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闘神の御娘(旧)  作者: 海陽
4章 1部 首都アトゥル
106/115

4-22 腹括るかな……はぁ。

『……うん、検算の見逃しもないな。流石はシノブだ』


報告に提出した書類を確認したダウエル様が満足げに1つ頷いた。そりゃあね、部署内一と言われるからにはきちんとこなします。珠算暗算の有段者としては誤算は由々しきことだからね。


『はー。終わったぁ』


ぐーっと伸びを1つ。隣の机ではミイドさんが書類と格闘中。でもね、ミイドさんもレベルアップしてるのが分かるんだ。……あ、ほらもう1枚終わった。算術の師匠としては嬉しい限り。

他の先輩方はまだ半分は書類残ってる。頑張って下さい。心の中でエールを送りつつ、私は重い腰を上げた。


え?何で重い腰かって?そりゃ、決まってますよ。この後は陛下の遠乗りに同行する約束になってるんです。……あんまり乗り気じゃないけどさ。でもミナト様から聞いた話では、陛下が遠乗りに誘うってことは本当に気に入られた証なんだそーだ。で、今までに誘われたことがある人って数えるほどしかいないんだって。へぇー。


〈ではシノブ。行くとしよう〉


『うん。ではダウエル様、行ってきます』


『……気を付けるんだよ』


心配そうなダウエル様を後ろに、私と皇雅は部署を後にした。



***



『待っていた。シノブ殿』


『はあ』


陛下がいると言われてやって来た王族用のうまや。木造だって事は変わらないけど……凄くない?これ。厩だよね?住居スペースじゃないよね?!柱とか壁に彫り模様あるなんて想像してなかったよ。


『来てくれて嬉しいぞ』


『約束は守りますよ?信条に反しますし』


『余と遠乗りは嫌か?』


『乗り気ではないです』


『……正直だな』


正直が1番ですからね。嘘はばれたら後が怖いし。真正直に答えたら、陛下に苦笑された。ってお供の人は?護衛は連れないのかな。姿が見えないけど?そう思って周りを見回せば、それを察したのか陛下が言ったのだ。


『護衛は要らぬ。貴方ほどの武術に秀でた者がいるならば不要だろう?』


爆弾落としたよこの人。周りに人がいなくて良かった。しかしね……ちょっと信用し過ぎじゃないですか?まあ陛下が『要らない』って言うなら何も言わないけど。


『今日の遠乗りはどこまで行かれる予定ですか?』


『そうだな。アトゥルの郊外付近まで行こうか。アトゥル内であれば日帰りで戻って来れるだろう』


『わかりました』


そうして厩から手綱を引いて戻ってきた陛下と愛馬。名前はイグ。性格は穏やかなんだそうで、体躯も中々立派な栗毛の牡だった。まあ、皇雅の方が立派だけどね!


『貴方の馬は?……まさか馬神に乗るのか?』


『はい!ね、皇雅』


〈無論であろう。我が居るというに我以外の馬にシノブが乗る必要など何処にある〉


言った瞬間に獣神姿に戻った皇雅。この毛並みとか体躯とか、やっぱり皇雅が1番だよね。鼻面を頬に擦り寄せられて笑うと、陛下が目を見開いていた。

陛下が馬具付きのイグに跨り、私も皇雅の鬣を掴んでひらりと飛び乗る。……何でまた瞠目してるんですか、陛下。


『馬具無しだと?』


『はい。ずっとこれで今まで乗って来ましたから。そもそも皇雅に合う馬具は無いと思いますよ?』


他のどの馬よりも巨躯を誇るからね。相変わらず良い毛並みだなぁ。久しぶりの毛並みの感触に思わず鬣をなでなで。ちょっとの間呆然と私達を見ていた陛下は、正気に戻ると『参ろうか』と愛馬イグの向きを変えた。



そうして。



流石に国王が堂々と市井を行くわけにはいかないのか、私と陛下は少し街から離れた道を駈歩かけあしで進んで行く。あ、イグが駈歩で皇雅が軽速歩けいはやあしか。人混みから離れた場所を進んでもやっぱり目立つのか、何人もの民がこっちを凝視していた。


『ふむ。シノブ殿は騎乗技術も優れているのだな』


並行走行していたら、陛下がそう呟いた……あ!今にやりと笑った?!真っ黒な笑顔してたよね絶対!!

笑った直後、彼はあろう事かイグの足を駈歩から襲歩しゅうほに切り替えた。



『皇雅』


〈うむ。心配は不要だ〉


短く名前を呼ぶだけで、皇雅は言いたい事を正しく察してくれる。皇雅が軽速歩から駈歩に速度を上げたことで、陛下のイグに引き離される事もなく、私達はアトゥルの街並みを駆け抜けた。




『流石はシノブ殿だな。全く遅れることもなく駆けるか』


『陛下』


陛下がイグの足速を落としたのは王宮から大分離れた小高い丘のような場所だった。いや、襲歩じゃないから息が上がることはないけどね?いきなり速度上げられたらびっくりするでしょうが!つい声に咎めの色が混じったのは仕方ないと思うんだ。うん。


『そろそろ敬語を取り払ってくれても良いだろうに』


『……そうですね、今は誰もおりませんし』


とりあえず『今は』ね!


『はあーっ』


『な、何だ』


空を見上げて盛大に溜息を吐き出し、狼狽えた陛下を余所にぺたりと皇雅の鬣へと上体を突っ伏した。


『良い加減腹括らないといけないかな……』


いつまでも敬語を突き通すわけにもいかないだろうし……ああ、本当にこれ乗り気じゃないんだけどさ。頑張れ忍、女は根性だ!


