4-10 あれよあれよという間に
こんにちは。五十嵐忍ことシノブです。今年の繁生に20歳になります。現在オリネシアの大国シン国の首都アトゥルで、ハイドウェル伯爵家に居候させて頂いて……え?何言ってんのって?……現実逃避くらいさせて下さい、うん、まじで。
『……すまん』
『ううん。ミイドさんのせいじゃないと思うから』
私とミイドさんがどこにいるか?それはですね、王宮です。で、王宮のどこかって言うと、ダウエル様の職場ですよ。……何故、と言いたい。そしてこの衣。重い、動き辛い!脱ぎたい、いつもの中衣に戻りたい!!いや、本当に。肌触りから上質な布を使ってるんだってことは分かるんだけど。いかんせん、コルセット並みにこの帯が身体を締め付けてる気がする。一応男物だよ、もちろん。コルセットだってした事無いけどさ、成人女性ならわかると思うんだ。成人式とかで着る振袖の着付け時に締める帯の圧迫感。や、私も知り合いの人の体験談しか知らないけど。
ともかく、そんなわけで私が言いたいのは勤務用の着衣の動き辛さと、何でこんな事になったか、なのですよ。
そもそもの事の発端は、非公式(なのかな?)にハイドウェル家に居る私を訪問してきた宰相にあって。あの日、一個人としてお話して退室した後、入れ違いのようにミイドさんが呼ばれていた。そこでどんな話をしたのかは分からない。でも、彼も性別の事だけはやんわりと矛先を逸らしてくれたようで、言及には至らなかったらしい。
で、宰相はミイドさんにも算術について聞いたのだそうだ。聞かれたら答えないわけにもいかず、そのまま私から師事したことも必然的にばれて、と。あれよあれよという間に本人が居ないところで王宮に勤めに上がることになってしまったのだ。余計なことを聞いてくれるよね、宰相は。悪態吐きたいけど……ええ、何も言いませんよ。何も。
そしてこれもまたあれよあれよと勝手知ったるハイドウェル家使用人メリダさんを筆頭として女性陣に採寸されて、今着ている勤務用の衣が手元に届き。嬉しいのは外衣に隠れる腰部分に、短剣用のホルスターを着けさせてもらえた事。ダウエル様は装具って言ってたけどね。背中側に床と平行になる様に取り付けたので滅多にはばれない。触ったりしなければ。もちろん着ける短剣はダルムで造って貰ったあの短剣。軽い上に短剣と言うより細いナイフの様なものだから、完全に隠れるという……護身用だからね!護身用!ちなみにダウエル様も承諾した上で装着してるので、疚しいことは一切無い。
ちなみに外衣っていうのは上衣の上から更に羽織るタイプの衣。これを羽織ることで身分であったりどこに勤めてるのかだったりが1発で分かる、と。あれだ。えーと……そう、冠位十二階。あ、いや厳密には違うかもしれないけどさ、色で区別するっていうのは似てるじゃない?
『シノブは女だからね。私の所も男ばかりだから、護身の術を携帯するのは当然だよ』
ダウエル様は穏やかな笑みでそう言ったけど……それなら勤めに上がらせないで欲しかった。それを言えば。
『おや、シノブは働きたかったと聞いたのだけどね。……まあ、私を助けると思って手伝って欲しい』
何故ばれてる?!なにこれ怖い!私何も言ってないよね?ね?!『働きたい』なんて一言も言ってないのに。一体どこから情報得てるんだろうか、ダウエル様は。恐ろしや。
……まあ、そんなこんなで私こと不肖シノブは王宮勤めに相成りました、ってね。私に師事してそこいらの人より算術が出来るミイドさんも一緒に働き、ついでに皇雅もいる。皇雅は働くのではなく、私の付き添い的な存在。曰く、〈我とシノブが離れて過ごすなど有り得ぬ。その間にシノブに何事かあれば何とするのだ〉だそう。え、王宮ってそんなに物騒なの?
