幕間 民とは思えぬ懸念
アルダーリャトside
俺の本心、彼の心の内を知りたいという考えを示してから数日。いつものように財務部署を訪れたのだが、その日シノブ殿はいなかった。
『ダウエル。シノブ殿は来ていないのか?獣神の姿も見えぬが』
『陛下』
今日は出勤しているはずだと思っていたのだが。どこかへ席を外しているのかと思えば、彼は首を振った。
『シノブ殿は先日体調を崩しまして、本日は出勤を控えさせております』
『何?』
『先日、陛下より胸襟を開いて欲しいとのお言葉を受けて……本人も思っていた以上に混乱したようなのです。翌日の休日、屋敷の部屋にてずっと考え事をしておりまして、それが祟ったか風邪を患ったのです。ミイド殿をシノブ殿の介抱の為に付き添わせており、獣神様はあの者が居るところがご自分がいる場所だと仰られて屋敷にいらっしゃいます。
シノブ殿は同齢の者達より芯がしっかりして落ち着きがある者ではありますが、やはり弱い所もございます。体調が戻るまで様子見をさせて頂きたく存じます。お許しくださいませんか』
ダウエルの言葉を聞き、彼を追い詰めてしまったのかと後悔の念が胸に湧いた。心配になったがここで見舞いを向かわせれば、俺はまた彼を困らせるだけなのだろう。『分かった』と告げるしかなかった。
そうして数日後。
再び部署を訪れて見たのは、 体調を崩したとの報告が嘘のように黙々と書類に筆を走らせるシノブ殿の姿だった。
『体調を崩したと聞いた』
近くへ寄り静かに尋ねれば、すっと顔を上げる。
『はい、大変ご迷惑をお掛け致しました。先日もこちらへお越し下さったとか。お相手が出来ず申し訳ありませんでした』
迷惑?心配したとは思わないのか、彼は。俺が急いたせいで、体調を崩させてしまったというのに。
『余が、貴方の身を心配しなかったと思うのか。……余が心開いて欲しいと告げたが故に思い悩ませてしまったのだろう?』
『陛下にご心配をお掛けしてしまったことは、私の不徳致すところなのでしょう。気に留めて頂けただけで十分でございます』
柔らかく微笑う彼は本当に控えめだと思う。その日もあの美味い茶を数杯淹れてもらい、他愛もない会話を言葉少なな言葉で楽しむ。そうして幾度と重なる会話を彼としながらいつの間にかシノブ殿と時を過ごす短い刻が心地好いと思う自分に気付いたのだ。頭が回り周りを見る力もある彼のことを、『気になる』から『気に入る』へと変わるのはさして時間は掛からなかった。そこに、『国王』と『平民』の身分差など関係ない。
『それで、余が悩ませてしまったその答は出たのか?』
『明確には、出ておりません』
部署へ赴き、茶の時間を重ねたその日、『心を開いて欲しい』と言った俺への答が出たのかどうかを聞くと、煮え切らない返答と弱く困惑した笑みが返ってきた。それでもとその答を尋ねれば口籠る。
『何をそんなに迷う?』
『……この返答では不遜に当たるかもしれない、と』
『構わん。余が良いと言っているのだ、話してはくれないか』
それでもシノブ殿は少し悩んでいたが、意を決したかとつとつと話しだした。
『私の国では身分ももちろんですが、年上や先達を敬います。例え職に就いた先で先達が自分より年下だったとしても、その者に敬語を使います。私と陛下では身分と年、そのどちらも陛下が上になりますので、敬語を取り払う事は難しいとご理解をお願い致します。その上で申し上げますが、私は年上であっても親しい友人とは……もちろん本人の了承を得た上でですが、敬語を使いません。それこそ親しい者との間に壁を作りたくないからです』
本当に親しい者との間では敬語は使わない。つまり、それが意味するのは。
『では、余や宰相との間ではまだ壁を壊すつもりはないと』
『それが本来の形かと思っております』
