4-14 陛下の来訪だそう……私に?!
あの日、ダウエル様にあいつの事を報告して、しくじったかなぁと内心で反省して数日。
ダウエル様が教えてくれたのは、あいつが処罰されたという事だった。私が『別の場所から収入を得ているのでは』と付け加えたことが進展の鍵になったんだって。……まあ、進歩したなら良かったけどさ。うん。
この件については、アルダーリャト陛下直々に尋問したらしい。で、国の頂点に立つ主君から例の6年分の書類を持ち出されて厳しく問われては、あいつもうどうしようもなかったそうだ。獣神と契約者に対する執着と不敬。それから、『獣神と契約者が出現した』という情報を流したことで資産を増やしたという売国行為が分かって厳罰が確定したらしい。既に準男爵から爵位剥奪されてはいたけれど、私兵は罪人として扱われ、彼もまた罪人として鞭打ちの上、単独で首都から追放されたのだとか。
因みに売国行為が分かったのは、捕らえた私兵を1人1人調べ上げ、シン国で身元が不明確だった人間がいたから。私はあの不思議なテノールボイスのお陰で隣国の人間が紛れてるって知ることが出来たけど、あの声は私しか聴こえないものらしい。皇雅に聞いてみたけど首を振られた。……これは他人には言えない秘密だなぁ。秘密ばっかり増えてる気がする。あ、でもミイドさんと白貴は知ってるけどね。聞きたくはなかったけど、その身元不明確の5人は、あの時ストで真っ先に倒した相手のようだった。拷問に……掛けられたらしい。聞きたくなかったよ、本当に。
そうして口を割った隣国の人間というのが、大国アルーダ国。シン国も大国だけど、そのお隣がアルーダ国なのだとか。話によると、そこの国王は『皇帝』と呼ばれてる。で、随分といけ好かない男というのが有力な情報。まあ、私は近付くこともないだろうけど。
***
まずったかな、と反省したあの報告をした日からひと月余り。季節も繁生の1月後半になった。誕生日を迎え、私こと五十嵐忍は20歳になりました。今年はミイドさんが細やかだけどしっかり祝ってくれた。皇雅と白貴も。うん、やっぱり祝ってもらえるなんて嬉しい。
繁生の2月に入ったある日。
私はいつも通りに獣神姿の皇雅に乗って出勤し、書類に目を通しては検算をして誤算の箇所を訂正していた。今日の書類はダウエル様の手伝いで、国庫の収入額に関するもの。余りに桁が多い為か、次席であるはずのミナト様よりも私が抜擢されたのだ。とは言っても8桁、暗算出来る桁ではあるのだけれども。良いのかな、次席の彼を差し置いてさ。幾ら計算出来てもさ、やっぱり身分ってものがあるじゃない?『次席のミナト様を差し置いて何様のつもりか』なんて事にならないのかな。それを子爵子息の先輩に聞いたら、『お前……馬鹿?』って胡乱な顔をされた。何故?!
『シノブ殿が我らの中で最も算術に長けていることは、この財務部署の誰もが認めていることだ。誤算が決して許されぬ上、我らでは8桁など未知の領域に等しい。それをいとも容易くこなせるシノブ殿に任せるのは当然だろう』
グリフィスはさておいて、な。
そんな気になる言葉を呟き、その子爵の先輩はくしゃりと私の頭を撫でて笑う。な、なんか釈然としない。というかさ、ミドルトリア様は何故私に構ってくるんだろうか。私のこと嫌いなんだよね?嫌いなら無視すれば良いのに。
『グリフィスはシノブを嫌っているわけではないんだ。彼はちょっと捻くれていてね。今更試しの時の事を謝る事も出来ず、どうにかシノブと関係を持ちたいだけなんだ。芯がしっかりしている君からすれば少し子供の様に見えるかもしれないが、そう思えば可愛げがあるだろう?』
……いや、可愛げなんてないですよミナト様。自分より年上の捻くれた男性を、どうすればそんな風に見れるんですか。あの上から目線の物言いで謝りたいと聞かされてもさ。ねぇ?