***
ダウエル様に紹介されて仕事に……とは思ったけれど、そうは簡単にいかなかった。まあ何となく予想はしてたけど。
『ダウエル様、私は反対ですっ。幾ら獣神の契約者とはいえ平民ではございませんか!そのような者に我らのような任をこなせるはずがありません!』
ほらね。あ、皇雅怒っちゃ駄目だよ。……駄目だからね!傍目にもいらいらし始めた人型になった皇雅を見上げ、微かに首を振る。学校でもそうだけど、職場でも人間関係は大切なんだからさ。
『それに何故この者がダウエル様と同色の外衣を羽織っているのですか?!』
別の人まで騒ぎ出す。でも私は何も言わない。ダウエル様に口出しはしないように、とは言われてるからね。ここに居る面子は皆、ダウエル様の部下であり、そして同位もしくは下位貴族の子息達らしい。
ダウエル様自身は私は既に陛下と同等の地位に居るとの正しい見解らしいけど、そもそも獣神の契約者が現れたことすら初めてに近いのだとか。だから『獣神及び獣神の契約者は一国の王と同等かそれ以上の存在』だと頭では分かっていても、平民出の私が伯爵位のダウエル様の下にいることや、目に掛けてもらうことが受け入れにくいのだそうだ。しかも慕ってる上司と同じ物をぽっと出の平民が着てるのだから尚更に。
ちなみにダウエル様と私やミイドさんが着てる外衣の色は紫。紫は伯爵位の人間が身に付ける色なのだそうだ。ふーん。
喧々囂々に言い募る彼らに、ダウエル様は1つずつ答えていく。『陛下直々の命令で後見役になった』とか、『算術の腕は保証する』とか。それでも納得出来ない人はいるもので。
『……っ、お前っ。『試し』を!我らと同等の算術の腕を持つと証明しろ!』
『何?』
『……『試し』?』
私に向かって突っかかってきた子息の1人に、眉を顰めたダウエル様が問い直したのと、私がそれをおうむ返ししたのはほぼ同時。『試し』って何?ミイドさんは知ってるかな、と視線を投げればこっちもどこか厳しい眼をしていた。
『グリフィス・エン・ミドルトリア。君は私が後見の契約者殿に不満があるのか。私が保証するとたった今明言したばかりだが?』
『っ、しかし!』
……えーと。ダウエル様が。あの温厚なダウエル様が怒ってる、よね。別に気にしないんだけどなぁ。とりあえず。
『……ダウエル様、『試し』とはどういったものですか?』
『これだから平民は無知だから困る』
『グリフィス』
あ、ダウエル様の声が低くなった。周りの人皆顔引き攣らせてるし。仕方ないじゃんか、確かに私は平民だよ?でもさ、同じ平民でも異世界の民なんだよ。こっちの貴族事情なんて知るわけがない。様子窺いしてたら、ダウエル様が私の方へ振り向いた。
『シノブ。試しというのは、王宮勤めに上がる者が受けるものなんだ。使用人としてならば教養を、料理人ならば料理の腕を。私達のような算術を駆使する者は算術に優れているか否かを試す言わば試練の事だ。無論一定の基準を満たさねば王宮勤めには上がれない。だがこれは学問を修めた者だからこそ受けるもの。シノブが受ける必要はないんだ』
あーあれだ、入社試験?このグリフィスって人は、私に受験して合格しろと。……合格したところで、『これだから平民は』なんて民を見下す科白を言う人が認めるとは思わないけどさ。受ければ良いんだね?多分。納得した私に、ダウエル様はやっぱり『受けずとも良い』と言うけれど、それじゃまずここで働くことすら認めてはもらえないだろうから。
『ダウエル様。形式はどういったものですか?口頭ですか、筆記ですか?』
『両方だな』
『何桁までの問があるのですか?』
『下は1桁から、上は6桁だよ。口頭10問に筆記30問。基準は3桁、半分が出来れば上出来と言えるだろう。このグリフィスは6割が正解していたな。……まさか受けるつもりかい?』
『はい。皆様が試しを受けて勤めていらっしゃいます。私がダウエル様の下にいる事がお気に召さない方もおられる様ですし、受けなければこちらに勤めることすら認めては頂けないでしょう。こちらのグリフィス・エン・ミドルトリア様は特に』
『そうか』
『1つお願いがございます』
ダウエル様が私側の人だと分かっているからこそのお願いを、一呼吸置いて私は切り出した。