『シノブ殿?何を腹を括るのだ?』


『公の場でも敬語を止めること。何で諦めてくれないかなぁ』


『……』


『どうせ全部ばれたら厄介者に成り下がるだけなんだし……』


『厄介者だと?……何を言っている』


『また白貴の所(東地方の森)に逃げ込むのもありかな。ね、皇雅』


〈それも良いかもしれぬな。白貴も喜ぶだろう〉


『シノブ殿。貴方は何を隠しているんだ?……おい、聞いているのか?』


……いや、頑張って聞き流してるんです!あーあー聞こえない聞こえない。って現実逃避したいけどそれも無理か。はぁー。


『陛下、今現実逃避してるんだから待ってて欲しいのに』


『はっ?!現実逃避だと?』


むっくりと上体を起こして渋々彼へと顔を向けると、陛下は困惑と少しの苛立ちを含んだ表情をしていた。


『あー……陛下。公の場で敬語を取り払って被害被るのは私なんですよ。あの下知は確かに貴族全員に知れ渡った。けど私が敬語で陛下に接していても、私を憎らしく見てくる貴族ひとがいることは気付いてる?そんな人間が居て、そこに更に友人口調にしたらどうなると思う?私を攻撃する格好の餌を自ら撒いたことになる。まあ武人でもなければ武で負ける気は更々無いけど、それでも。何故か宰相閣下も気に掛けてくれてるみたいだけど、それが更に反感買ってるんだってことは知らない?』


本当にね……何であのハッサド宰相もちょくちょく声掛けてくれるんだろう。『困ったことはありませんか?』って気にしてくれるのは嬉しいよ?うん。でもそのせいでこの前見知らぬ貴族にいちゃもん付けられたんだからね?!


『陛下や宰相殿に目を掛けられているからと良い気になるなよ』


すれ違いざまにぼそりと言われた上に、足まで引っ掛けられそうにになってすんでの所で転けるのは回避出来たけどさ。……そう言えばあの外衣、男爵位の色だった気がするな。どこの部署だったんだろう。


『何故余や宰相に言わないのだ。然るべき対処をしたものを』


『その場凌ぎでしかないと思ったから。ああいうのは1人居れば他にも複数人居るって思うのが普通だし。貴族って難儀だよねぇ。矜持は大切かもしれないよ、そりゃ。でもそれって得意ではない武術で平民わたしに負けたからって憤らないといけない事なのかな、陛下。財務部署の者でもないのに自分より算術が得意だからって、何で私が嫌味を言われなくちゃならない?それって既に彼らが言う『崇高な貴族としての矜持』とはいえないだろうし、得意分野で負けたならともかく、土俵が違うのに『矜持が傷付けられた』って喚くなんて、それこそ貴族の矜持を貶めてるんじやないかと思うんだ』


『……』


『友人口調で陛下と会話をする事は私が腹括れば済む話だけど、あのミキフ・ルーニャのように逆恨みされるなんて堪ったもんじゃない。あの男は貴族ではないけれど、私が平民でありながら『獣神の契約者(契印持ち)』として優遇され、逆に自分が地位を落とされた事を根に持っていた。そんな相手が現れる度に、私は武術で対抗しなくちゃいけない。嫌だよそんなの。面倒くさい』


『……嫌なのは心情ではなく、面倒だからなのか』


陛下は馬上でがくっと肩を落とし、呆れの口調でそんなことを呟く。いや、これ大事だからね?面倒ごとに度々遭ってたら仕事に支障出るかもしれないじゃない、折角収入源確保出来てるのに無職に戻りたくはないし。それに案外王宮勤めも楽しいしさ。食堂のご飯は美味しいし。


『流石に暗器持ち出されたら対応に遅れをとるかもしれないけど、やられても同じ分だけ・・を返せばどっちの被害が多いなんて揉め事も少なく済むだろうし。『目には目を、歯には歯を』ってことで』


『何だそれは?』


『目を殴られたなら相手の目を殴り返すこと、歯を折られたなら相手の歯を折ることが許される。『誰かを傷つけた場合、その罰は同程度のものでなければならない』……だったかな。大昔の偉い人が定めた法典ルールの1つだったと思う。過剰な報復を禁止するために作られた縛りのはず』


『ほう』


合ってる、よね?「目には目を、歯には歯を」ってやつ。でもあれって「やられたらやり返せ!」って誤訳する人が多いって聞いたことあるんだよねぇ。過剰に反撃するのだけは私もやりたくはないし。そもそも私がやり過ぎたら穏便には済まない気がする。特に棒術と剣術。……気をつけないと。


『まあ……友人口調は腹括ることにする。でもそれで起きた臣下の人達の反感とかは、私は自分達に降りかかった分しか対処しない。それで怪我人が出ても文句は受け付けない。それでも良いんですか、陛下?』


結構無茶を言っている自覚はある。だけどありもしない言い掛かりでもつけられたら、それこそ堪ったもんじゃないし。


『文句は陛下に言えと、面倒ごとはたらい回ししますよ?』


『構わん。余の決定に異議を申すなら直接余に上奏すれば良いものを、シノブ殿に当たり散らすなど見苦しい。そんな事で貴方の敬語を止めさせられるのなら安いものだ』


陛下が王宮の方へ視線を向けながらふふふ、と低い笑いを零す。……黒い。黒いよ陛下。心なしか着ている上品な紺の長袍までもが真っ黒に見えて、私はそっと彼から目をずらした。

「目には目を、歯には歯を」の説明は、あくまで忍個人の解釈です。(作者の解釈ではなく、)実際と違うところもあるかもしれません。ご理解を……。


有名な一文ですね。これについては更新報告で補足説明をします。


http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/297806/blogkey/1171370/

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