大和屋襲撃事件
月日は、待ってはくれない。
文久三年八月二日
佐々木愛次郎は、斬殺されなかった。
ただ、身元不明の女性の遺体が、愛次郎が殺される筈だった場所で見つかった。
その日を期に、あぐりの姿は霧の様に消えてしまった。
遺体が、あぐりなのか、確かめる術は、無かった。
同年八月十日。
佐伯 又三郎 斬殺。
斎藤一と、一緒に入隊し、壬生浪士組副長助勤を勤めた佐伯が、
その日の朝、遺体で発見された。遺体を見た時、体の力が、全て抜けた様に、千夜は、座り込んだ。
何故?何で、愛次郎は助かったのに、何故、佐伯は助からなかった?————どうして?
同年八月七日
祇園で、大坂相撲と京都相撲の合併興行が開催され、壬生残留浪士組が警護。
そのお礼と言うことで、八月十二日、十三日
壬生寺にて礼相撲がとり行われた。町人にも好評で、客入りは上々だった。
十ニ日、夜の出来事であった。
せっかく、壬生浪士組の評価も上がったのにも関わらず、この男は、全て台無しにしようとしていた。
町人達の叫び声が響く中、大和屋の前には、人だかりが出来、尋常じゃない空気が、漂っていた。
そこには、大砲を持ち出した、芹沢鴨の姿。
私の義父。
もう、此処まで正気が保てないか。
大砲の前に立ちはだかる桜色の髪に、
芹沢は、怒鳴り声を上げた。
「そこを退かぬかっっ! ! 」
浅葱色の羽織を着た千夜の姿が、芹沢の邪魔をする。
「いやだね。」
「叩き斬ってやるっっ!」
キィン
芹沢のおろした刀を千夜は、すかさず受けるが、
重い……
その刀は、鉛の様に重く、千夜を苦しめる。
「………くっ……」
「さっさと、退けっ!」
「いやだと……言っているっ!」
キィンキィンキィン……
「芹沢、目を覚ませ……。」
頼むから……。
「目なら、覚めておるわっっ!」
覚めている?正気で、こんな事をしてるって事?正気で、大砲を持ち出したと……?
刀を強く握りしめる。
「……正気だろうと……、正気じゃなかろうと……、芹沢っ!お前を止めるのは、私の役目だっ!」
止めてやると、約束した。私に言えと、必ず止めてやるからと。私は、————約束したんだっ! !
キッと芹沢を睨む。
「千夜、これが、武士のやり方だっ!」
武士?なにが、武士?
————なぁ。ちぃ。
俺はな、武士になりてぇんだ。
あの人は、その為に、自らの想いを押し殺し、鬼となった。農家の出だから、武士になるのは命懸け。武士の家に生まれてさえいれば、みんな、あんな風に、消される事なんて無かった。
ドォンッっと、大砲の打つ音がその場に響く。
今、こいつのしている事が、武士なのか?
いいや。違う。
こんなの、武士なんかじゃない!
ふざけるな……
————ふざけるなよっ! !
千夜の中の何かが、プチッと音を立てて切れた。
バァアアァアンッッ! !
大和屋に当たる筈の大砲が、空中で爆破した。
大和屋と芹沢の間には、千夜しか居ない。
あたりは、爆破の影響で煙と、土煙に覆われた。漂う煙は、皆の視界を曇らせる。
「……何が武士だ……
今の、お前の、何処が、武士だっ!」
キィン…ギリギリ……
芹沢と交わった刀が音を立てる。
「ま、まさか、あの大砲を斬ったのか!」
千夜から匂う、火薬の匂い。
さっきまで無かった匂いに、芹沢も怯んだ。
「だったら、どうした……。」
冷ややかな、千夜の声。
刀を交えて肝を冷やした事なんて無かった
初めて、相手を怖いと感じた。
目の前の、
————自分の養子である千夜を。
「芹沢……悪く思うな……」
ドスッ鳩尾に入った千夜の拳。
気絶した芹沢鴨は、ドサッと地に倒れた。
全部、お前を守るためだ。
やっと、煙が晴れる。
大和屋は、燃えなかった。芹沢の手では……。
全てが可笑しい。
芹沢が、持ってきた大砲。
何処からこんな物を、持ってきたのだろうか?
壬生浪士組に、こんな物はない。所有しているとすれば、藩、幕府ぐらいだろうか?
「ちぃ!」
呼ばれた声に、振り返れば、ぴょんぴょんと、後ろ髪を跳ねさせる藤堂平助の姿。
「平ちゃん?」
「お前、突然、居なくなるから…。
土方さん迄、屯所から出てきちゃったよ。」
呆れた様に振り返る、藤堂。視線の先には
こちらに向かって歩いてくる、浅葱色の羽織を着た、鬼副長、土方歳三の姿があった。
「大変だったんだぜー?
ちぃを探してたらさ、なんか、会津藩の者って名乗る奴が、芹沢が大和屋に火を放つ!とか、言ってさー。
まぁ、なんとも無かったなら、良いけどよー。」
会津藩?何で?何でだ?
ここから屯所まで、距離がある。彼らが、屯所から出たのは、もっと前となる訳だ。下手をしたら、大砲が放たれるより前。
なのに、何故、火をつけると思ったのか?
暴れている。ならわかる。現に、暴れていたのだから。大砲を持ち出したから?
だったとしても、何処に打つか、わからない筈だ!なのに、大和屋。と、断定して伝えたのは、どうして?
「そいつは、会津藩の者なんだな? 」
違うと言って。間違ってるって…
「あぁ、土方さんも知ってる人だって。」
そんな……
「ちぃ…
芹沢を止めてくれたのか、礼をーー
「言わなくていいっ!」
そんな事の為にしたんじゃない。
「ちぃ?お前どうしたんだ?」
藤堂は、いつもと様子が違う千夜を見て声を出した。
知らない訳ない。
よっちゃんが、会津藩の企みだと、知らない訳……ない……。
近藤さんを伸し上げるために、芹沢鴨は、不要だと…
————そういう事でしょ?よっちゃん。
また、繰り返されるのか。意味のない、暗殺が。
「芹沢が、殺される————。」
絞り出した千夜の声に、土方と藤堂の目が見開かれた。
言ってよ!何、バカ言ってんだ!って
……言ってよ。よっちゃん。
二人からの返事は、いくら待っても無かった。
あぁ。もう、決定事項なんだと、この時、確信した。
油、独特の匂いがした後、あっという間に赤く染め上がる大和屋。パチパチと、音を立て、芹沢が気絶する中、史実通り、大和屋は燃え上がる。
その炎は、明け方まで消える事は無かった。




