幕間-4 後輩の秘密 4
ミナトside
『シノブ……女性が臓物なんて言葉を言うもんじゃないよ?』
『え、では内臓ですか?』
『そうじゃなくて』
きょとんとするシノブにぐったりとしたイーニス。けれど次にシノブが継いだ科白に部屋にいる獣神以外が目を見開くことになった。
『『受身』が上手くとれるかどうかでかなり変わるんですよ?投げ技って結構危険で、背骨を痛めることだってあるし、頸椎を怪我したら今後身体が動かせなくなるかもしれないんです。もし背骨を痛めて中の神経まで痛めたら酷い激痛が走るって聞きますし。地に叩き付けられた衝撃でもし骨折とかして、動けない期間が長くなるとその間に筋肉って衰えるんです。そうすると怪我以前と同じくらいに動けるようになるまでが大変なんですから』
……背骨?神経?筋肉?『けいつい』って何だ?!前3つはまだ分かる、だけど『けいつい』?そこを怪我すると今後身体を動かせなくなる可能性がある……?
どういうことだ、今の言い方ではシノブは僕ら人間の身体の造りをも知っているようにも聞こえる。
『シ、シノブ?『けいつい』って?』
よく言った、イーニス!
『頸椎ですか?ここです』
彼女がとんとん、と軽く叩いて示したのは首。その余りの軽い話し方に、また唖然とした。
『頸椎……首は、頭と身体を繋いでいますよね。物事を考える頭とそれを実行に移す為に動かす身体。その中間を繋ぐ首は、頭へ血を流す唯一の部分。頭を働かせる為にたくさんの血を頭に送る必要がある首には、太い血管が通ってます。だから首を斬られたりすると指とかを怪我するよりも多量の血が出てしまうんです。心臓より高い位置にある頭へ血を送るには力強く血を流す必要があって、恐らく斬首で血が噴き出すのはそれが原因でしょう。あとは太腿や手首なんかも怪我には注意が必要かなぁ……』
『ちょ、ちょっと待ってシノブ?君は身体の仕組みも知っているのかい?!』
『はい、学びましたよ?とは言っても結構前なので的確では無いかもしれませんが。先程お伝えした学校で、男女共に異性を含めた人の身体の仕組み、大体の身体の成長、精神の成長についてとかも。……そうですね、例えば女性なら月のものが来ること、男性なら、』
『良い!言わなくて良いからっ!!何言ってるのシノブ?!』
何を言おうとしてるのかが分かって、皆してぎょっとした。イーニス、良く遮ってくれた!助かった……っ。
『女性がそういうことを堂々というものじゃないだろう?!』
『はぁ』
今にも襟元を掴む勢いでシノブの肩をがっと掴んだイーニスは、頬を微かに赤らめつつ彼女へ言い募る。対してシノブは平然と『それが何か?』と語る気の抜けた表情でイーニスに揺さ振られていた。
『学校では人前で話すことを憚られるようなこういう事も男女共に平等に学ぶんです。そうやって異性に対する理解を深め、将来自分が身をもって経験するであろう事を、事前に知識として知っておくのが狙いです。知識があればその時に慌てずに済みますし』
前後に身体が揺すられているにも関わらず、シノブはごく平常に言葉を続けたんだ。
それからも暫く『がっこう』のことを聞き、ふと思い出したように武術の話に話題が戻った。
『『柔道』というその武術にはどんな技があるんだ?』
『大まかには投げ技と固め技の2つです。固め技は更に抑え込み技、絞め技、関節技に分かれます。絞め技は首を絞めて屈伏させたり失神させる殺傷技ですが、締め技だと首以外を締める技になります。名前から予想が付くとは思いますが、抑え込み技は相手の身体を抑え込んで動けなくするもの。関節技は相手の関節の動きを封じる技です。これをされると動けなくなりますし、関節の筋を痛めさせたり損傷させる事も可能な危険な技でもあります。こういった技と平行して、立ち技と寝技というものがあります。どういったものかというのは名前の通りで、立ったままかける技なのか、床に寝転がってかける技なのかの違いです。投げ技は立ち技が比較的多く、固め技には寝技が多いと思います。ただし、固め技と寝技は同義ではありません』
滔々と説明するシノブ。けれど僕らは『柔道』という武術を知らないから、説明だけでは今ひとつ技の想像がつかない。だから彼女に実際に『見せて欲しい』と頼むと、片眉を下げた。
『危ないと思いますが』
けれど僕らの『見たい!』という押しに負けて、護衛の1人を相手取ってやってくれる事になったんだ。芯がしっかりあるシノブだけれと、押しには弱いな。……いや、まだ親しい人間だからこそなのか。
『投げ技で1番知名度が高いのが『背負投げ』です』
すっと相手役の護衛の前で向かい合わせから反転させつつ、彼の右腕を掴み自身の背に背負うように身体を持ち上げると、彼女の前方へ投げる。
酷くゆっくり見せてくれたから分かったものの、恐らくシノブの本来の腕前なら恐ろしい速度で床へ叩きつけられるのだろう。
『ちなみに『試し』の後にミドルトリア様と、ミキフ・ルーニャとの一戦で彼にかけた技がこの背負投げです。それから、寝技でよく知られているのが『巴投げ』です。捨て身技のこの技は、投げられる方は瞬間的に床に手をつこうとしてしまうので、見よう見まねでの巴投げは肘を怪我する危険が大きいんです。護衛の方、今から巴投げをかけますが、絶対に手をつこうとしないで下さいね?』
『あ、あぁ』
『絶対ですよ?』
念に念を押し、シノブは護衛の彼と向かいあわせになると、手前に体勢を崩させた。自分はそのまま背中から倒れつつ、彼の足の付け根辺りに足を当てると彼を上へ持ち上げそのまま彼女の頭越しに投げる。シノブの相手役をした僕の護衛は、もちろん武術に長ける武人だ。加えてとうに成人している為、当然彼女よりも背丈も体格も勝る。それなのに……何故ああも軽々と彼を投げられるんだ?!
