、忘れていた怒りが再沸しそれを抑えたものだった為、歪な言だった。その抑えきれずに漏れた怒気を感じたのか、ミキフの表情と身体が強張りを見せた。ミキフは、東の森で忍を保護しに来た首都兵の隊長格の男だったのだ。現在は宰相ハッサドにより降格処分を受け、一首都兵の身分である。忍の顔から表情が消えたことに、一体何人が気付いただろう。


一方でミキフは、仕えている王からの召集を受けて訓練場へ来たのに、何故怒りを向けられたのかが理解出来ないでいた。自分は命を受けて参上しただけだ、それなのに何故。


『ミキフ・ルーニャ、参上致しました』


『来たか』


そしてアルダーリャトより呼び出された理由を聞かされ、初めてミキフは主君のやや後方に控える忍に気付いた。あの時、東の森で彼女に対して行った自分の部下の諸行も思い出したのだ、自分が部下に命じ首へ手刀を入れ気絶させた『契約者』。この者と御前で闘え?何をばかな、と思う間も無くそれが本気だと知らされる。

ミキフにとって『獣神』と『契約者』では獣神に比重が傾く。契約者の忍が平民であったこともそれに拍車を掛け、乱雑な扱いをしていたのだ。が、自分はそのせいで降格処分を受けた。そのことがふつふつと怒りを生んでいく。


こいつのせいで、俺は、俺は……っ!


『陛下』


一切の感情が削げ落ちた忍の声が、その場に落ちた。


『シノブ殿?』


『私は、剣術のみでお相手をと思っておりました。しかし……全力を以って闘うことをお許し下さい』


それは、忍の宣戦布告。彼女もまた、忘れてはいない。目の前の男の指示で、大切にしてきた剣と棒が壊されたことを。今1度彼の姿を目にしてしまったことで、その悲しみと怒りが再燃してしまった。それを聞いたミキフの目が怒りに染まっていく。目の前のこの華奢な契約者に馬鹿にされたと思ったのだ。降格されたとはいえ、1度は国王と宰相直下の首都兵の隊長を務めた、その実力のある男だからこそ、その矜持プライドに傷をつけられた気がした。


拙い、とミイドは肝が冷える心地になっていた。あの男に怒りは無論あるが、それよりも忍の状態が心配だ。シダ村の再来にならないか、それだけが不安だった。



ミキフは武器に剣を、忍は棒を。剣といっても造り物の訓練用の剣をミキフは持ったはずだった。少なくともアルダーリャトはそう指示した。が。


『始めっ』


御前試合開始の合図とともに、ミキフが抜き放ったのはーーー真剣だった。


『なっ!』


『真剣だと!?』


〈シノブッ〉


公にされてはいないが忍は女であり、手にしているのは持ちやすく整えられてはいるがただの木の棒だ。対してミキフは元首都兵隊長を務めた腕前を持ち、その手には真剣。明らかに忍が不利。




『たかが契約者であるというだけで、お前は持ち上げられ……俺は降格された。俺は間違っていないっ。なのに何故、何故お前みたいな奴が……っ』


『……』


ミキフのぶつぶつと呟く怒りは、完全な逆恨み。しかしそれに忍が答えることはない。




仕掛けたのは、ミキフ。自身が得意とする剣を構え斬りかかる。憎い相手はただの木棒。一刀両断にし、あわよくば忍をも刃にかけるつもりだったーーーが。


半歩足を引き棒を振るった忍に、剣は軽くあしらわれしまう。斬りかかるどころか体勢すら崩せていない。


『ぐぇっ!』


棒で無防備になっていた腹を突かれ、距離を置かれてしまう。間合いの長さは棒が上、それをわかっているからこそ、ミキフは腹の鈍い痛みを無視して間合いを詰めようとした。が、縦横無尽に突き、払い、回転する棒に忍に近付けない。自分ばかりが攻撃を受ける。


既に忍はミキフの敵ではない程の武を身に付けているため、殆ど小手調べの形で棒を振るっている。それに気付かないミキフはどんどん余裕をなくしていった。


『くそ、くそっ!何故通じない、何故お前ごときにっ』


『……』


『隊長を務めたんだぞ、なのに……!!』


『その慢心を捨てない限り、あなたは変われない。……どうして気付かないの』


忍の言葉は、小さすぎて誰の耳にも届かなかった。一定の距離を置き、ミキフが一方的にしているだけだが、睨み合いになった時。忍は、棒を地面へ突き立てた。


『え、』


『は?』


観戦しているのアルダーリャト達から間抜けた声が漏れる。気が狂ったのか?!と次の瞬間感ざわめきがその場に広がった。ミキフは真剣である。それに武器とはいえ木棒でも不利だったのに、素手とは死にに行くようなものだからだ。

実はこの時点で、忍が持つ棒はミキフの剣によって所々削がれていた。棒が薄く削がれる度、忍は持つ位置を変えて削がれた為に生じる棒の左右のバランスがなるべく均等になるようにしていた。が、それに留意し剣撃を受けては堪ったものではない。そんなことを気にしつつ攻撃するよりは、素手で相手をした方が余程安全ーーー彼女の脳はそう判断したのだ。それは日本で祖父を始めとする大人達に扱かれたが為に磨かれた戦闘脳の賜物。


不意にたっと軽く駆け出した忍。周囲が息を飲んだ中で剣を構えたミキフの寸前で急停止したかと思うと、回転後ろ蹴りを放った。


訓練場に響いた乾いた音は、蹴りを入れられた剣の鎬が出したものだ。その華奢な体躯からは予想も出来ない強い蹴りに、ミキフは剣を弾き飛ばされた上よろめいた。

忍の攻撃は終わらない。たん、と蹴り足を地につけたと同時に軸足を変えてその場で跳躍し、ミキフの側頭部へ足撃を入れた。その間、僅か数秒。


そして追い討ちをかけるように、頭部への打撃でよろめくミキフの胸当ての下に覗く上衣を掴み、一本背負いを掛けた。

長くなったので分けます。

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