そんなほのぼのとした休憩時間を挟みつつ、当てられた書類の検算に集中していた。じいちゃんに絞られたおかげで、私はかなり高い集中力を発揮出来る。ただ、声を掛けられた事に気付かないことがあるらしい。自分では良く分からないけど、ミイドさんが言うならそうなんだろう。気を付けないと。
『……ノブ。シノブ。顔を上げなさい!』
焦ったようなダウエル様の小声と、書類と顔の間に差し込まれた彼の手で集中が途切れて顔を上げた。そこにはダウエル様が居るはずなのに、目の前に居たのは全然違う人だった。
『漸く気付いたか』
口唇の端を持ち上げ、悠然と私を見下ろしていたのは……この国の国王陛下。一瞬『は?』となったのは赦して欲しい。だってさ、経理を担うとはいえど、高が一部署に国王が来るとは思わないじゃんか。
『……陛下?』
『そうだな、余はシン国国王だが』
くつくつと愉しそうに笑う姿も様になりますね、陛下。流石イケメン。……と、それどころじゃないか。私は音はできるだけ立てないように、でも急いで立ち上がると深く頭を下げた。
『大変失礼を致しました、陛下。こちらにお出でであることに気付かず、ご無礼を』
『良い。前触れもなく訪ねたのは余だからな。それよりも頭を上げてくれぬか、シノブ殿。貴方は余と同等の立場なのだ、その様に遜られては居心地が悪い』
『……私は他国の平民の1人に過ぎません。陛下のお許しがあろうと、周りが納得するとは思えません』
顔を上げて答えれば、その端正な顔が苦笑に変わる。
『ですが、ご命令がありましたら私はそれに従います』
そりゃ命令となれば従うよ?もちろん。だってよく言うじゃん、『その国の民は国王のものである』って。……え、聞かない?日本で良く読んでた戦国ものの漫画の有名な科白なんだけどなぁ。まあ良いや。さあどうぞ、って気持ちで再度頭を垂れたのだけど、一向に声が掛からない。はて。
『……余が、貴方に命令すると思うのか』
あれ、違うの?だって私の中では『国王の言葉=命令』のイメージが強いんだけどな。恐る恐る顔を上げると、苦笑から苦味を含んだ表情になっていた。ダウエル様が勧めた椅子に腰掛けた陛下は、深く深く溜息を吐く。そんな姿も……以下同文。
『座られよ』と彼から言われれば、私も座らないわけにはいかない。視界の隅ではダウエル様がはらはらしながらこっちを見てて、背後の皇雅の動く気配は微塵も感じなかった。但し視線は少し鋭くなったけど。……どうしたの?皇雅。なんかピリピリしてない?
『あの件は、余と宰相の信用を落としたのだな。命令すると思われるとは』
『……』
『意に反する保護も、貴方の護身の剣や棒を破砕してしまった事にも不服1つ唱えず。せめてもの詫びにと思っていた『望み』も宰相に何1つ申し出ることもない。ダウエルが叶えた望みも些細な事だと聞いた』
陛下の言葉を聞きはするけど、それに答えることは今はしない。求められたならもちろん答えるけどね。なんか余計なことまで喋ってしまいそうだし。沈黙しとくが吉かな。うん。
『国王が良いと言うものを、受けとろうとしないのは何故だ?貴方とて無欲ではあるまい?』
これは、答えなければ駄目?ちらりとダウエル様に視線を向ければ『答えなさい』と眼が雄弁に語っていた。
『これは、私個人の考えになりますがよろしいでしょうか』
『構わぬ』
鷹揚な是の返しに、1つ息を吸い込んだ。
『私は母国でも平民でした。他国であるシン国に滞在していても、それは変わらないと思います。民は領主や貴族、国王など上位の者に従うもの。一、平民の私が陛下や宰相閣下のお言葉に従うのは当然のことです。しかしながら、ご厚意のお言葉をそのままに享受するというのは……』
『享受するのは……何だ?』
『正直申しまして、怖いという感情が1番当てはまります。甘んじてお受けすることも考えなかったわけではありませんが、いつか『対価』を求められるのではと。宰相閣下よりお聞きし、その様な裏は無いとは知っております。それでも、身分に天地もの差があって含みがないと信じきることが出来ません。
仮に『対価』を命じられた場合、私にはそれから逃れられる術がありません。只でさえこの国出身ではない身の上。何より宰相閣下にお願いする程、大層な望みは持っていません。有難いご厚意ではありますがお受け出来ないと判断し、望みをお伝えすることはしないことに致しました』
『……余が、『無条件で叶える』と明言してもか』
『はい』
やったよ。言い切ったよ、良くやった私!これだけはっきり伝えれば分かってくれるよね、きっと。そもそも1番の望みは、皆で旅に戻ること。『無理』と1度明言したことは、国王なら尚更撤回は難しいはず。だから希望なんて言いませんよ。自力で行けるとこまで行って、頼るのは最終手段にしておくつもり。
『対価など……考えたこともない。何故その様な考えを持った?』
彼の顔はどこか困惑しているようにも見えた。
『北の元文官の事もそうだ。過去6年分の書類を調べ上げるなど中々出来ぬ。他所から金銭を得ているなど、その想到も余りに平民とは思えぬ鋭利さだ。そもそも学問は民には恩恵が無いもの。それなのに貴方は、算術を得意とする財務部署の者にも追従を許さぬ腕を持っている。今もそうだ。貴族には劣れども教養があると感じざるを得ない言葉遣いをし、国王が相手でも動じることがないその豪胆さ。更に聞けば武術を嗜んでいると聞いた。……貴方は何者だ?ただの民ではあるまい?』
『……』
学問が貴族以上でないと受けられない事を知ってから、いつかは問われるとは思っていた。取り敢えず女だとはばれていないみたいと分かって一安心、かな。
ただね?私は特別でもなんでもない、平凡な人間なんだ。陛下に勘繰られるような特殊な人間じゃない。強いて言えばシン国より日本が生活水準教育水準が高過ぎて、それで只人とは言えなくなってるのかもしれないけど……そんなの、私のせいじゃない。生まれる国も人もそうだけど、異世界に来てしまったことも選べたわけじゃないんだから。
私は、ちょっと答えに窮して俯いた。