何だろうか……この何とも言い表せないもやもやとした心持ちは。あの時もそうだった。男であるはずのシノブ殿が、大切な者が腕から消えていくやるせなさに似た感情を起こさせた。これでは胸襟を開くどころではないではないか。その一線を、俺は外して欲しいと願うのに。
『ここからはお手討ちは覚悟の上で、申し上げます』
『……申せ』
手討ちを覚悟、とは。
苦い感情に押し出した声が低くなったのが分かった。恐らくは俺の顔も渋くなっているだろう。心開いて欲しいと言い出したのは俺だ、そんな事などするはずが無いのに……何故信じてはくれないのか。
『以前、私は陛下と宰相閣下に希望を申し上げることはないと口にしました。ですが休日のあの日1日、考えて思ったのです。……国にとっての、『獣神と契約者』の意味とは何だろうと。獣神だけであれば世界のどの国にもいらっしゃるでしょう。ですが『契約者』は?その者を国が保護する理由は?と』
『……?』
『以前、イーニス様より世界地図を見せて頂いたことがあります。大国と言われる国はシン国と隣のアルーダ国、その他は中小規模の国。獣神とは神であって、敬われる存在だとは陛下を始め世界共通の常識。『契約者』は獣神よりは劣るものの、やはり敬われる存在と認知されています』
彼は何を……言おうとしている?
『獣神は神とはいえ獣。幾多ある動物全てに、1神1神存在しています。神である存在を1つの場所に留めさせることなど到底出来ないはず。ですが……『契約者』ならどうなのか。私は神などでは無く、身分は違っても皆様と同じ人間です。その『契約者』を保護すれば、自然と契約している獣神も付いてきます。身分が格下であれば尚保護しやすいでしょう。私は、保護された『獣神と契約者』が……政と軍事利用に使われるのではと懸念しています』
『なっ』
『?!』
それまで書類を作成し職務に精励していたはずの他の者達が騒めいた。中には絶句する者もいる。どうやら俺とシノブ殿の会話に耳を澄ませていたらしい。……職務はどうしたのだ、終わっているのか?お前達は。
だが内心では俺も唖然としていた。確かに王たる者として、国の為に政利用のことは考えざるを得ない。無理矢理に彼を首都に引っ張って来させてしまった上、彼の性格などを知っていくうちにやはりそんな立場にはさせたくないと思うようになっていた。それをわざわざ彼に告げる程、俺や宰相、そしてダウエルは愚鈍ではない。
それなのに。
『……何故そう思う?』
『『獣神』と『契約者』。この2つは一国の王と対等、若しくは上位の存在……それを踏まえてのお話とさせて頂きたいと思います。
政では不興を買わないようにと、民や貴族への牽制に。獣神は神ですし、神の不興を買いたい者は早々いないと思います。それを利用し、国政を潤滑に進めることが出来るのではないでしょうか。軍事においても、自国は獣神が認めた国であると、他国への牽制には有効かと思います。中小国では畏敬と崇める存在で済んでも、大国はそうはいかないのではないかと思ったのです。獣神の個々の能力は異なりますが、その力は侮れません。戦にでもなれば、戦術に組み込み大勝も望めるかもしれません。自国軍の鼓舞にも利用出来るでしょう』
『……!』
『もし『契約者』が他国、それも敵対する国や大国に入ってしまえば、逆に不利になり得ます。その恩恵が他国の軍事力に活かされては面白くないこともあるかもしれない。だからこそ『保護』したのでは、と』
ぞわりと背筋が震えた。感情的に語気を強めるわけでもなく、いつもと変わらぬ平坦な口調なのに、それが得体も知れない恐ろしさのような感情を起こさせる。たった今、彼が俺の目の前で吐いた言葉だ。これが他者を通しての又聞きなら未だしも、直接聞いてしまえば本人の意見なのだと納得せざるを得ない。その揺るがぬ眼が、彼自身の考えなのだと訴えてくる。
