第136話 決行
「おい、お嬢ちゃん。起きろ」
昨日の昼間、囮となるために歩き回った疲れもあって、硬い簡易ベッドでもぐっすり寝ていたエミリスは、男の声で起こされた。
「……んー?」
眠い目を擦りながら、ベッドから起き上がる。
周囲はこの部屋に入れられた時と同じく、ランプの灯りがあるだけで、時間などはわからなかった。
「……お前、図太いな。大抵のやつは寝れないもんだが……。おっと、メシ持ってきたぞ」
扉の格子窓越しに彼女に声をかけ、トレーに載せられた食事を、扉の下側に開いた隙間から部屋に差し入れた。
食事は食パンとスクランブルエッグ、それにポタージュというシンプルなものだ。
「えっ……! これだけ……ですか……?」
お腹を押さえて不満の声を漏らす。
昨晩も食べておらず、お腹が空いているのにこれだけしかないのは、彼女にとって拷問だった。
「不満か? パンくらいならまだあると思うが……」
「なら、あと5枚は欲しいですー」
早くも1枚目のパンを格納したエミリスは、すぐにお代わりを要求する。
「……ちょっと待て」
「はーい。早くお願いしますねー」
昨日と違って緊張の素振りも見せず、全く平然としている彼女に男は違和感を覚えるが、貴族ということもあってこういうことに疎いのかもしれないと思うことにした。
「ほらよ。余ってたのをあるだけ持ってきてやったぞ。好きなだけ食え」
「わ、ありがとうございますっ」
差し出された食事は、パンだけではなく、おかずになるものやスープも追加されていた。
早速それらに手をつけて、お腹を満たしていく。
男はその食べっぷりを呆れるような目で眺めていた。
「ふー、とりあえず満足しました。ご馳走様ですー」
エミリスは空になったトレーに手を合わせ、食後の挨拶をする。
扉の隙間から差し出すと、すぐに食器は下げてくれた。
「すまんが、引き渡しまで出してはやれん。我慢してくれ」
「はーい」
軽く返事をして、またベッドに寝転がる。
タイミングを見計らうにしても、まだこの拠点にどのくらいの人が来るか分からないのだ。今日はそれを見極めるつもりでいた。
それまでのんびりさせてもらおうと、彼女は目を閉じた。
◆
「……余裕だな」
突然小声で声がかけられて、ベッドでうとうとしていたエミリスは慌てて目を覚ました。
「わ、ワイヤードさん!」
「……おい、大きな声を出すな」
「あ、はい……」
鍵がかかっているはずの部屋にいたのは、ワイヤードだった。
ただ、目には見えているが、その気配は感じない。
「ええと、また分身体……です? それ便利ですね……」
「そうだ。お前もいずれできるようになるだろ。ただ、この身体では戦えんがな」
「うーん、できる気がしませんけど……」
どうやればいいのか、実際目の当たりにしても想像もできなかった。
「まぁそれはいい。……手短に言うぞ。俺に受け渡しの連絡が入った。今晩、指定された路地で会うことになっている。だから、それまでにケリをつける。今から俺が踏み込むから、中からもかき回してくれ。……あと、ここにいる人間は殺して構わん」
「今50人くらいいますけど?」
ワイヤードの話に、エミリスはこの拠点にいる気配の数を感じ取りながら答えた。
自分が寝ている間に、これだけ集まっていたのかと少し驚く。
「幹部以外の雑魚は逃げられても構わん。後始末は俺がやるから、適当にぶっ倒しておけ」
「わかりました」
彼女が頭を下げると、ワイヤードの姿はふっとかき消えた。
エミリスは「んーっ」と背伸びをする。
服がドレスのままで動きにくいが、まぁ大丈夫だろう。
「それじゃ、出ますかねー」
ゆっくりと扉に歩き、簡単に鍵を壊して部屋から出る。
「――お、おい! お前、何してんだ!」
それに気づいた見張りの男が、慌てて叫んだ。
「あ、さっきはお食事ありがとうございました。……しばらく寝ててくださいね」
――ガッ!
そう言うや否や、頭に死なない程度の魔法を撃ち込むと、男はそのまま地面に倒れる。
「……とりあえず上に行ってみましょうか」
エミリスはそのまま散歩でもするように、のんびりと階段に向かった。
◆
「俺たちも行くぞ」
「わかった」
ワイヤードに促され、アティアスは頷く。
彼は、先程エミリスと話したようで、彼女の無事に安堵するとともに、下手を打たないようにと気合いを入れる。
2人とも顔をマスクで隠していて、暗殺者のような出で立ちだ。
「無理はするなよ。危ないと思ったらすぐ下がれよ」
「ああ。……俺は強くないからな」
「ふ、それが自覚できてるなら大丈夫だな」
ワイヤードは軽く笑ってから、エミリスの囚われている建物に向かう。
この周辺は倉庫が立ち並ぶ区画だった。
今は日中なのでそれなりに人がいるが、夜間は人気が途絶える。
それもあって、奴隷商の拠点に選ばれていたのだろう。
その中で、一見、古びた倉庫にしか見えない大きな建物に向かって、ワイヤードは迷わず向かった。
――ドゴッ!
そのとき、向かう建物から大きな爆発音が周囲に響いた。
◆
――その少し前。
「どんどん湧いてきますねぇ……」
エミリスは階段を上がり、そこにいた男を弾き飛ばして壁と激しくキスをさせた。
その音で異変に気付いたのか、他の男たちがわらわらと湧いてきたのだ。
「お、お前……! どうやっ……」
――バコッ!
新しく出てきた男が、わざわざこちらを指差して話しかけてくるのを途中で遮り、彼女は涼しい顔で黙らせる。
しかし、次々に出てくることもあって、キリがない。
「――壁よ!」
その中には魔導士もいたのか、エミリスが魔法を使っているのを防ごうと、防御壁を張り巡らせた。
「あー、面倒ですねぇ……」
石でも転がっていれば楽なのだが、あいにくこの辺りにはそんなものはなかった。
ふと、新しく思いついたことを試そうと、彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「……むむぅー」
彼女が前に手を翳して、魔力を集中させる。
狙うのは先ほど気絶させた男だった。
「…………」
目を閉じたまま、ふらりと無言でその男が立ち上がる。
そして向きを変え、仲間の方に向かって、あたかもゾンビのようにふらつきながら歩き出した。
「お、おい……⁉︎」
不自然なその動きに、男たちは恐怖の声を上げる。
「ふふふ……」
エミリスが悪役のような笑みを浮かべ、魔力を強める。
――カタカタカタッ!
「なああああぁー!?」
エミリスに操られた男の動きが、突然速くなる。
地面を滑るように魔導士の男に突進し始めると、男たちは驚きの声を上げて後退る。
しかし、ぶつかってきた男と絡み合い、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
「や、やめろ……! お前、どうなってんだ……⁉︎」
押し除けようとするが、手足が絡まるように覆い被さってきて、逃れることができない。
なによりも、その不自然な動きと無表情な顔が恐怖心を煽ってきて、正常心を保つことができなかった。
「……雷よ」
戸惑うその様子に、もはや防御魔法が制御できないと判断し、エミリスはまとめて雷撃魔法を放った。
「「――ぐああああっ!!」」
男たちの悲鳴が彼女の耳をつんざく。
死なない程度の力には制御しているが、それでも抵抗できるほどの弱さでもない。
――悲鳴が途絶えたとき、付近に立っている者は残っていなかった。