『流石は護衛の方ですね。ちゃんと手を伸ばさずにいて下さって良かったです』
ほっとしたように、はたまた嬉しそうにそう言ってシノブは起き上がった。
『私の国には模様として『二つ巴』というのがあるんです。この巴投げは、先人が投げる瞬間がその模様に見えたから付けたのでは言われていま……どうしたんですか?ミナト様』
『え、』
『渋い顔つきをしてますが』
誰のせいだ、誰の!と噛みつきたいのを何とかやり過ごし、『いや、何でもない』と絞り出す。自分より体格が良い相手を軽々と投げられる不思議を聞けば、なんてことはないと、彼女は笑った。
『コツがあるんです。人体に突かれたら痛手を負う急所があるように、その場所を押さえれば不利な状況でも逆転できるコツが。自分の呼吸1つで、相手より体重を重くすることも出来ますよ?』
ーーーひと通りの話が終わる頃には、僕やイーニスはシノブの規格外な実力にすっかり疲れてしまっていた。剣術に始まり、『カラテ』『棒術』『柔道』『蹴り技』。シン国では聞き馴染みのない武術ばかりで、それもそのうち『カラテ』と『柔道』は『有段者』というものらしい……つまり、手練なのだと。『棒術』は言わずもがな恐ろしい腕前なのだから最早護身の術などとは到底思えない。『蹴り技』は名の通り足での攻撃技だが、これも我がシン国では殆ど見ない。だがこの分だとこの武術も相当に強いのだろう。剣術に至っては獣神と精鋭と名高いハイドウェル家の私兵達のお墨付きときた。
『はぁー……会得しすぎだろう、シノブ。男の立つ瀬がないじゃないか』
『えええ、私のせいですか?!』
『君以外にいないだろう?そこに更に騎乗技術や算術の凄腕まで持っているんだ。シン国で1番の剣術の腕を持つハッサド宰相にも渡り合えるんじゃないか?』
『陛下ではないんですね』
『ハッサド宰相の家系は代々王家の剣術指南役なんだよ。ヴェルダニード侯爵家は臣下ではあるけれど、傍系の王族だからね。直系はアルダーリャト陛下の家系だというのは知っているだろう?同い年のお二方は幼馴染みなんだ』
『へえ……』
彼女が『獣神の契約者』だからお二方共シノブに目を掛けておられる。最初はそう思っていたんだ、僕は。けれど日が経てば経つ程、陛下は『契約者』としての彼女ではなく個人的に目をかけておられると感じるようになっていた。平民であるはずのシノブが、算術に優れた者しか入れない財務部署の誰1人として追従出来ない算術能力を持ち、陛下をも唸らせる茶を淹れる。そしてそれらを自らひけらかす事もない。陛下方は彼女を男と思っておられるようではあるけれど、その人となりが気に入ったのだろう、きっと。
現に彼女は遠乗りに誘われている。陛下は本当に気に入った者にしか遠乗りを誘わないのは貴族の中では有名な話だ。……しかし、しかしだ。一体どの馬に乗るのだろう。まさか獣神に乗るのか?そんな不敬な……まさかな。
ちらりと不安が過ぎりつつ、その後は他愛もない会話をして僕はハイドウェル家を出たのだった。
『……ミナト様』
『何だい?』
我が家へ向かう途中、ゆっくりと走らせている馬上で、護衛が隣へ馬を並ばせ声を掛けてきた。
『シノブ殿ですが、』
『うん』
『あの身のこなし、どう思われましたか』
『……お前はどう思う?クトル』
僕に問いかけてきた護衛、クトルに問い返せば、目が真剣なものへと変わった。
『彼女は至極簡単に棒術、カラテ、柔道と見せてくれましたが、あれは、あの腕は我らには到底追従出来ぬ高みに到達しています。棒術ではあの一連の流れに隙が無く、カラテでの衣擦れの音は長年の積み重ねがあってこそ成せるもの。柔道に至っては我らは教えを受けねば防御すら叶いません。武人である我らですらそうならば、文官側に立つ方々には反応すら出来ないでしょう。それほどに熟練していました』
『そうか』
『それに、シノブ殿はミキフ・ルーニャにも『背負投げ』をかけたと言っていました。彼との一戦は私も聞き及んでいます、圧勝だったと。元とはいえ、彼は首都兵隊長を務めた事もある男です。それを圧勝したのであれば、シン国で勝てる兵は早々おりますまい。……彼女は、女の身で一体どんな生を送ってきたのか』
普通ならば武術など縁も無いはずなのに、と物憂げに遠くを見やるクトルに全くだと内心で同意する。
『ミナト様。私に、彼女から武術の教えを請うお許しを頂けませんか』
『……お前はそれで良いのか?』
『と申しますと』
『シノブは女だ。男が女に教えるなら分からなくもないが、女に教えを請うことにお前は納得しているのか?』
『確かにシノブ殿は女ではありますが、武術の師と仰ぐ程の腕を持つ者に教えを請うのに、男も女もございません。私は教えを受けるならばシノブ殿が良いです』
『そうか。だが僕は仲介はしないから、自ら教えを請いに行くんだぞ?誠意を見せねば彼女は色良い返事を返してはくれないだろうからな』
『もちろんです』
師と仰ぐのならば自らの手で師弟の関係を築けと告げれば、クトルは力強く頷いたのだった。