『陛下に意見するとは……!』
いち早く我に返った部署内の誰かが、彼に詰め寄った。だが彼は。
『お手打ちになさりたいのであれば殺せば良い。私は陛下にその様に前置きした上で考えを申し上げました』
『ぐっ』
どこまでも平静な声音を崩さなかった。
『王宮を追い出されたからといって、王宮勤めに私は未練は全くありません。ハイドウェル家を出て、以前のように旅人に戻るだけです。国を追われるのであれば他国へ向かえば良いのですから』
『……王宮勤めに未練は無い、か。皆の憧憬の的なのだぞ?それを捨てられるのだな、シノブ殿は』
あっさり『王宮勤めを辞めても良い』と口にした彼は、『政と軍事利用に』など、どんなにとんでも無いことを言ったのかなど露知らないのだろう。
『元々、私から王宮勤めを望んだわけではありません。私は市井で働くつもりでいましたから。宰相閣下の命で勤めているだけです。ですが、1度受けたことは出来うる限りやり通すことを信条としておりますので、辞めざるを得ない事情にならない限りは勤めさせて頂きたいと考えております』
さあ、殺したいなら殺せば良い。
詰め寄った男にシノブ殿が剣呑な眼差しを向ける。それを受けた側は初めて見たのだろう、彼の冷視線に狼狽したようだった。
『皆様が私をいかように見ているのだとしても、私は私です。性格も、この言動も変えられません。私にも他人に言えない秘密はあります。それを陛下はそれでも良いと仰って下さいました。私はそのお言葉に甘んじて、恐らく陛下や宰相閣下が知りたいであろう私の事を黙秘しています。それはこれからも変わりません』
『……』
『私の国では戦はもう髄分と長い間起きていません。けれど平和な中でも護身の術はあった方が良い。その教えに沿って、私は武術を会得しました。その中には棒術の様に母国独自の武術もあります。王宮から、首都から追放されたからといって特に困窮することはありません』
獣神も居ますし、と締め括った彼の言葉に何も返せない男。……こ奴はどこの家の者なのか、後々調べておくとしよう。またシノブ殿に突っかかっていった際には……覚えておくがいい。
『御前で大変失礼を致しました、陛下。出自を弁えず意見申し上げた不遜、罰を受けよと申されるのでしたら甘んじてお受け致します』
『いや、その心の内を明かしてほしいと口にしたのは余の方だ。不遜に価するやもと断りを入れた貴方に、構わぬと先を促したのも余だ。その上で自らの意を述べてくれたのだ、罰など与えるはずがない。ましてや不遜などとは毛頭思わぬ』
王である俺にここまで堂々と意見を言える者も中々居ないしな、と独りごちる。彼は何も言わなかったが、明らかにほっとしたのか肩の力が抜けたように見えた。その顔も先程の剣呑さなど微塵もなく、穏やかに微笑すら伺える柔らかなもの。
『政と、軍事利用か』
口の中で転がせば、ぽつりと漏らすように彼が言った。
『……これは、一種の賭けでもありました。どこまで発言が許されるのか、本当に胸内を打ち明けても大丈夫なのかという博打だったのです』
『博打?』
ええ、と微かな首肯。そこまでしなければ安心出来なかったのだと言う彼の次の申し出に、俺よりもダウエルが驚いていた。
『前言撤回が赦されるのであれば……時折、嘆願をお許し頂けませんか?』
『……シノブ?あれ程望みは告げないと言っていたのに』
『はい。ですが、あの日、熟考して思い当たったのです。このままでは最低限は確約しておかなければ、いずれ拙いことになるのではないかと』
『確約?』
『はい』
ダウエルとシノブ殿の短い会話を傍で眺めていた俺の視線に気付いた彼は、どこか好敵手に挑むかのような力を感じさせる笑みを浮かべたのだった。




